来羅
2025-03-19 22:51:35
3234文字
Public トワウォ
 

可惜夜 全年齢向け冒頭部分(風信)

信一傳を読んだら黒社会信一が書きたくなった!
そしてここから始まる風信をね、書きたいんですよね……

「龍城第一刀がこんな優男とはな!」
 吐き出される悪態は懐かしいものだった。
 いきり立つ仲間を手を上げるだけで押し留め、信一は紫煙を燻らす。
 怒りはない。懐かしいだけだ。
 昔、その名前を轟かせた頃を思う。
 誰がつけたのか、一夜にして広まった『龍城第一刀』の名。はじめのうちはこんな子供がと舐められたものだった。そういった輩は実力で叩きのめしてきて、数か月も経つ頃にはもう誰も信一を侮る者はこの香港にいなくなっていたはずだが。
「久しぶりに聞くわ、それ」
 余所の国までにはまだ至らないらしい。
 薄ら笑いを返した信一に、男は苛立ちを募らせた。
 この状況でなお闘志を失わないところは悪くないが、頭が良くないなと思う。それもまぁ、この龍頭のシマで不純物の多い麻薬を流そうと企んだ時点でお里が知れるというものだ。
「俺もまだまだだなぁ。大哥に顔向けできない」
――あんな隠居間近の男など!」
「お前、口の利き方に気をつけろよ」
「はっ、牙を抜いた龍の飼い犬が! そのおキレイなツラで何を咥えこんだのやら」
…………ほんっと懐かしいわ」
 唇に挟んだ煙草を吐き出して、大きく息を吸う。それから短気なのはよくないなと涼し気な顔を崩さずに首を振り、信一は数を数える。
 一秒。
 二秒。
 男の部下たち数人はすでに信一の足元に倒れ伏している。
 三秒。
 四秒。
 五秒。
 そのひとりの腕を掴んで胴体に片足を乗せ、『普通』とは逆方向へ力を入れれば醜い悲鳴と共にごきりと嫌な音が鳴った。この程度で実に情けない。
 そうしてゆっくり数えて、六秒。
「まさか、龍捲風が管理してるヤク以外の粗悪品を城砦に持ち込んで、無事で済むと思ってるわけじゃないだろ」
 よし、頭は冷えた、と地を蹴る。
 閃かせたナイフの軌跡に沿って血飛沫が舞い、遅れて重なる悲鳴のハーモニーに目を細める。微動だにせず目を見開いたままの男には何が起きたのかわからなかったかもしれない。その間、僅か三秒で男の周囲にいた部下の残りを切り伏した信一は、男を冷たく見下ろした。
 ヤクの持ち込み程度ならば少し痛い目を見せるくらいで済んだだろうに。
 あれは、いけない。
 いただけない。
「くだらない噂だけ聞くお利巧なその耳はいらないよな?」
 男がはっとしたときにはもう、その右耳が削ぎ落されていた。痛みよりも熱い衝撃に声もなく蹲る。信一は一瞥しただけでもう振り返ることもなく背を向けた。余所のシマどころか、余所の国の連中を殺してしまうのはさすがに不味い。
 新しい煙草に火をつけて、深く吸い込む。
 怒りはまだ治らない。
 煙を肺の奥の奥まで吸い込んで、息を止めて一秒。苛立ちと共に吐き出して心を落ち着ける。
「龍城幫に喧嘩売るなら、まず俺が相手になるとボスに伝えろ」
 実に呆気ない捕物劇だった。
 信一が直々に出てくる必要もなかったかもしれない。しかしあの暴言に腹を立てた仲間の阿鬼たちが殺してしまっては元も子もない。
 この程度でいいのかと語る眼差しに苦く笑って、信一はひらひらと手を振った。
「阿鬼、あとは任せた。こいつらは丁重にお帰りいただいて」
「信一」
「殺すなよ」
 いらない火種は抱え込む必要はない。
 龍捲風なら、これでもやりすぎだと苦言を呈したかもしれない。信一とて苛立ち紛れに耳を削いだのは少しばかりやりすぎたかと思わないでもなかった。が、信一のことをどう罵倒しようが構わないが、龍捲風への謂われない誹謗中傷は我慢がならない。
 信一が龍捲風の養い子だと知っていてもなお、その見目を利用して取り入ったに違いないというやっかみは今も昔もままあることだ。そのたびに相手を地に沈めてきた信一だが、その理由はただ、龍捲風がそんな男なわけがないだろうという一点のみだった。自分のことは好きに呼んでくれて構わない。そうではないことは、拳でしか示せないことを知っている。





