
-黒聖の国 外周-
満たされない空白が、胃の中で満ちていく。
眠りを妨げるほどに強烈な欲求を抱えて。
お腹空いちゃった、1時間前に食べたばかりなのに、と口に漏らし並べられている父親が用意した3度目の昼食に目を輝かせた。
国でも有名なシェフである父親が働くレストランは7つ星の称号を掲げている。称号を与えたガイドに記載された写真は、幼い頃から手を引かれて連れて行かれた場所であったし、お店の盛況ぶりに予約殺到で一年先まで埋まっているのだと満足げに語る姿を見て、ボクのお父さんの料理は美味しいからと娘としても誇らしい気持ちになった。
間食を含めて1日に10食以上は食事を摂るボクの為にと食べても食べても食べ飽きないように変化を凝らした味付け。複雑に調味料を組み合わせて平皿に盛り付けられたメイン料理に添えられた一対のナイフとフォークを手に取って音を立てぬように二つに切り裂いた。
一食前に食べたバターが丸々一本乗せられたパンケーキはメープルシロップが添えられていたから甘かった。甘いものを食べたら次にはしょっぱいものが欲しくなる、次に用意されたエッグベネディクトはその心情を見透かしてテーブルに用意された皿なのだろう。
ベーコンの塩辛さとオランデーズソースの口当たりの良いさらりとした、それでいて濃厚な味わいが口一杯に広がった。
この味も忘れないように後で味覚記録ノートに書いておかないといけない。ボクの身体に溶けて活力に変わる実感はあるのに、人の記憶はいつの間にか消えてしまうほどに曖昧な形状をしているから。ボクが食べたものを文字に残しておけば味覚で思い出せなくても、記憶としてまた思い出せる。
ぺらっ_________
軽い音を立てて捲られる表紙。
何年も何年も毎日時間をかけて、日記代わりに書き連ねたノートは捲り癖がつく程に柔らかくしなり、うねった跡が幾ら紙を伸ばしても雨に濡れた教科書のように消えない。
新品の冊子と見比べれば分厚さも2倍程度増しているそれを見るだけで、今まで食べたもの達がもう一度積み重なって腹を満たしてくれる、あの頃の新鮮な記憶ごと掘り出してボクを迎えてくれる。
もう1枚、ページを捲った先には古びて茶色く変色した紙に、懐かしくもボクに与えられた魔法生物の記録が綴られていた。ひぃちゃんだったか、みぃちゃんだったかは定かでは無いけれど魔法少女に変身した瞬間、興味本意に牙を伸ばしたらもう、あっと驚く暇もなく、あんなにちっちゃなサカナを丸呑みするなんてとても容易い。
味そのものはアジそのものと言っても過言ではなく、ちょっと旬は過ぎて脂乗りが悪いだけで特別さは全くなかったけれど、その日はなんだかとっても奇妙なほど元気に動き回れた。
原因はいまだに分からない、ボクの中では魔法生物の魔力を取り込んだからだと推測している。検証したい気持ちはあっても勝手に人の魔法生物を食べてしまってはカノジョ達に申し訳が立たない。
魔力の塊の敵も倒せばすぐに灰に変わってしまい、伝う味覚からは炭のジャリジャリした食感と苦味を感じるだけだ。ましてや欠片まで飲み込んでしまって喉に詰まらせたら危ないからね。
手に持ったカトラリーを少し斜めに傾けて、合わせるようにしておけば、回収されていくお皿達。一枚だけ手元に引き寄せて、喰んでみればよく冷やしたチョコがぱきりと割れるように綺麗に分裂した。
お腹が空いている。いつもよりも
もっと
・
穏やかな風が吹く街並み。国の気温が安定した矢先、花粉を飛ばした杉並木が意気揚々と葉を揺らすから鼻がむず痒くなりくしゃみを2回も連続で飛ばした。
「くしゅん、くしゅっ
…………失敬」
「いえいえとんでもない、暖かい日が続いていますからね、木々も躍起なのでしょう。ティア様のお体に障るようでしたら今すぐにでも引き返しましょうか」
「いいや、折角君が僕の学びに付き合うと申し出てくれたんだ。このままで良い」
「左様でございますか、もし少しでも異変を感じたらお教えくださいね」
1日前に雪が降るほどに冷え切り積もった雪も早々に溶けて路面が濡れていた。日陰や道の橋の方に僅かに残された名残も表面が氷が張って膜となり、家族と手を繋いで歩く子供はそれを見かけた途端に手を振り解いて駆け出していった。
