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千代里
2025-03-04 13:05:13
12821文字
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リーブラ14話
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リーブラの針は問う・14話・その47
時計の針を少し巻き戻そう。
アガテルと執事に促されて部屋を出ていった少女たちを見送った、少し後のことだ。去り際のアガテルの言葉に従い、部屋に滞在していた騎士もノエたちを別室へと案内した。
目も眩むような豪奢な廊下や面会用の部屋から既に予想はしていたが、通された宿泊用の部屋も、春を思わせる淡く鮮やかな色がふんだんに使われた部屋だった。絵画の中に描かれた花畑に迷い込んだら、きっとこのような感じなのではないかと思うような内装だ。
「何だか華やかすぎて、ボクたちは場違いな気持ちになるよ」
「少し、落ち着かない気持ちにはなりますね」
興味深げに内装に視線をやりながらも、苦笑いを浮かべるヤルマルに、ノエも同じく苦笑を返す。
比べても仕方ないことではあるが、ノエは自分の父親の屋敷を思い浮かべ、比較してしまっていた。
ノエの父の屋敷はこの屋敷ほど装飾の量も多くなく、屋敷全体の調和も今入った部屋ほど取れていない。それでも、各々の調度品の魅力を損なわないないように計算された内装だった。
一方、ルグロ家では、屋敷とは壁紙から始まり、絨毯や調度品、そして住むものも含めて完全に整っている状態が素晴らしいという方針らしい。
つまり、屋敷の異物にしかなり得ない一般人のノエとヤルマルは、屋敷の中では浮いていた。客間に通されても、宿の部屋に案内されたような安心感がないのはそのせいだろう。
「既にお聞きかと思いますが、アガテルお嬢様の滞在期間中は、来訪者である皆様の外出も禁じさせてもらっております。皆様が屋敷の外で外部の人間に接触する可能性を減らすためです。お互いに必要な措置かと思いますので、どうかご容赦の程を」
万が一何かあったとき、余計な疑いを相手に抱かないようにするため、外出禁止については屋敷を訪れた直後に説明されていた。要人警護の任務において、移動が制限されることはさして珍しくもない。そのため、ノエたちもこの件については既に了承済みだった。
「オデットたちはお嬢さんの護衛って話だったけれど、彼女たちはお嬢さんの外出の時にはついていかないのかい」
「はい。彼女らに与えられた任務は、あくまでアガテル様のお話し相手ですから」
澱みなく答える騎士の様子から、護衛というのはやはり建前だったかと納得する。
アガテル本人も話していたが、護衛は既に十分確保できているようだった。
傭兵のような外部の戦力を交ぜてしまっては、むしろ連携に乱れが生じてしまう。
そうなると、話し相手の役があるオデットたちはともかく、確かにノエたちは「招かれざるお客様」だ。アガテルが面倒そうに対応したのもさもありなん、である。
「もしよろしければ、オデットたちが泊まっている部屋を教えてもらえないでしょうか。僕たちは、彼女の保護者として来訪しているわけでもあるのです。彼女たちがお嬢様に対して無礼を働かないか、注意しておきたいのです」
図々しいかとは思いながらも、ノエは自分に課せられた役割を果たすためにも騎士へと確認する。名目上はお嬢様のためとしているが、オデットたちを気にしていることは明白だ。
だが、騎士はゆっくりと首を横に振り、
「お二人のそばにはお嬢様がいます。警備の都合上、お伝えすることはできかねます」
「おや。これはまた、ずいぶん疑り深いことで。ボクたちが、仮にもボクたちの依頼主を傷つけると思っているのかい」
「此度の名代は危険も付きまとう任務だと伺っておりますので」
