コンラッドは花束を携え、大聖堂を足早に進んでいた。抱える花は深みのある桃色を主に、ひらひらと揺れるリボンは青みがかった緑色。自身が恋するウェヌスの色を指定して作った花束は傍目にも可愛らしいようで、コンラッドは道中聖職者や悪魔からちらちらと視線を向けられていた。生まれが貴族であるために他者の視線に知らぬ顔をすることには慣れているが、それがあからさまになっている恋心が故だと思うと流石に些かの気恥ずかしさがある。
照れを押し隠して冷静を努めたコンラッドの表情であるが、進んだ先の回廊に見えたウェヌスの姿にその口元は自然と綻んだ。
風通しの良い回廊の柱、その石段へ淑やかに腰掛けるウェヌスは両手に本を持っていて、近づくコンラッドに気づかぬほど読書に熱中している。好んでいるらしい恋物語だろうか。悪魔にとっては牢獄のような大聖堂で少しでもウェヌスが楽しみを見つけているなら良いのだけど、と思いつつ、コンラッドは彼女の隣へ腰掛けた。
よほど本に夢中になっていたのだろう。そこまで接近した気配にやっと気づいたか、ウェヌスがぱちりと夢色の輝きをした目をまたたかせてコンラッドのほうを向く。
「っひゃ、ぁ……!」
うさぎのように跳ねたウェヌスの体。倒れてしまわぬようにコンラッドは片腕を伸ばして彼女を支えた。
「こ、コンラッドさん……っ」
「申し訳ありません、驚かせてしまいましたね。お怪我はありませんか?」
「え、ええ……大丈夫ですわ。支えてくださってありがとうございます……」
ほんのり頬を染めたウェヌスが座り直したのを確認して腕を離したコンラッドは、片腕に持っていた花束が崩れていないか確認してほっとする。無事だ。
「あの……今日はどうなさいましたの……?」
花束に気づいた様子であったが不思議そうに問うウェヌスに、コンラッドは微笑ましさと苦笑したくなる気持ちが同時に湧いた。
「あなたに会いに来ました」
「へ……ぁ、っそ、そうですの……」
「ウェヌスさんは会いたくありませんでしたか?」
「……そん、なことは……ありませんけれど……」
じわじわと薔薇色に染まっていく頬にうろうろと彷徨う目。物慣れないところを知れば知るほどコンラッドはウェヌスが心配になるし、彼女の弟であるクピドが睨んできたのも当然だと思えた。だが、クピドから棘のある態度を取られてもコンラッドはウェヌスから距離を置こうとは思わなかったし、いまでは傍にいたいと願って止まないのだ。
ウェヌスは小動物がするように片手で髪を梳り、どうにか心を落ち着けようとしているようだった。胸へぎゅうっと押さえるように持った本は盾のようである。
そんなウェヌスをまた慌てさせてしまうだろうと思いつつ、コンラッドは本来の予定通りに彼女へ花束を差し出す。
まあるくなったウェヌスの左右異なる色の目。そろりと花束と自分の顔を交互に見遣るウェヌスに、コンラッドはにこと小さく笑った。
「どうぞ」
「へ」
「あなたに贈りたくて……ああ、失礼いたします」
コンラッドは花束を持ち直し、石段を降りてウェヌスの足元へ跪く。恭しく差し出して、コンラッドはウェヌスを真っ直ぐに見上げた。
「どうか受け取ってください」
自分と同じ気持ちだとまだ言えなかったとしても、捧げられて困らないというのならこの恋を受け取ってほしい。そんな意図を察せなくても構わない。喜んでほしいのだという気持ちは確かだから受け取って、微笑んでくれたら充分だ。
ウェヌスは本を脇に置き、ゆっくりと花束へ華奢な両手を伸ばした。
「ありがとうございます。私……花束を頂いたのは初めてですわ」
じわりと滲むような声音。