わいわいと身体全体で喜びを表現しながら両足で踏みつける。ジャンプした後、着地をしようとした瞬間、摩擦の少ない氷上で体勢を崩し体を打ちつけそうになる寸前に父親が背中から支えて抱き止めた。
動かない足ではあの子のように雪を踏み占めることすら出来ない。
それ以前に誰かが椅子を引いてくれなければ自重で簡単に凹んで身動きの取れなくなってしまう雪の上を進むことすら叶わない。
14年も変わることのない事実にもどかしさや悔しさを感じるのにも慣れた。
故に少しでも外に出て学びを得る機会を木々の繁殖行動で逃すには勿体無い。信者の1人が押す車椅子に乗って、遠くまで足を伸ばしたい気分だった。
髪を揺らす風の心地よさに身を任せ、街を歩く人々の半分程度の速度で車輪は地に跡を残す。揺られる速度はゆらり ゆらり 揺れる揺籃の中で奏でられる子守唄と同じ。
迫る眠気に瞼がゆっくりと瞳を覆い隠そうとする。争いたくて手のひらにあるらしいツボを押してみる。親指と人差し指の骨の合わさる所のくぼみを揉みほぐしたが、気が紛れる程度で根本的な解決策にはならない。
気付かないうちに筋が緩み、少し開いた唇に引っかかっていた髪を避ける為に俯き視界が塞がった。たった数秒の些細な仕草、顔を上げようと視線だけ先に前を向くと項垂れた黒い柳の隙間から見えた彼女らは随分見覚えのある姿をした二人組であった。
「このじぇ
……ジェラシー?ってなんの味?」
「ジェラートの事?なんでも良いってトコタが言ったからバニラとチョコと納豆味のトリプル。知ってる?納豆のネバネバとアイスを組み合わせると伸びるアイスになるんだって」
「とっても匂いそう!雨上がりの靴より臭いやつだよそれって、あ、トコタはこっからこっち食べるからエメリーは全部食べないで!」
「それはトコタ次第かな、あんまり食べるのが遅かったらトコタの手ごとぱくって食べちゃうかも
……なんてね」
「だーめ!!半分こって約束したでしょ、トコタの手まで食べたら怒るからね、本気の本気で怒っちゃうから」
「はーい、精進します」
和気藹々とした様子でコーンの上に乗った氷菓を巡る口論は続く、ヘラで押し付けるようにして掬われたであろうジェラートは真っ白な面と暗い茶色、その隣にもう一つ薄めの茶色の3面で構成された三角形のピラミッドを形成していて、突き刺さった2本のスプーンが耳のように左右対称に鎮座している。
先にスプーン取り待ちきれないと口に運んだのはトコタだった。薄めの茶色
……おそらく件の納豆味とやらを食べたのだろう、口内に含んだ始めのうちは至福の表情を浮かべていた彼女だったが次第に口角が下がり始めてついには「うえーーーっっっっ」と顔を顰めながら舌を出した。
「これ最後がまずい
……」
「あら、確かに店員さんに何回も確認されたからね、ボクも味見」
続け様にトコタが削った側面を更に深く抉る。
「んー
……確かにこれは
………………スイーツとは思えない後味だね、急に和食の口になっちゃった」
最初は風味もジェラードに合ってて良い感じだと思ったんだけどなぁ。嘆く2人は息を合わせてもいないのに全く同じタイミングで別の味の側面で口直しを図る。側から見れば仲の良い姉妹だと認識されそうな位に完璧なタイミングで揃うので思わず笑い声を上げた。
「2人とも、仲が良いんだな」
「ティアちゃん見てたの!?」
「飴玉みたいな瞳のティアだ、こんにちは」
「何なんだその例えは
……」
付人の信者に目配せをし、車椅子の位置を彼女達の正面まで寄せる。
「ティアちゃんは、えーっとおともだちとお買い物してたの?」
「いや、学びを得るための外出だ。因みに彼女は友達では無くへルーネレペト派の信者であって今日はたまたま散策に付き合ってくれると申し出たから「つまりティアちゃんの仲間って事でしょ!トコタわかるよ」グッ
……………………まぁ、それでいい
……」
「ティアはこれから何処かへ行く用事がある?ボクとトコタはこれから海に行って新鮮な魚でも取ってお刺身にしようと思ってたんだけど
