I don't know about cats(Hades Game)

後ろ手に猫耳を持ったタナトスが、「俺のこと幸せにしたいって言ってくれたよな?」って近寄ってきて、「言ったけど言ってない……」って警戒するザグ。
「言っただろ? 嘘だったのか?」
「言ったけど、そういうことではない」

そう言って一旦は断るザグだったけれど、タナトスが目に見えてしゅんとするのを見て、ゼウスに本物の耳と尻尾を生やしてもらってタナトスに見せに来たという話。猫の日ありがとう。



猫なんか知らない



「ザグ……
 頬骨のあたりが黄色に滲んでいく。曇天にさす曙のように。
「こんなんで幸せか?」
 ぶすっとした言い方になるのは仕方なかった。自分でも思う。どうせ願いをかなえてやるのなら、つけてくれと言われたその時にかなえてやればよかった。でも俺は天邪鬼だから。いきなりは恥ずかしかったから。てか猫ってのをよく知らなかったから!
 猫ってなに? そんな可愛いの? そう聞くのも無知が炸裂していて嫌だったし、でもまあ一番はタナトスがそんなもので幸せにしてくれとか言ってきたこと。そんなんで? そんなんでお前幸せになれちゃうの? てか猫ってのはそんなに可愛いの? ……俺よりもその動物のことが好きなの?
 目の前のタナトスの頬はどんどん曙色に染まっていく。昏い昏い冥界の底にあって、まるで生まれたての太陽に照らされていくみたいに。喜色が灯っていくのが嬉しい。緩む口元を隠そうとする仕草が愛しい。こんなんで、こんな『容姿だけ』で幸せになるのが癪だけど。『見た目』とかじゃなく、俺は言葉や行動によってお前を幸せにしていくんだって思ってたのに。
「本物の耳だって?」
「そう。動かそうと思えば動かせるし」
「触ってもいいか」
「いいけど……
 複雑だった。猫耳なんかに負けた気分。でもタナトスが嬉しそうなのはちゃんと嬉しい。ゼウス叔父上に頼んでよかった。
 タナトスはおずおずと俺の頭に手を伸ばして、中指と人差し指の外側で、そっと俺の頭頂部についた耳のひとつを撫でた。
「!」
「どうだ?」
「もっと撫でても大丈夫」
「すごいな。ちゃんと柔らかくて温かい。ぴくぴくして……、本物みたいだ」
 囁くように言われた気がしたのは、俺の猫の耳が、ちゃんと耳として頭上にくっついているせいだろう。耳の内側をふにふにと挟むように撫でられる。掌の内側で、包むように、寝かすように撫でられる。
……もっと撫でてもいいけど」
「本当か?」
「まあ、折角つけてもらったんだし」
 引き締まった胸筋が眼前にあって喉がごくりと鳴った。髪と一緒に耳を撫でられるのが気持ちいい。自分から耳を寝かせてみたり、タナトスの指の隙間を掃くように動かしてみる。心地いいのにくすぐったいような、自分から頭を擦りつけたいような……、妙な気分だった。むすっとする俺とは反対に、タナトスは俺のことをただただいとおしそうに見る。
……、)
 尻尾の付け根が疼くのがわかった。確かに嬉しいのに、とても悔しい。なんだか無性に引っ掻いてやりたい気分……、とか思っていたら、黒い尻尾が鞭のように動いてタナトスの腰や腿を激しくぶっていた。右足に沿わせてレギンスにしまっていたのに!
「ザグ、尻尾が……!」
 歓喜の声を上げるタナトスは、俺の尻尾攻撃なんてまるで意に介してないみたいだった。
(こんな簡単な奴だとは知らなかった!)
 憮然とする俺を抱きしめて、タナトスは俺の、猫の耳じゃないほうにちゅっと口づけを落とす。「部屋に行くか?」
 もっと構われたいような、でも自分からは強請りたくないような、鬩ぎ合う気持ちに唇が渇いていた。「……行く。あんまこの姿をからかわれたくない、し
「俺もお前を独り占めしたい」
 かぶせる様に言われて、次の瞬間には金緑の霧に包まれ自分の部屋にいた。タナトスの翼の力だ。たまに触らせてもらえることがあるが、ふわふわしていて、指をくぐらせるだけでたまらなく幸せになる。……もしかして。
「俺がどんなに嬉しいかわかるか?」
…………
 もしかして今タナトスはそういう気分なのか?
 俺がタナトスの美しい翼に、胸がときめいて、大事に大事に触れてしまっているときの気持ち?
 真正面から抱きつかれて俺は黙り込んだ。部屋は相変わらず雑然としていて、いつもそれほどは聞こえない、館を取り囲むステュクスの流音が耳につく。落ち着く音だ。
 猫。
 尖った耳と、尻尾を持つ生き物。知っているのはそれくらい。
(「どう」「可愛がって」もらうのが正解なんだ?)
