九条空
2025-03-13 23:21:14
6301文字
Public Other
 

私に名前はない

転生したのでスパイになっただけなのだが、
前 羽京と仲良くする
次 続きみたいなやつ

「それで、司を生き返らせるプランとはなんだ」

 腰を落ち着けて、私が最初に千空に聞いたのは、かつてあった戦争のことでも、サルファ剤のことでもなく、司のことだった。

 もう失われた命は取り返しがつかない。だから過去の戦争でなにがあり、何人死んだかは後回しだ。
 自分の命はさほど惜しくない。惜しいのならスパイにはなっていない、だからそちらも後回しだ。
 まだ助かるかもしれない恩人の命、それが私にとっての最優先事項である。

「そもそも彼は今どんな状況だ? 仮死状態か? あるいは石にでも戻ったのか」
「かなりいい線いってるぜ。コールドスリープ状態だ」
「こー、るど、すりーぷ」

 急に舌の回りが悪くなった。出て来ると思っていなかった単語だ。
 司を蘇らせるという単語を千空が使った時点で、今は生きているとは呼べない状況だとは推測していたが——コールドスリープ。いくつか想像した中にはなかった可能性だ。
 傍で聞いていたゲンが肩をすくめる。

「あーね、こういうリアクションよね、当然最初聞いたらね……
「そうか。つまりここには冷凍庫があるということで、私たちにはアイスが食べられる可能性があるんだな?」
「おっ。そういやまだ開発してなかったな、やるかアイス作り。バニラエッセンスはオゾンに月桂樹ぶち込んで無理矢理抽出して……
「おや。オゾンの生成もすでに可能なのか? 放電法、電解法、紫外線ランプ法のどれだ?」
「順応早いねノーネームちゃん!?」

 千空と軽く化学談義を挟むと、ゲンからツッコミが入ったので私は首を振った。

「半分冗談だよ。しかし千空が冗談ではなくしてくれそうなので、私も積極的に協力しよう。私はアイスが好きなんだ」
「あ、そうなんだね……アイスは、みんな好きだもんね……

 アイスが嫌いなアメリカ人がいるだろうか?
 いたとしたらそれはアメリカ人ではない。だからアメリカ人の中には、アイスが好きなやつしかいない。
 ……それはさすがに言い過ぎだが、アイスの支持率が大統領の支持率より高いのは確かだ。
 私はアジア系だし、前世は純粋な日本人だったが、この人生では一応アメリカ人をやっている。
 したがって私もアイスは好きだ。少々錯乱してしまった時、司のことより先に聞いてしまうくらいには好きだ。
 アイスの話をして頭が冷えてきたので話を戻す。

「コールドスリープにしてどうする。冷凍保存した人間が蘇った例は、石の時代が来る前でも存在しない」
「人間が石になってから元に戻る時、多少の傷は治る。脳死状態だった司の妹は、実際それで治って元気に過ごしてる」
「なるほど。冷凍状態の司を解凍前に一度石にし、その後復活液にて戻す。蘇るかどうかはその際の回復力に賭ける、ということだな。理解した。勝率としてはそれなりに低いと思うが、その道以外になさそうだ。否やはない」
「いや。俺の計算じゃ、確率は低くねえ」
「そうか。君が言うのなら、そうなのだろう。科学に嘘はつかないと、司から聞いている」

 その低くない確率の、具体的な数字は聞かないでおいた。
 このミッションを達成するのに必要な情報を集める。

「人が石になる条件は?」
「わからん」
「そうか。どこをどう探す?」
「ひとまず、向かう先は俺の父親が最初にたどり着いた無人島だ」
「君の父親、無人島」
「俺の父親白夜たち6人の宇宙飛行士は、人類が石になったときに宇宙にいたおかげで石になるのから逃れられた。地球に戻ってきた時に無人島に着陸して、コハクたちの遠い先祖になったってわけだな」
「宇宙、コハク殿、先祖」

