伊坂
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サーバルキャットのアイスくん(おかわり)1

サーバルキャットのアイスくんシリーズの最新話です。
同人誌収録の書き下ろしの後の話になっていますのでネタバレ注意です!

シリーズはこちらから→ https://privatter.net/p/10198800



サーバルキャットのアイスくん(おかわり)



 サーバルキャットの『アイス』には確信がある。
 マーヴェリックだ。
 そう、彼の飼い主であるトム・カザンスキーの愛らしい恋人、マーヴェリックに少し前から新しい命が宿っている。それは『アイス』の恋猫である『リブ』も強く感じているようで、まるでマーヴェリックを守るかのように、四六時中マーヴェリックについて回っている。今も、キッチンにいるマーヴェリックの足元にぴったり寄り添って、マーヴェリックが無茶をしないか――いや、多分だが、鶏のささみを分けてもらえるのを待っている。
 『アイス』は耳だけをキッチンに向けて、こぽこぽと水が沸騰する音を楽しんだ。トントン、と、何かの野菜をマーヴェリックがナイフで切り分けている音。茹で上がった卵の殻を剥く、さりさりとじゃりじゃりの間のような音……
 そういえば、珍しいこともあるものだと『アイス』は思った。
 マーヴェリックは普段、あまり料理をすることがない。特に朝は猫のえさのようなものに牛乳を注ぎ、それをスプーンで口へ持っていって、豪快に奥歯ですり潰して食べて終わりだ。食べ終わると、『アイス』と『リブ』にもおなじようなものを出して、すぐにどこかへ走り去ってしまう。そのため、『リブ』はしばらくの間、人間も猫と同じようなものを食べるのだと信じて疑っていなかった。
「卵だー! 卵も食べたい!」
 リブは茹で上がったささみの匂いに大興奮で、マーヴェリックを逃さないよう、マーヴェリックの周りをぐるぐると回っている。無視しないでとズボンに縋り、ねえ、俺のもあるよね? と聞くように首を傾けている。
 そうこうしているうちに寝室のドアがようやく開いて、『アイス』の長い耳は自然廊下のほうへ向いていた。
「起きた。おはよう」
 ぼさぼさの金毛を押さえつけるようにして歩いてきた飼い主は、リビングに入るなりそう言って、「おはよう」と振り向いたのが黒毛の猫だけだったために、二~三秒間ほどそこで硬直していた。
「びっくりした……
「え? 何が?」
「一瞬お前と『リブ』が入れ替わったかと思って」
「あー、包丁持ってて振り返れなかったから」
「『リブ』だけが振り向いたから、『リブ』がおはようって言ったみたいに見えたぞ」
「もう、さっきからずっとマークされてる。絶対ささみ貰おうと思ってるよな」
「何を作ってる?」
「ブロッコリーと卵とささみのサンドイッチ。あとトマトも切ってみた」
「うまそうだ」
「休日くらい朝ごはん作るかなって。最近さ、グラノーラだけだと腹空いてきて、昼の前に間食しちゃうんだよな……
 くああっと欠伸をしながら、『アイス』は二人の会話のうしろにある、心地のよい音に耳を澄ませた。
 マーヴェリックの指先が、しゃりしゃりとささみの繊維を裂いている音。
 それに興奮して、『リブ』がびょんびょんと無意味に跳ねている音。
 ところが、
「うわっ」
 という悲鳴とも驚きともつかない声が漏れたのを聞いて、サーバルキャットの『アイス』はキッチンへ向かって一直線に駆け出していた。大した距離ではない。慌てる必要はない。すらりと長い四つ足を交差させ、今にもマーヴェリックの指に噛みつきそうな黒ヤマネコ、愛しの『リブ』に向かって身体ごと突っ込んでいく。
「おい。よせ、こら」
 体当たりを食らって、どさ、と床に転がった『リブ』の首根っこを、『アイス』は自分の頤で押さえつけるようにして言った。軽く当たっただけだったが、体格差もあってか、『リブ』は平たい毛皮のようになって『アイス』の両足の下でもがいていた。
「なにするんだよぉ!」
「噛むな。パイロットの指だ」
「噛んでない。いい匂いがしてたから舐めたかっただけ……
「もちろんわかってる。でもパイロットは指に歯をあてられると怖いんだ」
……、ささみ食べたい」
 『リブ』は恨めしそうに『アイス』を見上げて、それからつまらなさそうに、物寂しそうに耳をぱたんさせた。
「うっかり歯を立てたら、マーヴェリックが怒ってた」
「うん……
 そしたら『リブ』は、大好きなマーヴェリックに嫌われたと思って落ち込んでいただろう。他でもない、『アイス』がそうだったからそう言える。あの時のトムの顔を、『アイス』は今も忘れていない。悲しそうで、痛そうで。彼は湧き上がる怒りをただただ自分の中に閉じ込めて「やってくれたな」と短く笑ったのだ。心配ないと言うように『アイス』の頭を軽く撫でて、相棒には「俺の不注意だ」と嘆くよう呟いて終わりだった。『アイス』の中にあった、そんなに強く噛んでないのにという気持ちはすぐにしぼんだ。……自分もそうだったな。今の『リブ』のように。缶詰の蓋を上げて、蓋の裏面をぬぐったトムの長い指が、とても美味しそうに見えたのだ。
……今のって、」
 サンドイッチに向き直ったマーヴェリックが、噛まれずに済んだ右手を撫でながらトムに聞いている。「庇ってくれたのか?」
「ああ、多分」
「助かった……
「じゃあささみをくれてやろう」
「猫舌は? もうちょっと冷めてからのほうがいいかも」
「じゃあ卵をくれてやろう」
 起き抜けの寝ぼけ眼から、すっかり家主のような顔になったトム・カザンスキーは、殻のむけたゆで卵を手で割って、半分を『アイス』に、そしてもう半分を『リブ』の鼻先へ近づけた。
「わぁ! 卵!」
 歓声を上げた口でそのまま食らいついた『リブ』は、おいしい、おいしいね、と共感を得たそうに『アイス』の身体にすり寄ってきた。口端に黄身の欠片がついている。白身と黄身がそれぞれの触感で口の中で崩れていくのを楽しみながら、『アイス』はよしよしと『リブ』の背中を顎で撫でた。口端についたままの黄身をぺろりと舐めて、額同士をくっつけて笑った。
 何か言いたそうにに、トムが愛情のまなざしを注いでくる。
 昔を懐かしむような視線から逃げる様にして、サーバルキャットの『アイス』は、『リブ』の首をがぶと噛んで、巣のように使っているソファの前へととことこ移動した。


