中庭に積もる雪が砂糖をまぶしたみたいに太陽の光をきらきらと反射している。共同スペースに集められたA組男子はそんな景色を窓越しに眺めては「さむそー」と雑談の合間を彩った。
どれだけ興味の無いフリをしたとて内心浮かれていることはバレバレである。なんせ本日バレンタインデー。去年のこの時期は実家に戻る人数も多くイベントとして楽しむことはしなかったから、三年目にしてようやくといった感じだ。少しして数人の女子がやって来ると、ドン、とテーブルの上に大きな皿が置かれる。麗日の後ろからひょっこりと見えない顔を覗かせた葉隠が両手を広げた。
「じゃーん! みんなで作ったの! 好きなの食べてー!」
皿の上には様々な形をした一口大の可愛らしいチョコレートが人数分置かれていた。高校生活最後のバレンタイン。女子からの手作りと聞き盛り上がった男子達は次々とそのスイーツを手に取っていく。
「うまそ〜っ! じゃあ俺はこのハート型にしちゃお!」
「ただーし! この中には二つだけ特別仕様のものが混ざってます。当たった人たちはホワイトデーに手作りで私たちにお返しすること!」
ウキウキとチョコレートを持ち上げた上鳴がピタリと止まる。俺たちまで手作り!? まさかそんなサプライズが仕掛けられているとは夢にも思わず、ジェットコースターみたいに一気にテンションが落ちていった。近くにいた耳郎に「なんで!?」と泣きつく姿はご褒美を我慢させられくぅんと鳴く犬のようだ。
「お菓子なんて作ったことねえしなあー」
切島の言葉に尾白も頷く。砂藤が居てくれれば万事解決だったのだが残念ながら今日は不在だ。つまり付随する一ヶ月後のイベントにも不参加のため、せめて彼と一緒であれば、という淡い期待も持つことができない。
とりあえず食べてみれば当たりかハズレかがわかるとのことで意を決して全員が一つずつチョコレートを手に取った。果たしてどちらがハズレなのかは置いておいて、どうやら強制参加のこのイベント。くだらねェと部屋に戻ろうとする爆豪を瀬呂がテープでしっかりと回収し、いっせーので口の中へと放り込む。ふわりと甘い香りと味が口内に溶けるが、特別仕様と言うにはいかんせん普通すぎるような気がした。
「美味しいけどこれが他のと違うかはわからないや。ね、轟く……轟くん!?」
緑谷もその内の一人で、友人にも同意を求めようと振り向くがその表情に思わず目を丸くさせる。
「いや、緑谷これ……っ、かなり……辛ェ」
轟がぎゅっと目を瞑り眉を顰める。特別仕様とは外は甘く中身は辛いチョコレートのことだった。特段辛味に弱いというわけでもない轟でこの有様。見た目は普通の菓子だったくせにとんだロシアンルーレットに巻き込まれてしまった。
「轟当たったの? 美味しくなるように調整はしたつもりだけど大丈夫? ほらこっち甘いのあるから食べていーよ!」
「ぅおおい!! そんなに貰えるし優しくされんならむしろ当たった方がお得な気がしてきたぜ……」
「じゃあ辛いの食べてホワイトデーは手作りしてくれるってこと?」
その問いに首を横に振る峰田。あくまでも手作りは貰う側に徹したいらしい。轟は餌付けでもされているかのように貰ったチョコレートをぱくぱくと食べている。
もしやそっちのほうがめちゃくちゃ美味いんじゃねえのか……? 峰田が唸るが男に二言はない。思考を振り払い、じゃあもう一人は誰だ? と見渡すも轟のように悶絶している者は誰も居なかった。全員が再び疑問符を浮かべていると、は、と何かに気付いた緑谷が名探偵のように「かっちゃん……」と顎に手を置きながら呟いた。それを聞き逃すはずがない爆豪が「ア?」と眉間に皺を寄せる。
「えぇっと……かっちゃん辛いもの平気だよね」
「だからなんだよ、気付かねーうちに俺が食ったって言いてェんか」
「君は本当に察しがいいね」
「俺がチョコに辛いもん入ってても気付かねー馬鹿舌だと思ってんのか?」
「そ、そこまでは言ってなくない? ただの可能性の話で……」
「じゃあ爆豪で決まりね!」
「は? おい」
芦戸がパン! と手を合わせると免れた男子らが一斉にうんうんと頷く。友人が困っているというのに手を貸そうともしない。こいつらのヒーロー免許は見せかけなのか?
