戸倉
2025-03-18 19:56:07
4501文字
Public 盟友/CPなし
 

風を結う

原作軸
盟友
祈りのはなし




風を結う







「オイ、ヴァッシュ・ザ・スタンピードって、知ってるか?」
「あァ? ヴァッ……? なんだっけか?」
 寂れたダイナーの窓際で、まだ昼前だというのに顔のサイズよりも大きなジョッキをあおる二人組。一人は褐色の顎髭を蓄えた中年男、もう一方は上背のある短髪の若い男。
「なんでもこのへんにいるらしいんだよ! あの極悪人のヒューマノイド・タイフーンってやつが!」
「へェ、こんな辺鄙な街の近くになぁ。どんなツラしてんのか知ってんのか?」
 数人しか客のいない店内に中年男の嗄れ声が響き、若い男は据わった目で何度も瞬きを繰り返す。
「あぁ、確か、悪魔みたいに吊り上がった眉、顔から飛び出ちまいそうなくらいデッケェ目ン玉、肩幅が四メートルくらいあって、あー、あと、頭から何本も金色のツノが生えてるとかいう話も聞いたことがあるな。そんで射撃の腕前が化け物みてぇに上手いんだってよ!」
「ダッハッハ! そんな奴が本当にいたら、射撃の腕前以前に化けモンだろうがよ。近寄らねぇのが身のためさ。ヒューマノイド・タイフーンっていやあ、確か賞金だって取り下げられたんだろ? 何の得にもなりゃあしねぇ」
 若い男は背を反らして豪快に笑い、ジョッキの底を金属製のテーブルにガツンと打ち付ける。白い泡の粒が広範囲に飛び散りしゅわりと消えた。
「ハッ、俺らみてぇな呑んだくれのどうしようもねぇ人間は家でブルって大人しくしてんのがお似合いってか! ……ッ、あー、小便したくなってきちまった……って誰か入ってんじゃねえか。クソッ、しゃあねぇ……
「オイ、ここで漏らすんじゃねえぞ⁉ 家すぐソコなんだから帰りゃあいいだろ!」
 酩酊状態の男たちは覚束ない足取りで立ち上がり、懐から取り出したしわくちゃの札をテーブル上に置く。椅子を後ろへ勢いよく引いた拍子に中年男の肘が広い背中にぶつかった。
「あぁ、すまねえなぁ。兄ちゃん」
「かまへんかまへん。気ィつけて帰りや」
 肘を当てられた黒いスーツの男は、軽い調子でひらりと手を振る。酔っ払い二人組はもつれる脚でどうにか互いに肩を支え合いながらじりじりと太陽の照り付ける店の外へと出て行った。

「ぶっ、ククク……、アカン、アカン、ケッサクやで!」
……何を笑っているのかな、ウルフウッド?」
 店の奥のトイレから出てきたのは、真っ赤なロングコートを着た若い男。片耳に小さめのフープピアス、澄んだ空のような青っぽい瞳、金髪を箒のように逆立てた髪型と特徴的な黄色の丸いサングラスも相まってかなり目立つ風貌をしている。金髪男は、黒いスーツの男――ウルフウッドの向かい側で、気怠げに長い足を組んで腰掛けた。
「まぁ、確かに目ん玉はデカイなぁ。遠目から見たら肩幅も四メートルくらいあるように見えるかもしれん。あと、ツノて……! そのトンガッた頭のことか⁉」
 再び噴き出したウルフウッドは、握り締めた拳でテーブルを何度も叩く。目の端からこぼれ落ちた涙を指で拭う姿を見て、金髪男の左頬がひくりと引き攣った。
「おい、さすがに怒るぞ!」
 金髪男は垂れ目がちな目を細め、ウルフウッドを睨み付ける。
「もう怒っとるやんけ! おーおー、眉毛が悪魔みたいに吊り上がっとんでぇ~」
「クソッ、なんでこんなに訳の分からない噂が出回るんだよ!」
 すっかり機嫌を損ねた金髪男は椅子の上に片脚を乗せ行儀悪くガタガタ揺らす。
「往々にして噂は一人歩きするもんやけど、おどれの場合は規模がちゃうわぁ。クッ……、アカンわ! しばらく笑えるネタや!」
「いつまで笑ってるんだよ!」
「まぁ、笑い話になるんなら、その方がええ。銃口向けられるより何倍もマシや。せやろ? 人間台風ヒューマノイド・タイフーン?」
 ウルフウッドは、金髪男――もとい人間台風の左頬を走る一筋の傷を目に留め、新たな煙草に火をつける。二人の間を細い煙が踊るように揺らめいた。
「真正面から受け止めるからそないなことになるねんで」
「ッ、俺が受け止めないわけにはいかないだろ……!」
 昨日二人が訪れた街で〈訳あって〉少年に銃を向けられた時にできた傷。人間台風はかさぶたになりかけたそれを手で隠すように頬杖をつき、ウルフウッドから顔を背けた。
 砂埃でまだらに汚れた窓から見えるのは、大きな翼を悠々と広げて滑空する黄色い嘴の鳥。風の抵抗など感じさせない優雅な舞いに見えたが、きっと近くで見れば傷だらけに違いない。人間台風は、刺さるような視線を横顔に浴びながら小さく息を吐き出した。

