夢篠
2025-03-18 09:14:31
2366文字
Public 兄弟星(雑渡双子弟)
 
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兄弟星憶う、宙歎ず

雑渡の双子弟に起きた事

ナマエ幼い時分、私には慕っていた城勤めの男がいた。もう顔も覚えていない、でも幼い私を自分や他の大人たちと同じように対等に扱ってくれる人だった。寡黙だけれど信頼に足る男だと、私は思っていた。

城に入って日が浅かった彼と忍軍組頭の息子の私は、多分周囲から似たような目で見られていたのかも知れない。私たちは直ぐに打ち解けあって、時間を見付けては誰にも見付からない、と彼が言った「秘密の場所」で顔を合わせていた。それは誰にも、昆奈門にだって秘密の、謂わば「逢瀬」のような物だった。

沢山話をした。話をしてしまった。本当はいけない事と分かっていたのに。忍びの事、父の事、陣内の事、それから昆奈門の事。私は多分、とても嬉しかったのだと思う。私の事を「忍軍組頭の息子」と見ない彼の存在が。彼は不思議な程私の背景について問い掛けて来なかった。まるで「全て知っていた」かのように。私はそれが心地良くて、直ぐに彼に気を許した。私は彼の事を、多分兄のように思っていたと思う。想いの形は昆奈門とも、山本陣内とも違ったけれど。

でも、きっとそうして私が油断してしまったから彼は死んでしまったし、私は誰かに気を許すのが怖くなってしまった。

有り体に言えば、彼は敵方の間者だった。誰でも良いから、タソガレドキの者の懐に入り込んで内側から少しずつその結束を瓦解させる。それが彼に与えられた命だった。彼の口から聞いたのだから、そうなのだろう。

「その日」は彼に誘われた。今から城下に行かないか、と。町に出る時は父に許しを得なければいけないし、滅多な事では父は許しをくれないから逡巡した私に彼は嫣然と笑った。何も知らぬ幼い私が見惚れる程、その顔は美しかったと思った。大きな手が私の頭を撫でた。

「一緒に行こう、ナマエ。大丈夫、君の父上には一緒に怒られてあげる」

私を一度も罵らない低くて落ち着いたその声、私を一度も殴らないその手、私を一度も拒絶しないその目。何より私とは生きる世界の違う癖に私の手を取ろうとしてくれる彼の、その全てを失いたくなかったから私は思わず頷いてしまった。私が頷くと彼は困ったように眉を寄せて、それでも美しく微笑んだ。

手を取られ、城下への道を歩いた。父に見付かったらきっと酷く叱られると思って気が気ではなかったから何を話したかはもう覚えていない。でも、取られた手の温かさだけは覚えていた。こんな兄がいたら良いな、と確かにあの日、彼の隣を歩いていて思った。だから罰を受けた。

先導するその人が城下への道を逸れた時に気付けば良かったのに愚かな私は気持ちが浮き足立って気付かなくて、気付いた時には木立の影に押し倒されていた。見上げるその人の顔は丁度逆光になっていて、見えなかった。あの時は何をされるのかも分からなくて、ただ必死に兄と慕う人の名を呼んだ。その人は笑った。いつも落ち着いていた低い笑い声はどろりとした厭らしさを纏っていた。

大きな手がいつものように私の頬を撫でる。私はどうしたら良かったのだろう。その人を害せば良かったのだろうか。大人しく害されれば良かったのだろうか。それとも。

その人は私の首に手を掛けながら、彼の目論見を教えてくれた。それはもしかしたら忍務を達成出来る高揚感からかも知れないし、ある種の油断だったのかも知れない。とにかく彼は実に饒舌に私に彼の受けた忍務について教えてくれた。如何に私が騙し易い子供だったのか。

……お前に良い顔をして近付いて来る大人を、信用してはいけないよ。来世では気を付けな」

首に掛けられた手に力が込められて息が詰まる。でも、抵抗する気が起きなかった。所詮私は器の一つで、私が消えても致命的な損失にはならない。それよりも私を「私」として見てくれた彼に害されるならそれはそれで許容出来る気がした。それ以上に彼と過ごしたひと時が全て嘘であった事を知りながら生きて行く事に堪えられないと思った。

初めてその人の事を兄上、と呼んだかも知れない。その人は顔色ひとつ変えなかったから、きっと私の声は掠れて届かなかったのだろう。でも意識が落ちる直前に名前を呼ばれた。とても哀しそうな声だった。それは私の願望かも知れないけれど。

死んだと思った。でも生きていた。次に目が覚めた時、私は詰所の父の部屋に寝かされていた。首は酷く痛むし、頭痛も酷かったけれど私は生きていた。そして私の装束は血で汚れていた。何が起こったのかは直ぐに分かった。そして途轍も無い後悔に襲われた。

私が気を許したから「兄上」は死んでしまった。私が気を許したから皆に迷惑を掛けてしまった。私が気を許したから私は酷く傷付いた。全部私が悪かった。私が自分の立場を忘れて他人を信用しようとしたから。

部屋に戻って来た父は私を一瞥したけれど、私に何も言わなかった。慰めも怒りも凡そ感情という感情が与えられなかった。いつもなら、言い付けを破った私を酷く叱っただろうし、もしかしたらあの人にされた事よりもっと苛烈な仕打ちを受ける可能性だってあった。なのに父は私に何も言わなかったししなかった。きっと私が自分で気付いた事に気付いたからだ。

他人を信用する事に意味なんて無い事に。

里の人間も城の人間も、父も陣内も或いは昆奈門だって信用したって意味なんて無い。信用したら正しい事を判断する目が曇る。そして正しく判断が出来ない時はきっと、何か悪い事が起きる。累が及ぶのが私だけなら良いけれど、私の周囲にそれが及ぶのだけは堪えられない。それなら初めから誰も信用せず私の立場も利用させないようにする方が、きっと皆幸せでいられる。

否、そうやって物分かりの良い振りをしているけれど本当は。

私が傷付きたくないだけなのだ。