……」
「用事は無いぞ、知見を広めるのが今日の目的だからな」
だったら丁度いいね、夕食はアジを食べたい気分なんだ。
そう告げるエメリー君の腹が鳴る音階が段々と上がっていく。「ほら、ボクのお腹も思い出して鳴ってる事だし」食欲が関係すると彼女の決意は途端に固くなる、それにしても器用な胃袋だと妙なところに感心していると、信者に向かって、ティアお借りしますね。と既に決定事項であるかのように告げて後ろに回る。
「待て、僕は行くとは一言も行っていないぞ」
「こういうのってエンとかノリって言うんでしょ、一緒に臭い魚とろうよ」
「もし余ったら持ち帰っても良いからさ、ボクが全部食べちゃうかもしれないけれど」

かかっていたロックを外し段々とスピードを上げていく車椅子。急いで振り返り信者に向かって「用事が終わり次第僕も戻る!!先に帰ってくれ」と叫んだ。つい勢いに押されて駆け出してしまった僕は、外周の端に位置する海岸まで猛スピードで連れ去られる事になった。
・ ・
砂浜から海を見つめる3人の魔法少女。水平線の先は霧がかっており、先の光景は全くと言っていい程見えなかった。
1人はアオサギ型の魔法生物を連れ、自身の身長程の巨大な翼を広げて羽ばたく。2本の脱力した足の代わりを担う両翼は力強く空気を押して、彼女に自由をもたらした。
1人はカメ型の魔法生物を体に溶かして金のリングを揺らした。ひび割れた足からはしとどに液体が流れ落ちる。身体は水槽のように透けて少女の命を知らせるクラゲが赤々と浮かんでいる。
1人は魔法生物の代わりに背中に生やした二つの口を撫でた。欲望に比例して強力になってゆく2対がクラウンを乗せた少女に従うようによだれを垂らして食事はまだかと催促していた。
「僕は君たち水の魔法少女ほど上手く泳げないぞ、」
「完全に泳げないわけでは無いんでしょ?だったら大丈夫だよ、浅瀬にも沢山魚はいるから」
「ティアちゃんはトコタと一緒に魚捕まえて遊ぼ!あとあと、飛び方も教えて欲しいな」
「それはまた後でね」
揃って海中に沈む魔法少女達は悠々と泳いで行く。
視界を染めるディープブルーはどこまでも広がり、揺れる波動の一つすらなく静まり返っている。それは嵐が来る前の静けさを思わせるほどの虚構を携えて魔法を秘めた少女達に重圧となってのしかかる。
『おかしいな、魚影が一つも見えない』
『ね、ここはお魚の集会場だからおしゃべりでうるさいくらいだったのに、餌を撒いても来ないなんて珍しいね』
ティアとトコタは海中の静寂を聞き確かな違和感を覚える。黒聖の国は本来豊かで栄えし国なのだ。海産物においても変わりはなく、漁に出れば網に魚がかからない日は無い。
『僕、もっと深い場所を探してみるよ、2人は先に上がって待っていて』
より深く、深く深海へと潜っていくエメリー。飢えを訴えるひぃちゃんみぃちゃんが早く、早くボクたちを空腹から解放してくれと叫んでいる。頭から真っ逆様に沈み、沈むほど視界は真っ暗になる、完全に暗闇に染まり切ってしまう前に魔法で消えない光を灯して指先から進行方向に飛ばした。
ふと目を前を横切った一匹の深海魚、呑気に舞う魚をこれ幸いと食指ならぬ食口を伸ばして
がばり
大口を開けたみぃちゃんが丸呑みした。
コラーゲン質のぶよぶよとして熱で溶ける食感と独特の生臭さでいっぱいになる。
『初めての獲物にしては上々かな、こんな深くまで来たから収穫なしには戻れないよね』
深海数千メートルは水に祝福された魔法少女とはいえど、限界が迫ってくる。内臓が水圧で押されている分負荷は大きく、引き返す時間も計算に入れれば残された時間は残り僅か。
聡い少女は身を反転し、引き返そうと足を動かした。その時、上に進もうとする力をもろともせずに下に強く引っ張られた。
海中を鳴動させて息を吸い込むそれはそれは強大で尊厳な影。「あ、まずい」と思った頃には手遅れで、手をいっぱいに開いてもがいたけれど到底叶いはせず、遂に体制を崩して食欲のまま動く少女は更に強大な食欲に飲み込まれていった。
・ ・ ・
「エメリー遅いね
