らぎ
2025-03-06 21:47:18
1401文字
Public モノノ怪
 

離坤ドロライ第一回「おにぎり」「宿」「お勤め」

上だと思っていたら下だった坤ちゃん。

離の方と好い仲になってから、何ヶ月経っただろうか。薬売り達の暮らす十翼では時の流れは然程意味を持たないが、ここは現世。峠の小茶屋で握り飯を頬張りながら、ふとそんな事を坤の薬売りは考えた。
如何に人の営みから外れた存在とて、人並みかはともかく欲ぐらいある。有体に言えば口のひとつも吸ってみたいし、なんなら閨だって共にしたい。普段は器用に頭巾にしまっている長い金髪が畳に散る様は、さぞ美しいだろうそんな事をぼんやり考えていたせいか、からころと近づいてくる高下駄の音に気がつくのが少しばかり遅れた。お勤め中ならば命取りだが、流石にモノノ怪斬りの最中に色惚けた事を考えるような男ではないし許されるであろう。
「坤の方」
蛾の如き紋様の着物をお端折りに着た彼は紛れもなく今の今まで想っていた男、離の薬売りであった。奇遇と言うべきか噂をすれば何とやらと言うべきか、あまりに折よく現れたもので坤の薬売りは僅かばかりの後ろめたさを覚えたが、米と共に吞みこんだ。言わぬが花と云うやつである。
「お勤めは終えたようですね」
「ええ、恙無く離の方はこれから?」
「私もこれから帰還するところ、ですがちょうど良い。ひと晩、宿に泊まっていきませんか」
坤の薬売りがその誘いを断る理由は何処にもなく、離の薬売りが近くにおさえたと言う宿に連れだって入った。やや広い部屋は大の男が二人でも丁度良い広さで、手際が良いと感心したものだ。



「離の方」
日もすっかり暮れた頃、意を決して坤の薬売りは離の薬売りを呼んだ。
「今晩、一緒に寝ませんか」
坤の薬売りが数刻悶々と考え込んだ「お誘い」に、離の薬売りはやけにあっさり頷いた。
「ええ、構いませんよ」
その雰囲気にやや疑問を抱きはした。したが本当に寝るだけとは誰が予想したであろうか!
「では。」
それだけ言って離の薬売りは灯りを消し、さっさと己の布団に潜り込んでしまったのだ。
流石に離の薬売りの好意を疑うだとか、そのような事は思っていない。離の薬売りはたいへんさっぱりした性質で、好いてもいない相手とわざわざ宿を共にしようなどとは絶対にしないからだ。が、離の薬売りにはあっしのような欲は無いのかもしれない。と坤の薬売りはひとりで結論づけた。それはそれで少々寂しいが、仕方の無い事だ。
ふと、月明かりに照らされた離の薬売りの横顔を顧みる。青白い光が整った顔立ちを際立たせ、睫毛の一本ずつまで数えられそうだ。気がつけば坤の薬売りは、跨ぐように覆い被さっていた。自分で動いておきながら離の薬売りを押し倒しているような格好に、頬が熱くなる。
ひとすじ垂れた前髪をそっと退け、額に唇を落とした───と思った次の瞬間、襟元がぐいと引かれて視界がぐるりと反転した。あまりに鮮やかな技に、油断しきっていた思考が追いつかない程だった。
「あんたの覚悟が決まるまではと、思っていたのですが
妙に愉快そうな声と、煌めく金糸が降ってくる。
「よもやそちらから、誘ってくださるとは」
二藍色の瞳が撓む。漸く状況を理解した坤の薬売りの頬は、先程までとは比べ物にならぬほど紅潮した。
「なッち、ちが」
「なァに、優しくしますとも。よもや、拒むまいな?」
左は言えど、己より上背も膂力もある坤の薬売りが大人しく組み敷かれている意味を、このひどく聡い男が理解できないはずも無いのだった。