いつもの調子を見せつつ、それとなくヤルマルが言葉を挟むも、騎士は頑として譲らない。
「それなら、オデットたちも招かなければ良いだろうに。あの子たちもお嬢様を狙う刺客かもしれないよ?」
ならば攻め口を変えようと、今度は遠慮なく皮肉を飛ばす。すると騎士は、素早く瞬きを繰り返し、一瞬躊躇の様子を見せた。
「
……
お嬢様のおそばには常に護衛が配置されておりますので、その点は心配される必要はありません。部屋から出歩くのは自由ですが、決して屋敷の外に出ないようにお願いします」
最後にしっかりと念押しだけすると、騎士はさっさと部屋から出て行ってしまった。
騎士の姿が完全に部屋の外へ消えたのを確認してから、ノエは声を潜めてヤルマルに尋ねる。
「ヤルマルさん、大丈夫でしょうか。あの方を怒らせてしまったのではありませんか」
「いや、あれは気を悪くして出ていったんじゃなさそうだ。ボクが質問をしたとき、少しだけ返事に詰まっていただろう? それに瞬きの回数も増えていた」
ヤルマルは遠慮なく毛足の長い絨毯をブーツで踏み締め、部屋の中へと入る。土足で高級そうな絨毯を踏むことに一瞬遠慮を覚えていたノエとは、全く逆の振る舞いだ。
「彼は、ボクに質問をされてどう返すか悩んでいたみたいだ。結局、うまい返答が見つからなくて、当たり障りのない回答をしていたってところかな」
「単純に、返事に少し困っていただけかもしれませんよ」
「それなら、それでいいさ。でも、今夜あたりオデットに連絡をとって、どこの部屋に泊まっているかは教えてもらった方がいいよ」
アガテルと話をしているときに連絡をすれば、彼女の不興を買ってリンクパールを外すように言われるかもしれない。周りに人がいない時を狙った方がいいのは、ノエとしても頷ける内容だった。
「この依頼には何か裏があって、オデットたちに身の危険があるかもしれないと、ヤルマルさんは考えているのですか」
「どうだろう。少し奇妙な依頼だとは思うけれどね。ノエには、思い当たるところはあるのかい」
「
……
オデットの記憶に関わる部分で、何か良くないことが絡んでいるらしいとは認識しています」
思い浮かべたのは、何かを言おうとして口を噤んだミラベル司祭のことだった。オデットを妹のように大事にしている彼が言い淀むような何かが、オデットの周辺にはまだ隠されている。
だが、今回の依頼とオデットの記憶が関係する可能性は、かなり低いとノエは踏んでいた。ルグロ家は、オデットを名指しで雇ったわけではないのだ。少女の年頃の傭兵では、あまりに範囲が広範すぎる。
「それに、オデットたちに危害を加えるのなら、邪魔者である僕たちをもっと積極的に排除すると思うんです」
「武器は取り上げられてしまったけれど、結構自由にさせてもらっているものね。リンクパールもつけっぱなしだ」
試しに、ノエは扉のノブに手をかけてみたが、内側からあっさりと開いた。鍵がかけられて軟禁されてしまった、というわけでもなさそうだ。
屋敷内を歩く自由はある。しかし、あまり勝手な行動を取らないでほしい。そんな思惑が透けて見える対応は、令嬢を守る使命を帯びた従者たちが提示する条件として、そこまで不自然ではない。
「報酬も悪くない額だったね。あれなら、無駄遣いしなければ一ヶ月はのんびり過ごせるだろう。普通の傭兵なら、依頼主の機嫌を損ねないように大人しくしているに違いない」
どうするか、とヤルマルが目線で問いかける。
今のところ、ノエたちに突きつけられた要求は二つ。
オデットたちが滞在する部屋は教えられないということと、屋敷から外に出ないということだけだ。
それとて、結局は三日後に彼らが立ち去るまでの話である。一生幽閉されるというわけでもないのに、やたらと警戒心を持つのは相手に対して失礼なようにも思える。