「だって誰もリアクションが無いってことはさー緑谷が言った通り辛さに耐性のある爆豪が食べちゃった可能性が高くない? 普通轟みたいな反応になる量は入れてるもん」
「じゃあホワイトデーは二人の手作りだっ! 楽しみにしてるね」
「ざけんな! ンなめんどくせえことしてられっか!!」
「爆豪ができねェなら俺一人でやるしかねえな」
いまだにチョコレートを食べている轟の言葉が爆豪の耳をピクリと反応させる。察した瀬呂が相変わらずすぎるだろ、なんてニヤニヤとその場を見守っていた。これはいつもの流れである。
「僕も手伝うよ。なんか申し訳ないし……」
「俺ァできねえなんて言ってねえし、これは菓子作りだぞ? てめえに代わりが務まってたまるか。手伝いにでも来てみろ殺すぞ」
「そんなに?」
「お、やっぱりやるのか? 頑張ろうな」
「うるせえ! 俺が完璧に作り殺したらァ!!」
爆豪の叫声がハイツアライアンスに響く。定番のパターンにすっかり慣れた心操も静かに呆れ顔を見せ、切島が「さすがだぜ!」と爆豪と肩を組む。こうして乗せられた爆豪と轟が二人でホワイトデーのお返しを手作りすることになったのだった。
ニヤけ面を崩さない瀬呂が賑やかな笑い声に紛れ呟く。
「いやあ砂藤が居ないから焦ったけど爆豪なら大丈夫そうだな。二人とも頑張れよー」
「ちなみに当たってない男子も勿論お返しは期待してるから!」
「あ、さすがにソウデスヨネ」
それからおよそ一ヶ月。春というにはまだ肌寒い空気が再び甘い期待に騒つきはじめた現在。
「おーい、爆豪、轟! 寛いでるとこ悪いけどあの約束忘れてないよね?」
「わーっとるわ。今から作んだよ、黙って待っとけ」
「やった! 明日楽しみにしてるから!」
期待に弾む声色で自室に戻る芦戸と葉隠の背中を見送った轟が「じゃあやるか」と腰を上げる。深い溜息を吐く爆豪もそれに続いて二人でキッチンに立つ。ホワイトデーの前日の夜のことだった。
「なんでクッキーなんだ?」
エプロンを被り、爆豪の分も背中で結んでやりながら轟がそういえば、と尋ねる。日常生活で人の手を借りることにも慣れた爆豪はそれを轟に任せ材料の準備に取り掛かっていた。
「あいつらマカロン? が良いとか言ってた。そんな美味いモンなら俺も食ってみてえ」
「マカロンだァ? 俺一人ならともかくてめェも作んなきゃなんねぇんだ、そんな難易度高めのより失敗しづらいクッキーが安牌だろ」
そういうもんなのか、と納得した轟がエプロンを結び終えたのを合図に、A組ツートップによるホワイトデークッキー作りが始まった。
やはりなんでもそつなくこなす爆豪はお菓子作りにおいてもその才能を十二分に発揮していた。手際よく計量を終え、混ぜるのはおまえでもできんだろ、と轟の出番も程よく用意してやり、その間に洗い物、片付け、なにやら他の作業……とサクサクこなしていく。
一方任された轟は「こんなにバターも砂糖も入れて具合悪くなっちまわねえのか」「本当に大丈夫なのか」と十数枚のクッキーに投入される材料の量に慄いている。ついに「みんなの調子が悪くなったら俺のせいかもしれねえ」とボヤきはじめ爆豪がツッコミを放棄したあたりで型抜きした生地をオーブンに突っ込んだ。
「まあこれで十五分くらいか、様子見ながら焼きが足りねえとこあったら位置変える感じで」
「わかった。どこに行くんだ?」
「アイツらラッピングもしろとか言ってやがっただろ。砂藤のとこにあんの貰ってくる」
「そうなのか。じゃあ頼んだ」
荷物を持った爆豪がエレベーターに乗る後ろ姿を見送ってからちょうど十五分。じっと覗き込んでいたオーブンが鳴り、焼き加減を確認する。爆豪の言う通り中心と周りの色が違う気がしたのでせっせと位置を変えて再び適当な時間で焼いてもらうよう預けて一息ついた。ラッピングを取りに行くだけなのにやけに時間がかかっているな、とぼうっと考える。もしかしたら上鳴や切島と会って話し込んでいるのかもしれない。五階だから瀬呂かも。なんにせよ丁度良い焼き加減は轟にはわからないので早く戻ってきてほしいのだが。
しばらくキッチンの椅子で足をぷらぷらとさせているとエレベーターの到着音が鳴り片手に籠を持った爆豪が降りてきた。色々聞きたいことはあるが同時にオーブンの音も鳴ったので一旦そっちの様子を確認したほうがよさそうだ。中を覗くとまだ焦げてる気配は無いがこのくらいで充分だろうか。扉を開けた轟が何の躊躇も無く素手で鉄板を持ち上げた瞬間。
「は!? おま、何してんだバカ!! 冷やせ!」
いつのまに近くにいたのか。爆豪が轟の左手首を勢いよく掴む。ガタン、と浮いた鉄板がそのままオーブンの中で音を立てた。声を上げる暇もなくすぐに流水で手を冷やされる。痛いくらいに爆豪の手にぎゅうと握られ、その素早い動きを轟はただぽかんと眺めていた。
