いを
2025-03-11 21:22:20
3944文字
Public 刀神
 

夢のまえ

久遠
・紅梅百華さん【MocchiriSousaku】
お借りしています。

 どこかから爆発音が聞こえた。彼の異能ではない、ガスに火が引火したような音だ。ねっとりとしたガスの臭いがただよう。
「久遠、これでは異能が使えないぞ。どうする?」
 全身を豪奢な鎧で覆った巨大なオチムシャが立っている。紅梅百華の異能をいまここで使えば、この場が爆心地になりかねない。目の前のオチムシャは見たところ、久遠と同等ほどの力を持っている。体格、鎧といい、持っている黒い太刀といい、間違いない。
 どくどくと心臓が賢明に体中へ血液を送っている。息を吸い、吐く。オチムシャは仕掛けてこない。じっとこちらを見ている。
 あたりを軽く見渡す。木造住宅が多く見られる住宅地、道も狭くここで引火すれば家ごと吹き飛ぶ。なら刀術対刀術――純粋な力での勝負になるだろう。名の通り命をかけた戦だ。
 鮮やかな柄糸を握りしめる。久遠は居合術を得意としない。壱段らしいスピードも力も、総合的な実力もあるが、手数での勝負が得意だ。一撃必殺がかなうような腕はまだ、持たない。相手がこのようなオチムシャであれば、なおさらである。
……
 ただし、相手がどうかは分からない。まだ。久遠を一撃で仕留められる腕を持つ妖魔かもしれないし、違うかもしれない。だからこそ、安易に刀を抜けない。
 悠然と佇むオチムシャを前に、ゆっくりとくちびるを開いた。
「こいつの殺意と俺の殺意、どちらが高いと思う」
 紅梅百華はわずかな沈黙のあと、「同等だな」とこたえた。
「それじゃあ、俺が生きるか死ぬか、五分五分といったところか。だが紅梅百華殿、お前のことは必ず生かして帰す。俺が死んでもだ」
 刀神に、天照にかしづく義務などないと久遠は思っている。たかだが人間のあつまりに、その手を貸すも貸すまいも、彼らの自由だ。人間である久遠が人間ではない神のその意を知る術は、ない。
 純粋な武の力と、妖魔の異なる力。どれだけ人類が進化しても、妖魔を根絶することはできないだろう。
 唯一の解決策として、刀神の力が必要なのだ。もっともその異能を生かすも殺すも、使い手次第なのだが。紅梅百華と臨時バディを組んで数週間。比較的うまく異能を使っていると思う。だがそれは運が良かったからだ。運も実力のうちと人びとはのたまうが、結局運は運でしかない。
 ザリ、と足を前に踏み出す。
 オチムシャの足も同じように動いた。
 鞘から妖刀を抜く。鉄が擦れ合う音がやけに甲高く聞こえた。
 オチムシャの刀はどす黒く、血を吸ったように粘った光を放っている。対して紅梅百華の妖刀はこれほどに美しい。神が宿った刀だ。切れ味はこちらに利がある。そして同じように、責任もこの手にある。妖刀が折れれば刀神は死ぬ。天照に所属していない一般人でも知っていることだ。その分、刀神をつれた刀遣いには責任が重たくのしかかる。もう彼らは新しく生まれない。勝手に増える人間とは違う。
 ――どうせ死ぬのなら、強者と戦って死にたい。
 久遠はいつからかそう考えはじめていた。壱段になってからだろうか。壱段ゆえの、矜恃――なのだろうか。それが。そんなことが。
 そんな面倒な矜恃を持った高段位の殉職は珍しくなどない。鯉朽隊ならなおさらだ。そしてどんな壱段もいずれは忘れられ、二度目の死が訪れる。誰からも忘れられた人間は、存在していなかったことと同意だ。それでも彼らが戦い、死んでいったからこそ道ができている。荒くも、新たな道だ。その道を踏みしめて歩き、戦い、おなじように増える人間たちの新たな道にならねばならない。それが、壱段となった男の――義務、であった。
 その義務のために、男は戦い、死ぬべきなのだ。
 戦わなかったことのない、男の。