「彼らのお願いは、今の町の情勢を見てもそこまでおかしい話ではありません。夜にオデットに連絡をとるまでは、暫く静観しておこうと思います」
「そうだね。オデットも、自分の身に何かよからぬことが降り掛かったら、すぐに連絡をしてくれるだろうさ。あの子も、何だかんだで一端の冒険者だ」
「ええ。僕も
……
そう思います」
少し歯切れ悪くなったノエの物言いに、ヤルマルは「おや」と眉を持ち上げる。
「オデットの独り立ちは寂しいかい」
「僕は彼女の親でもなんでもないのですから、こんな風に考えるのは門違いだとは分かっているんですが
……
。以前は僕の側から離れようとしなかったのに、と思う場面はありましたね」
依頼に対して消極的だったノエに、「わたしはやってみたい」と主張するオデットは随分と頼もしく見えたものだ。
「では、独り立ちされた弟子を持つ先輩として、悩み多きノエ師匠の話を聞いて進ぜよう」
ほっほっほと老爺のような嗄れた声を作って、ノエへと笑ってみせるヤルマル。どっかりとソファに腰を下ろし悠然と腕を広げてみせるのは、いかにも大物であるといった様子を見せるためか。
彼女の道化じみた振る舞いのおかげで、先ほどまで部屋に張り詰めていた緊張もゆっくりと薄れていく。
「独り立ちされた弟子といいますと、オランローのことですか」
「そうだよ。前にも話したけど、昔はオデットよりも小さかったんだからね。今じゃあんなに大きくなっちゃってさ。しかも、ボクの言うことなんざ聞いちゃくれない」
「それは、ヤルマルさんが無理をするからだと思いますよ」
ノエはヤルマルに促されて、部屋に置かれたソファへと腰を下ろす。
そのまま地面にまで沈み込むのではと思うほどの柔らかさは、何度こしかけても慣れないものだ。
「そんなに言われるほど、以前ほど無理はしてないつもりなんだけどなあ」
「オランローから聞きましたよ。先だってのピヌヌさんとの共闘時も、一人で飛び出して魔物を一手に引き受けたとか。イレーナさんも、『あの時のオランロー殿はまるでハルオーネ神が乗り移ったかのように勇猛だった』と言っていました」
魔物を一手に引き受けた上に負傷までしてしまった当時の状況を思い出し、ヤルマルの耳がぺたりと寝てしまう。
自分の形勢不利を悟り、ヤルマルは一度咳払いをすると、
「それに、以前ほどオランローも一人で全て対処しようとはしなくなったみたいだ。ピヌヌとも上手く連携をとれていた。魔物の群れなんて倒せるわけがないんだから、さっさと逃げようって言っていた頃が懐かしいよ」
「オランローの場合、それは今も変わっていないと思いますよ。彼は、退くことができない場面と分かっていたら、一歩も退かずに立ち向かえる人です」
それに、ヤルマルが言うほど、オランローはヤルマルのことを気にしていないわけではない。むしろ、その逆だ。
軽視できないからこそ、ヤルマルが一人で無茶な道へと走ってしまわないように、彼女の希望と真逆のことを口にしてしまうだろう。
「戦うために誰かの背中を借りることも必要だと、彼はよく知っているんだと思います。
……
僕も、その点は見習いたいと思っています。それに、オランローがそうやって過去の彼と違う部分を得られたのは、やっぱりヤルマルさんのおかげだと僕は思いますよ」
そこまで言って、ノエはどこか既視感を覚える。
結局のところ、オランローの成長は、ノエの傍に立つ少女と同じようなものであり、きっと変化の理由も似たり寄ったりなのだろう。
「
……
オランローの弁護をしていると、何だか僕まで身につまされた気分になりますね」
「なんとなく、君の気持ちがわかるような気がするよ」
ヤルマルもオデットの話をしようとして、我が身を振り返る契機を得たのだろう。互いに顔を見合わせて苦笑いをしてしまうのは、胸中によぎるものがお互いによく似た姿をしているからだ。
その後は、オデットは何をしているのか、ルーシャンたちの方はどんな風に時間を過ごしているのか、などと他愛もない雑談に興じていた。