花束などもらったことがないと言ったウェヌスをコンラッドは覚えている。コンラッドからすれば信じられない内容だった。大聖堂では難しくとも、人の集まる場所にいればきっと彼女に花束を差し出し、恋を認めた手紙を送るものが後を絶えないだろうに、と。もしかすると、ウェヌスのいた場所はある種そういう俗な関わりとは縁が薄かったのかもしれない。彼女の純なところはコンラッドにそう思わせた。
壊れものを扱うような手つきで花束を抱きしめるウェヌスがもう一度「ありがとうございます」と繰り返したのを聞いて、コンラッドはゆっくり立ち上がる。
「あなたに初めて花を贈る男になれてよかった」
「……大事にいたします」
「ふふ、ありがとうございます。いつか、一緒に花園へ行きましょうか」
「まあ、花園へ? 連れて行っていただけますの?」
「もちろん。もう少しするともっと花が咲き始めます。ウェヌスさんのお好きな桃色の花も、きっと数を増やすでしょう」
「素敵……私、歩く練習をしなければいけませんわね……」
ふわりと浮いたウェヌスがコンラッドに並ぶように床へ足を着けた。普段、視線に合わせるように飛んでいるウェヌスなので、コンラッドにとって彼女の顔が随分下のほうにあるのは新鮮だった。
確かめるようにとん、とん、と一歩、二歩とウェヌスがコンラッドの周囲を歩く。慣れない歩みのなかで花束を持つのは大変ではないかと差し出しかけたコンラッドの腕は「きゃ……っ」と小さな悲鳴を上げて躓いたウェヌスを支えるのに使われた。
今度は両腕で小柄なウェヌスを抱きしめる。ふわりと甘やかに香ったのは花だろうか、それともウェヌス自身のものだろうか。
「も、申し訳ありません……!」
「いいえ、あなたが無事ならなによりです」
「私は無事ですけれど……っ、お、お花が潰れてしまいます……」
「これは失礼」
ウェヌスが潰さぬように必死に腕にしまっているが、コンラッドが彼女を抱きしめ続ければ花束はぐしゃりと潰れてしまうだろう。
名残惜しさを感じながらウェヌスを離したコンラッドは、ほっとしたように花束を見つめるウェヌスに苦笑する。
「ウェヌスさん」
「は、い……?」
花ばかり見つめるウェヌスが顔を上げた瞬間、コンラッドは身を屈めて彼女の唇を啄んだ。
「な、ぁ、う……」
耳まで赤くなったウェヌスをコンラッドは幼い少年のような気持ちで、今度は花を潰さぬように抱きしめる。
「もう少しだけ、私も見てください」
ほんの少しで構わないから。
希うコンラッドにウェヌスの目がゆらゆらと揺れる。そこに熱っぽさを見てしまうのはコンラッドの願望だろうか。
ウェヌスの片手がきゅう、とコンラッドの服を握る。コンラッドの言葉を聴いてじいっと自分を見つめてくれるウェヌスは傍目にも一所懸命で、必死で──堪らなく愛おしい。
コンラッドはウェヌスの手を取り、指を絡めて繋いだ。
「あなたが慣れるまで、歩く際はこうしていましょうか」
「……慣れるまで、ですの……?」
「……ウェヌスさんが許してくださるのなら、ずっと」
指を絡めて、腕を絡めて、頭を寄せて。互いにしか聞こえない声で小さく会話をして。時折、口付けを交わしながら歩いていけたらどんなにか嬉しいだろう。
恥ずかしそうにウェヌスからも指を絡めてくれた手を見て、コンラッドはそんないつかを夢見た。
──風が吹いて、石段に置かれた本がぱらぱらと捲られる。
王子様とお姫様は誰からも祝福され、幸せに暮らしている。
コンラッドは王子様ではないけれど、世界中のどんな姫君よりもウェヌスを幸せにしたい。
「あなたが好きです」
愛おしいひと。
同じ言葉が返ってくるいつかを夢見ている。
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