伊坂
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サーバルキャットのアイスくん(おかわり)3

サーバルキャットのアイスくんシリーズの最新話です。今回はほんのりスラマヴェ(事故)。

おかわり1話→https://privatter.net/p/10800040
おかわり2話→https://privatter.net/p/10998409
シリーズはこちらから→https://privatter.net/p/10198800



サーバルキャットのアイスくん(おかわり)3




 サーバルキャットの『アイス』は、懐かしさのあまりにゃあにゃあ鳴いた。親しみを込めて、仲間を呼ぶときのように高く誇らしげに鳴いた。
「スライダー!」
「よ~う!『アイス』!元気そうだな?」
 その美丈夫はぴんと背筋を伸ばして座る『アイス』の眉間をくすぐるように撫で、だから、『アイス』はトム・カザンスキーにとって大切で重要なその男が、二年ほど前に会った時と変わりなく壮健かどうか確かめるように髭を押し付けた。
 くん、と鼻をうごめかせて匂いを嗅ぐ。
 広い手のひらが、『アイス』の頬をすっぽりと包んで弱くなく揉む。
 おとなしく顔を揉まれていると、『リブ』が「しゃ……」と小さく鳴いてその存在を主張した。
「ああ、紹介する。スライダーだ、『リブ』」
「お前が『リブちゃん』か? どれどれ?」
 頭を撫でられそうになって、『リブ』は二歩ほど後ずさってスライダーを躱した。巨きな男だ。マーヴェリックよりも、トムよりも巨きくて、自分一人では仕留められないとそういうことを思っているのかもしれない。
 『リブ』は険しい目つきをしながら、慎重な四つ足づかいでスライダーを観察していた。当のスライダーは、にやにやとしながらしゃがんで、自分の背丈を低くしてやっている。
「こいつなんかマーヴェリックに似てるなあ」
 そうなんだ。それには同意する。
 結構、たまに自分に無頓着なところとか。心を許した者には、自分自身を捧げてしまうようなところとか。目の色も似ているし、毛の色も似ている。高いところが好きで、最近は壁を駆けあがって本棚の上で昼寝をしていたりするのとか。
 見張っているのかもしれないと思う。元々が森育ちの『リブ』は、高い場所から縄張りを眺めているほうが落ち着くのだ。陸地で、じっと耳を立て、警戒する方が得意な『アイス』とはそこが異なっている。口元だったりとか、上目遣いで見上げてくるところもすごくマーヴェリックに似ていて……