何もしない時間も、意外と二人いればなんとか過ごせると思っていた頃、部屋にノックの音が響き、ワゴンと共に執事が部屋へと入ってきた。先ほど、アガテルと共に部屋を出て行った、あの男性である。
「お客様にお茶をお持ちしました。喉が渇いていらっしゃる頃かと思いましたので」
「ありがとうございます。ですが、僕らは皆様にとって予想外の客人でしょうから、そこまで気を遣ってもらわなくても大丈夫ですよ」
「たとえ予想外であろうと、客人は客人。もてなしも十分にできなければ、ルグロ家の使用人としての名が泣きます」
ノエの言葉に毅然とした面持ちで返し、執事の男はノエたちの前のテーブルにカップを並べていく。彼の所作は洗練されており、相手が貴族でもない一般人であっても少しの乱れも見せてはならないと己自身に命じているかのようだった。
「オデットたちは、今はどのように過ごしているのですか」
教えてもらえないかと思いきや、執事はあっさりと「今はお嬢様の部屋におられます」と答えてくれた。
「現在は、ご歓談中のご様子でした。お嬢様は外の者と話をする機会が少ないので、オデット様のお話が新鮮に思えるのでしょう」
「そうでしたか。楽しんでいただけているようなら、よかったです」
そして、オデットが無事に過ごせているのならば、とノエは内心で付け足す。ノエたちが危惧していたような良からぬ陰謀は、どうやら杞憂で終わってくれそうだ。
用意されたお茶の香りが、ゆるりと部屋に行き渡る。執事が優雅な一礼を見せ、踵を返したときだった。
リンリン、と涼やかな音が部屋中に響き渡った。一体どこからこんな音がしているのかと首を巡らせるノエ。一方、ヤルマルの長い耳はすぐに音源を見つけ出し、そちらへと耳を傾けていた。
「執事さん、何か鳴っていないかい」
「ええ。どうやら、アガテル様が私を呼んでいらっしゃるようです。お茶のおかわりでしょうか」
執事がそう言って懐から取り出したのは、小さなベルだった。懐中時計のように懐に鎖で繋がれたそれが、執事が揺らしていないにも関わらず、細かく振動して先ほどから音を鳴らし続けている。
「お嬢様が鳴らしたら、君のベルも鳴るっていう仕掛けなのかい」
「ええ。リンクパールのように声は届きませんが、ベルを持っている者全員に響きますので、なかなか便利な代物です」
リンクパールのように、魔法を組み合わせて作った品なのだろう。珍しいものもあると、純粋に興味を持って視線を向けたノエは、
「
……
!」
小さなベルの本体を見て、大きく目を見開いた。
「それでは、私はこれにて失礼します。お嬢様が呼んでいらっしゃるようなので
――
」
「待ってください!」
立ち去ろうとする執事に、ノエは自分でも驚くほど大きな声をあげて彼を呼び止める。
執事は大層迷惑そうな顔をしていたが、客人を無視できない思ったのか。ノエの呼びかけに、振り返ってくれた。
「お急ぎのところ、すみません。そのベルに彫られている模様を、よく見せてもらえますか」
返事を待たずに、ノエは既に席を立って執事に迫っていた。
執事は、手に持ったままのベルをノエへと見せる。遠目では、はっきりと見えていなかったもの
――
ベル本体に刻まれた模様をしっかりと確認して、ノエは一瞬全身が身震いしたように思えた。
本を開いたような独特の意匠。それと同じ模様を、ノエは既に見たことがある。
「ベルに刻まれたこの模様は、家の紋章ですよね。もしかして、このベルはどこかの家の持ち物だったのではありませんか」
同じ紋章が刻まれたもの
――
それは、今もノエの手元にある。
オデットと出会ったばかりの頃、彼女が持っていた家紋が入っていると思しき指輪。指輪に刻まれていたものと同じものが、ベルの本体には刻まれている。
この紋様が貴族の紋章であることは、すでにイシュガルド貴族に詳しい者に尋ねて、裏も取ってある。その貴族の名前も。
