いを
2025-03-15 18:15:02
3400文字
Public 刀神
 

ともし火に餓えていた

菊司
・螢さん【EBIFLY_72】
・優雨ちゃん【yasuinokikaku】
お借りしています

 菊司はアンティークのちいさな抽斗ひきだしを持っていた。人工物であることの証であるようなパソコンやモニタ、それにつながるケーブルは研究室中に張り巡らされている。まるで血管のようでいて、どこまでも人工的につくらなければできないようなかたち。そのなかにあるこの抽斗は、唯一の自然物のようでなんだかおかしい。これだって人の手でつくられたものだというのに。両手のひらをのばして収まるほどの抽斗の中には、未使用の電池が入っている。おもむろに手をその抽斗に置いた。木目すら見当たらないが、これは木で出来ている。木をかんなで少しずつ削り取り、ていねいにヤスリがけをして作ったものだと思う。飴色のそれは、多くの人びとの手に触れ、脂や手垢によって輝いている。菊司に〝モノをつくること〟を教えたこれは、小学生のころにおこづかいで骨董品屋で買った抽斗だった。
 アンティークは製造されて百年以上たったもの、ヴィンテージは製造されて百年以下のもの、とアメリカでは決められているらしい。なので、この抽斗は百年以上たったものと見られる。鑑定士ではないので分からないが。機械のはいらない工程でつくられたものは当時は当たり前だったのだろうが、今では豊和でさえ一部オートメーション化されている。手でつくらなければ魂がこもらないなどと言うつもりはないが、その豊和も必ず人の手で打つ部位もある。今現存する妖刀も、人の手で打たれたものだ。抽斗に置いた手のひらを離して、そっと見下ろす。指紋がすり減りはじめた手のひらは、決してきれいではない。が、細長く関節の凹凸が簡単に分かる。
 ビニル袋をふたつ持ち上げて、研究室から出た。
 廊下を歩くたびにスニーカーのゴム部分がギュッギュッと鳴る。なので、ところどころ床が黒ずんでしまっている。数年前にスリッパで作業していたこともあったが、やわらかな布地に覆われた足の甲に鉄アレイが落ちてきたので、それ以来スニーカーである。
 共用の研究室の前に立ち、そっとノブを回した。軋んだ音をたて、適度に乾燥した空気が流れてくる。
 そこには螢と優雨しかいなかった。ひたいをつきあわせるようにして真剣に見下ろし、なにかを呟いている。邪魔をするようで申し訳ないが、そろそろあたりは暗くなる。
 壁ぎわの照明のスイッチを押すと、電気が白くふたりを照らした。
「もうじき終業時間だよ」
 優雨がはっとこちらを見上げる。ゆるゆるとした三つ編みがわずかに揺れた。螢はじっと作業台を見下ろしたまま微動だにしない。
「先輩」
 彼女が螢を呼ぶときは「先輩」という。とても素直に、そして自然に。螢の目が動いて、こちらをみとめた。
「ああ、旦那。どうしたんだ」
 やはり聞こえていなかったらしい。指にひっかけたビニル袋をゆらゆらと揺らしながら、「もうじき終業時間だよ」と同じトーンで伝えた。
「え、マジ? もうそんな時間か」
 がさがさと音をさせながら、作業台に触らないようにしてふたりに袋を渡した。
「お疲れさま。これは差し入れ」
「ありがとうございます」
「お、サンキュー」
 作業台を見ると、くだんの煉魔区で使われた赤纏が置かれていた。ヒビが入っていたり、赤黒いシミがあったり、傷んで黒くなっている箇所がある。これを直してほしいという刀遣いがいるというわけか。
「赤纏の修繕? 珍しいね」
「ああ、これ。思い入れがあるんだってさ」
 螢は作業台に手のひらをあてて、赤纏の厚さをはかるように腰を曲げた。
 北から順に鉢金、籠手、脛当てが並べられて、まるでそこに刀遣いが横たわっているように見える。
「小口径拳銃と豊和に耐えうるんだから、そりゃ通常任務でも欲しくなっちゃうよね」
 菊司は他人の作業台には触れないし、滅多なことがなければ修繕中の装備にも触れない。目で見て想像する。それだけだ。
 峰柄衆は技術はもとより、想像力も働かせなければつとまらない、とも思う。持論だが。
 菊司のことばに、螢は「いや」といった。
