そいつは隅の席で一人つまらなさそうに酒をあおっていた。目元まで腫らして手つきだっておぼつかない。それなのに愚痴のひとつも零さず作業のように酒を体へ流し込む。
ありゃダメだな。あんな飲み方じゃまともに酔えやしねぇ。そのくせ朝には二日酔いが襲ってくる。何にも楽しくねぇつまらない飲み方だ。
横目で見ていた男の体がふいに傾いた。咄嗟にそれを支えて零れかけたグラスを手から離してやる。
「あっすみません.......」
「いいからちょっと楽な姿勢にしてろ、吐きそうか? 気分悪いなら肩貸すぜ?」
見てられない。それがこいつに手を貸した理由だった。今時の若い連中は酒を飲めば簡単に酔えると思ってやがる、酔えないなら酔うまで飲めばいい、そんな飲み方してりゃまずぶっ倒れる。こいつもその口だろう。そう勝手に決めつけて男の背中を甲斐甲斐しく摩ってやった。
「親父、この兄ちゃんに水!」
「はいよ」
「.......本当にすみません」
男は青ざめた顔で水を受け取ると少しずつ流し込んでいく。
「ゆっくりでいいぞ。あんたやけに顔色悪いな? まともに飯も食わないで酒飲んだだろ」
余程嫌なことがあったのか元々自虐癖でもあるのか。どっちにしろ見ていて気分のいいものじゃない。
「別に酒なんて自由に飲んだらいいって思うけどよ、いい加減にしねぇとお前さんの方が先に参っちまうぞ」
一人酒をするには慣れていなさすぎる。自分の許容範囲が分かっていないというよりは許容範囲を超えても上手く酔えなかったってところか。
男が緑の髪をかきあげた。眼鏡の奥で不安そうに瞳が揺らいでいる。
「どうだ? ちょっとは落ち着いたか?」
「.......はい。あの本当に」
「謝らなくていい」
ようやくまともに顔を上げることが出来た男から謝罪なんて聞きたくねぇ。
「今日はもう帰んな」
俺の言葉に小さく頷く。素直なところは褒めてやりたい。
ここで普通に帰しても良かったんだが、ついついお節介な面が顔を出してしまった。
「その代わり今度は俺と飲め」
「えっ!?」
「火曜と金曜はこの店にいるからよ。お前さんの空いてる時にちょっと一杯付き合えよ」
驚いて声も出ない男に胸を張って言い放つ。
「俺が旨い酒の飲み方教えてやるよ」
「酒井さんそれありがた迷惑ってやつだよ」
うるせぇよ親父。
翌週の金曜日男は本当にやってきた。
「この前は本当にすみませんでした!!」
「いや別にいいけどよ.......あの後ちゃんと帰れたか?」
正直絶対来ないと思っていだけに拍子抜けだ。俺だったらこんな面倒くさそうなおっさんに絡まれたくねぇけどなぁ。律儀ってか根が真面目なんだろう。申し訳なさそうにする男の顔色は相変わらずだ。
とりあえず席についてつまめそうなものを適当に注文する。
「今日は俺の奢りだから好きに頼め」
「そんな、奢るなら俺の方じゃ」
「馬鹿野郎! こういう時は歳上の顔立てんだよ」
「そうだよ兄ちゃん。酒井さんはただ若い子と飲みたい暇なオッサンなんだから素直に奢られときなって」
.......ここの店主は腕はいいのに口数が多くていけねぇ。
「まぁそういうことだから食えよ。何か腹に入れねぇと空きっ腹で酒なんか飲ませねぇからな」
俺の目が黒いうちは絶対あんな酔わせ方しねぇ。腹から笑って翌朝には嫌なことにも向かっていける、そんな飲み方を教えてやろうじゃねぇか。
「兄ちゃん名前は?」
「.......二階堂です」
「よし緑の兄ちゃんだな、俺は酒井。よろしくな」
名前聞いた意味あんのか? なんてツッコミは酒の肴にしてやるよ。