「この紋章は
――
エヴラール家のものかと思うのですが」
果たして、執事はゆっくりと頷いた。
「よくご存知ですね。たしかに、これはかつてエヴラールという家にあったものです」
「不躾で申し訳ないのですが、こちらの品はどこで手に入れたものでしょうか。ルグロ家は、エヴラール家と交流があったのですか」
オデットが幼い頃にどんな日々を過ごしてきたかについては、この町に訪れたことでかなりはっきりと分かった。しかし、彼女の出自だけはいまだに曖昧なままである。
オデットの母親
――
オディールは救貧院にて過ごし、病で早逝したヒューラン族の女性だ。では、ハーフエレゼンであるオデットの父親
――
エレゼン族の男性は、一体どこの誰なのか。オディールはその男性とどうやって出会い、どうして側にいることが叶わなかったのか。
オデットの持っていた指輪は、両親や出生に繋がる手掛かりの一つだ。思わず前のめりになってしまうのは、ノエとしても仕方ないことだった。
「エヴラール家は、すでに没落して十年以上が経ってはいますが、かつては栄光あるルグロの家の本家ではありました」
「本家
……
」
現在のルグロ家が本家と仰ぐのは、ニヴェール家だ。ノエの知人でもあるティエリーの生家でもあり、ノエの父の隣領を治める膨大な土地の所有者である。
そして、この近辺は、かつて別の家が治めていたと聞いている。ルグロ家がもし、元々は『別の家』に連なる家のものであり、だからこそシュガーグレイヴを含めた近辺の管理を任されているのだとしたら。
「
……
では、まさかこの土地は、元は、エヴラール家の?」
「ええ。シュガーグレイヴだけでなく、ニヴェール様が現在治めている領地の約半分は、かつてはエヴラール様が治めていた土地です」
瞬間、息が詰まりそうになる。
オデットの生家に関係ある貴族の家が、まさか今自分が立っている土地を支配していたなどと、今まで一度も考えたことがなかった。貴族の繁栄と没落は紙一重であり、イシュガルドではさほど珍しい話ではないという先入観が、ノエの思考から二つの家を切り離してしまっていたのだ。
「エヴラール家は、十五年ほど前に火事で屋敷が全焼してしまったのです。屋敷で暮らしていた当主とその家族は、全員火災に巻き込まれて死亡しました」
「火事で
……
」
「ええ。原因は今もって不明なままです。大変痛ましい悲劇ではありましたが、領地が滅びたわけではありません。そこで、エヴラール家の当主と友人でもあり、隣の領土を治めていたニヴェール家の前当主が、かの家の土地を引き継ぎ、教会に押収される前に遺産も回収し、分家の方々に下賜されたのです。このベルも、その一つということです」
他の家から盗んできたものと疑われたのかと捉えたのか、執事は丁寧に入手の経緯を教えてくれた。
そして、今も鳴り続けるベルに促されるようにして、
「では、急いでおりますので」
素早く一礼をして、ワゴンを片付けもせずに部屋から出て行ってしまった。
突如もたらされた情報の洪水に、ノエの思考は未だすぐには回復してくれなかった。
扉が閉まる様子を、ただぼんやりと見送りかけた
――
その時。
(火事で屋敷が全焼
……
一族は誰も生き残っていない。そして、ニヴェールに遺産は受け継がれ
……
って、まさか)
その話を、ノエは知っている。かつてグリダニアにやってきたニヴェール家の執事から聞いた話ではない。
そのことを教えてくれたのは
――
ノエにとってもっと身近な人物だ。
「ちょっと、ノエ!?」
ヤルマルの制止する声も無視して、ノエは扉を勢いよく開いた。扉が開く時間すらもどかしく、彼は隙間に体を捩じ込むようにして部屋を出ていった執事の後を追いかけた。
その間も、自身の中で結びついたある『答え』に、ノエの頭の中は嵐が巻き起こったように何もかもがひっくり返っていた。
(どうして
――
どうして、気づかなかったんだ
――
!?)