 目を閉じるとチカチカする。宇宙が見えるような気さえする。
 貧血かもしれない。そうじゃなかったら……そうじゃなくともこの一瞬、頭は回っていなかった気がする。

「ノーネームちゃん大丈夫?」
……少し動揺してしまった。なるほど概要は理解した、だから船が必要ということか。その無人島にほしいものがあるのだな? 君の父が遺した何かが?」
「おそらくな」
「そしてその島はすでに無人島ではない、ということか」
「あ゛ぁ、話が早くておありがてえ」
「ゲ、そうなの?」

 聞かされていなかったらしいゲンが嫌そうな顔をする。
 おや、よくないな。これは高確率で、現地人と交渉が発生するであろう船旅だ。
 千空のことだからまずは隠密で奪取を試みるだろうが、失敗する可能性も考慮にいれるはず。
 ならばゲンを連れて行くことは、千空の中でとっくの昔に決まっていそうなのに、それを本人に伝えていないとは。

「千空の父たちが最初に上陸した島、そこから子供が生まれ人が方々に広がっていったのならば、その島は石の時代が訪れて最初に有人島になった場所だろう。逆にどうして今人がいないと考える? 島の広さ、資源次第ではこちらの科学王国よりも人がいたっておかしくはなかろう」
「正論すぎ。あーあ、ただのお宝発見旅ってわけにはいかないのね、ヨヨヨ……
「人がいる方がむしろ好都合だ。自然よりよほど簡単に籠絡できる。私とゲンでなんとかしよう」
「すっごい頼りになる〜って言いたいけどすっごい自然と頼りにされる側に俺も入ってる〜」
「頼んだぜ」
「アイアイサー、心配するな。私たちに任せてくれ」
「俺にも許可とろ? ね?」

 私は頷き、去ろうとして、少し困った。

「そういえば私は、どこにいればいい?」
「あ? そういや決めてねーな」
「そういうの最初に決めるもんじゃない?」

 すっかり忘れていた私の居住地の話をする。

「病をうつしたくないのでなるたけ他の人々から離れたところがいいが、隔離施設のようなものはあるのかな。牢獄でもいいが」
「初っ端から自分で牢獄入りに行くことある?」
「あるよ。犯罪者としての方が入国しやすく、活動しやすいところは山ほどある」
「なにそれ怖、経験則?」
「どうだろうね」
「経験則ですって顔〜! あのねノーネームちゃん、ここではわざわざやらなくていいからね」
「ああ。そもここには入国でも潜入でもなく帰化するので、できれば凶状持ちでない身分が欲しいが」

 千空がひらひらと手を振った。

「おーおー、わかったわかった。大体、牢獄入んなら氷月とほむらと一緒にいきなり同棲生活始まんぜ」

 彼らは捕まっているのか。
 ふむ。その2人が唯一……唯二ゆいふたつか、和解できていない人間ということでいいようだな。牢獄の中に彼らしかいないのであれば。

「狭い空間に他人といたのでは感染リスクが高すぎる。囚人でも死刑執行猶予というわけではないんだろう、なら生かさねば。それに新婚生活に踏み込むのも悪かろう。辞退させていただく」
「新婚て……だとしたらいやな新居だよねそれ……
「冗談だよ。彼らはお互いにそういう関係にはならない確信を持ってるだろうさ」
「へえ〜……

 私には適当な家が割り振られ、ゲンが案内してくれるという。

「んで、本気?」
「なにがだ、ゲン」
「『人がいる方がむしろ好都合、自然よりよほど簡単に籠絡できる』ってやつよ」
「ああゲン、私の真似が随分と上手だね。後でもっと聞かせておくれ。そしてそれについては、実のところ嘘だ」
「ですよね〜!!!!」
「千空は科学に嘘をつかないようだが、私は必要とあらば人に嘘をつくよ」
「何のための嘘?」
「実のところ見栄だ。なに、まだ私の能力を君たちに証明できていないし、少しばかり大袈裟に自分をアピールしただけさ。有能であるとは今後行動によって示していくが、今回はひとまず気概だけでも表明しようと思ってね」
「有能さは十分示してもらってるよ、初対面のときで……

