TO YOU (Hades Game)

手首をリボンで縛られた受けなんかなんぼあってもいいと聞いたので(Thanzag)


『TO YOU』



 どうしてこんなことになったのだろう……
 右手首と左手首。それが緋色のリボンで束ねられている。
 手の力でどうにかなる程度の柔らかさで。
 手首の内側を擦り合わせるようにすれば、結び目に止まる真紅の蝶々が羽を動かした。
 かわいい蝶結びだ。だから「台無し」にはできない。
「どうだ?」
「『どうだ?』」
「俺はこういうのが好みなんだけどな」
「でも俺じゃこれはできないよな? 誰かに手伝ってもらわないと……」 
「確かに」
 夜気の入り込むタナトスの自室は、燭明かりに満ちた自分の部屋とはだいぶ違う。ひんやりとしていて闇は濃く重い。拒むようだけど、引き留めるような、逃さないようなそんな雰囲気だ。物は少なく整理整頓が行き届いていて、清浄で静謐。何も知らなくていいと目を蔽ってくるような闇だし、何も隠し事はないと覆いを取るような闇でもある。
(墓廟のような……
 嫌いではないのだ。だって言うなればこの冥界そのものが巨大な墓のようなもの。死者に満ち、それこそなんぴとも逃れられぬ夜の牢――
「怒ってるのか?」
「まさか」
 タナトスの声は歌うようだった。むしろ上機嫌であると。そう。そうだろう。気分が高揚しているときのタナトスからはいい匂いがする。甘い、柔らかい、花のような香り……。ただいつもは溶け出す蝋のように香り出すそれが、今日に限っては支配的に香っている。
(言うことを聞かせたいときのタナトス)
 ああ、この穏やかな不穏さ。
 矛盾した空気を感じながらゆっくりと目を閉じる。そしてゆっくりと開ける。端正な顔立ちが、頬を、首筋を、肩を、確かめている。傷などがないか検めるように。ステュクスの泉から上がったばかりである自分の髪は、まだもしかしたら少しだけ湿っているかもしれない。
「タ、……
 ン、と呼ぼうとしてそれは失敗に終わった。身を屈めたタナトスが、背と膝裏に腕を差し入れ、おもむろに抱え上げてきたからだ。
……怖い)
 こうして横抱きにされることは今までにもあったが、その時は両手が自由だった。しがみつくことができないというだけでこんなに焦るものか。落ちたくなくて身をこわばらせる自分を、意に介した様子もなくタナトスは運んでおろす。
「どうした?」
「うーん、なんでこんなことになってるか考えてる」
 赤いリボンで手首を束ねられ、そして石棺のような材質の寝台に運ばれ、うすく微笑む死の化身に頬を撫でられているこの状況……。これ俺じゃなかったらお前めちゃくちゃ怖がられてるぞ。そう言ってやりたかったけれど、自分以外にタナトスがこんな行動に出たら嫉妬でどうにかなってしまう。愛されているのだ。この上なく愛されている。
「大事なものを箱に詰めるときは、緩衝材も使わないとな?」
「あ~、成程?」
 ここにきてようやく、タナトスが何をしようとしているのか読めてきて、俺は安堵の息を吐いた。
 二つ、三つ、四つと置かれていくふわふわのクッション。それが身体に沿うように丁寧にセッティングされていく。首がつらくならないよう枕の位置も整えられる。手首を束ねる緋色のリボンは、蝶結びの形がよくわかるように胸の中央に。
「これが俺の欲しいものだ」
 あきれる。まったくあきれて、なのに嬉しくて嫌になる。微笑んだまま見下ろしてくるタナトスに、俺は歪に微笑み返した。いい顔だ。冷ややかさと慈悲。この男を好きになるまでそれらは相反する要素だと思っていた。
(こんな強い欲を向けてくれる……
 向けられる感情を意識した瞬間、ぶるっと体が震えた。死にたさと生きたさが自身の中でせめぎあう。愛されたいとか、壊されたいとか、優しくしたいとか、逆らいたいとか。この混沌とする感情を精査しようとしても無駄だ。愛の女神に逆らったところでろくなことにはならないし? 髪をかき上げてやりたいと思ったけれど、両手が束ねられていて腕を伸ばすこともできなかった。
(くそ………
 妙な気分だ。手出しができない分、なんだかしつこくされたいような。
 血にとけて全身をまわりはじめたのは、身動きできないストレスだけではないだろう。
「タン。悪かった。ああいうのはもうしない」
「勘違いするな。嫌じゃなかった」
 金の目が明るく光るのを見て、星のようだと思った。星を知ったばかりだからそう思うのだろうか。あの点のような輝きが、なぜ漆黒に塗りつぶされてしまわないのか不思議でならない。
「嫌じゃなかった」
 そう繰り返してタナトスは俺の肩と腕に指を這わせた。死ぬ寸前、あるいは蘇る寸前まで、そこには『To you』という血文字があった。そうなのだ。『To my darling』と書きたかったけれど、そんな余裕はなくたぶん自分は事切れた。死因はなんだったのだろう。みぞおちから血があふれて止まらなかった。いつしか苦しさよりも痛みが勝つようになり、その痛みから逃れるためだけに馬鹿なことを考え出した。
「痛い、苦しい、って考え出すと、痛い、苦しいが増すんだ。でもお前のことを考えると痛みが鈍くなるっていうか」
 自嘲気味に言えば、黒く染まった爪先が目の前をすうっと通って蝶の結び目と戯れた。目が合う。静かに興奮した瞳。肩衣をずらされて肩が寒くなる。また目が合う。クッションに守られているとはいえ、寛げているわけではない。
「俺はお前のもの、俺はお前のもの……、って唱えてたら、自分の体を伝う血がリボンみたいに見えてきてさ。ああまたお前の仕事を増やしちゃうな、って思ったから、せめて俺の死体がプレゼントみたいだったらいいなって……。馬鹿なことをした」
「最後の力を振り絞って何をしてるんだか、とは思った。じわじわと死ぬのはしんどかっただろう? とはいえ」
「とはいえ?」
「お前の体がプレゼントというのは俺好みだ。本当は全身にリボンをかけたい」
「俺はお前の体によりそって過ごしたいけど」
 ふっと鼻で笑うような気配があって、甘い香りが漂った。香りを確認するかのように目を伏せるタナトスに、いや、この香りはお前から漂っているんだと教えたくなる。
「解かないのか?」
「解いていいのか?」
 蝶結びの輪っかの部分を引っ張って言ってきた男に、待ってましたとばかりに両手を握りしめた。こんなリボンくらい、許しがあればすぐにでも解ける。わかってほしい。自分がこんなふうにおとなしくしているのは、ひとえにお前を愛しているから。愛されたいからなんだということを。
「いや俺が解く。俺の思い違いでなければ、この体には『To you』と書かれてあったしな」
 ひときわ柔らかな吐息を漏らして言ってきた男のために、俺は目を閉じてプレゼントになり切った。物言わず殊勝に。相手を信じてただリラックスして。しゅるり、とかすかな音がして、手首を結んでいたリボンがゆるやかに溶けていく。

「タナトス好みっていうのを、もっと知りたいんだよな」
 すぐさま抱きついて首のうしろに手を回せば、

「さあ、それはお前を通じて、俺も知っていっているところだ」
 低い声とともにクッションが落ちて、伸びやかな愛がはじまりだす。



(終)





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