……このままじゃ先にトコタが天の魔法少女になっちゃうよ」
「もし本当に天の魔法になりたいのなら今の2倍は飛び続けなければ警備は務まらないぞ」
先に海上へと戻り、エメリーを待つ間暇を持て余していた2人はぷかぷかと水の上に浮いて噴水のように口から塩水を吐いたり、濡れて重さが増した翼を丹念に乾かしていた。
もう1人の少女は海底深くまで潜り長い時間浮上する気配が無い。これ以上姿を現さないのであれば、探しに行かなければならない。もうすぐ日も暮れて敵が増える逢魔が時が訪れるだろう。
「
……なんだろう、下から何かが来てる気がする。波の流れが可笑しいの」
トコタが察知した異変は探るまでもなく、現実に変わる。

大人しかった水面が地震が起きたように揺れて岩陰が次第に大きくなっていく、慌てて沖に避難して後ろを振り返るとそこには海中を割る壮大な獣、海の覇者の訪れを示していた。
「なんだ
……!?あれは、本当にただの敵なのか
…………?」
クジラ型の敵である事は黒い外見からも間違いない、だが一つだけ普段相手にする敵には無い特性が見られた。
「クジラが空を飛んでるね
……」
敵は本来、姿を模した動物を真似る性質を持つ。それは形に縛られる影の特徴であったし、少女達が弱点を知り敵を倒す足掛かりにもなっていた。だが、あれは何だ?鯨が空を飛ぶだなんて、誰もが聞いたことのない。それこそ空想上の生き物でない限り。
クジラのような敵を見つめていると頭上からぼとり、潰れた音を断末魔に物体が足元に落ちてきた。

転がるそれは少女の頭上に輝いていたクラウン。首から下は噛みちぎられて行方不明になり、落ちた衝撃から片目がこぼれ落ちてゆっくりと血溜まりを作る。
「エ、エメリー
…………?」
クジラもどきの衝撃もさることながら幼馴染の無惨な姿を目の当たりにして声すら上手く発することができない。自分がヘマをして死ぬ事態はそう珍しくなくとも、周りにいる自分より強い先輩の魔法少女がこうも簡単に事切れている姿は衝撃的だった。
「トコタ君、僕があれの時を止める間にエメリー君を安全な場所に。一部だけでも残っていれば身体は戻せる、僕は応援を待ってあの敵の討伐に向かうぞ」
言い終えて即座に魔法生物伝いに他の魔法少女達を呼ぶ。先程の轟音と様子のおかしい空を見上げて既に此方へ向かっている魔法少女達の姿が見えてきた。
「ありがとうティアちゃん、トコタも後から戻ってくるから!!」
「別に、君達の事を思ってではなくこれが最善の策というだけだ、さぁ早く!!」
トコタが飛び出した片目ごと、エメリーの頭部を抱え上げる。それを確認したらティアがタイミングを見計らい魔法で時間を止めた。
6.4秒、距離が離れているからそれ以下だろうか。ただそれだけの時でも逃すだけなら十分な時間稼ぎだ。敵の視界から消えた彼女達を見送り改めて動き出した敵を見つめた。あれだけ大掛かりな敵の討伐にはさぞ骨が折れるだろう。被害が待ちに広まる前に、倒さねば。
翼で風を押して大きく羽ばたく。低空から飛翔して目指すは敵の元へ、旗槍を掲げて道を切り拓くように力いっぱい飛び立った。
・ ・ ・ ・
『全魔法少女に告ぐ、外周の空に巨大な敵が出現した。向かえる者は至急応援を頼む』
大きな音が響いて、外周に
……ほんとは内周にある家の中まで届いた揺れに怯えて蹲っていた。揺れが収まってレオンが届けてくれた伝言を聞き少しだけカーテンを開けて外の世界を眺めた。
聞き覚えのある声だったから、応援を呼んだのはきっとティアちゃんだ。そう思い空を見つめると月に変わっていく太陽を背にそれはそれは大きなクジラが宙を泳いでいました。
「みまちがいでも、うそでもない
……ほんとうの空飛ぶ鯨だ
…………!」
その光景をみて、わたしはついに外の世界にも空想が広がったんだと、きっと良くない思いだけど喜んでしまいました。
魔法少女になってからわたしの思い描いた空想が、妄想が溢れたミルクみたいにどんどん広がっていって
……そうと知ったら居ても立っても居られない。レオンに灯った灯火を吹き消して窓から転げ落ちるようにして空飛ぶクジラを追いかけ走りだした。