ゆい
2025-03-16 21:17:30
5320文字
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【宗みか】秘する悪魔のエスコート

フォロワーさんとのタイトル交換用に書きました。
とっても難しかったです。

「やっぱり、さっき合わせたリボンの方が良いね」
「おれにはいまいち分からんけど、お師さんが言うならそうなんやろ」 

 あっけらかんと、いっそ投げ遣りにも響く声に思わず結び目を解く手も止まる。顔を上げた先にいる影片は僕の手元にも傍らの洋服の山にも目を遣らず、ただぼんやりと向かいの鏡を見つめていた。肌艶を整える程度の化粧とヘアメイクを終えて、後は身繕いを残すばかりだと言うのに、先程からずっとこんな調子でろくに会話も続かない。それでも、腰掛けた椅子の背凭れも使わず茫洋と伸びた背筋は、きっとああでもないこうでもないと前に立ち仕上げる僕が少しでも弄りやすい為だろう。瑕一つ無く澄ました頬や光を弾きながら瞳を烟らせる睫毛を誂えたのは紛れもなく僕なのに、物言わぬそれらは既にこちらの手を離れて絵画のように憂いている。いくら身内だけの軽い会食だとは言っても、最低限の挨拶や立ち振る舞いが求められる場へ赴くのだから気は確かに持つべきだ。返事が遅れたり膝が揺れる度にそう諭しているが、聞き分けの良い声を出すだけでちっとも行動を伴わない。敏く耳を澄ませば沢山の気配が遠く満ち引きながら僕達の到着を待っている。遅れて合流することは既に伝えてあるし、いっそ影片の調子が戻るまでここで待機する方が良いかもしれない。
 件の祖父が今回も突然思い立って開催された顔合わせに、影片を連れて行こうと決めたのが昨日の昼のことだ。深い理由は特に無い。久方ぶりに顔を見たいとぴいぴい煩い姉と、そろそろ身を固めてはと白々しく抜かす親族を一気に黙らせる方法として留守番よりも同行の方が抜群に手っ取り早かったくらいで。加えて、今回は移動に手間取る本家での開催では無かったから大した準備も荷物も要らなかった。だから、前夜のうちに説明と説得を済ませ、朝日と一緒に寮を出て僕達は勝手知ったる別邸へとやって来た。一応連絡しておいた祖父からはいきなり頭数が増えたことについての小言は無く、反対に団欒を楽しみにされる程度には影片も僕の家族に馴染んでいる。行きの電車の中で影片にそのことを伝えると恐縮しつつも照れていたから、てっきりどこにも躓きは無いと思っていのに。持ち込んだスーツと合わせる為、昔手慰みに仕立てたブラウスやらシャツやらを見せた時は無邪気に綻んだ表情が、合わせたり脱がせたりしている内に何故かどんよりと曇ってしまった。早起きが身体に堪えたのかと危うんだが昨夜は早くベッドに入るよう話したし、触れた肌にもクマやくすみは見当たらない。誘いが強引過ぎた可能性もなくは無いが、窓の外を眺めつつ手土産の心配ばかりしていた横顔からは緊張以上の感情は読み取れなかった。とっくに解き終えたリボンに残る皺をしつこく伸ばしながらあらゆる可能性を拾っては捨て、結局何も手元に残らず途方に暮れれば、何を思ったか真昼の星が不意に僕を仰ぐ。異なる光で満ちた瞳の奥、無表情で見下ろす筈の僕が何故だか丸く揺れている。

「ババロアみたいなケーキ、今日もある?」
ブラン・マンジェだよ。君が好きだと話したから多分用意してあるだろう」
「あれ、さっぱりして食べやすいから好き」
「デザートの心配が出来る状態かね。具合が悪いなら我慢せずに早めに言いなさい」

 へらりと笑ってみせる軽口を溜め息混じりに窘めても、影片はぽかんとこちらを見上げるばかり。造花だったり間抜けだったりと脈絡も無く目まぐるしくて呆れた子だ。自然と眉間に皺が集まってしまう僕へ影片は無邪気な角度で首を傾げて、鳥か猫を想起させるいつもの気の抜けた鳴き声を上げる。

「おれどこも変やないよ?朝ごはんも食べたし夜も沢山寝たから元気いっぱいやで」
「では何故、先程から空気の抜けた風船のような顔をしているのかね」

 ぴしゃりと水面を打つように指摘してやれば、切れ長の瞳が一瞬大きく動きを止める。だが、ぱちんと一つ瞬いたかと思えばすぐに大袈裟な程の顰めっ面となり、後ろめたそうに視線があちこち泳ぎ出す。先程みせた麗しさなどまやかしだと言わんばかりにぱたぱた掌を揺らしたり梳かした髪をしきりに撫でたりと、格式の「か」の字も見当たら無い有り様だ。僕が君の違和感に気付かない筈が無いだろう。何年そばにいても僕の目や勘や物覚えの良さを新鮮に驚く様に、いい加減可愛さ余って頭を抱えてしまいたい。この反応を見る限りではそう大層な理由では無さそうで、心配した分抜ける力が多くてどっと疲れを覚える。思わずリボンも匙も投げかける胸中など露も知らずに、影片は醜態の合間にちらちらと色違いの眼差しでこちらの機嫌を窺っている。鬱陶しいと一蹴することは容易いが、このあと控える気苦労を思えばあまりわだかまりは残したくない。
 
