伊坂
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サーバルキャットのアイスくん(おかわり)4

サーバルキャットのアイスくんシリーズの最新話です。爆速で懐柔される黒い方のねこ……。

おかわり1話→https://privatter.net/p/10800040
おかわり2話→https://privatter.net/p/10998409
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シリーズはこちらから→https://privatter.net/p/10198800

サーバルキャットのアイスくん(おかわり)4



 サーバルキャットの『アイス』は心中複雑である。

 その日は、まるで夏に戻ったかのように暑い日だった。
 サーバルキャットの『アイス』は、トム・カザンスキー邸の古びた屋根がじりじりと太陽に焼かれている幻聴めいた音を確かに耳にしながら、玄関の向こうで聞きなれないエンジン音が唸り、止まったことにすっくと立ち上がった。
 庭に面した、大きな窓に寄って確認する。車から降りてきたのはマーヴェリックとスライダーで、二人は二時間ほど前に出かけていき、何やらたくさんの物を買いこんで家に戻ろうとしていた。
 彼の恋猫『リブ』はふにゃふにゃと巣の中でまどろんでいたが、鍵が刺さり、ドアががちゃっと開かれるときには猛ダッシュで玄関に向かっていた。
「びゃん!」
 おそらくは人間の耳にはそう聞こえるだろう鳴き声で、『リブ』は「おかえり!」ではなく「おやつは?!」と聞いていた。マーヴェリックは偶然か、はたまたオメガ化したことによる何かしらの変化なのか、『リブ』がおかえりと駆け寄ってきているわけではないことを耳ざとく見抜いて、「おやつはない! 今朝もスライダーから何か巻き上げてただろ」と呆れたように言った。
「びゃん! びゃん~~~!!」
 リブは「巻き上げてない! くれるから……、しぶしぶ……!」と言い訳して、「巻き上げてないよな?」と同意を求めるかのようにスライダーの膝先に詰め寄った。
 …………
 まあ、しぶい顔にもなる。
 お前……。二週間で懐き過ぎでは……
 くさい!きらい!とか言ってたのにいきなり懐柔されている。
 スライダーが心意気のいい男なのはわかっているのだが、よって『リブ』がそれを理解しつつあるのは喜ばしいことなのだが、なぜか『アイス』の心中は穏やかではない。
 今朝などは、トムやマーヴェリックがなかなかくれない美味しいおやつを与えられ(もちろん『アイス』も半分貰った)、幸せそうに自分の指先を舐めながらごろごろと喉を鳴らしていた。初日に見せた野生の警戒心はどこへ行ったのか……
 スライダーもスライダーだ。おれの目の前で『リブ』を甘やかすとはどういう了見だ? 『アイス』の胸中をさまざまな感情が練り歩き、無性に、何かに当たりたくなる。
 ピチチピチチと庭に飛来している小鳥たちを窓越しに眺めて、彼はぐるると不穏な声を喉からひねり出した。
………?」
 サーバルキャットの『アイス』は、窓に緑色の上下に身を包んだ男が映っているのに気づいてその場で回転した。おのれの砂色の尾を追うようにくるり。しかし見間違いだったのか、シンクのほうには人間も猫もいない。彼はすこし怪訝に思った。あの緑色の上下は、トムと出会ったときにトムが来ていた服のように見えたが。たしかフライトスーツとかいう。空母猫をしていたときに自分の周りの人間たちが着ていた服だ。
 見間違いか?
 人の良さそうな、髭面の男が自分を見つめていたように思ったのだが。
「お、『アイス』が外見てる。庭で遊ぶか」
 マーヴェリックとスライダーは、大荷物を抱えながらどたどたとリビングにやってきた。二人の間を縫うように『リブ』が駆けている。退屈なのでああして人間の脚を避ける遊びをしているのだ。よく見るとリブは見慣れない赤いぬいぐるみを口に咥えていて、『アイス』を見るなり『アイス』にタックルをするように突っ込んできた。
「なんかこれ! もらった! 『アイス』にあげる!」
「おい、お前がもらったんじゃないのか?」
「おれ『たち』にくれたんだ! でもおれは新入りだから、これは『アイス』が遊んでいいやつだとおもう。おれには……、そのぅ、たまに貸してくれれば……
 口からぬいぐるみを落として、『リブ』は『アイス』の目をまっすぐ見つめながらそう言った。森林の色をした猫科の目に、自分の、雨色の目が映りこんでいる。湿気で髭がふわっと広がるときの心地よさを思い出して、『アイス』は思わず『リブ』の額と、鼻頭とうなじに自分の匂いをこすりつけた。ぐりぐりと顎を押し付けて、恥ずかしそうにしながらもされるがままになっている『リブ』にちうと口づけした。互いの頬髭が触れ合うのが心地いい。ぺたんと足元に落ちているのは、大きな海老のぬいぐるみだった。
「ロブスターだ」
「ロブスター?!」
 『アイス』が蹴ると、やわらかな生地のぬいぐるみはぴょいんぴょいんと跳ねるように飛んで行った。『リブ』は大喜びで追いかけていく。「バッタだ! ロブスターってバッタのことかあ」
 『リブ』が蹴り返してきたぬいぐるみを咥えて、『アイス』は咥えたままぶんぶんと振ってみせた。噛み心地もちょうどいい。ふわふわの素材に、牙がぷつりと刺さる感触がとくにいい。『リブ』は全身を使って、その場でばねのように跳ねた。
「おれに! おれに飛ばして!」
「いいとも」
 サーバルキャットの『アイス』は首を大きく振り上げてロブスターを彼方に放った。ぬいぐるみが口から離れていくや否や、『リブ』はびゅんと黒い塊になって、床を滑っていくそれを捕まえに行く。「やわらかくてたのしい!」
 喜色満面で駆け戻ってきた黒猫に相好をくずしていると、マーヴェリックがリードを持ってきて「う~~~、かわいいなあ。早速遊んでる」と頬をぴかぴかさせながら笑った。
「あ、お髭のおじちゃんが来てる」
「お髭のおじちゃん?」
「見えたり、見えなかったりするおじちゃん」
「そういえばおまえはたまに部屋の端とじっと見ていることがあるな」
「え、『アイス』も見えるか? 今頬杖をついてこっちを見てるけど」
「緑の服の男か? さっき窓ガラスごしに見えた気がした」
「あー、そう。きっと幽霊だよな。マーヴェリックが心配で様子を見に来てるんだと思うんだけど」
 マーヴェリックに首輪をつけられながら、『リブ』はあっけらかんと言った。そうか。『リブ』は視える猫なのか。たまに、猫の中には魂が見えたり、魂が感じられるものがいる。
(グースだ……
 サーバルキャットの『アイス』は確信した。彼はグースを知らない。彼がトム・カザンスキーに拾われた時にはもう、グースはこの世の住人ではなくなってしまっていたからだ。
 ただ、グースはマーヴェリックにとって、本当に大事な人間だったらしい。マーヴェリックのことを、初めて信じてくれた男だったらしい。
 唯一無二の親友で、もしかしたら初恋の相手だったのかも。
 数年前の夜だったか。狭い空母の居住区を抜け出して、『アイス』同士で散歩をしていると、トムはぽつぽつとグースの話をした。惚れた腫れた。勝った負けた。そんなものじゃなく、ただ『気に入った』で自分のそばに誰かが居てくれたことなんかマーヴェリックにはなかったんだ。あいつは奇跡みたいな男だった。俺は一生、グースには勝てないんだよ……

