ぷの
2025-03-07 12:20:52
7066文字
Public レイチュリ
 

レイチュリワンウィーク - こぼれ話・真相

距離感バグってるレイチュリと早くまとまれと思ってる部下たちの話。

 アベンチュリンは今まで、腕枕をしたこともされたこともなかった。誰かと一緒にベッドに上がったとき、甘く優しい時間であったことは一度もない。シーツの上は戦場で、情報のやり取りをするか、命のやり取りをする場だった。必要以上に肌を触れ合わせたりしない。ましてや身動きが取れなくなる体勢など極力避けてきた。
 なので、先日レイシオの腕に抱えられたのが事実上初めての腕枕だった。ソファに座って開いた足の片方に跨がり、背もたれに寄りかかった大きな体に腕を回して、腕の付け根に頭を預け、肩を抱かれた。ベッドでそうするよりは重くなかっただろう。けれど、アベンチュリンの重みの大部分はレイシオにかかっていた。彼が用意した窪みに体がぴたりと収まって、驚くほど安定していた。
 本当に、驚いた。レイシオがあんなに自然に人を懐に抱えられると思っていなかったから。本人には言えないが、童貞だと思っていた。否、今も思っている。
「どこで覚えたんだ……
 最初に生まれた感想がそれで、今も気にかかっている。やけに手慣れていたことへの違和感が拭えない。見直したとも、見損なったとも違う……そう、見違えた。たった一度抱え込まれただけで、レイシオの人物像の一部が急にぼやけてしまった。見えなくなった輪郭線を引き直したくて落ち着かない。
「何の話だ」
 うっかり漏れた呟きを拾われた。車の後部座席、隣に座って窓の外を見ていたレイシオが、いつのまにかこちらを見ている。あの日アベンチュリンに開かれていたスペースは、今は腕組みして閉じられている。
「君がもしかしたらとんでもない手練れである可能性について考えてる」
「どの分野で?」
「そんな堅苦しい話じゃないよ。括るなら、スキンシップかな?」
「誰か、通訳してくれ」
 レイシオは運転席と助手席の部下たちに向かって言ったけれど、「わかりません」と異口同音に返された。
「なんのことやら……あっ、もしかしてこの前の『抱っこ寝事件』の話ですか」
「そう、それ。教授の寝かしつけの才能を発見しちゃったかもしれない」
 途端に渋い顔になって、レイシオは再び窓の方を向いた。
 滑稽な名前の事件が起きたあの日は、通常業務の後にレイシオと合流して、パーティーに出席しなきゃならなかった。もちろんプライベートじゃなく残業だ。わざわざ着替えて車で出掛け、楽しくないお喋りをして、空きっ腹にしこたま酒を入れた。
 日付が変わる頃、カンパニー本社に着替えに戻ったら、レイシオが襲われて怪我をした。素人の予想外の凶行だった。腕を切られたレイシオは病院へ、アベンチュリンは後始末へ、パーティーに同行していた部下たちも巻き添えにして更なる残業が追加された。
 未明にレイシオが病院から戻ってきた。疲れが隠せない顔で、血痕と皺でよれよれになったスーツ姿は哀れを誘った。アベンチュリンが用意しておいた楽な服に着替えると、ぐったりとソファに座り込んだ。さもありなん。
 部下たちは帰らせて、二人きりのオフィスでクールダウンがてら報告と連絡と雑談をした。あと一システム時間もすれば夜が明ける時刻になっていた。レイシオは仮眠を取ると言って、アベンチュリンを目覚ましアラームに任じた。疲れていれば、目を閉じて頭を休めるだけのつもりが、つい深く眠ってしまうこともある。雑談の間になりゆきでレイシオに抱えられていたアベンチュリンは、怪我したばかりの腕が下敷きにならないよう、彼が起きるまで体を支えているつもりでいた。ところが、アベンチュリンが先に寝落ちた。情けない。たぶんパーティーで飲みすぎたせいだ。レイシオも後を追って、結局二人して朝までくっついて寝こけていた。
 『抱っこ寝事件』は、二人を発見して起こした部下から命名されたものである。見たままのストレートさが刺さる逸品で、言い訳のしようがない。恥ずかしさは甘んじて受け入れた。
「教授の才能以前に、総監は単純に寝不足でしたよね」
「それよりも、どうしてあんな体勢だったんです?」
「なんというか、流れで?」
「ワンナイトみたいに言うのやめてください」