「え、と。爆豪?」
「てめえ慌ててたんだかなんだか知らねえが素手で持つことあるか、ふざけんな」
「こっち左手だし、さすがにちゃんとそのつもりで、わかってて持ったから大丈夫だ。このくらいの熱さは」
「…………は」
シンクに当たる水音だけが二人きりのキッチンに響く。
白い桜ってさー、ちょっとピンクがグラデーションになってたりして可愛いよな。
春にみんなでしたお花見での会話だ。爆豪の顔がみるみる赤くなっていくのを見て、それを思い出してしまった。いや、この色は桜ではなくチューリップかもしれない。比例するみたいに掴まれた手首がじわじわと熱くなる。轟の片肘から下だけで半冷半熱状態だ。
ばっと手を離した爆豪がヂィッッと人間が出せる音なのか? みたいな舌打ちをした。
「紛らわしいことしてンじゃねえ!! マジでビビッ……いや、とにかく素手はヤメロ!」
「悪ィ、本当にそんなつもりは無かったんだ。当たり前すぎて抜けてた」
「当たり前って……俺だって出来っけど鉄板直は流石にしねえっつーか」
「爆豪はそういうやつだよな」
「まじでてめえは……なんでもいーけどミトンくらい使え。ミスったら怪我すっから」
「うん、ありがとう」
「で、焼き加減はこんなもんでいい。冷まして適当に袋詰めんぞ。個性使うならそれこそ今だろ」
「お。なるほどな」
轟が辺りの温度を下げる間に爆豪は籠からラッピング袋を取り出す。透明な袋と共になにやらカラフルなものが轟の視界の端に映った。そんな色の袋もあったのか。爆豪はてっきり無地のものを選ぶと思っていたから、あんな多彩な柄はなんだか意外だ――カサ、と音がして、それから轟の目の前に何かがずい、と差し出された。
「これ、やる」
冷えた手のひらで受け取ったそれは確かに透明な袋に入っていたけれど、中身はまるで鮮やかな春を閉じ込めたみたいな色をしていた。カラフルの正体はこれらしい。初めて見るオモチャみたいななめらかで丸い存在に轟は首を傾げる。
「これなんだ? クッキーじゃねえよな?」
「おまえどんなもんか知らねえでマカロン食いてえとか言っとったんか」
「これがマカロンなのか!」
「どーりで隣で作ってても気にしねえわけだ」
そういえば生地を混ぜたり懸命に型抜きをしている間に爆豪は何か他の作業をしていた気がする。それを思い出した轟がその手際の良さに感心するとともに、いつの間に、と手の中の宝石を見つめた。
「難易度高いって言ってたのに。いつこんな、しかもラッピングまで」
「さっき砂藤んとこ行った時にオーブン借りたんだよ。作ったこと無かったから試作してみただけ。ラッピングも練習」
素っ気なく返す爆豪が冷めたクッキーを口に放り込む。味は悪くなかったようでそのままラッピングを始めていた。
「これ、全部俺のためか」
「試作品だっつってんだろ。嫌なら捨てろ」
「ううん、嬉しい。食っていいか?」
「勝手にしろ。黙って食っておまえも袋詰めやれ」
頷いた轟が淡いピンクのマカロンをつまむ。一瞬ヒビが入ったことに驚いてそっと口に運んだ。ほろほろと崩れていく初めての食感に目を瞬かせる。口の中で甘さが踊ったかと思うと幻のようにふわりと消えて、まるで魔法のようだった。
「すげー美味い」
「たりめーだ」
相変わらずの口ぶりだがその横顔は僅かに微笑みを携えていて、轟もつい頬が緩む。時々マカロンとクッキーに手を伸ばしながら二人でラッピング作業を進める。甘い香りが漂うキッチンは余熱が残っているみたいに暖かい心地がした。
「こんなもんでいーだろ」
「店で売ってるやつみてえだな」
人数分の袋詰めが終わり、完成したクッキーをカウンターに並べた轟が満足げな表情で息をつく。
「結構楽しかったし、またお菓子作りとかしてみてえ」
「ハァ? もうてめえの面倒は見たくねえわ」
「……いや、今度は砂藤に頼もうと思ったんだが」
あ。と爆豪の口元が歪む。次第にギリギリと奥歯を噛む表情が険しくなるが、それは轟には通用しない。
「なんだ、爆豪が一緒に作ってくれンのか?」
「んなわけねーだろ! もうおまえとは作んねーっつの!」
「今度は俺もマカロンの作り方が知りてえ」
ぜってー教えねえ! 冬の名残を振り払うみたいに爆豪の声がキッチンを揺らした。
寮の明かりが消え、冷たい風の中にほのかに温もりを感じる。ようやく明日には暖かな日差しが訪れるらしい。静かな夜に春の気配が忍び寄っていた。
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