 サーバルキャットの『アイス』は……やはり心中複雑だ。
 飼い主であるトムを想うなら、グースはライバルということになるのだが。窓越しに見えたのは、ひょろりとして、のっぽで、無害そうな男だった。陽気そうな黒っぽい目。気楽そうな立ち姿。あれがマーヴェリックの相棒「だった」男か……
 『リブ』の話が本当なら、今もときどきマーヴェリックを見に来ているということになる。本当に友達想いのいい奴だったのだ。
「よし、できた!」
 リードをつけられて、『アイス』は『リブ』と共に芝生の茂る庭へと飛び出した。古びた庭用のロッキングチェア。あちこちにトカゲの気配。小さな虫を啄んでいた小鳥たちは、猛獣たちの登場に慌てて空へと逃げ去っていく。多くの羽ばたきが重なって、バササッと突風が吹いたような音にマーヴェリックが顔を上げていた。
「そういや、この家って結構ボロいよな? 基地からも遠いし」
 水撒きの準備をしているマーヴェリックに、スライダーが近づいて何やら話しかけている。
「さすがに人多いところだとサーバルは目立つから、広くてボロい郊外のこの家にしたんだろうな」
 聞こえてきた会話に、『アイス』はすこし異議を唱えたくなって目をつむった。それは、おれのためばかりではないはずだぞ。きっとマーヴェリックを暮らしたくて、マーヴェリックとの親交を見とがめられないためにトムはこの辺鄙な場所にある家を選んだのだ。
 ホースから飛び出す、きらきらとした水を追って『リブ』が猛スピードで駆けては跳ぶを繰り返している。首が締め付けられたり、リードが足に絡まるのが嫌なので、『アイス』は水浴びに専念することにした。自分のところに届くはずの水が遮られてしまったので、『リブ』は「うああ!水……!」と文句を言っている。
 しばらくはホースの水を楽しんでいた『アイス』だが、『リブ』に割り込まれてしまったのでトカゲ退治に乗り出すことにした。ばしばしとそのあたりの芝生を叩いて、ひょろひょろと草かげを逃げていく気配を感じ仕留めにかかる。
 マーヴェリックはウッドデッキに腰掛けながらにこにこと笑い、その横にはフライトスーツを着た髭の男が幸せそうに座っていた。