緑の兄ちゃんは程々に酒が強かった。それに食べっぷりもいい。見ていて気分がいいので酒が進む。
「なんだ兄ちゃん結構いける口だな? あんな酔い方してんのがもったいねぇよ」
「あの日は本当にすみません、俺もあそこまで飲むつもりじゃなかったんですけど.......」
「まぁ酒で忘れたいことの千や二千誰にだってあるよなぁ〜でも自分を傷つけるような飲み方は絶対すんなよ? 酒飲んでやられていいのは肝臓だけだ」
「いや肝臓もダメでしょ」
聞き上手で謙虚。こりゃ歳上にうんと可愛がられるタイプだな。かく言う俺も酌をされただけで口が軽くなる。
「いいか? 人生には絶対自分が予想してないような出会いってのがあるんだよ、いい意味でも悪い意味でもな。いい出会いなら死んでも手放すな」
「また始まったよ。酒井さんは酒入るとすぐ熱弁するから、ごめんね」
「いえ全然、飲む前からこんな感じでしたから」
「おっ言うねぇ〜親父こいつにいい酒持ってきてくれ!」
今夜はとことん楽しませてやるか。
それから緑の兄ちゃんとは数度酒を交わした。俺がいつもの店で飲んでいると気恥しそうに顔を出しては隣に座ってくれるまでの関係になった。兄ちゃんはいつも一人で店に来る。今度友達でも連れて来いよと言ってやった。こいつが友達連れて来たら、その時は盛大に奢ってやりたいなぁ。
「兄ちゃんは夢とかあんのか?」
「うわっダメだよ酒井さん。これだからオッサンの絡み酒は鬱陶しいって言われるんだよ」
「うるせぇ!」
「.......夢とかは特にないですね。やりたい事もよく分からないんで」
そう言って彼は最初に会った時と同じ顔をした。これ以上は野暮だな。
「なーに焦んなって。夢なんかなくても酒は旨い! 今夜は飲むぞ!」
「酒井さんはいつも飲んでるでしょ」
やりたい事が見つからなくても焦らなくていい、それは本心だ。けどこいつが本気出してるところもいつか見てみたい。
兄ちゃんの顔はよく見るとかなりの男前だ。俺は若い世代のことなんかよく知らねぇけどこの顔立ちなら俳優やらモデルやら何でも出来そうだ。特に時折見せる凄みのある顔がいい、影のある表情も絵になる。まぁ一番は笑った時の意外と幼い顔だけどな。
「ほら酒井さんももっと飲んでください」
「歳とったら感傷に浸るのもオツなんだよ」
最近は顔色もマシだ。
「だーかーらー人生ってのは.......」
「緑の兄ちゃん、あんたも中々分かってきたじゃねぇか」
「あんたら二人飲み方が似てきたなぁ」
困った顔の親父を見て俺たちは更に笑い合った。
「そういや兄ちゃんって誰かに似てないか?」
店の親父が何気なく振った話題に一瞬顔をこわばらせたのは気のせいか。
「そりゃあんたの逃げられた奥さんにでも似てたんだろ」
「あ〜そうか、ってウチのは逃げちゃいねぇよ!?」
「仲良さそうで羨ましいですよ」
ほっとした様子で胸を撫で下ろしたのは見逃さなかった。けれどそこを小突いたりなんて真似はしない。こいつにどんな事情があろうと俺にはどうしてやることも出来ねぇ。だからせめて酒飲んでる時くらいは笑っていられる方法を教えてやりたかったんだ。
「最近緑の兄ちゃん来ねぇな」
親父の言葉を意識したわけじゃないが、酒を飲む手が止まった。
近頃緑の兄ちゃんが店に顔を出さなくなった。きっともうこんなオッサンと飲むのは飽きたんだろう。
「.......あいつも色々忙しいんだろ」
「酒井さんが拗ねる前に戻ってきて欲しいんだけどなぁ」
拗ねてねぇよ。声にならなかったそれを酒と一緒に流し込む。