 さっきまでウルフウッドの後ろに座っていた二人組のように、本物のヒューマノイド・タイフーンを知らない人間はある意味幸せだ。多くの人間から畏れられる男の脳裏にはいつだって己の罪がある。消してしまった優しい人たち、自分が関わることで運命が変わり傷ついた人たち。旅の道すがら、そうした人たちから向けられる表情は笑顔とは程遠く、身体中に刻まれた傷跡はそれを忘れることを一時も許さない。受け止めたところで相手の気持ちが晴れることがなくとも、もうどんな顔をしたらよいのかすら分からなくなっても、この惑星の乾いた風は、罪と共に砂の地を歩き続ける男に容赦なく吹きつける。もう慣れたとはいえ、時々こうしてウルフウッドに生温い視線を向けられるたび、人間台風は遠い昔に子どもだった時のように唇を尖らせてしまう。
「辛気臭い顔が得意っちうのは、なんちうか、なんの得にもならへんな」
「うるせぇ」
 ウルフウッドは手元に置いていた愛用の黒いサングラスを掛け、ブリッジ部分を指で押し上げる。
「そういうどうにもならん時のために、人は祈るねん。覚えとき」
……どうにもならなくなる前に、手を伸ばしたいんだよ俺は!」
 興奮した人間台風がテーブルの上に身を乗り出す。ウルフウッドはサングラスの奥で目を細め、眉を吊り上げた男の顔目掛けて白い煙を思い切り吹きかけた。
「ウッ、ゲッ……ゴホッ、おま、なに、っ、すん……だ!」
「つくづく難儀なやっちゃなぁ」
 ウルフウッドは椅子の背に体重をかけ、ぐっと背中を反らす。目を真っ赤にして咽せ続けているトンガリ頭を見下ろし、苦笑を漏らした。
 
 確かにこの惑星には、人間台風に大切な人を消された過去を持つものが、少なからず存在する。しかし、中には他人から聞いた噂だけで、実際に何かをされたわけでもないのに男を差別し石を投げてくる者もいる。怒ればいい。力があるなら振り翳せばいい。これ以上その身体に傷を負うより何倍もマシだというのに、人間台風はいつだって向かい風を真正面から浴びることを選ぶのだ。こうして頑なに赦されることを選ばない男が、もしいつか、何か一つだけ神に祈る時があるとするなら一体何を――。そして、その時隣には誰がいるのか――。ウルフウッドには想像すらできないことだった。