 三人の会話をこれ以上聞いていられないと思ったのか、レイシオは石膏頭をかぶって沈黙した。そのタイミングでアベンチュリンに着信があって、話はそこで終わった。


 ちょっとしたお使いができて、仕事の前にジェイドが面倒を見ている孤児院に立ち寄った。アベンチュリンもレイシオも何度か訪れて顔を覚えられていて、朝食と片付けが済んで休憩中だったらしい子どもたちがわらわらと寄ってきた。
 ちなみにレイシオは石膏頭も素顔も覚えられているが、どちらかといえば石膏頭の方が人気である。博士号をたくさん持っていようと、星のエネルギー危機を解決しようと、病の王を治そうと、学の神と呼ばれていようと、ここでのレイシオはチビたちの遊具であり、上品な作法のお手本であり、説教臭い話をする面倒な大人の一人だ。
 きゃあきゃあと歓声を上げる子どもたちにレイシオを預けた。アベンチュリンは施設長の執務室で急ぎ調達した手土産を渡し、ジェイドから送られてきた書類にサインを貰った。歌の才能を伸ばしたいと他星への留学を願い出ていた子の進学に関するものだ。その子はピノコニーの折り紙大学に進み、カンパニーが張る根の一本になる。
「ご支援のおかげで、またひとり才能を枯らさずに外に送り出してあげられます。あなた方に心からの感謝と祝福を」
 手を胸に当てて施設長は神に祈った。これまでにこの孤児院から輩出された芸術家は、漏れなくカンパニーの広告塔になった。子どもたちは、巣立った後もジェイドへの感謝と親愛を忘れない。大成する前もしてからも、たとえ挫折したとしても、ジェイドはケアを怠らないからだ。
 彼女はそうして水をやりながら待つ。一人一人に細々と見返りを求めたりしない。育てているのはそんなちっぽけなリターンではない。誰にも全貌を把握させずに粛々と、野望の蔦で緻密な茨の網を編んでいる。
「今後も気兼ねなく相談してください。そのためにカンパニーが後見しているんですから」
「ありがとうございます。ここの子どもたちは、みな幸せです」
 自分の幸せは自分で決めるもの。ジェイドの胸の内はわからなくとも、施しを受けた者が感じたのなら、そこに幸せがあると言っていいだろう。
 施設長と雑談を交わしながら子どもたちのところに戻った。中庭で、素顔になったレイシオがチビを一人ずつ抱き上げては下ろしている。抱き上げられた子は、レイシオに何かを耳打ちして得意気に笑う。レイシオが一言返す。抱っこを餌に何かを覚えさせられているんだろう。下ろされた子は、急ぎ足でまたレイシオの前に延びた列に並んだ。その光景を、列に並べない歳になった子たちが遠巻きに羨ましそうに見ている。わかるよ。アベンチュリンもその腕の中の魅力を知ってしまった一人だ。知る前には戻れない。
 アベンチュリンはレイシオの列の最後尾に並んだ。前に並んでいる子が振り返り、ふんぞり返って物申した。
「大人はダメなんだよ」
「どうして?」
「教授が疲れちゃうから」
「君たちが何度も並ぶのはいいのかい?」
 むぐ、と口をつぐんだその子は、口を尖らせて施設長を見た。施設長は静かに首を横に振った。ここの子たちはとても物分かりがいい。その子は列から離れ、さらに前に並んでいる幾人かを列から引っ張り出して、みんなで手を繋いで施設長のところに行った。これでいいでしょ?と見上げる子どもたちの頭を、親代わりの優しい手が撫でた。アベンチュリンの後ろに並ぶ子もいない。これがおしまいの合図だと知っている年長の子が、チビたちを捕まえて教えている。
 半分以下になった待機列を一歩ずつ進み、アベンチュリンの番になった。レイシオは大きな子どもにも分け隔てなく今日のお題を問う。
「『哲学者は星に目を向け、文明の究極の目的を発見する』、続きを」
「『壁を築け』」
 答えを耳打ちして、抱っこの代わりに彼の手を引いて歩きだす。寄り道は終わり、仕事の時間だ。
「『星空の寓話集』は、あのくらいの子たちにはまだ難しくないかい?」
「理解は後でいい。ピアポイントの図書館と学校の図書室に必ず置いてあると聞いた。手を離せ」
 ここの図書室にももちろん置いてある。なるほど紙の本を愛するレイシオらしい選出だった。レイシオに気に入られたくて、背伸びして読む子がいるかもしれない。そういう子たちの中に、本の魅力にとりつかれる子がいるかもしれない。