「今日は長くなりそうだし、口火は早く切りたまえ」
「いやぁ、本当に大したことや無くて、ちょっと考え事しとっただけなんやけどぉ
「だから、僕はその考え事の中身が知りたいのだよ」
「‥んと、お師さんとおれって本当に正反対なんだぁって、ほら、大したことないやろ?」

 気まずそうに眉を下げながら影片は早口でそう呟いて、不意をつかれた僕を上目遣いで覗く。右手は少し物足りない襟元を揉むように指先で弄り、左手を両方の膝頭を隠すみたいに開いたおかしな格好で、あんなに騒がしかった逡巡は唐突に息絶え、光ばかりの密室に予想外の沈黙が満ちる。やっと凹凸が消えかけていたシルクに指の形が落ちて、きっと薄い影が残る。この翳りは容易く消えてくれるだろうか、しつこい癖にならなければ良いのだけれど。

僕の趣味も、似合っているよ」
「んあっ、それは勿論知っとるから!お師さんのセンスを疑ったことなんて無いもん!お師さんが作る衣装も合わせてくれるお洋服も大好きやで!」
「そう必死にならずとも分かっている。僕達は育ちも好みもまるで違うのだから、似合うものと好きなものに隔たりがあって然るべきだよ」

 痛々しい程に慌てふためく声をあえて軽く受け止めて、顔は見ぬまま背を向ける。鏡の隣に置いた棚から代わりのリボンを選ぶ間も、背後にはずっと言葉に詰まる気配があった。今巻いたスカーレットも白い肌によく映えていたが、やはりオニキスの方が落ち着いた印象と彼の稀有な神秘性を両立させてくれるだろう。宝石の名を冠した淡い黒を再度手に取り、この美しさを巻いた影片を思う。大切に守り育ててきた趣味と、手間暇をかけ磨き鍛えた嗜好が重なり合って一つの芸術となるこの瞬間が、僕はとても好きだ。好きなもので好きなものを飾る、たったそれだけのことが胸が震える程に嬉しくて、だけどいつも脳裏では「征服」の二文字が瞬いている。そんな背反する感情すらも不謹慎なのに楽しい。こんなに愉快な心を君が痛めてばかりだなんて、勿体無いにも程があるよ。
 何とか綺麗に伸びた赤を置いて、一度は畳んだ黒を手にまた踵を返す。まっすぐに振り向いたせいでこちらの機嫌を測りかねて途方に暮れた瞳と思い切りかち合ったが、特に何の反応も見せずに足を動かして距離を詰めた。明らかに縋りつく視線には気付かないふりで再び目の前へと立ち、解いたリボンを首に回す。左右対称に垂らして十字を作ったら、一つを回してループを作る。ループの根本にギャザーを寄せて押さえ、もう片方も丁寧に潜らせて同じように。息苦しさは生まぬよう注意しながら蝶の形を整えれば、僕の見立て通り最後のピースがかちりと嵌まる。当然の出来栄えに満足はしても、まだ受容の為の顔は上げない。代わりに傾きや撓みを微調整しながら、顎から上と肩から下の落ち着きの無さを少しだけ視界に入れてみる。

僕達の姿について、誰かに何か言われたの」
……そんなあからさまなことは無いけど。表情とか仕草が分かりやすい人って、どうしても居るから」
「本当に下らないね。僕達が何を着て誰と歩いたとしても誰にも何にも関係無いし、外野の戯言にわざわざ貸してやる耳も無い」