考えてみれば、今までに何度もそう考えるだけのきっかけはあった。
ただ、それらを全て繋げるのはあまりに荒唐無稽に思えたのだ。
それに、何より一番の理由は。
(だって、あの人は
――
『知らない』って言ったんだ!!)
廊下を走る音は、絨毯越しにも聞こえたのだろう。執事が振り返り、不愉快そうに眉を顰めてノエを睨んでいた。それでも、ノエのただならぬ様子を見てか、到着を待ってくれていたことに、ノエは心の中で何度も頭を下げていた。
しかし、彼の用事を邪魔することへの申し訳なさや、屋敷の廊下を全力で走ってしまったことへの無礼への謝罪を口にする前に、ノエには尋ねなければならないことがあった。
「
……
すみません。もう一つだけ、質問を
……
させてください。この質問に答えていただけたなら、この後すぐに部屋に戻りますから」
否やと言えば、ノエが地の果てまで食いついてくると思ったのだろう。執事は、不承不承と言った顔で頷く。
ごくりと喉の奥に唾を流し込む。走ったのとは別の理由で止まらない動機を宥め、震える唇で彼は、尋ねる。
「
……
エヴラール家には、養子がいませんでしたか。ヒューラン族の男性で、金髪に青い目をした
――
」
心臓の音がうるさい。拍動が全身にこだまして、無限に響き渡っているようだ。
否定してほしい気持ちと肯定してほしい気持ちがどちらも同時に膨れ上がり、身体中を駆け巡ってはち切れそうだった。頭の中の血管が切れたように、じわりと鈍い痛みが脳天から全身に伝わってくる。
一秒が何時間にも感じられた。
そして、執事はあっさりと首を
――
『縦に』振った。
「ええ、おりましたよ。魔道狂いの当主様の道楽もここまで来たかと、分家の者も随分と呆れ返っていた者です。いくら魔法の才能が優れているとはいえ、よりにもよって貧民街出身の孤児を引き取るなどと」
「
……
その方は、家がなくなった後、どちらに」
「そのような卑しい身分のものがどこで何をしているかなど、私の知るところではございません」
――
知っている、とノエは胸中で返答する。
「浅ましくも、遺産の相続権や土地の管理権を何度か主張していたようですが、結局はニヴェール家の方々が全てを丸くおさめました。それが全てです」
――
自分は、その養子が今どうしているのか知っている。
「では、これにて失礼します。くれぐれも、廊下は走らないようにお願いしますよ」
執事が残した言葉も、ノエの耳に届いたかどうかすら怪しかった。
彼が立ち去ったあと、がらんとした廊下の只中で、ノエは呆然と立ち尽くしていた。
(つまり
……
そういうこと、なのか)
自分の中で結びついた答えを直視することを、頭のどこかが受け入れ難いと感じていた。
同時に、なぜ今まで気づかなかったのかと、先ほどから何度目になるかわからない疑問の形をとった驚愕が、ノエの思考のほぼ全てを支配していた。
(たしかに、その可能性はあった。だって、どちらの家も没落したイシュガルドの貴族の家の話だ。でも、それが、同じ家のことを指していたなんて
――
)
ノエは、二ヴェール家の執事である男から教えてもらっていた。
オデットの持つ指輪に刻まれた紋章が、エヴラール家のものだと言うことを。その家はすでに没落していることを。
同時に、ノエは仲間である彼
――
ルーシャンから彼がかつてどのように育ってきたかを教えてもらった。
あれは、星芒祭の頃の話だ。ルーシャンは、自身がイシュガルドの貴族に連なるものであり、元は貧民の出でありながら、魔法の才を見出されて当主に養子として引き取られたことをノエにだけ教えてくれた。
しかし、その家は火災により直系の一族全員が亡くなり、遺産は全てニヴェールという貴族が引き取ったことも。
遺産について、思うことはあるものの今はもう拘泥していないという話もしてくれた。
その二つの滅びた家を結びつけるのは、あまりに無茶苦茶なこじつけである。意識してそう考えたことすらないほど、ノエの中でその二つは完全に『異なる家のこと』として切り分けられていた。
もし、もう少し慎重に考える余裕があったなら、シュガーグレイヴがかつてルーシャンの父が治めていた町だと気づくことはできたかもしれない。だが、そこから更にオデットの指輪と繋がりを考えることは難しかっただろう。
もっとも、その原因は単なるノエの思考に漏れがあったからが原因ではない。
「
……
だって、ルーシャンさんは指輪を見て、『知らない』と言ったんだ」
オデットが持っていた指輪をルーシャンに見せたとき、確かに彼はこう言った。
――
悪いが、俺もその家紋は見たことがないな。かなり小さな家のものか、私的に作ったものじゃないか?