 アベンチュリンは邪気のない笑顔を作って、ゆるく持っていた手をしっかりと握り直した。
「仲良しは手を繋ぐものだよ」
 なんだよ、その眉間の皺。
 子どもたちに手を振り、施設長に会釈して、孤児院を後にした。
 レイシオが子どもたちを自然に抱き上げるのは、初めて見たときから驚きはなかった。真っ当な大人だな、と思っただけだ。もし小さな子どもの自分があの中に混ざっていたら、きっと列に並んだし、覚えた質問の答えを何度も心の中で練習しながら胸を躍らせて順番を待ったに違いない。自分を庇護する大人から、当たり前にご褒美を貰えると確信して。
 けれどアベンチュリンは誰がどう見ても大人で、レイシオの優しさを受けるのは当たり前じゃない。今繋いでいる手に感じるのも、あの日腕の中にいたときと同じ、常ならぬ状況にざわざわと落ちつかない感覚だ。子どもたちみたいに自然にとはいかない。そういえば、離せと言っただけで振りほどこうとしないのはどうしてだろう。子どもたちが見ていようと、嫌なら我慢しない性分だろうに。手袋越しとはいえ、潔癖の気はどこにやった。
 そこでふと気づいた。アベンチュリンだって人との触れ合いは好きじゃない。むしろ嫌いだと言ってもいい。必要があれば馴れ馴れしい態度を取るけれど、ただの手管であって、したくてするわけじゃない。自分から触れたいと思うほど心を許した相手は、もうこの世界にはいない。
 なら、この手は?
 急に恐ろしくなって、レイシオの手を離した。ちょうど孤児院の門を通って敷地外に出たところだから、不自然ではなかったと思う。子どもたちの前での仲良しごっこはおしまい。どうか、そう捉えてくれ。
 必要も目論見もなく繋いだ手は、離れたらひんやりと寂しくなった。温もりの残りを閉じ込めるように手を握り込む。その無意識の仕草に後から理解が追いついて、呼吸が乱れた。握った拳を開けない。二度と手に入らないかもしれないと思ったら、惜しくてたまらなくなったのだ。
 ――それが、突きつけられた答えだ。


 車に戻って、再び移動である。レイシオはまた腕組みする石膏像になってしまった。見慣れたとはいえ、車中では少し圧迫感がある。
 車が走り出すと、助手席の部下が「そういえば」と口を開いた。
「さっきの話ですけど、抱っこで寝てた話を聞いて、総監が大怪我した時のことを思い出したんですよね」
「うん? 似たようなことがあったっけ?」
「総監は意識がなかったので、記憶にないと思います」
 直近で意識をなくすほどの怪我といえば、背中のほぼ全面に薬品を浴びて火傷のようになったときのことか。絶対に痕が残ると思ったのに、最新の技術で綺麗さっぱり治った。ついでに古傷も消えた。きちんと治療するとこうも違うのかと感心したものだ。
「あの時トラック移動だったの覚えてますか。帰りは荷物が多くて、総監を寝かせる場所がありませんでした。悪路で揺れがひどいから座らせてシートベルトをしても落ちるし、しっかり固定すれば傷に障る。困っていたら、病院に担ぎ込むまでずっと教授が抱えててくださったんです。おかげで余計な怪我を増やさずに済みました」
 全然知らなかった。応急処置はされていたし、余裕のない状況だったから、てっきり適当な隙間に転がして運ばれたと思っていた。強力な鎮痛剤の副作用で気絶するように眠っていたアベンチュリンとしては、みんなの邪魔にならなければなんでも構わなかった。
「いまさらだけど、ありがとう、教授」
「ああ」
 レイシオからの返事は短く、アベンチュリンを見もしない。あまり思い出したくない出来事だろうか。迷惑をかけたんだから仕方ないか。
「どうして今まで黙ってたんだい?」
「忘れてたんですよ」
 嘘だな。さてはレイシオに軽く口止めされたか。「礼には及ばない、面倒だから知らせるな」なんてね、うん、ありそうだ。石膏頭の冷たい横顔を穴のあくほど見つめても、びくともしない。何も言うつもりはないらしい。
 どうしてそういうことをするかなあ。レイシオの倫理観からくる行動で、誰にでも分け隔てなく与えられるものだと頭では理解していても、特別嬉しく思ってしまうのはどうしようもない。だって、アベンチュリンだ。弱っているところを見せようものなら、格好の獲物だとさらに痛めつけられるようなところにずっといたのだ。だから隠されたのかな、アベンチュリンが勘違いして懐いたら面倒だから。