 この居たたまれなさの正体はつまりそういうことだった。折角本物の耳をつけてもらったのにこれからどうするべきなのかがわからない。猫なんかの格好をしただけで喜ぶタナトスが不気味で、猫に嫉妬しまうし、猫を知らない自分にも腹が立つ。もし……、もしこの珍妙な姿がタナトスの翼に相当するものだというのなら、何か猫らしい仕草でもして、この愛しい伴侶を癒してやりたいけれど。
「ザグ?」
 名前を呼ばれて、タナトスの首鎧の意匠を爪でカリリと搔いていたことに気付いた。真鍮製の首鎧には、浅く、細かく、美しい文様が描かれている。
「髪と同じ黒毛なのがいいな。喉がくるくる鳴るのも。雷霆神に見返りを求められなかったか? 拐かされなくて本当によかった……
「でも俺は犬派なんだ。本当は」
「ああ、ああ……、そうだよな。それなのに俺のために……
 尻尾の先をきゅっと握っていたら、それに気づいたタナトスが「その、急に尻尾が出てきたように見えたが……」と好奇心を隠しきれないように聞いてきた。
「右足に添わせていたんだ。そのままだと不格好だったから」
「なるほど……
 今や尻尾は自由に空中をただよい、その代わり背中から臀部にかけての布が押しのけられて乱れ始めていた。このまま何もせず動けば、レギンスはずるずると膝部分まで落ちてしまうだろう。つまり、なので、ふに、と握りこんだ尻尾の先端をタナトスの腕に押し当てた。ふに、という触感が、尻尾の先端で生じたはずなのに、尾てい骨のあたりにまで広がるのが面白い。ごくり、とタナトスが喉を上下させるのがわかった。
……ザグ」
 そこからのタナトスの行動は早かった。てきぱきと武装を解き、サイドボードの近くにまとめ、それからデューサが、毎夜か毎朝、整えてくれているベッドの上に座って俺を呼んだ。弓なりに寝そべって、俺がちょうど丸まれるようなスペースを作って。
「脱いでしまえよ」
「わかってる」
 レギンスが下がってくるのを気にしながら歩く俺に、タナトスはさりげなく、でも明瞭な声でそう言った。
 ベッドサイドに辿りつき、肩当てと具足を放り出し、のそのそと緩慢な動きでタナトスに近づく。尻尾を漂わせながら、四つん這いで。
………猫はこの尻尾で何ができるんだ?」
「お前もしかしてまだ猫を知らないか?」
「知らない。多分まだ会ったことがない」
「ああ……、そうか、それでさっきからそんな複雑な顔を?」
 手足を畳み、タナトスの懐近くで丸くなるのは心地が良かった。
 足指を引っ掛け、膝のあたりに留まっているレギンスを足から抜く。肩のこわばりを解くと、両足の隙間に挟み込んでいた尻尾が自然と泳ぎだしてタナトスの腕に沿った。
 静かに目を開け閉めしながら、炻器のような腕をふわふわと撫でる。尻尾の触れていない部分までが気持ちよかった。
「そんな可愛い真似をして、わかっているんだろうな?」
「俺じゃない。尻尾が勝手に
 金瞳を甘く細めて言ってくるタナトスに、俺は簡単に嘘とばれる嘘を吐いた。短く、咽ぶように笑って、タナトスは俺の尻尾を軽くつかむ。だが尻尾はするりと抜けて俺の手の中に納まった。
 ふに、と尻尾の先端を、印章を押し込むみたいにタナトスの手の甲に当てていたら、耳に、鼻頭に、首筋に、つぎつぎと口づけがおりてきて笑ってしまった。
「なあ、俺も猫に会ってみたい。今度地上に出たら猫をつかまえるのに付き合ってくれるか?」
「もちろん。奔放なやつだからつかまるかはわからないが」
「襲ってはこないだろ?」
「小さいのはな」
 両足を絡め合いながら身を擦り付けていると、タナトスの手が、尻尾をすーっと、すーっと撫でるのがわかった。自ら尻尾を当てにいくのとは、はるかに違った心地よさが生まれる。
……、可愛い。ザグレウス、もういいか? もう我慢ができない」
「俺が好きなのか? 猫が好きなのか?」
「猫の尻尾をスタンプしてくる珍妙なお前が好きだ……
「珍妙?!」
 黒い尻尾で端正な顔をぶって、俺はタナトスの腹の上に乗りあがった。
 とてもではないけれど望んだ回答ではない!
 なのに、尻尾でぶたれたタナトスの顔は、申し訳なさげで……、幸せだということにも申し訳なさげで……
(お前! うぅっ、もう俺で幸せになってくれるならなんでもいい……
 だってタナトスの息がかかる獣の耳。
 細長い指が這いまわる頭皮。
 舌や、喉や、体の内部もが、タナトスに構われたがって火照りだしていること……
 なので、俺はタナトスの胸に腹ばいになって言った。
 猫なんて知らない、猫らしい仕草のひとつも知らない俺だけど。

「尻尾の付け根がむずむずするんだけど?」

 俺の伴侶は優しいから、何を言ったって幸せになってくれるはずだ!


(終)





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