 それは昨晩のことだった。
 サーバルキャットの『アイス』は、自分と恋猫のすぐそばに、自分たち以外の生き物の呼吸があることに驚いて両耳をゆっくりと持ち上げた。
…………
 自分たち以外の生き物とは、通常であれば外敵を意味する。しかし目覚めた場所は住み心地のいいトム・カザンスキーの家の内側で、夜行性である『アイス』の目は、そこにいる生き物の正体をすぐに掴んでいた。らんらんと輝く宝石のような緑色の目の持ち主、マーヴェリックだ。
「ちゃむちゃむしてる……
 ……何だって?
「ちゃむちゃむしてる……
 『アイス』は何だ……、という気持ちで、髭に漲らせた緊張感を弛緩させた。どうやら、トイレか何かのために起きてきたマーヴェリックが、『リブ』の寝息の可愛さに感動しているだけのようだった。何事かと思ったら、何事でもなかった。
「おい」
「はっ!」
「戻ってこないと思ったら何してるんだ」
「アイス、いいところに。『リブ』がちゃむちゃむしてるんだ。すんごい可愛いくてずっと見てられるぞ、これ」
「お前なあ……
 呆れるトムに同情して、『アイス』は両目とも閉じてしまうことにした。たしかに『リブ』のちゃむちゃむは可愛い。んご~っと可愛くない寝息を立てていることもあるが、母猫に甘える子猫のように、ちゃむちゃむと口周りを動かして寝ていることもある。今日のように。
「そういやこいつもたまに空母でちゃむちゃむしてたな」
 は? おい、なんだって?
「は~~、そんなの可愛すぎる……
 可愛くない。はやく自分たちの巣穴にもどれ。
 サーバルキャットの『アイス』は、人間たち二人を追い払うつもりで尻尾をゆらゆらさせて、愛しい『リブ』がもっと自分の近く寄るよう、黒い塊を前肢で抱き寄せた。