「わぁ! なんだ? なんだこれー!」
 ぶるぶると体躯を震わせ、水滴を飛ばしてからリビングに戻ると、何やら一仕事終えたようにスライダーが床で平たくなっていた。『リブ』はマーヴェリックがタオルを手に近づいてくるのも構わず、ぺとぺとと透明な足跡を床につけながら壁に近づいていく。絨毯だ。ついさっきまではなかった薄水色の絨毯。黒ヤマネコはどうやら壁に敷かれて剝がれてこない絨毯に、黒々した鼻を近づけている。
「こら、先に拭かせてくれ!」
 タオルを手に近づいてくるマーヴェリックは、自身も少し水に濡れたのもあってすこしだけやつれて見えた。平気そうにしてはいるが、悪阻が始まってからは終始眠そうだし、たまにバスルームでうずくまったりもしているのも知っている。『アイス』や『リブ』を抱きよせて、ただぐったりしていることもある。
『アイス』はマーヴェリックに身体を拭かれたのち、床でつぶれているスライダーを起こしに行った。まあ起こしに行くのはついでで、肉球周りの水滴をスライダーの服で拭うためでもあった。
「どうだ?」
 と、アイスに踏まれたままスライダーが言う。
「これ、よじ登っていいのか?!」
 と、『リブ』はマーヴェリックのズボンに肉球スタンプしながら言う。
 『アイス』はなるほどと思った。自分たちを庭で遊ばせたのは、その隙に絨毯を壁に打ち付けるためだったのか。
 耳の裏や腋の下などを強引にタオルで拭かれたリブは、ほんの三歩だけ助走をすると、壁の絨毯伝いに対角線上にある本棚のてっぺんへと飛び移った。きらきらと輝く目で。

「「うまくいった!」」

 『アイス』は、マーヴェリックと『リブ』が同じタイミングで同じ言葉を口にしたことに、どうしてだかわからないが「にやっ」とした。マーヴェリックとしては、きっとずっと気になっていたのだろう。『リブ』が何のとっかかりもない壁を、助走と体のばねの力だけで登っていくのが。爪を短くされても、それでも本棚の上に行きたがるのが。
「アイス!」
 本棚の上から嬉しそうに呼ばれて、『アイス』はスライダーの身体から降りた。壁の絨毯に前脚を掛け、そのまま走るように駆け上がる。
 天井に頭をぶつけないように気を付けながら……、『リブ』が香箱を作って待っている本棚の上へすとっと飛び降りる。狭い。狭いが……、なるほど、いい眺めだ。