最初っから強引な誘いだったんだ。嫌気が差しても仕方ない。本来の目的だった「旨い酒の飲み方」は十分教えられたんだからそれでいい。
今頃俺じゃない誰かと楽しそうに飲んでるだろう。
あぁでも飯はちゃんと食ってんのか? また一人酒で倒れてないだろうな。飲み過ぎには気をつけろって散々言って聞かせたから大丈夫か。
でもやっぱり.......。
「どこで何してんのかねぇ」
親父がそう零した時だった、店内に置かれた小さなテレビから聞きなれた声が届いてきたのは。
「アイドリッシュセブンでーす!!」
思わず向き直る俺たちの目に飛び込んで来たのはでかいステージに立って観客に手を振るあの緑の兄ちゃんだった。
某有名歌番組のゲスト、しかもアイドルグループのリーダーとして紹介されている知人。その光景にさっきまでの酔いが全て醒めてしまった。
「さ、酒井さんこれ、この人」
「ばっか、親父早く音量上げろ!」
慌てふためく俺らをよそに画面の向こうで兄ちゃんが歌を歌い始める。一人じゃない、七人だ。
「.......アイドルになってたんだな〜そりゃ忙しくて店になんか来てる暇ねぇよ。良かったなぁ酒井さん、嫌われたわけじゃないらしいぜ」
「そんなことどうだっていいんだよ」
あいつが笑ってるならそれで良かった。元気にやってるってだけで十分すぎたのに.......酒飲んでる時よりずっと楽しそうに笑ってるじゃねぇか。
いい出会いを見つけたんだな、本当に良かった。
もうあいつは大丈夫だ。そう実感したら鼻の奥がツンっと痛んだ。
「.......親父、この酒辛いぜ」
「それ水だよ」
勝手にお節介焼いて親しくなった知り合いが有名アイドルになっていた。もう俺みたいなしがないオッサンとは飲んでくれないのがほんの少しだけ寂しいがそれ以上に喜びが勝った。
ちょっとひねくれた所もあるけど根は優しい良い奴なんだ、これからは夢もやりたい事もないなんて悲しいことはきっと言わないだろう。
良かったなぁ本当に良かった。
そう噛み締めた数日後、金曜日の夜にそいつは居た。
「お久しぶりです」
「お、お前、何してんだ!?」
有名アイドルが何で普通に店居るんだよ。一応変装らしいものはしてるがその特徴的な三白眼は隠せていない。しかも兄ちゃんの後ろには二人、これまた顔のいい男が立っていた。
「ここの話したら行きたいって聞かなくて.......友達連れてきました」
「どうも! 大和さんの友達です」
オレンジ髪の活発な青年。一見未成年で居酒屋なんて似合わない彼が成人済で同じグループの和泉三月だというのはすぐ分かった。
「突然お邪魔してすみません。できるだけ騒がないようにするので」
控えめな美丈夫、彼が逢坂壮五くんか。緑の兄ちゃんがアイドルになったと知ってから急いで調べ尽くした甲斐があった。
「居酒屋だから今日はとりあえず成人組で来ました、また今度予約入れて他のやつも連れてきます」
「あいつらすげぇ行きたがってたからな〜」
「環くんは特に最後まで粘ってましたね」
「それは多分ソウの暴走心配してだと思うぞ」
屈託ない笑みを浮かべる兄ちゃんにいつかの寂しげな表情が重なった。
結局一番旨い酒ってのは誰と飲むかで決まるんだ、この兄ちゃんはもう大丈夫だ。
「よし今日は俺の奢りだ!! 好きなもん頼んでくれ」
「いやそんな悪いですよ」
「いいんだよ奢らせてくれって」
これが俺のずっと前からしてやりたかったことなんだからよ。
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