潜熱(四と信)

背中の話/四→信かも/最後にちょっとだけ洛(信①傳の設定を引っ張ってきているのでご注意)

潜熱



 信一の背にある傷のことを知っている者は少ない。『若気の至り(笑)』とかなんとかおちゃらけて本人はあまり話したがらないし、服を着ていれば基本的に露出しない場所なのできっと本当に近しい間柄の人間にしか目に付かずに済んでいる。四仔の見立てでは、まだほんの十代半ばくらいにつけられた傷だ。綺麗に治癒してはいるが、癒えるまでにかなりの日数を要したはずの傷痕だった。

「なあー」

 だからその日。
 四仔は信一が背中の傷を見せるようにシャツを脱いできたことに少し面食らった。傷痕は明るいところで見なければそれほど目立たない程度には綺麗に癒えている。が、この白く美しい背中から、どれほどの血が流れたのだろうと思わされる酷い傷ではあった。特に医者である分、四仔にはそれが容易に想像できてしまう。

「痛むのか?」
「いや、俺の背中ってさ、まだ結構痛々しい感じ?」
「いや、綺麗に治ってると思うが」

 言いながら四仔は、簡易ベッドの向こう側から手鏡を探り取って戻った。背後に立ち、鏡に背中が映るように立つ。と、信一は、身体を捻るわけでもなく、いつの間にか取り出していたバタフライナイフの刃を揺らして、四仔が持つ鏡の中の像を、自分のナイフに写し取って眺め出した。器用な奴。普段からナイフを鏡として使うことがあるからできる芸当だろう。やがて信一は「だよな、そんな目立たないよな」と唇を突き出して納得すると、またあっという間にナイフをどこかへとしまった。指を欠いている者の手さばきとはとても思えない。
 四仔はふと思いついて信一の背中に手をつき、思ったよりも高い体温であることに気付いてやれやれと嘆息した。

「体温が高くなると、赤く浮いて目立ったりすることもあるぞ。古傷は」
「あー? なるほど?」

 何がなるほどだ。
 何がなるほどなんだこの色男。

 四仔は信一という男が得意ではない。この劣悪な環境の中、見目うるわしい男が見目うるわしいままに存在しているというのがどうも腑に落ちないからだ。目に毒だと思っている時期もあった。常にうっすらと煌めいているまぶた。白目の透明度。思わず指を沿わせたくなるような頬のラインに、青年らしく尖った顎。綻び始めた牡丹色の唇に、挑発的な光を宿す両眼。どこか現実離れした美は、四仔にすら『触れたい』という気持ちを抱かせるから。
 さりげなく横顔を盗み見れば信一は困ったように目を伏せ、くっと口元でのみ笑っていた。
 ああ、やはり女か。
 四仔は呆れながらスウェットのポケットに両手を突っ込む。
 だけど、女か……
 女遊びで、背中を晒す体位って何だ……
 踵を返しながら「はた」と四仔は動きを止めた。

 まずは……服を脱ぐ。
 想像の中の信一は安心しきって背中を見せる。
 そこに男の手のひらが近づく。
 労わるような手つきに対して、別に大したことじゃないと煙草を燻らせながら彼は柔らかく笑む。
 男同士の低い笑い声と息遣い。
 やがて興奮してきた信一の背中には、痛々しくも煽情的な傷が浮かび始める……

「お前、」
「まあ、慣れるだろ」

 焦りを含んだ四仔の声は、からっとした信一の声によってかき消された。幸運にも。
 シャツを取り、彼は手早く釦を嵌めながら旧知の仲である医者を見上げる。
 心配ないと言うように肩を竦められては(心配していないが?)と四仔も仏頂面を晒すしかなかった。
 然して(悪い男に抱かれていないだろうな)という四仔の心配は、この三時間後診療所の扉を叩く洛軍によって粉々に破砕される。

「四仔! 信一の背中の古傷に塗ってやるような薬はあるか?!」

 陳洛軍を前にして、四仔ははじめて恨めしい気持ちになりながら戸をぴしゃりと閉めた。
「無い!」


(終)





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