「やりすぎだ」
 顔を合わせるなり眉根を寄せた龍捲風に、信一は両手をあげてへらりと笑った。
「だって」
「言い訳は」
「ごめんなさい」
 真っ直ぐに城砦に帰ってきたはずなのに、どうしてもう知っているのか。龍捲風の目と耳は至る所にあって、信一ですら未だに把握できていない。
 反省はしていなかったが、先んじて謝った信一に龍捲風が溜息をついた。しかたがないなと幼子を叱るような仕草は、信一がまだ藍森のところにいた頃、何かするたびに見せていた顔だ。龍捲風にとってはまだまだ信一などその程度なのだろう。
 ちくりと胸を刺す痛みには気づかない振りで、信一はわざとらしく唇を尖らせた。
「俺がアイジン扱いされるのは、まぁ、いいけど。龍哥がそういう男だって思われんのは嫌」
「どっちも良くないだろう」
「俺は気にしないよ。何なら、事実にしちゃう?」
「馬鹿言ってないで、早く着替えてきなさい」
「はーい」
 なんでもない。
 これくらいは、なんでもないのだ。
 冗談に紛れさせた信一の本音は龍捲風は知らなくていいことだ。
 『事実にしちゃう?』
 その言葉に秘めた想いなど、微塵も。
「信一」
 すれ違いざまに呼び止められて、振り返った。
 思ったよりも近くに龍捲風の姿があってつい仰け反った信一に、やはり龍捲風は気づかない。でもそれでいい。
 動揺を押し隠して信一は首を傾げる。
「なに」
「色男が台無しだな」
「っ」
 伸ばされた指先がそっと信一の頬を撫でた。コンクリートに手形を残すくらいに力強い手は、まるで壊れ物を扱うように信一に触れる。
「ほら、ついてたぞ」
 肩を竦める龍捲風の指先は赤く染まっていた。
 返り血には気を付けていたつもりで、避けきれなかったらしい。思わず顔を顰めて舌打ちした信一に、龍捲風は小さく笑った。それはまだまだだと呆れているようでもあり、信一の子供染みた反応を愛おしく思ったかのようでもあって、信一はそんな龍捲風の笑みにたまらなくさせられる。
「そこはさ、怪我したのかって心配するところ!」
「心配してほしかったのか?」
「してほしい!」
 駄々っ子のように叫べば、また笑われた。その疼くような甘さをひとつひとつ拾い上げて、信一は胸の奥にまたしまう。
 けれどもそんな信一のいじらしさなど知らない龍捲風は、手を洗うと、なんでもないことのように紫煙を燻らせ言った。
「それは無理な相談だな」
「え、酷くない?」
「知らないのか? 俺の刀は強いんだ」
……なっ、なに、それ、~~~~~~~~~~っ!!」
 それでいて顔を覆って蹲る信一などもう見向きもしないのだから、酷い人だ。
「当然だろ!」
 床に倒れ込みそうな体をなんとか取り繕って信一は叫んだ。
 くつくつと笑う龍捲風のこれは、きっとわざとだ。
 たまにこうして養い子を揶揄う龍捲風に、そのたび心揺らされている信一のことなど『可愛い息子』としか思っていないのだろう。
 やめてほしい。否、やめないでほしい。
 そんな相反する気持ちは、それだけでも十分じゃないかと言い聞かせる声にいつも押し止められる。
「龍哥」
 俺を見てよ、と本当は言いたかった。
 けれどもその代わりに、得意げな顔を作って信一はニヒルに口角を上げる。
「龍捲風の隣は俺しかいないだろ」
 せめてそれだけは。譲れない。譲らない。
 柔らかく細められた眼差しは、温かかった。それは確かに、信一にのみ注がれるものだ。それを、ちゃんとわかっている。
 だから、これでいい。
「期待してる」
「任せてよ」
 差し出された手を握れば、強い力が引き上げた。その反動を利用して胸に飛び込む強かさもなく、たたらを踏んで立ち上がる。たとえ繋がれた手が一瞬で離れるのだとしても、それだけで十分だ。また、そうひとり言い聞かせる。
 信一はもうずっと、そんな、ひりつくような恋をしている。