「ヒャシャーーーーーーー!!!」

 その声は幼猫の喉笛から漏れたとは思えぬほどに鋭く、四六時中一緒にいる『アイス』でさえ総毛だつような、初めて耳にするような声だった。獣の、同族の、危機感に塗れた声。振り向けばそこには全身の毛を逆立て、黒い敵意の塊となった『リブ』がいた。
「『アイス』から離れろ!」
「お、おい、悪い人間じゃない……
「わかんないだろ!」
 聞く耳を持たず、スライダーと『アイス』の間に割って入ってきた『リブ』は、スライダーに向かって肩を怒らせ、咆哮するようなポーズを取った。目を細め、牙をむき出しにした威嚇のポーズだ。臆病で果敢。野生のヤマネコじみた……
(いや、こいつは森じゃ負け知らずだったんだ。幼猫ながら)
 『アイス』は、ふと郷愁に襲われてぼんやりした。自分もそうだった。サバンナではほとんど無敵だった。砂塵を纏い、銃弾のように早く駆けることができた。砂場を叩き、音の違いだけでネズミたちの居場所が割り出せた。蝶々を追いかけるのも好きだった。大蛇は強敵で、行動不能にすることはできても、仕留められず痛み分けになることもあった。芦の葉陰でじっと夕暮れを待つのが好きだった。美しいサバンナ。自分は世界の果てにいて、自由で、不自由で、虚しく充実しているのだと。
 出会ったときは傷だらけで、みすぼらしかった『リブ』が、今は身を賭して『アイス』を脅威から守ろうとしている。
(スライダーは……、いい奴なんだが……
 緑色の目の中に、炎のような光がちりちりちしているのを見て、『アイス』は思わず『リブ』の耳と耳の間を舐めていた。いつでも飛び掛かれるようにどっくどっくと脈打っている心臓。頤を触れさせるだけでわかる。今もまだ恐怖があり、それゆえに自分があると自覚している獣の崇高な魂だ。
 静かに目を細めるスライダーに『アイス』は目を細めて合図して、きしゃ、きしゃと息を弾ませている『リブ』を胸で押さえつけた。何やら抗議したがっているが、上背や重さはこちらのほうが上だ。
 とそこに、「スライダーか?」と黒毛の持ち主がリビングから歩いてきたものだから、『リブ』はびよよん!と不自然に飛び上がって、『アイス』を振りほどき、大好きで大事なマーヴェリックの足の間に尻尾を立てて挟まった。
「よっ、久しぶりだな、マーヴェリック」
「悪いな……スライダー。しばらく泊まってくれるって?」
「休暇は余りまくってる」
「それでもさ……
「こっちにいる仲間にも会いたかったし気にするな。体調はどうなんだ?」
「アイスが心配性なだけで、そんなに毎日悪いわけじゃない」
「でも暇つぶしの相手がいたほうがいいだろ?」
「そりゃあ……、ま、そうだな……
 マーヴェリックの登場に、くしゃっと顔を綻ばせるスライダーを見て、『アイス』は改めてマーヴェリックという人間が、他の人間にはないきらめきを持つ人間なのだと思った。どこかあどけなく、いつも自然と光りかがやいている。相対した者が、問答無用でときめきを覚えてしまうほど。
……なんかいい匂いがする」
 そう言ってマーヴェリックは一歩スライダーに近寄り、足と足の間に挟まっていた黒い塊もつられるように前へ移動した。
「ああ……、悪阻でもフライドポテトなら食べられるって聞いたことがあったから。って、……イデデ!」
「おい『リブ』。噛むな」
「くさい! きらい!」
「こらこら。初めての客で興奮してるな……
 『アイス』はいつでも『リブ』を止められるよう、二人の人間の傍をトコトコ行き来しながら、なるほど、この優しくて頼もしい男は最近元気のないマーヴェリックのためにやってきてくれたのだなと理解した。ありがたい。
 マーヴェリックはこのところやっと(本当にやっと)、自分が仔を宿しているということに気づいた様子だった。番であるトムもだ。『アイス』や『リブ』が見張っていなくても、酒精のふくまれる飲み物を口にしなくなったし、毎日体重を測る板の上に乗って、『リブ』も一緒になって乗っかるのでよくどかされているのを見る。どかしても乗ってくるので最近はどかされないでいる。だからテレビ台の上のブロックメモに書き込まれているマーヴェリックの体重には、腹の中の仔の重さと、そして『リブ』の重さも含まれているはずだった。
 『リブ』を落ち着かせるべくその場にしゃがんだマーヴェリックは、自分の腿をぽんぽんと叩き、黙って這い上ってくる『リブ』を自分の背に乗せて運搬した。『リブ』は視界が高くなったのでご機嫌だ。おんぶをするような姿勢のマーヴェリックに運搬されながら、スライダーには引き続き敵意のある目を向けている。
「アイス、いいのか? トム以外のオスを近づけるなんて……
「それはまあ、そうなんだが」
 サーバルキャットの『アイス』は同意しながらも振り向いて、スライダーのやや海焼けした頬を見つめた。