貴族に引き取られた養子であろうと、ルーシャンはそれなりに長い間、貴族の末席として過ごしていたようだった。だったら、自分の家の家紋を知らない、などということはないだろう。ノエですら、薄雪草をモチーフとした自身の家の紋をしっかりと覚えているのだから。
「
……
あなたは、どうして知らないって言ったのですか」
知っていたはずなのに、なぜ知らぬふりをしたのか。
あの指輪を目にした瞬間、ルーシャンという男は何を考えたのか。
衝動的に何度も問いを心の中で重ねても、今ここにいるわけでもないルーシャンが答えるわけがない。
(
――
だったら、本人に聞けばいい)
疑問を解き明かしたいと言う衝動に突き動かされるようにして、ノエはリンクパールに指をかけてルーシャンへと呼び出しを行う。
柔らかく響く呼び出しの音を、漫然と聞く。しかし、なかなかルーシャンは出てくれそうになかった。
そして、応答を待っている間の静寂は、ノエにとっては情報の洪水で混乱する頭を冷却する役目も果たしてくれていた。
(でも
……
それを聞いて、僕はどうするっていうんだ?)
ルーシャンがどうして知らないと言ったのか、自分は本当によく考えたのだろうか。
彼にとって、家や家族は大事な存在だったはずだ。断片的ではあったが、とりわけ自分を拾ってくた養父について語るときの彼は、懐かしさの中に哀切を隠しきれていなかった。
そんな彼が、家紋が刻まれた指輪を見落としたとは思えない。気付いた上で、それでも黙っていたのだとしたら。
(
……
言いたくないと、思ったんじゃないだろうか)
ノエはそうとは知らずにやったことだが、ルーシャンにとって家紋が刻まれた指輪を見せられることは、十数年をかけて癒した傷を抉り出すようなことだったのではないか。だから、彼は沈黙を選んだのではないか。
だったら、今ノエがわざわざあの時のことを持ち出して再確認するのは、傷にできた瘡蓋を無理やり引き剥がすようなことにならないか。
思考がそこまでたどり着いたと同時に、「ノエか?」と聞き馴染みのある男の声がした。
「どうしたんだ、まだ昼にもなってないじゃないか。まさか、貴族の家で無礼を働いて摘み出されたんじゃないだろうな」
ルーシャンの揶揄混じりの声音の向こうから、「旦那様と違ってノエは礼儀正しいのですから、そんなことはありえません」とサルヒが指摘をしているのが聞こえる。
「あ、いえ
……
そういうわけでは、ないのですが」
「だったら何だ、貴族の家でも暇でもしているのか? こっちはな、聞いて驚け、騎士団の資料整理のために缶詰になってるんだよ! これなら、魔物の首を二、三体切り飛ばした方がましじゃないかって、さっきもオランローと話していたところだ」
からからと笑いながら、現在の状況について語るルーシャン。だが、彼の明るい言葉を聞けば聞くほど、ノエは自分が話題にしようとしている内容が酷く場違いなことのようにに思えてきてしまった。
――
この町は、元はルーシャンさんのお父様が治めていた土地なんですよね。
――
ルーシャンさんは、そのことに気がついていたのですか。
――
ルーシャンさんが引き取られた家は、エヴラール家というのですよね。
――
僕が見せたオデットが持っていた指輪は、エヴラール家のものなんです。
――
どうして、最初に聞いたとき、教えてくれなかったんですか。
――
どうして、僕に黙っていたんですか。
質問が喉の奥まで津波のように押し寄せているのに、どれ一つたりとて、言葉にすることはできなかった。
