水木の部屋には見舞いと祝いの品が山ほど送り届けられていた。以前、鬼太郎を庇って怪我をしたときよりも派手かもしれない。香りの強くない花や果物、日持ちのする菓子のほかに、赤ん坊の肌着やおもちゃ、子供用の服も贈られてきた。まだ四ヶ月も先のことで気が早いと思うものの、祝われるのは嬉しかった。もう産んでやれないと思っていた我が子。まだ見ぬその子にこれだけの人が愛を注いでくれている。
「お姉さま、お食事ですわ」
沙代が盆を持って入ってきた。
龍賀屋敷が燃え、沙代は水木とともに幽霊組の屋敷へ身を寄せていた。煙もそれほど吸い込んでおらず、軽い火傷だけだったので、すぐに治療を受けた。屋敷へ来てからは、くるくるとよく働いた。お嬢様育ちでできることは少なかったものの、失敗してもめげずにまた挑戦する。その芯の強さが砂かけ婆の気に入ったようで、みっちり家事を仕込まれているらしい。
「沙代ちゃん、ありがとう」
水木は起き上がり、沙代が持ってきた盆を受け取った。
火事の中、煙を吸い込んだのと火へのトラウマで精神的不安定に陥った水木は、しばらくの間まともに食事をとれなかった。妊娠していることもあり、入院して様子をみることになった。ようやく退院できたのが昨日のことだ。
「このお芋は、わたくしの作ですのよ」
胸を張って嬉しそうに言う沙代は、もう今までの翳りはない。年相応のはつらつとした明るさが表情から滲み出ている。
ああ、沙代はやっと龍賀から自由になれたのだ。水木は沙代に微笑みを返しながら、そう思った。
時貞は死に、大量のMとともに屋敷は燃えてなくなった。全てとは言えないが、後ろぐらいことをしてきた者たちも捕まった。沙代も水木もようやく、誰に縛られることなく生きていけるのだ。
少し煮崩れた芋は味がよく染みている。砂かけ婆の味とそっくりだ。
「うん、うまい」
「おばばさま直伝ですの。これでいつでも一人で暮らしていけますわ」
沙代はそう言って、嬉しそうに笑った。
「一人で暮らすのか?」
「ええ、もうわたくしには帰るべき場所がありませんもの」
沙代は水木の隣に座り、自分の膝元を見た。鳶色の目が寂しげに翳った。
「おじいさまも長田も……みんないなくなってしまいましたわね」
沙代もまた、両親を失っている。詳しく聞いたことはないが、父親は分からず、母親は水木が引き取られるよりも前に死んだそうだ。あまりよくない死に方だったらしい。時貞は可愛い人形のように沙代を可愛がってはいたが、実際のところ彼女の世話をしていたのはお手伝いさんと長田だったらしい。
「わたくしたちの計画がうまくいったのも、ほとんどは長田の協力があったからです」
砂かけ婆たちが着付け係として潜り込めたのも、馴染みの酒屋ではない店から仕入れた酒を振る舞ったのも、水木を逃がしゲゲ郎を時貞のもとへ誘導してくれたのも、あの火事さえも、ーーーー全て長田の仕込みだった。
龍賀で若頭をしていたのに、時貞にあれほどの深い恨みをもっていた彼の胸中は、もう想像することしかできない。しかし、あのぞっとするほどの狂気と憎悪からして、彼もまた大切な人を時貞のせいで失ったのかもしれない。
それでも、最後の瞬間に沙代を見つめた鳶色の目はどこか穏やかであったように思う。
「そうだったんだな。俺はあまり関わりがなくて、少し怖い人だと思ってた」
「わたくしもです。でも、わたくしが泣いていたら、何をするでもなく黙ってそばにいてくれて……。優しい人だったのかもしれませんわね」
もう今はいない人間の気持ちは想像することしかできない。しかし、長田は彼なりに沙代を大切に思っていたのではないだろうか。水木はハッとした。もしかすると、長田は沙代のーーーー
ついそんなことを考えてしまっていた水木は、打って変わった明るい沙代の声で、現実に引き戻された。
「こちらでずっとお世話になるわけにもまいりませんし、自分の力でいろいろやってみたくて。どこへ行こうか、何をしようかなんて悩むのは初めてだけど、胸がわくわくするものですね」
「そうか」
水木は感慨深くそう頷いた。祖父に決められた通りにしか生きられなかった少女が、これからどう生きていこうか未来を夢見ているのが眩しく、嬉しかった。
「おじいさまの遺産は、麻薬の後遺症で苦しむ人たちや恵まれない方のために使っていただこうと思いますの。ですから、全部親分さんにお譲りするつもりです。あの方なら、きっと正しいことに使ってくださいますわ」
龍賀会に属していた者たちは、時貞の死で逮捕された者もいれば、宙ぶらりんになってしまった者もいるそうだ。
ゲゲ郎は彼らのために、別の組を紹介したり、自分の傘下に加えたりと、忙しく動き回ってくれている。世の中に馴染めぬ者に声をかけて、居場所を作るという幽霊組らしいやり方だ。
「親分さんには、好きな道をいけばいい、支援すると言っていただけたの。それでね、まだ誰にも言っていないのですけれど……わたくし、看護師を目指してみようと思って」
「看護師?」
水木が驚いて聞き返すと、沙代は頬を赤らめて恥ずかしそうに笑った。
「病気や怪我で苦しんでいる人たちの力になりたくて」
そんな夢があるなんて知らなかった。いつまでも自分のあとをついてくる幼い少女だと思っていたのに。水木はなんだか胸がいっぱいになるのを感じた。
「きっとなれるよ」
そう返すのが精一杯だった。沙代は嬉しそうに笑ってくれた。この沙代の顔を見たら、きっと長田も喜ぶだろう。
◇
心地よい微睡みの中にいた水木は、ふと眩しさを感じて目を覚ました。障子戸の向こうから、月明かりが射し込んでいる。時計を見るとまだ夜中だが、昼間よく眠ったせいか、すっかり目が冴えてしまった。水木はそっと布団から抜け出ると障子戸を開けた。
半纏を羽織り、膝掛けを持って縁側に腰掛ける。冴えざえとした冬の空にかかる月は、満月に近い形をしていた。
沙代はもう水木の知らぬ道を自分で決めて歩きだそうとしている。これから自分はどう生きていこう。そんなことを考えていると、内側からぽこんとお腹を叩かれるような感覚があった。
「そうだよな。お前を取り上げられないように、頼んでおくよ」
大きくなり始めた腹を撫でながら呟く。
「母から子を取り上げるようなことはせんよ」
いきなり声をかけられ、びっくりして振り返った先には、いつもの青い着流しに白い羽織りを着たゲゲ郎が立っていた。
「眠れないのか?」
「ああ」
「そうか」
そう言って、ゲゲ郎は水木のすぐ隣に腰かけると、自分の着ていた羽織を着せてくれた。
「さむくないのか」
「わしは寒いのも暑いのも平気じゃ。それより、お主はもう自分一人の体ではないのじゃから、冷やしてはいかん」
「……うん」
ゲゲ郎の羽織は、彼の匂いと温もりがして安心した。こちらを見下ろす目は優しい。ずっと後始末で忙しかったゲゲ郎とゆっくり話す時間もなかったが、今なら落ち着いて話ができるかもしれない。
「ゲゲ郎、話があるんだ」
水木は、隣に座った夫に向き直った。
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