「オイ、ウルフウッド、おまえなぁ…………ヒッ⁉」
 息を荒げた人間台風の鼻先を何かが掠めた。液体が勢いよく飛び散り、割れた窓ガラスの破片がスローモーションみたいに宙を舞う。テーブル上に置かれた飲みかけのコーヒーカップに銃弾が命中したと気づいた時には、ウルフウッドの真っ白なワイシャツに数点の黒い染みができていた。
 地面が揺れる轟音と共に物騒な集団が人間台風を呼ぶ声がする。
「チクショー、まだ飲んでたんだぜ……
 苦々しく天を仰ぐ男のことなどお構いなしにまるで祭り事を楽しむかのように飛び交うロケットランチャーや銃弾の雨。地平線には雲の如く黄塵が上がり、血の気の多い野郎共の声がどんどん近づいてくる。
「ヤクビョーガミや」
「やめてくれよもー! マジ泣きそうだよ! ボクは!」
 大きな瞳に涙を浮かべた人間台風へ向かって舌打ちし、ウルフウッドは十字架を担いで立ち上がる。
 バチンバチンバチン。
 ひとたびウルフウッドが指を弾けば、相棒の十字架を覆う薄い布が地面にはらはらと落ち、人間台風は一瞬でスイッチが入ったかのように目の色を変える。割れた窓から身体を丸めて飛び出しリヴォルバー片手に駆け出すその背はさっきまで弱音をこぼしていた優男と同じには見えない。
「ちょこまか動くとおどれに穴開くで」
 ウルフウッドは十字架の長辺の方を右肩に乗せ、声のする方へ照準を合わせる。親玉らしき派手なモヒカン頭の男を乗せた大型の車を一瞬目で捉え、咥えた煙草を奥歯できつく噛んだ。充分に急所を狙える距離――。しかし、狙うのは、頭でも心臓でもなかった。わずかに十字架を傾けて狙いをズラす。血反吐を吐きながら訓練してきた繊細な技術をまさかこんな風に使うことになろうとは。ウルフウッドは露骨に大きな溜息を吐いた。すると、人間台風がぱっと後ろを振り返り、眉間に皺を寄せたウルフウッドを見て眉を下げる。だらしなく緩んだ口元には喜色が滲んでいた。
「キモい顔すんな! 気ィ散るやろが!」
「ふっ、はは、わはは!」
「なにわろとんねん!」
「おまえが……、いや、なんでもない!」
 派手に飾り付けた改造車目掛けてウルフウッドがマシンガンを放つ。バラバラと人間が宙を舞う異様な光景の中、人間台風は真っ直ぐ走り出した。
 地面から吹き上がる乾いた風が赤いコートの裾を翻し、黄色いサングラス越しに人間台風が目を細める。この短い旅路でウルフウッドが何度も目にしてきた姿――。誰かを想って風を纏いこの地を蹴るたび、新たな傷を増やしていく。それが正解だとは口が裂けても言えないのに、いつの間にか湧き上がった憧れにも似た何かがウルフウッドを突き動かし続ける。
 ふいに人間台風が石の塊に躓いて蹌踉ける。隙を晒した男目掛けて飛んできた銃弾を受けるため、ウルフウッドは十字架を赤いコートの前に突き立てた。何発か受けている間にたちまち周りを敵に囲まれ、下卑た笑い声が飛び交う。
「悪ィ」
 謝罪にしては声色は軽やかで、横顔はとても嬉しそうに綻んでいた。ウルフウッドはすぐさま地面に突き立てていた十字架を構え直し前を向く。視界に映るのは、真っ青な空、はためく赤色、黄色いトンガリ頭。鮮やかなその色を目の前にすると、ウルフウッドの心の隙間にぬるい風が流れ込んでくる。流してきた血とも似たその温度が、鼓膜に響く掠れた音が、硝煙の混じる匂いが、傷だらけの背を押す。結局道はひとつしかないのだと――
「まぁ、祈る暇もないくらい走り回っとる方が、おどれらしいんやろな」
 遠くの方でくるりと輪を描くように飛ぶ鳥を見上げ、ウルフウッドは呟く。
「なんか言ったか⁉」
「なんもあらへんわ! 集中せぇ! さっさと終わらせておどれの奢りで飯行くで!」
 ウルフウッドは人間台風のために祈らない。今、この男の隣で己が息をしている限りは、こうして共に戦う方がずっと良い景色が見れると知ってしまったから――
 奢りは勘弁してくれ、と情けなく喚く男へウルフウッドは背を向ける。踵同士がぶつかった。