(
……
僕はただ、疑問に思ったことの答えを好奇心の赴くままに知りたがっているだけなんじゃないのか。それは、当事者であるルーシャンさんにとっては、途轍もなく無礼なことだ)
ルーシャンという冒険者には、ノエも随分に世話になっている。
ノエが独りよがりの善行を積み重ね、ともすれば破滅的な結末に足を踏み出しかけていたときに、彼の生き方に疑問を呈してくれたのは、出会ったばかりの頃のルーシャンだった。
帝国軍の兵士に捕まったとき、動揺するオデットを宥めて、他の部隊に敵の独断行動を仄めかしたのも彼だ。
イシュガルドに到着してからも、父に関わることで感情的になりがちだったノエにとって、一歩踏み出す際に冷静に考えられるよう、何度か言葉を与えてくれた。最初は反対していた飛竜の追跡すらも、最終的には同行してくれた。
竜と化した少年を殺した後、自分では持て余しかけていたノエの感情を引き出し、外へと吐き出させてくれたことも記憶に新しい。
(僕は、これまで僕のことを支えてくれた仲間に、非難するような質問をするつもりなのか)
なぜ、彼が沈黙を守っていたのかも知らないのに、自分は己の要求を満たすためだけに、衝動的に問いだけをぶつけるのか。それは、あまりに不誠実な行いだ。。
「おーい。聞こえてるか? どうした、本当に何かあったのか」
「
……
すみません、大したことではないんです。ただ、皆さんが何してるのか気になっただけなんです」
「若人がいなくてもこっちは何とかやってるよ。今日は巡回任務もなかったしな。明日はいよいよそちらは本番だろ? お前が何かするわけじゃないだろうが、まあ、あんまり無茶はするなよ」
月並みな労いの言葉ですら、今のノエには自分の無礼を責める棘のようだった。その後、二言三言言葉を交わしたあと、
「じゃあ、俺はそろそろ整理に戻るぞ。サルヒに睨まれてるからな」
「はい、ありがとうございました」
そこで終わりにすれば良いものを、「あの」と言葉が口をついて出る。
「今の任務が終わったら
……
少し時間をもらえますか」
「おう、いいぞ。魔法の指導か何かか?」
「それとは別なのですが。もしできれば、指導の方もお願いします」
そうだ。それこそが、ノエが望むルーシャンという男と共に過ごす『日常』だ。
彼にとって所縁ある家の家紋について黙っていたからと言って、それが何だというのか。
いつものように、彼から魔法を教わり、草臥れたら宿に戻って夕飯を食べ、いつぞやのように枕投げに興じるようなやり取りこそが、ノエが彼に望むことなのだから。
「りょーかい、任されましたよっと。貴族相手だからって、肩に力入れすぎるなよ」
軽やかな別れの挨拶と共に、リンクパールの通信が切れる音が響く。
耳の奥から声が消え、静寂が辺りを支配する。しんと静まり返った世界の中、ノエは深くため息をついた。
「
……
時間を置いて、まずは考えを整理しよう。その上で、ちゃんと場を設けて尋ねよう。こんなふうに衝動的に訊くのではなくて」
流石に、当人を置いて話を勝手に進めるわけにもいかない。だったら、オデットにも、今の話はするべきだろう。
ひとまずの方針を定めて、ノエは両手で軽く自分の頬をはたく。次いで、もう一度深く深呼吸。
「
……
よし」
ようやくいつもの自分を取り戻せたと確信できてから、ノエは踵を返して自分が出てきた部屋に向かった。
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