 きっと様々な情景を思い浮かべながら、それでも注意深く選ばれた言葉が意味らしきものを持つ前に完膚なまでに叩き潰す。途端に弱々しく竦められていた肩が大きく跳ねたが、彩りを生み出す手は止めてやらない。比重の異なる居心地悪さの、更に上澄みだけを掻っ攫いつつわざと緩慢に身繕えば、やがて薄い喉仏が酷く控えめに波打って降り注ぐ意識が少しだけ薄らぐ。移ろった眼差しの先には、もう飽きる程に覗いたであろう鏡しか無い。屈折の果てに映る壁には、僕達二人が今朝着てきた洋服が並んでハンガーに揺れている。陽気に合わせた薄手のカジュアルスーツに灰色のタートルネックを合わせた僕の趣味と、デザイン性の高いシャツに幅広のボトムスと大ぶりなアクセサリーをいくつも合わせた影片の趣味。ここまで纏う彩度も雰囲気も違えば、成程確かに僕達が共に生きることを訝しむ者がいても不思議では無いだろう。そういう時は最低限の想像力すら欠如した人間に怒っても時間の無駄でしか無いから、こちらも礼儀として線を引く。付かず離れず己の輪郭を保って違和感を尊び合う幸福が理解出来ないならば、せめて僕達に近付くな。
 いい加減整え尽くした首周りをそれでも執拗に見届けていると、不意に目の前から余計な力がすとんと抜ける。おしさん。吐息混じりでこちらを呼ぶ声はまだ頼りないが、芯は確かで語尾まで自覚が満ちている。一拍置いてから指を離し顔ごと覚悟と向き合えば、予想よりもずっと凪を取り戻していた星が少しだけ潤いながら僕を映す。

今度、おれの趣味を着て一緒におでかけしてくれる?」
「それはデートのお誘いかな」
「今日みたいなお洒落なごはんとかは出来んけど。お気に入りのクロワッサン買いに行って、新しく出来た雑貨屋さんを覗いて、時間があったら公園で日向ぼっこして欲しい」
「何とも魅力的なプランだ。追加で、君が里帰りする時のコーディネートも頼むよ」
「えぇの!?」

 弾むように裏返った声が静謐な空気を華やかに揺らす。ぱっと喜色を散らして輝く瞳と今日一番に上がる口角があまりにいじらしくて、もっと早く提案すれば良かったと己の怠惰を少しだけ悔いる。瞬きをいくつも零しながらこちらを見上げる期待に罪滅ぼしも兼ねて軽く頷き応えれば、更に無邪気は加速した。

「おれっ、お師さんに着て欲しいシャツがあって!お師さんいつもかちっとしとるからっ、もう少し動きやすい格好の方が皆と楽しめるやろうなぁって思ってたんよ!あとっ!お揃いにしたい靴下とかアクセサリーもあるっ!」
「それ以上はしゃぐと椅子から落ちるよ。君の好きにして良いから落ち着きなさい」
「じゃあ約束して!」

 転がるような早口が一際明るい語気となり、白い小指が流れ星の勢いで僕の鼻先に立てられる。別にそこまでしなくとも、と一瞬窘めるかけるがあまり派手に喜ぶものだから結局小言は飲み込んで、代わりに肩の力を抜いた。「好き」はいくつ積み重ねても無くならないし、自分の加減で四則演算に耽けても良い。僕と同じ価値を尊ぶ君なら、この意味が手に取るように分かるだろう。
 出来るだけ頬や口元が緩まないよう気を付けながら同じように小指を貸せば、約束がリボンのように絡み影片が満足気に笑う。目を凝らせばもう少しで振り切れる尾まで見えそうな浮かれ具合に、こちらもつられて色めきそうだ。重ねてこの後が憂鬱になるが、機嫌も込みで完成と言えるのだからこの仕上がりで良いのだろう。気付けば扉の向こうのざわめきが先程よりも大きくなっている。待ち侘びた誰かから無粋な急かしを食らうのは癪だし、頃合いとしても丁度良い。リボンだけでなく全身素早く確認してから繋いだままの指を少しだけ引けば、上向きの睫毛が一つ得意気に瞬いて何も言わずとも跳ねるように影片が椅子を蹴る。一気に近付いた距離の中、似た者同士の僕達は各自似て非なる花として好きに目覚めて好きに咲く。影片は僕の趣味に塗れながら彼にしか出来ない笑みで、結んだ小指と急拵えの仏頂面を甘くて堪らないとばかりに見比べる。決して口には出さないけれど、僕はその顔にとっても弱い。立っても座ってもやっぱり君が僕の好みだ。

「そろそろ行こう。皆が僕達を待っている」
「おん!今日はこれ脱ぎ終えるまで、エスコートよろしくお願いします、やで?」

 蜜も滴る花さえ形無しと一瞬瞳を光らせて、影片は音も無く解いた指の代わりに恭しく手を差し出してくる。にんまりと弧を描く唇に合わせて首のリボンが完璧に揺れ、咄嗟に動けない僕を婀やかに笑う。確かに洋服を着せるなら脱がせるまで責任を持つべきだが、わざとなあなあにしてやった隙を自ら掠めてくるとは。危うく血迷いかけた指にぐっと力を込めて、理性を根性で補完しながら負けじとこちらも掌を向ける。踊るように降り立った爪先を包み上げて、また一つの命にして。安心したように報われたようにありったけの相好を崩す影片を見下ろしながら、僕も微笑んでパーティーを抜け出す算段を始めていた。