 そんな出来事が下地にあったおかげで、レイシオの腕の中がやけにしっくりきたんだろうか。短くない時間、レイシオは意識のないアベンチュリンをひどい揺れから守り切ってくれたらしい。どう抱えたら安定するかは体が覚えていただろう。
 これが事の真相ならいいのに。あの腕枕が手慣れていたのはただアベンチュリンの抱え方をよく知っていただけで、本当はまるで不慣れだったなら。
 他の誰も、腕の中で眠ることを許さないでほしい。あの心地よさと安心を知るのは自分だけがいい。うーん、危険思想かな。誰かを一人占めしたいだなんて。しかも相手は神とも呼ばれるような人だ。手に余るなんてものじゃなく、ひと欠片でも荷が重い。
 でも欲しい。戦略的パートナーという公的な関係だけでなく、何か私的な繋がりが。贅沢は言わない。アベンチュリンが死んだら道連れで壊死するような、ほんの一部分をレイシオの中に持ちたい。ごくごく小さな、細胞の一片でいいから。
 とまあ身勝手な想いが自分の中で形になったのを認めて、アベンチュリンは観念することにした。自ら触れたいと思う相手が、この世界にたった一人できてしまったみたいだと。
 触れるときの胸のざわつきも、離れたときの寂しさも、今後レイシオと接するたびにつきまとう。何度でも、空の手に恋しさを握り込んで苦笑いするだろう。仕方ない、この気持ちを知る前には戻れない。
 到着したターミナルで車を降り、カンパニーの艦船に乗り込んだ。個室で待機してもらうレイシオと廊下で別れて艦橋に向かう途中、インカムの個別チャンネルで部下が呼び掛けてきた。そ知らぬ顔でアベンチュリンの前を歩きながら、ひそめた声で話し始める。
『車での話の余談ですが。鎮痛剤が効いていても痛みと熱があったのか、総監はずっとうなされていました。うわごとを言うたびに教授が耳元で話しかけて宥めてましたよ。声は聞こえませんでしたけど』
「ふーん。ずっと見てるなんて、ずいぶん心配してくれてたみたいだね」
『我らが敬愛する総監の一大事ですから。それから、教授が総監の頭を撫でているように見えましたけど、暗いから見間違えたのかもしれないです』
 アベンチュリンの動揺を誘う作り話にしたってひどい、レイシオがそんなことをするはずがない……とは言い切れなかった。腕枕の前に触れた唇の感触を思い出して、慌てて頭から追い出す。
 あれ、どうしてそんな流れになったんだっけ。思い返せば、アベンチュリンの気持ちは自覚する前からかなり漏れていた。レイシオは当てられて一時の気の迷いを起こしたのだろうか。たぶんそうだろう。とはいえアベンチュリンに勘違いさせるようなことをしたのは確かだ。よし、ここまで。続きは後で。
 一瞬で一旦の整理をつけて、アベンチュリンは綺麗に平静を装った。
 さてと。話の真偽によらず、面白がっている相手に反応をくれてやるつもりはない。上司をからかうとは教育がなってないな。担当した奴出てこい。
 自動ドアが開くのを待つために立ち止まったところで、アベンチュリンは手を伸ばして部下の後ろ頭を撫でた。仮面越しでもわかるようにぐりぐりと、首がのめるほど大袈裟に。
「おや、拗ねてるのかい? 教授に構ってもらいたいなら直接言いなよ。よーしよし、今だけ僕が代わりに撫でてあげよう」
『申し訳ありませんでした勘弁してください』
 内緒話はそれで終わった。室内に入ると、撫でられる姿を見た部下たちが、寄ってたかって人の悪い仲間を小突いた。「何したんだ?」「何も」。「なんだかわからないけど俺も」とアベンチュリンに向かって差し出された頭はしっしっと追い払った。
 ファクトチェックが必要な不確かな情報は要らない。知りたいことは自分で究明するのが一番だ。車中での態度からすると、レイシオはアベンチュリンとの距離を縮めたくないのかもしれない。となると口を割らせるのは骨が折れるだろうけど、手間暇かけて引き出してみせよう。今朝だけでもいくつも浮かび上がった、「どうして」の答えを。
 アベンチュリンの師はあのジェイドである。彼女には遠く及ばない不肖の弟子だって、必要とあらば根気強く待つことも、丁寧に水やりすることもできるのだ。