 わざわざ来てくれたスライダーには悪いが、恋猫が自分を想い、自分のために吠えてくれたことには心がしびれた。自分と『リブ』は、トムとマーヴェリックのようにもう僚機なのだと思った。世界中が敵になっても、自分だけは彼の味方でいるという誓い。お前となら生きていけそうだという、願い合いような選択! こういうことをいうんだ。たとえ自分がどうなっても、相手のために戦うということをし合う。どこまでも守り合う関係のこと。
(脇腹にひどい傷を負い、息も絶え絶えだった黒猫が――
 こんなにもかけがえのない存在になるなんて思ってもみなかった。
 パン焼き機から、パンが飛び上がるのを毎日楽しみにしている『リブ』。最初は「チンッ!」の音とともに焼けたパンが飛び出すのを、目をまん丸にして飛び上がって驚いていた『リブ』。それが今ではわざと驚きにいって、焼けた! 焼けた! と反復横跳びしてマーヴェリックにアピールしに行っている。そういうのがとても愛おしい。本当にパンが飛び出してきた日には、自分が咥えて皿の上に届けてやるのだと息巻いている。『リブ』のために、あの四角くて平たいパンが小麦色の鳥になればいいのにと思うくらいには、サーバルキャットの『アイス』は恋をしていた。
 惚れた相手のためなら、なんだってできるような気持ち。
 これは、人間もそうなのだろうか?
……もしかして寝てたのか? もし具合が悪いんなら、俺なんかほっといて横になっていいんだからな」
 秋の柔らかな日差しがさしこむリビングにきて、スライダーは持ってきた荷物の一部をテーブルに置きながら声を放った。
「いや……、横になるにしても今は寝室よりリビングにいたいかんじでさ」
「猫がいるからか?」
「それもある。あと単純にリビングのほうが弱っていやすい」
「『弱っていやすい』ねえ」
「うーん、説明がむずいけど、なんかそうだんだよ」
 トムから預かったのであろう家の鍵をポケットにしまいながら、スライダーはマーヴェリックがのそのそと『巣』に戻るのを奇妙なものを見るかのように見守っていた。ジーパンに包まれた腿や尻はむっちりとしていて、いつ見ても、サーベルキャットの目から見ても魅力的だ。リブの尻尾が揺れて、まるでマーヴェリックの尻からも黒い尾が生えているように見える。
「アイスの奴から聞いてはいたが、ほんと『巣』みたいだな」
「でもこれ先週まではこうじゃなかったんだぜ。アイスが二週間モントレーに行くってなって、そしたら『アイス』と『リブ』が、たぶん俺が寂しがらないようにこの巣を作ってくれたんだ」
「材料はタオルとかか?」
「タオルとか、あとアイスの服とかアイスの枕とかだな。試しに潜ってみたら落ち着くし、結構いいかもって思って」
 『リブ』をソファに飛び移らせて、マーヴェリックはよいしょ、と自分も布が重なって盛り上がっている部分に腰を下ろした。
「これはシーツだけど、ほんのりアイスのアフターシェーブローション振ってかぶせてる。猫たちが嫌がるかもしんないからほんのりな」
 白いシーツの合間から、トムのズボンやシャツやクッションがはみだした布製の巣。『リブ』は巣の中に潜り込み、布の中で響く音と、布の外で響く音の違いを、目をゆったり閉じて開けて楽しんでいた。
 一方の『アイス』は、もっとも自分がくつろげる場所で後ろ肢を畳み見張りについた。トムが留守の間は、自分と『リブ』がマーヴェリックを守ってやらねばならないからだ。
「ポテト食っていい?」
「おお……。ってお前猫に似てきてるぞ」
「あんだって?」
「いや、まあいいけど」
 四つん這いでソファから這いだし、フライドポテトの入った紙袋に鼻を押し付けるマーヴェリックは確かに猫っぽかった。鶏肉の入ったタッパーに鼻を近づける『リブ』に、かなり似ていて愛おしかった。
 スライダーはまるでトムのような表情をしながら、マーヴェリックのためにフライドポテトの入った紙袋を開いた。いい匂いだとは思ったが、特にうまそうな匂いではない。『アイス』だけではなく『リブ』も興味を示していなかった。
「どこまで聞いてる?」
「お前が『オメガ』っていう体質に変異して、妊娠したってことくらい」
「まあそれが全部なんだけど。信じられるか?」
「そりゃハァ?って思ったけど、事実なんじゃあな……
 ポテトを頬張りながら、マーヴェリックはもごもごと口にして――、少し不安そうにはしたものの、すぐまたそうでもなさそうにポテトをつまんだ。
 暇なのか、ぼっと巣から『リブ』が勢いよく顔を出す。引っ込めたかと思うと、また違う隙間からぼっと顔を出す。黒くてまるい顔。よくひかる緑の目。かわいいやつだ。
 指を舐めるマーヴェリックから目を逸らしたスライダーは、おとなしくしている『アイス』の目の前に来て、大きな両手をぱかっと開いて「マッサージはいるか?」と聞いた。『アイス』は目を閉じ、顎を乗せるようにしてお願いすることにした。空母猫をしていたときはよくスライダーにマッサージしてもらっていた。顎から頭のてっぺんまでを、両手でゆるく擦り潰されるように揉まれるのが気持ちいいのだ。人の手でないと、なかなかこういう気持ちよさは得られない……