「とある刀神が、煉魔区でこの赤纏の持ち主を失ったらしい」
……そう」
 目を細める。
 それから優雨を見るとかすかに目を伏せていた。
「それで思い入れ、ね」
「修繕して、きれいにしたまま持っておきたいんだと」
 あごを指で撫でる。ちくちくした無精髭の感触をおぼえた。
「だからこの赤纏じゃなきゃだめだってことか」
「そういうこと」
 螢が頷く。優雨はじっとその標本のようにおかれたそれを見下ろしている。
 窓の外は暗く、街灯がついていた。優雨のかたわらにノートパソコンが置かれている。見ていい、と聞くと頷いてくれたので覗き込んだ。
……よく見てる。若い子の感性じゃなきゃできないことだ」
「そ、そうでしょうか」
 黒縁の眼鏡が照明にあたってわずかに輝いた。
「赤纏の縫い糸の種類もチェックしてある。僕じゃそうはいかない。僕なら、違うもの・・・・になっちゃうからね」
 白衣のポケットに手を突っ込んで、ふと笑ってみせる。
「僕ももちろん修繕はできるけど、きみらみたいな修繕はできない。僕のは技術だけ。七海どのみたいな感覚は持ってない。今の五十鈴どのの集中力、七海どのの感性。とっくに僕を超えているよ」
 特にこういう修繕は。想像力があっても、菊司の手ではその刀神の思うような修繕はできない。
「モノを読み取る力ってのは、やっぱり努力してもそうそう手に入らないものだから」
「謙遜じゃないみたいだけど、旦那らしくねぇな。努力なんて」
「まぁね。僕は天才だから」
 にっと笑ってみせると、螢は作業台ごと絹の布をかぶせた。艶やかな布地は、埃を一晩は寄せ付けないだろう。
「外、寒そうですね」
 空気は一気に帰り支度の雰囲気に切り替わる。優雨はパソコンをしまい、鞄とコートを腕にかけて外を見上げた。
「清陵院さんも、退勤ですか?」
「うん。今日は帰る。研究室に寄ってからね」
 螢はまた泊まり込みだろうか。白衣に手をかけないところを見ると、そうかもしれない。
 ビニル袋を手首にひっかけ、視線で出ようと促された。研究室を出、照明をおとして鍵をかける。
「七海、気をつけて帰れよ」
「はい。お疲れさまでした」
 ゆっくりと頭をさげて、コートを着た優雨は廊下を歩いて行った。
「五十鈴どのも帰ればいいのに。一緒に」
「俺は手のかかるヤツがいるからなぁ」
「ああ……。本当、五十鈴どのもなかなかの修繕魔だねぇ」
「峰柄衆の連中なんか、大体そうだろ」
「変わり者が多いってね。ハハ。でも鯉朽隊も結構だと思うんだよね。特に高段位のヤツら」
 死んでもおかしくない状況でも死なない。生きて帰る。どんなかたちになっても。だからこそ、難度の高い任務に駆り出される。彼らのうしろには生かすべき一般人や刀遣いがいることを知っているのだろう。そして彼らの前にも、そういった刀遣いがいたのかもしれない。
「旦那だって弐段だろ」
「まあ、そうだけど。でも僕は鯉朽隊には向かないよ。だから弐段でいられる。鯉朽隊だったらとっくに死んでたと思うし」
「峰柄衆はほとんど内勤だしな」
「そういうこと。そいじゃ、僕これで帰るね。お疲れさま。あんまり無茶するんじゃないよ」
 彼はあごを少し動かしただけだった。
 ほんのすこし苦笑して、優雨が歩いて行った方角とは逆に歩き出した。
 どうして彼らは峰柄衆にいるのか、なぜ修繕を生業としたいのかをいつか、聞いてみたい。デスクに置かれたあの抽斗が菊司の原点のように、彼らも〝そういうもの〟があるのだろうか。
 今ある技術はみな、先達たちが命がけでつくりあげたものだ。だから菊司も命がけでつくりあげなければならない。心血を注ぐのは当たり前だ。それ以上に、それ以上のものをつくらなければならない。そうでなければよくて平行、悪くて衰退だ。自分たちの世代で衰退させるわけにはいかない。あの抽斗と全く同じものを今つくれることができるのかと問われたら、誇りを持って頷けるようにならなければいけない。
 それでも、彼らなら大丈夫だと珍しくも信じている。菊司を超えるなにかを必ず持っていると。そう思うと、心が軽くなる。安心する、といえばいいのだろうか。まるで年寄りのようなことを思いながら、研究室の扉のノブを捻った。