 粗熱のとれたささみのほぐしを与えられて、『リブ』の機嫌は最高潮で、そんな『リブ』を見てマーヴェリックはにこにこと笑っている。
 朝日を受けて机そのものがほんのりと白く輝く食卓。
 顔を洗って、髭を剃ってきたトムが、ぱらりと新聞をめくっている音。
 マーヴェリックから漂ってくる匂いは、弱弱しいが優しい匂いだった。
 雄を誘うときの強い香りとは違う、守るような、覆うような、微かで穏やかな香りだ。
「昨日はちゃんと寝れたのか?」
 とは、おそらく『リブ』の寝顔を見て、寝室に戻ってからのことを言っているのだろう。
「ああ、まあ、うん」
「お前が途中で起きるのは珍しいから」
……なんかグースが夢に出てきてさ」
 グース。
 ええと、そうだ。マーヴェリックの相棒『だった』人間の名前。
 トムは新聞をめくる手を止め、一つ呼吸した後、身体ごとマーヴェリックに向ける様にして「……、悲しい夢だったか?」と聞いていた。慎重で、優しい声だ。だけど少しだけ、嫉妬も含んでいる硬質な声。
 マーヴェリックは、そんなトムの内面など知らず、「いや?」と明るく言い放っていた。
「よくわかんない夢だったな。グースが俺の名前を呼んで駆け寄ってくるだけの夢」
「それだけ?」
「そう。『やったな、マーヴ!』って満面の笑みで言ってくるから、俺はうんって頷いて。あと、別れるときに『マーヴなら大丈夫だ』って言って抱きしめてくれた。何だったんだろうな」
「何か心配事があるからじゃないのか?」
「俺に? いや~、特に今はないけどな」
「ならいいんだが」
 トムの親指が、マーヴェリックの眉毛をこするように撫で、それが心地いいのか、マーヴェリックは頭を下げて、まるで『リブ』がごろごろと喉を鳴らすときのような顔をしている。
 やがて皿洗いをすると言ってトムが立ち上がり、手持ち無沙汰になったマーヴェリックはソファのほうへやってきた。クッキークリーム味のクッションと戯れていた『リブ』がすぐに寄っていく。チョコミント味のクッションに尻を落とすようにして腰かけたマーヴェリックは、『リブ』がのしのしと乗っかってくるのを腕で受け止めながらころんと丸くなった。『リブ』は丸みのある耳をマーヴェリックの腹部に当て、にゃあおと鳴いた。弟か妹か、マーヴェリックの腹の中にいる新しい生命に、お兄ちゃんだよと語り掛けているのだ。それを見て『アイス』も、斑点のある尾をマーヴェリックの肩に沿わせるように姿勢を変える。いつでも庇ってやれるように。

「そうしてるとお前も猫みたいで可愛いな」
「なんだよ。普段の俺は可愛くないって?」
「そんなわけないだろ。普段のお前も可愛い」

 少ししてトムがスリッパを鳴らして近づいてきたので、『アイス』は顔を上げ、トムのために、ソファの端を空けてやる。面白がるようなアイスブルーの目だ。奇しくも、『アイス』も同じ色の目を持っている。
 体格のいい、二足歩行の雄猫は、すぐに自分のつがいの左隣に腰を下ろし、彼の項をくんくんと嗅ぎ、幸せそうにした。
 左右にはトムとアイス。腹の上にはリブ。
 三匹の猫に詰め寄られてマーヴェリックは窮屈そうだったが、やがて、自分も猫になればいいかとぐったりして、トムに頭をあずけ心地よくなっていった。
 
 チャム、チャム、という可笑しな寝息がマーヴェリックから漏れ始めるのは、その、数分後の話だ。




(終)




 妊娠に気づいていない! どうなる……アイマヴェ!
 1話書き足しました!→https://privatter.net/p/10998409





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