シノハラ
2025-03-12 22:01:16
2825文字
Public ロキとマネージャー
 

50年後とかにマネージャーが亡くなって、何にも知らない孫がロキに遺髪を届けに行く話

2023年8月7日初出 歌イベの読書感想文 説明にある通りマネージャーに孫がいます

 祖父はロキを愛していた。今までにない音楽とキャラクター性を引っ提げて音楽界に彼が現れたのは五十年以上前の出来事だったという。彼はそれ以降、ずっと最前線を走り続け、向こう数百年は活動し続けるはずだと祖父は嬉しそうに、悔しそうに言っていた。
 見識の浅い自分はとうとう呆けが来たのかと思ったが、どうやら彼はメギドだったらしい。であれば、ロキが現役を望むならその数字も決して誇張ではないのだろう。自分が死んだ後の彼の歌を聴けないのが惜しいと祖父はぽつりと口にした。
 それから祖父が亡くなったのは数年もしないうちの事だった。それほど苦しまずに行き、式も滞りなく済ますことができた。祖父の長子だった父は意気消沈しているが、少しずつ日常に帰って行くだろう。
 とあるロックシンガーを愛する祖父が亡くなった。ここまでは極々平凡な出来事である。生き物はいつか――きっとメギドと呼ばれる長命種も例外ではなく、時が来れば死ぬ。その摂理を自分は目の当たりにしただけである。
 だというのに、どうして自分はそのミュージシャンの所属する事務所の一室にいるのだろう。しかも祖父の遺髪なんぞを持って。
 母は祖父の遺言だと言っていた。信じられずに遺書を見せてもらったが、たしかに祖父の筆跡で今回の件のことが記されていて唖然とするしかなかった。
 そこには自分を名指しにして、遺髪を事もあろうか稀代のロックスターに届けるよう事付けられていた。お前の容姿で自分の名を伝えれば、きっとロキに会えるだろうと。やっぱり祖父は部分的に呆けていたのだと思う。
 とはいえ、門前払いくらい受けておかなければと事務所の門を叩く事にはしたのだ。祖父の名と共にその孫だと告げれば、自分とそう歳が変わらない受付がぱちくりと目を瞬かせた。それから呆れた様子で笑みを作ろうとした瞬間、隣のもう少し勤続年が長そうな女が割って入ってくる。
 彼女曰く、この部屋でしばらく待つようにとのことで、来客と打ち合わせをするためだろう部屋にそれなりの時間留め置かれている。正確な時間は分からないが、飲み物と茶菓子が交換されたので一時間程度ではすまないはずだ。
 時間潰しの道具など持ち合わせていなかったので、厳しいものを感じ始めた頃になって再び扉が開く。本の一つ貸してもらえないかと顔を上げて、気がつけば呼吸を止めてしまっていた。
「ロキ……さん」
「ロキでいい」
 歌うように告げられて慌てて頷いて、彼の望むままに呼べば納得したらしく静かにロキが応じた。遺髪を渡せたとしても、たとえばマネージャー辺りの直接ロキに会う機会がある誰かにだと思っていた。本人の希望は果たせずとも、それで祖父の望みは果たせたはずである。
「あの、その、祖父が亡くなって、これ、髪なんですけど」
 しどろもどろの言葉の後に、心当たりはありますか、と、続けることはできなかった。木箱の蓋を開ければ、灰に近い銀の色が抜けて白くなった髪をロキがじっと見つめている。
「これを渡されるのは初めてだ」
「えっ、あ、その……前にも?」
 今度は平坦でぶっきらぼうな調子でロキが告げて、祖父が言っていた事が脳裏を過ぎる。今思えばそういう疾患だったのかもしれないが、ロキは歌わなければ本心を喋らない。全く真逆に受け取る必要があるのだと。それだけ聞けば簡単に聞こえるが、実際に逆転させようと思うと迷いが出てしまう。
 こちらのしどろもどろの様子に気がついたのか、ああ、と今度はロキが歌う。
「以前渡された時は死んだことにしたがった」
 どうして、と問おうとするのをなんとか飲み込んだ。祖父には祖父の事情があるだろうし、今更過去を掘り起こしても仕方がない。話したければロキが勝手に話すはずで、無理に立ち入るのも失礼だ。
 ただ、場違いにも祖父に痴呆の疑いをかけていた事を心中で謝罪しつつ、黙り込んだロキの様子を窺う。
……そこにいろ」
 ようやく口にして踵を返したロキは歌っていない。木箱を鞄に戻して慌てて部屋を出ると、ロキはちらりと自分が着いてきているのを確認して事務所の外に出た。やはりそれなりの時間拘束されていたらしく、昼の日差しは傾いて、彼の影を長くしている。
 方々からロキに視線が向けられるが、それがこの街の決まりなのか彼を呼び止める者はいなかった。その後ろに付き従うのは少々の居心地の悪さを感じる。
 街の歓楽街の中心部を抜け、外れに近しい場所までロキは迷わず進んでいく。派手さもなく常連客で食い繋ぐような店が連なる通りに埋没する店を彼は選んだ。非凡なるロックスターの肩書きを持つ者が使うには、どうにも似合わない。
 店に入ってきた客を見て店主は目を丸くした。彼の様子を見る限り、この店にロキが来たのは初めてらしい。そんな事情など彼にとっては対した障害でもないらしく、ロキは店主にステージを使わせるよう要求した。
 彼にステージを借りたいと言われて拒否できるものなど、ヴァイガルド上にどれだけいるだろうか。幸い時間が早すぎるせいでそもそも演者もいないようだったが、よしんばいたとしてもロキをステージに上がらせたはずだろう。
 普段のステージを思えばみすぼらしいと表現するしかない木製のそこに上がったロキは、棒立ちになっていた自分を指先で空いている席に誘導する。
 突如ステージに上がった男を見て、夕方から飲んだくれている客がさざめいた。そこにいるのが本当にロキなのか、ロキに憧れた男なのか区別がつかないらしい。というよりも、こんなところでロキがステージに上がるはずがないと、本人である可能性をはなから無視していると言えばいいのか。
「マネージャーに」
 果たして、ロキは準備らしい準備もないままにたった一言だけ述べて音楽を奏で始めた。流れる音にぶわりと沸き立って、慌てて鞄から木箱を取り出す。
 ――ぜんぶ。全部分かった。祖父はロキを愛していた。その歌を。その歌に乗る魂を。そしてきっと、ロキも祖父を愛していた。なぜ二人が道を違えたのか、そもそも違えてなどいなかったのか自分には分からないけれど。
 祖父が始まりだと評していた曲をロキは歌う。それは初めて彼が得た曲ではなく、祖父がどうしてその名を使ったのかも分からない。もっとたくさん聞いておけばよかったと思う。失われた物語はもうたった一人の心の内にしかなく、詳らかにされる日は来ないかもしれない。
 祖父が死んだ。その意味をようやっと理解する。始まりの歌をロキは歌う。終わりを伝える祖父のために。
 きっと彼らはこんな場末の酒場で出会ったのだろう。だからこそ彼はここで歌わなければならなくて、祖父はここにいなければならなかった。
……始まっただけさ。2人の関係が。そして終わったんだ」
 歌が終わる。熱狂に包まれる酒場に紛れたその声が歌っていたのかどうか、もう自分には分からなかった。