散々に殴られた顔を妹に見せるわけにはいかないので、自宅には戻れなかった。しばらく帰らない旨をメッセージで送信すると、察しの良い妹からわかったという素直な返事が届く。ちゃんと飯食えよ。今日はカップラーメンにする。もっとちゃんとしたの食えよ。たまに食べるのがおいしいんだよ。カップラーメンといつも使っている箸置きに置かれた箸と愛用のマグカップが写った写真を閉じて、左馬刻も隠れ家に備蓄してあるカップ麺を夕食にした。濃い味付けと熱いスープが口の中の傷に染み渡り、ゆっくり食べ終わる。いつもは必要最低限なやり取りしかしないが、こういう時はまめに妹からメッセージが届く。ごはん食べたよ。お風呂入ったよ。お兄ちゃんも夜更かししちゃだめだよおやすみ。おやすみと送って煙草に火をつける。おそらく明日は七時におはようと届くだろう。一本吸い終わり、ソファに横になる。寝室もあるがそこまでいくのが面倒だ。目を閉じて深呼吸すればどっと疲労が押し寄せる。身体もあちこち痛み出す。今日一日のことを思い出せばじわじわと眉間に皺がよる。ひとつひとつ思い出し苛立ちが大きくなったとき、頭の中に笑い声がひびく。
「俺と一緒にコンビ組んでくれ」
男の言い分を最後まで聞いたが、何ひとつ理解できなかった。お笑いコンビ?この俺様が?今まで生きてきた中でそんなことに誘われたことは一度だってない。考えたことだってない。何言ってんだこいつ?左馬刻が黙っていると、男は、すぐには返事できんよなあ、よう考えとって、と笑って去っていった。よく考える?考えるまでもねえ。俺様がお笑いなんてするわけねえだろ。あまりにも馬鹿げたことに、笑みが漏れる。名前はなんといったか、ヌル……なんとか……お笑いコンビのインパクトが強すぎて忘れてしまった。いつの間にか苛立ちは消えていた。男への返事はできないまま、借りも残ったままであった。
一週間ほどでようやく自宅に戻ることができた。左馬刻がひょっこり帰宅すると、妹は、おかえり、と何事もなかったように兄を迎える。まだ跡が残る顔を見て言いたいことは山ほどあるだろうに、まったくお兄ちゃんは、と少しだけ口を尖らせるだけにとどまった。
殴られて顔が変形していようがなんだろうが事務所には毎日顔を出して仕事はしていた。その日も変わらず事務所のドアを開ければ、仲間が挨拶をし、左馬刻さん、白膠木さんが来てます、と当然のことのように続けたので、「は?」と間抜けな声を出してしまった。
「誰だ?」
「白膠木さんです」
きょとんとした仲間が顔を向ける。左馬刻がいつも座っている場所で他の仲間と談笑していた男が、左馬刻を見つけて手を挙げた。
「や!お久しゅう!」
「ああ?てめえ!」
振り返って手を振る男は、確かに左馬刻にお笑いコンビを組んでくれと言った男だった。
「こんなとこでなにしてやがんだ、てめえ、ヌル、ヌル……さら……?」
凄むはずが言い淀んでしまった左馬刻に、男は手を叩いて大笑いした。
「あっははは、ヌルヌルでサラサラってどっちやねーん言うて、白膠木簓な……えっと、あー、もう左馬刻でええやんな、ほらほらここ座って」
「てめえら!なに得体の知れねえ奴入れてんだ!」
「え、白膠木さんこの間の帳兄弟の一件で左馬刻さんを助けたって……」
「ぐっ!」
「ごほん!今日は返事を聞きに来ました!」
ネクタイをキュッと締め直して襟元を整え、白膠木簓は居住まいを正した。
「簓さんとお笑いコンビ!組んでくれますか!」
お笑いコンビ!?と事務所内がざわつく。混乱したまま左馬刻は叫んだ。
「っ……!組むわけねえだろ!」
白膠木簓は、えええ!?と心底驚いたように叫んで仰け反った。
「うそやん。今日の日のためにスーツ作って髪も切ってきたのに!?」
「どう考えても俺様がお笑いするわけねえだろうが」
「いや左馬刻、自分めっちゃおもろいで。簓さんが新しい世界教えたる」
「いらねえ!」
「まあまあそう言わんと。座って座って」
「俺様の事務所だぞ、命令すんな!」
二人の言い争いを固唾を飲んで見守る事務所内で、真っ青なスーツを着た白膠木簓は、左馬刻の剣幕にも何にも動じることなく、まあ座りいな、と煙草に火をつけた。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.