 そうだろうか。
 こけおどしのトラップと、いつのまにやら千空に乗っ取られてしまった主戦場のひとつ舌戦では、私の完敗であった。

「だが、先の言葉をただの虚言にはさせない。君もいることだしね、ゲン」
「それに関してはジーマーで頼りされちゃってるカンジ? まあ頑張るけどね〜。俺もノーネームちゃんが来て、用無しって言われないようにしなきゃだし」
「ハハハハハ! それはなかろう!」
「笑ってくれるのは嬉しいけど血を吐くのはなしにしてくれる!? ちょ、抗生物質ー! そうだよこの人重病人なんだよ、しっかりしすぎててうっかり忘れてたよ!!」

 その後私は自分の足で新しい寝床にたどり着き、早々にやらなければならないことのリストアップを始めた。
 忙しくなる。
 ただ生きる、という目的だけでなく忙しくできるのは、実に楽しいことだ。

 私に名前はないノーネーム

 スパイ活動をしているうちに、味方陣営に度々言っていたせいか、いつの間にやらそれ自体が私を表す記号となってしまった。
 自分を表す記号をなくそうとした結果、自分で生み出してしまったというのは皮肉かもしれない。

 肺炎が完治した。
 今までは感染リスクを理由に極力人に会うことを避けていたが、気にしなくてよくなった。
 誰にも感染しなくてよかった、と呟いたら「バカみてえに体力あるやつばっかだからな。ジジババガキと、俺とゲンは除くが」と千空に言われた。

 誰にも感染しなくて本当に良かったと思った。

 治ったのでむしろ積極的にコミュニケーションをとるようになり、しばらく。
 ここは科学王国になる前、石神村と呼ばれる集落だったと聞く。
 その住民の中に、ひとり気になる人物がいた。
 頭に大きくバッテンの傷のある男だ。日中、ふと話しかける。

「やあ、こんにちは」
「! こ、こんにちは」
「君と少し話がしたいのだが、どうかな」
「お、オレと!?」
「ああ、できれば2人きりでね」
「ふ、ふふふ2人きり!?」
「都合はどうだい? 良さそうだね、では行こう」

 少し迷う動作を見せた時点で、抜けられない状況ではないのだろうと理解し、手を取って半ば無理矢理に連れてきてしまった。
 このとき、見送っていた彼らの中では私について「マジで全範囲ストライクゾーンなんだ……」と囁かれていたらしい。

「君には名前が無いと聞いた。だから名無しと呼ばれていると」
「! そ、そうです……
「ああ敬語はいらないよ、君とは親しくしたい」
「し、しししし親しく」
「あまり緊張しないでおくれ、私は君にひどいことをしないよ」
「は……はい。あ、いや、うん……?」
「いいこだね」

 私が言ったことをそのままやろうとしてくれる、素直ないいこだ。

「奇遇だなと思ってね、話しかけたくなった」
「奇遇?」
「私にも名前が無いんだ」
「えっ。でもノーネームって」
「私はノーネームと呼ばれているが、それは君たちが言うところの別の言い方でね。ノーネーム名無しという意味だ。だから君と私は、同じ名前だね」
「同じ……

 彼が言い淀んだのを見て、私は確信した。

「ああやはり。君は素直ないいこだ。嘘がつけない。何も言わなくても、その顔でわかってしまう。同じじゃないんだね、君と私は。君には別の名前がある
「!」

 なにかを言おうと口を開きかけた彼の口を、人差し指でそっと押さえた。

「いいんだ、言わなくて。君にも事情があるのだろう。君と私が同じだと言ったそのとき、仲間意識を持ったかもしれない私に、『そうだね同じだ』と嘘をつくのを想像して悲しんだろう。私をぬか喜びさせてしまうことに、罪悪感を覚えるようないいこの君ならば、名前を隠す理由は悪意じゃない。私は確信を得た、だからこれ以上はなにも聞かないさ」

