bon_to4ga2
2025-03-15 22:45:05
6085文字
Public パチョフィン
 

再履修:フィン・エイムズ(旧)


(いや、これってなんかおかしくない……!?)

 指輪が嵌り所々違った感触をもたらす手のひらがフィンの頬を撫でている。右手に丸みを持たせて頬にぴったり沿わせ、親指は下瞼のすぐ傍を通過する。離れたかと思いきや、今度は顔と首の境目辺りを人差し指と中指がなぞり、そのまま顎下をくすぐった。その指先が首筋を掠めるとフィンの肩が反射的に持ち上がり、顔と肩でカルパッチョの手を挟んでしまう。
 「ヒッ、ん……っ」と漏れた声がなんとも情けなく顔に熱が集中した。
 そんなフィンの様子をカルパッチョは何も言わずじっと見つめている。ここの所ずっとそうだ。顔を会わせることがあればこんな風にして指先で遊ばれた。
 先日、愛玩動物と言う名の実験台を欲しがったカルパッチョにペットになってくれるか、と問われた。身の危険を感じたフィンは当然断ったが、ペットにでもなれば友人関係を続けられるだろうか、と密かに気の迷いを生じて先輩であるマックスへと相談を持ちかけた。友人にも家族にも言えやしないそれをマックスは笑いながら聞いて、そして『拗れるからやめな』と一言。その言葉に思い直したはいいものの、カルパッチョの中ではその話にはゴーサインが出たものとなったようだった。
 頬を撫でる手付きにはぎこちなさがなくなってきており、頭に関しては気まぐれに乗せられて、撫でるというよりは髪の毛をぺしゃりと潰しているのに近かった。
 この珍行動はフィンが指摘すべきであった。同い年の男に顔周辺をぺたぺた触れられているのは誰がどう見たっておかしい。往来でも行われるのだから「ここではちょっと」と待ったをかけたこともある。すると手が引っ込んでいって中断されるのだが、次の機会には言われたことを忘れているのか同じことの繰り返しだった。
 どうやらこれは傍から見ればオルカ寮の天才によるアドラ寮生へのカツアゲに見えているらしい。この現場を遠目で見たマッシュが鉄の杖を持って駆け付けたことがあった。「またいじめられてるのかと思って……。ただ仲良くしてたんだね」と状況を理解するとローブの内側へと杖をしまい、特に疑問を呈することもなくふらーっと帰って行った。
 通路の端の方で行われており、カルパッチョが与える印象も働いて、マッシュ同様に周囲にはカツアゲ現場だと思われているようだ。イーストン魔法学校というのはそれはそれは規模の大きな学校で、級硬貨の奪い合いは日常茶飯事。わざわざ近付いてきて止めに入るような物好きはいないし、まじまじと見てくる者もいなかった。
 そういう訳で真相を知る者は少ない。フィンがカルパッチョのペットになっているとは誰も思うまい(そもそもフィンも了承はしていないけれど)。
 だからというかなんというか、フィンがこれについてカルパッチョに言及したり抵抗したことはなかった。包み隠さず言えば、敢えてはしなかった。
 何故か?

(増殖した三人が羨ましかった、とはさすがにマックス先輩にも言えね〜……!)

 後から聞くに、増殖したフィン達の精神年齢は実年齢よりもずっと幼かったらしい。だから恋心とは関係なく、ただ純粋に好意を抱いている人間に甘えていたらしかった。フィンが帰ってくるまでの間はマッシュから無限にシュークリームを食べさせられていたと報告を受けた。満腹でベッドに横になってからしばらくすると、ぽん! と音を立てて消えたと。
 無邪気に手のひらに頬を寄せるのも頭を差し出すのも、フィンには到底できない。含まれているのは100パーセントの下心だ。そんな状態で求めたとして返ってくるのは嫌悪と侮蔑だけ。無垢な心だからこそ成せた技なのだ。
 好きな男の意思で触れられることは喜びだろう。痛くなくて、ふわふわと心臓が跳ねるような幸せ。それを享受できるのが羨ましかった。
 傍目に見て変なその行動を指摘したら、カルパッチョはもう撫でてくれなくなるだろう。まるで魔法にでもかけられたようにカルパッチョの手付きは穏やかだ。それが惜しくて、フィンはされるがままになっている。
 オルカ寮には他の人が見向きもしないことに並々ならぬ情熱を注いだり、数式をひたすら追いかけていたり、芸術に傾倒していたり、不思議な性質を持ち合わせた人間が多く所属している。カルパッチョはその中でも『知性と勤勉』を体現したような男で、オルカの性に取り憑かれていた。
 そんな彼がこうしてフィンを撫でくりまわしているのには理由があるに違いない。
 きっと、先にも言ったようにフィンを実験台にしようとしているのだ。増殖した者達を使うのはやめてほしいと言ったから、こうして本体であるフィンを懐柔して自ら身体を差し出すのを待っているのかもしれないし、その内に無理やりにでも手を出す気でいるのかもしれない。
 ずっとこの優しさに触れていたい気持ちと、いつか実験台にされる恐怖の二つを持ち合わせている。魔法が解けたらタイムリミットだ。
 ここ最近はいつまでこの幸せが続くのだろうかと、そんなことばかり考えている。