「大丈夫そうか?」
「ああ。思惑通り。助かった」
「壁に絨毯を打ち付けただけだけどな」
「でもやってやんなきゃなあって思ってた時に妊娠しちゃったからさ。これでちょっと安心だ」

 本棚からはリビングから玄関まで続いている廊下が見渡せる。シンクのある台所も。寝室から誰が出てきたかもはっきりと見渡せる。『リブ』が気に入るはずだった。
 『リブ』は自分のお気に入りの場所に『アイス』を招待できたのが嬉しいのか、『アイス』の腕をぺろぺろと舐めて、額を『アイス』の顎の下に潜り込ませて満足そうにした。

 高いところから見下ろすマーヴェリックとスライダーの姿は、頭と、その土台のような肩だけになっていて、そのままそこに立っていてくれれば肩めがけて飛び降りることもできそうだと思った。
 誰もいないダイニングテーブルを見下ろしながら、ああ、でもトムが足りないなと思う。トム・カザンスキー。この家の主。もしも今本棚の下にいるのがトムだったら、『アイス』は遠慮なくトムの肩に飛び降りただろう。あとで怒られるとしても。嫌な顔をされるとわかっていても飛び降りただろう。
 そういえば……、『リブ』もスライダーが新聞を読んでいても、ちょっかいをかけに行っていない。いつもはダイニングテーブルでぺらりと音がするなり、待ってましたとすっ飛んでいく『リブ』なのに。(大判の新聞が、スローモーションのようにめくれる瞬間、あの隙間に飛び込んでいくのがとても楽しいのだ。)

 毛の水分が自然と乾いていく心地よさにうとうとしていると、廊下の途中にある電話がびーびー鳴きだしたので、『アイス』と『リブ』は天井近い高さから同時に床へ飛び降りた。マーヴェリックを追い越してうるさい電話に向かっていく。歩く速さでも人間は猫に敵わない。
「はい? アイスですが?」
『よう、おれもアイスだよ』
「アイス! なんだ、飽きてきたのか? 明日が試験だろ」
『いや、今日でもうカリキュラムが終わったんだ。だから今夜中に帰ろうと思ってて』
「ニャン! ルヒャン!」
『リブだ。リブが鳴いてる』
「俺の足元にいるんだ。『アイス』もいるぞ。耳がいいから、お前だってわかったんだな」
『スライダーは? 役に立ってるか?』
「すごく。今の今までこき使ってた」
「アイスか~? おい、早く帰って来いよ~!」
 電話の相手が相棒とわかって、マーヴェリックの肩を抱くようにスライダーが近寄ってきたので、『アイス』は思わず、本当に思わずトカゲを仕留める時の強さでバシッとスライダーを叩いていた。なんてことするんだ、という目で見られるが、ここは心を鬼にして厳しくいかないといけない。
……体調は?』
 電話越しにもそれはとても滑らかなトムの声が聞こえてきて、その瞬間マーヴェリックはふわっと微笑んだ。穏やかな夕暮れの匂い。
「大丈夫だ。今夜帰ってくるんだな?」
『ああ』
「良かった。じゃあまた後で」
 甘い言葉は吐かず、マーヴェリックは受話器を置いてふふっと微笑んだ。軽く自分の腹部を撫でながら。
 サーバルキャットの『アイス』の心は、その姿を見て、言いようのない不満と満足に包まれた。羨ましいような。抗いたいような。

 ソファに作った布の巣に戻ってゆっくり体を埋める。
 ロブスターをくわえた『リブ』が、ロブスターごと巣に突っ込んでくる。
 人間たちが、何か楽しそうに話をしている声を聴きながら、彼は前脚を枕にしてうとうとした。



 つづく
(次からまた人間メインの話)





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