「それ……、俺も……!」

 ポテトを食べる手を止めて、マーヴェリックが目をきらきらさせながら言ったので、スライダーは『アイス』の頬をぶにっと潰しながら「はぁ?? お前も??」と驚いた。黒い眼鏡をしていると厳ついスライダーだが、こうして喜怒哀楽を外に出すときは少年のように若くなる。
 ころころと首回りをなぶられ気持ちよくなっていたところに、いきなり頬を潰されたものだから『アイス』の口からはフシャ!と不満げな息が漏れた。
「えぇ、お前も……?」
 スライダーはもう一度同じことを口走りながら、鼻頭を揉む真似をしてマーヴェリックを見た。なんだなんだ。何をそんなに驚く必要がある? 顔を洗うように髭を整える『アイス』の横では、(なんかあった?)とでも言いたげに『リブ』がまた巣から顔を出していた。そういえば砂漠に遊びに行ったときにも、わざと繁みに突っ込んで楽しがっている。とげのあるサボテンには決して近づかないので、ちゃんと事前に、楽しい茂みかどうかを見分けているらしい。
 短く欠伸をしたサーバルキャットの『アイス』は、『リブ』とともにじぃっと人間たちを見守った。
 マーヴェリックはどこか曖昧に微笑み、スライダーが何を言うかを待っている。
 スライダーは、マーヴェリックに迫りながら、唇をひん曲げて迷っている。
 む?
 なにがはじまるんだ?
 好奇心に目を輝かせて、『リブ』は黒くしっとりした鼻先をふすふすと動かした。その仕草がどうしたって可愛らしくて、『アイス』は相好を崩しながら真横を見た。
 瞬間だった!

「はぁ?」
「ンナァウ!!!」

 マーヴェリックの素っ頓狂な声と、『リブ』の悲鳴はほとんど同時だった。『アイス』は驚いて人間たちのほうに目を戻し、そこで目撃した二人の姿に「グルルル」と不快を示した。
「うわきだ!」
 絶叫する『リブ』は無視して、『アイス』はマーヴェリックの肩に向かって両手を突き出し、どっと強く突いた。こんなの、許されていいわけがない! だってマーヴェリックは、他でもないトム・カザンスキーの嫁であって、トム以外の男を誘っていいはずがないのだ。スライダーもスライダーだ。トムの居ぬ間にマーヴェリックに手を出そうとするなんて! 『リブ』の忠告の通り、家に上げるべきではなかったかもしれない!
「だってお前が『俺も』って言ったから!」
「なんでそうなる! 俺も猫にやってみたいって意味だろ! なんで俺が揉まれるほうなんだ!」
 巣から勢いよく飛び出した『リブ』が「がりっ」とスライダーの腕を引っ掻き、マーヴェリックの頬を揉んでいた二つの手のひらが電撃を食らったかのように離れる。
『アイス』はマーヴェリックの腿に前脚を乗せると、そのままマーヴェリックの視界を塞ぐように座り込んで、スライダーを睨んだ。
「いででいでで……
『リブ』の攻撃が効いているのか、ほどなくしてスライダーは逃げるようにマーヴェリックの正面から退いた。
 鼻息荒く帰還した『リブ』の頬を両手で包み込んで、マーヴェリックは「こういうことだよ。俺も、猫の顔マッサージやってみたいって意味だった。教えてくれ。こうか?」とスライダに尋ね直している。
「お前っ! わかりにくいんだよ!」
「なんでだよ! 俺が男に頬を揉まれたいわけあるか!」
「『リブちゃん』には怒られるし……
「俺も『アイス』に怒られたからおあいこだ」
 丸っこい顔をマーヴェリックの両手に包まれて、『リブ』はあふあふと心地よさそうにしている。黒い四肢をわたわたさせて。こんな状況でなければ、『アイス』もでれでれしていただろう。

 トム・カザンスキーの相棒。
 気さくで頼りになる男、スライダー。

 彼がマーヴェリックのために来てくれたことは助かるが、トムが不在にするこの二週間が、あまり落ち着ける二週間にならないのではないかという予感に、『アイス』は、目を伏せ、仏頂面になった。


(つづく)

 次回はグース回!





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