「──アナタ達、何をやっているのかしら?」

 今日も今日とて、カルパッチョに偶然出くわしたフィンは指先で遊ばれていた。くすぐったさに声が出ないようにローブを握り締め、カルパッチョの顔は恥ずかしさで直視することはできないため目を閉じていた。そんな矢先のことである。
 声のした方を見るとそこには昨年度の卒業生であるマーガレット・マカロンの姿があった。深緑のローブではない見慣れぬ私服姿に、一瞬知らない人から注意を受けたのかと心臓が跳ねた。

「久しぶりね、カルパッチョにフィン・エイムズ」
「! こ、こんにちは」
「こんにちは。……カルパッチョ? 一旦その手を止めなさい。何なのアナタ」

 顔を両手で捕らえられたままだったフィンは目だけを動かして最大限の敬意を表す。
 にこやかな挨拶もそこそこに、艶やかに色付いた瞼がジロリとフィンを──フィンを捕らえる手を見た。はぁ、とため息を吐いたマカロンは左手を自らの顔に添える。

「──アナタね、それ、セクハラって言うのよ」
……は? これのどこが性的なんだ」
「嫌がるようなことをしたら言動に限らずハラスメントになるのよ。知らないのかしら」

 セクハラ? フィンとしてはされているつもりもなく、盛大に誤解を受けているようだ。嫌がるどころか、何なら少しラッキーとさえ思っているというのに。

「あの、違うんです」
「?」
「僕は、ペットです……!」
……ん?」

 理解不能、といったように首を傾げるマカロンに「別に嫌がってないじゃないか」と開き直るカルパッチョ。

(あ、何か、違ったかも……!?)

 これではフィンが懸念していたようにカルパッチョが人間飼育趣味だと勘違いされてしまうのでは。いくらオルカ寮生が個性豊かだとはいえ、それは問題だ。
 慌てふためくフィンをマカロンは見下ろして、もう一度ため息を吐いた。

「──まあ、オルカでは特に規則は設けてなかったから、主従関係だろうが恋人関係でもどうでもいいのだけれど……TPOは弁えなさいな。もう直、レインとアベルがここを通るわよ。フィン・エイムズはそれでいいのかしら」
「えっ兄さまが……!?」

 卒業をしてからは多忙を極める兄が、ここイーストン魔法学校に。昨年の監督生だった三人が揃うということはウォールバーグから呼び出しがあったのかもしれない。卒業してからも影響を及ぼす三人には敬服のほかない。
 カルパッチョの手から逃れ居住まいを正すフィンに、マカロンはクスリと笑う。慈愛の色を浮かべた瞳を挑戦的なものに変えると、カルパッチョを見た。

「話があるわ。来なさいな」

 マカロンの言葉に従って歩き出すカルパッチョを見て、嫌な汗が滲む。魔法が解けてしまうのではないかという不安感が襲いかかってきた。
 もちろん今回のこととは全く無関係な話の可能性だってある。マカロンとカルパッチョの関係は今に始まったことではないし、フィンが知らないだけで、論文についてや学会発表についての話でもあるのかもしれない。
 しかしこれがフィンとカルパッチョの歪な関係への言及であるならば、こうして撫でてもらうこともなくなるだろう。すぐさま実験台行きかもしれない。

(いやだな……)

 両方が。ふわふわした幸せを手放すことも、これから痛い目に遭うことも。いつかは覚めてしまう夢だとしてもそれはもっと先が良かった。それが叶わぬということは頃合なのだろう。
 痛い思いや苦しい思いをするのは嫌だ。それに、フィンを撫でる優しい手が注射器を持つ手に変わったり、フィンを押さえつける手に変わることに耐えられそうになかった。あの時は庇ったけれど、あのドジな後輩を探し出して増殖の薬を分けてもらおうか。しかしフィンは彼の名前や学年を知らない。顔だってもうそんなに
記憶に残っていない。
 すっかり小さくなってしまったカルパッチョの背中を見つめる。

……ランスくんなら……

 編入試験一位通過の友人を頼るしかないのかもしれない。

■□

「アナタ、フィン・エイムズといつの間にあんな関係になったの?」
「つい最近」
「あらそう。自分達の今の関係に名前をつけることはできるかしら」
「関係……? ……ともだち?」
「ふぅん……?」

 マカロンを先頭にしてカルパッチョは歩いた。ここは長い通路でどこか入れるような場所はない。フィンからだいぶ離れた所でマカロンは振り向いた。

「なぁんだ、飼い主とペットの関係じゃないのね」
……?」
「散歩中の犬に構うご近所さんA、ね」

 口元に指を添え、長いまつ毛を伏せくすくす笑う。その言葉にイーストン魔法学校に入学する以前の、幼少の記憶が蘇った。
 幼稚園からの帰り道には必ず散歩中の犬とすれ違う。出会うのは毛の長い種や足の短い種など様々で、散歩を日課とする婦人が高く甘い声で「かわいいわねぇ」と撫でていた。中には腹を見せてねだるような犬もいて、なんて単純な生き物なのだろうかと思ったことがある。尻尾を大きく振りにっこり笑うと、ますます夫人はのぼせ上がって声を大きくした。
 カルパッチョとフィンが、それ?