 火花が散る。

 オチムシャの一撃が紅梅百華の刃を襲う。ひどく重たく、凄まじく強く捷い太刀筋だった。
……ッ!」
 呼吸が思わず止まる。オチムシャは正確無比に、久遠の首を狙っていた。一撃で、仕留めるために。
 目の前の黒く濁った目が細められる。まるで、この殺しあいを楽しむように。
「火花が。引火するぞ。早々に――
 紅梅百華の声が中途半端に止まる。クロイヌの群れがこちらに向かっているとインカムが伝えてきた。彼も気付いたのだろう。
 鍔迫り合いがいつまで通用するか分からない。
 距離を取るにはオチムシャの力が強すぎる。コンクリートの地面が砕けはじめる音がした。足場が、崩れる。
 膝を折ったほうが負けだ。負けとはすなわち、死である。
「久遠、撤退を」
「しない。逃げ場はどのみちない」
 歯がみしながら呻くように呟く。
「こいつを取り逃がしたら、次に犠牲になるのは一般人だ。あたりにほかの刀遣いはいない。到着まで10分はかかる」
 つまり、10分保てばいい。
 クロイヌの足音がすぐ近くまで迫ってきている。数にしておおよそ六、七匹だろうか。それくらいならば持ちこたえられそうだ。数個の群れであったなら、分からないが。これが運、というものだろう。
「紅梅百華殿、クロイヌの群れがきたら異能を使ってくれ」
……正気か? お前も吹き飛ぶぞ」
「数匹まとめて爆ぜるくらいなら、俺の体ももつ。大丈夫だ」
 オチムシャの刃の向きが急に変わる。――仕掛けてきた。足を数歩下げ、紅梅百華を鞘に収める。
「なにを!」
「言っただろう、必ず生きて帰すと。クロイヌ本体を傷つけろとは言わない。足場を異能で崩してくれ。あとは豊和でなんとかする。ガスの臭いも薄まってきた。お前を巻き込むほどの爆発は起こらないだろう」
 太刀、紅梅百華をベルトから抜き、彼に渡す。そして腰にさげた予備の豊和太刀を抜いた。
 オチムシャは追撃をしてこない。戦を楽しむ・・・・・個体なのだろう。一対一の、殺しあいを。
……死ぬなよ。久遠」
「確約も約束もできない。が、その言葉、ありがたく頂戴する」
 ただ、一般人よりも少しばかり強いだけの人間ひとりに〝死ぬなよ〟という言葉。そのことばは、確かに久遠の背を押した。
 彼の羽衣がふわりと風に乗ってゆれる。
 風の向きが変わった。紅梅百華の異能も、必要最小限の出力ならそうそうひどい爆風ではないはずだ。問題は数打ち物の豊和で、オチムシャとどこまで渡りあえるかどうかだ。
 地面を抉る音が聞こえた直後、足もとがビリビリと痺れるほどの爆発音が耳朶を揺さぶった。クロイヌの何匹かを爆発に巻き込めたのだろう。鳴き声も少なくなった。
 ――死ぬなよという言葉。
 死ぬことが誉れなわけがない。この世、この時世に。ただ、死ぬことでなにかを守れるのなら、それでもいい。強者に倒されるものは強者でなければならないという思いも、少なからずある。だが戦って死ぬことと、守って死ぬことの重さは同じだと、そう思いたい。
 ゆっくりと迫るオチムシャの刃の黒さを見ても、恐怖心はない。ただ、くちびるの端がわずかに上がる。武者震いなど、自分らしくないだろうか。
「死ぬためにこれまで生きてきたんだ。今この命、神にお返しするときがきたのかもしれない」
 ぎらりと久遠の目が鈍く輝く。足を踏み込み、オチムシャの懐に潜り込んだ。豊和の刃で叩き込んでも、鎧が邪魔をする。
 ――早乙女壱段、あと5分持ちこたえてください。
 ノイズ混じりの緋鍔局の女性の声が聞こえてくる。
 そう。
 そうだな。5分あればどちらかが死んでいるだろう。
 幸いにこちらは五体満足だ。壱段なみの力を持つ妖魔にも、まだ後れを取らない。
 絶え間なく火花が散る。豊和の刃が削れる。ちいさな破片が舞って立ちのぼる砂煙の中で輝く。命のように。
 息が続く限り、刀を持ってきた。死ぬ気で強くなろうとした。死ぬために強くあろうとした。そこに他人の共感はいらない。いや、分かるなどと言わせない。
 ただ、彼――紅梅百華はどう思うだろうかと考える。
 悲しむだろうか。それともそれこそが誉れと言うだろうか。あの神はきっと、どちらでもない。
 人間のように見えても人間ではない。彼らには彼らの〝意思〟があり、〝誇り〟があり、そして〝人間が同意しがたい心〟というものがあるのだろう。それすらも結局は人間側の考えだ。どれほど手を伸ばしても、彼らの心には触れられない。
 血が迸る。
 目の前が赤く染まる。
 喉から血液が逆流して吐き出される。
 膝が震え、砕けた地面に落ちそうになる。それでも立っていられるのは、ささやかな壱段としての――産声をあげて一年たらずの、化物としての誇りである。――強者は孤独だという。死ぬとき、ひとは孤独である。ひとりで生まれ、ひとりで死ぬ。それが人間の定めならば、強者も弱者もすべて平等なのだろう。
 バキン、と、鉄塊が砕け散る音が聞こえた。
 ――やはり、豊和では、届かない。
 知っていた。だからひとりでいこうとした。この妖魔が手負いくらいになればいいと思った。
 自分の命よりも優先されるものがある。
 早乙女久遠という名の男がはじめて、自分の命をなげうってでも生かす価値があると思える存在を、得た。それをおそらく、さいわいと言うのだろう。
 甲冑を突き破るも核までは届かなかったのは、豊和が折れたからだ。
 もう一時、もちこたえてくれれば――。否、妖刀をあつかうように豊和を握った自分の責任だ。壱段であるならば、〝だれか〟のせいにはできない。力があるものの責任は、自分で取らなければならない。
 その代償がたとえ命であろうと。
 オチムシャの巨大な体躯がずるりと揺らぎ、一瞬こわばり、そして崩れ落ちた。

 ――血液の、むせかえるようなにおいはよく覚えている。