夕飯の片付けを終え一服して戻ると、キッチンでは道具と材料を揃えた合歓が腕まくりをして戦闘態勢に入っていた。スマートフォンの画面とにらめっこをしながら、今からバレンタインのクッキーを作るのだと言う。バターや砂糖、薄力粉を丁寧に計り、ボウルの中で混ぜ合わせていく。「大きい方が良いよね」と板チョコ三枚を豪快に手でバキバキと割り生地の中へ。スプーンで生地をすくってオーブンシートに落とし、軽く形を整える。左馬刻が風呂から上がる頃には家中が甘い匂いに包まれていた。焼きたてのチョコチップクッキーをひとつつまむと、すぐに、お兄ちゃん!と叱責が飛んできたが「うめえじゃねえか」のひと言に、たちまち合歓も誘惑に負けてひとつつまみ、ほんとだ、とにっこりした。次々と焼き上がるクッキーを冷ます間、風呂に行った合歓の目を盗み、左馬刻はもうひとつつまみ食いをする。
せっせとラッピングする合歓は楽しそうである。友達にあげるのだという包みはクラス全員分あるのではというくらいに多い。
「男にあげるんじゃねえだろうな」
「私は友達が多いから男の子の友達もいるかもね」
左馬刻が凄んでみせてもどこ吹く風であり、もう一言二言言う前に、はいこれはお兄ちゃんの分、と渡されたら黙るしかなかった。
「それからこっちは、簓さんの分ね」
「簓ァ?」
「ちゃんと渡してね、お兄ちゃん」
左馬刻と簓用のクッキーはまったくラッピングが一緒だった。
翌日、渋々であったが、合歓からだとクッキーを渡せば、簓はパチリとまばたき、みるみるうちに破顔した。
「言っとくが、俺様のついでだからな」
「何言うとんねん、左馬刻も学校の友達のついでやろ」
「うっせえ」
「お裾分けでも嬉しいなあ。て、チョコでっか!」
「でけえ方がいいだろ」
簓の喜びようになぜだか左馬刻も満更でもない気持ちになり、コーヒーを入れに行く。前までは一人分だったのが、今では簓の分も入れることがすっかり日課になってしまった。もはや無意識で二人分用意している。左馬刻がコーヒーを入れて戻ると、簓は律儀に待っていて、ようやくクッキーを食べ始めた。
「うまいなあ!店開けるやん」
「たりめーだ」
「ホワイトデーにお返しせんとな」
「五倍で返せよ」
「左馬刻は今までホワイトデーになにしたん?」
「あ?金渡してる」
金!ひっくり返った簓の声が事務所に響き渡る。
「いややわあ、金でなんでも解決しようとしてつまらん男やなあ!」
大袈裟に仰け反った簓が、ぽんと手のひらを打つ。
「ええこと思いついた!ホワイトデーどっちが合歓ちゃん喜ばせられるか勝負しようや」
「なんだそれ、くっだらねえ」
「お、不戦敗ってことでええ?」
「俺様が負けるわけねえだろ」
簓が笑いクッキーをかじる。左馬刻はホロホロと崩れた中から現れた大きく固いチョコレートを噛み砕く。
「ほらよ、合歓からだ」
コーヒーを用意してラッピングしたクッキーを渡せば、簓は目を見開いて驚き、え!と大きな声を出した。
「合歓ちゃん!?ほんまに!?」
「おー、俺様のもある」
まったく同じラッピングをされたクッキーを取り出してみせる。
「めっちゃ嬉しいやんか。わはは、相変わらずチョコでかいなあ!」
「でけえ方がいいだろ」
うやうやしく大きなクッキーを掲げてなぜか礼をしたあと、簓はがぶりとかぶりついた。
「世界一うまい」
「たりめーだ」
「ホワイトデーどないしよかな」
「金渡すか」
「せやなあ、それで好きなもん買うてもろて」
「つまんねえ男になりやがって」
「え!?」
固くて甘い大きなチョコレートを噛み砕き、左馬刻は声を上げて笑ったのだった。
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