「フィン・エイムズは誰のものでもない。つまり」

 節の目立つ男の指先が色の乗った唇を、フェイスラインをなぞる。大きな手のひらがしっとりと胸の中心を滑っていった。

「誰がああやって触れてもいい訳。マッシュちゃんやほかのお友達、アナタの知らない誰か……もちろん私も」
「何が言いたい」
「フィン・エイムズを人間として見ているのか犬として見ているのかは知らないけれど、アナタにそれを拒む権利はないってことよ。それが分かっているのなら好きに今の関係を続けたらいいわ」

 元・監督生からの有難いお言葉よ。青い瞳には愉悦が滲んでいる。

「もしレインにバレて争い事でも起きた時は私を呼んでちょうだいね。最近刺激に飢えているの」



 マカロンは好き勝手に話をすると、カルパッチョに背を向けて去っていった。向かった先は通用口に繋がっていて、ここでの用事はもう済んだと思われた。
 今戻ればちょうどレインに出くわすかもしれない。フィンがこれまでのことを馬鹿正直に話をしていたら、今の関係は終わるだろう。
 そもそもカルパッチョはどうしてフィンを撫で始めたのだったか。……そうだ、増殖したというフィンがカルパッチョの手を求めたからだ。自ら頬を寄せて満足げな姿に、フィンはこういうのを好むのだなと知った。続いてネクタイを解いたフィンがやってきて、頭を差し出してきた。慣れない手つきで頭を撫でてやると花が咲いたように笑う。
 見ていて悪くないなと思ったのだ。すっかり信頼しきった様子で無邪気に振る舞う姿が犬のように見えて、一人でも近くにいたら多少面白いのではないかと思って飼えないだろうかと訊ねた。
 にこにこ笑う姿を見ていたら、増殖した個体もフィン自身も実験台にする気は失せた。フィンが必死になっているのが面白くてついからかってしまったけれど。
 カルパッチョが触れようとするとフィンは目を瞑る。時折情けない声をあげて瞼と唇を震わせ、肩が跳ねたりするのをひたすら見ていた。
 マカロンに『散歩中の犬に構うご近所さん』と称されたが、カルパッチョはフィンを人間だと思っている。いくら犬のように見えていても目の前にいるのはどう見たって同じ歳の男である。
 増殖したフィンを見た時、他の人間と変わりはないだろうかとあちこちに触れた。鼓動を確かめるために触れた薄い胸板、細いがしっかりとしたフレーム、肉の薄い腹。カルパッチョとそう大差ない身体付きであった。撫でた髪の毛はつやつやしていて、濡れた髪を放置していないことが分かる。頬には潤いがあり、いくらか手入れされていることが伺われた。
 自身より頼りない体躯とはいえ、多少身なりを整えているとはいえ、それで女と間違えるようなことはない。当然である。
 では先程マカロンが挙げた者達は、一体どんな目的でフィンに触れるというのだ。過去に見た光景では婦人はひたすらに「かわいい、かわいい」と連呼していた。かわいい? つまり、愛でるために?
 マッシュ・バーンデッドは同学年の男だ。べたべた触れていたらおかしい。他の男子生徒も同様だ。レモン・アーヴィンは女なのでそこまで変だとは思わない。けれどどこか違和感がある。マカロンは性別以前に引き渡すとよろしくないような気がする。そして。
 カルパッチョの知らない誰か──男とも女とも判別がつかぬ、ごく標準的な肌色をした手が想像上のフィンに触れた。カルパッチョがしてきたように頭を撫で、頬を撫で、時折顎下をくすぐると照れたように笑う。手を止めると期待したような目が、カルパッチョが見たこともないような色を滲ませて見上げてくる。いつの間にかフィンは仰向けに寝そべっていて、赤いネクタイがくしゃりと折れ曲がっていた。スラックスからワイシャツの裾を引き抜いて、するするとたくし上げる。訴えかけるような瞳は薄らと濡れていて──

「はぁ……?」

 心底不愉快だ。想像上のフィンではなく知りもしない誰かが、だ。訳が分からない。お前にそんな権利があるとでもいうのか。誰に許可を得て触れている? 分からない、分からない、分からない。ふざけるなよ。
 ただの友人ではこれを止めることはできないらしい。マカロンは主従関係とも言っていたが、いくら嘲り「ザコ」と罵っていた相手とはいえフィンとの関係は現在は友人の枠に収まっているため、これは違うだろう。飼い主と飼い犬とも当然違う。では後、残されているのは。

「恋人……?」

 ──思い出したのはマックスに問われ、無理やりひねり出した「見ていて飽きない人」という、自身の言葉だった。