 口から指を離しても、彼は物言いたげな目で見てくるだけだった。

「むしろ探るような真似をして悪かったね。経験上、名乗れないのは私のようなわるいこばかりだから、少し警戒してしまった。君がいいこでよかったよ」
「ノーネームさんはわるいこなの……?」

 正しい答えが知れそうにない問いかけだ。

「まあね。私は君と違って、名前を大事にしているから隠しているのではない。邪魔になるから、親からもらったそれすらあっさり捨てたんだ。もう誰も私の名前を知りはしない。私自身ですらね。忘れてしまったから」
「名前、忘れるなんてそんなこと」
「呼ばれないとそんなものだ。誰から呼ばれずとも、君が君の名前を覚え続けられているならば、それは君がとってもいいこだからだ。もらった名前を、ずっと大事にできてえらいね」

 悲しそうな顔で私を見る彼に、私は微笑んだ。

私に名前はないノーネーム。長くそう言い続けたことで、今ではこう言うことになってしまった――私の名前はノーネーム。そう呼ばれるのも存外悪くない。だが君は、誰かひとりでも……

 ああこれは言わなくていいことだったなと、口にしてから思った。
 だが半分言ってしまったので――半分言ってしまったから、を免罪符に、言い切ってしまった。

「本当の名前を告げられる誰かに出会えるといいね。私のように、名前を忘れてしまう前に」

 しばらく俯いて、拳を握ってた彼は、決心したように顔を上げた。

「ノーネームさんは記憶力がいいって聞いてる。子どもたちに、巫女様みたいに暗記してる物語をいくつも語って聞かせたって。だから本当はきっと、自分の名前を覚えてるんだよね? でも忘れたフリをしてるのは、本当の名前を言っていいほどその人を信じられるかどうか、いつも見定めなくて済むように、そもそも名前がないことにして……
「君」
「わっ!?」

 まつげとまつげがぶつかりそうなほど、顔と顔を近づけた。
 異性への耐性がないことは丸分かりだから、わるいこの私はそれを利用した。

「いいこだから、それ以上言わないで」

 それほどまでに顔を近づけたのは、彼の大きく丸い瞳に反射して、自分の顔が見えてしまわないようにだったかもしれない。私は悲しい顔をしているのだろう。何しろ彼が、そんな顔をしているので。私は顔を微笑みに変えた。

「私のようにはならないでおくれ」

 それだけ言って、彼には何も言わせなかった。

「やはりいいこだったな、彼は」

 仕事にお戻りと背中を押して、しばらくひとりごちる。
 本当は様子見くらいにしておこうと決めていて、ここまで仕事をする気はなかったのだ。
 しかし昔の癖が抜けずに、うっかり口を滑らせてしまった。

 名前を大事にしているから隠している、というカマかけに反応がなかったことからそれは確定。
 であるならば、彼の名付け親は石神村の人間ではない。
 つまり彼は名前を前に所属していたおそらく集団からつけられており、そしてその集団に対して今も悪い感情を抱いてはいない。
 その集団を、かつて千空が言っていた無人島の話と結びつけるのは早計だろうか。

 わるいこを自称するわるいこはいない、といういいこならではの先入観。
 目の前の自分と似た境遇の人物が、善人であってほしいという願望。
 そのほか小手先の心理学を少しばかり。

「さて。名無しくんは、私を本当の名前を告げられる誰かにしてくれるかな」

 その日は遠くないように思う。

 さて、私はいいこかわるいこか。
 私としてはどうだっていいのだ。
 己の口から出る言葉が嘘か本当かも、私にとっては重要でない。

 ただこれだけは本音だ。どうか。
 ――私のようにはならないでおくれ。



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