moto
2023-01-15 10:49:58
1052文字
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fall in

さまささワンドロワンライお題「跳ねる」「懐かしい」

ホテルの部屋に入り、洗面台の鏡を見て、ようやくフロントの従業員の何か言いたげな戸惑いの表情の意味がわかった。鏡に映る自分は、いつものにこにことしたスッキリとした姿ではなかった。髪は埃まみれでボサボサ、顔も服もすべて汚れているし、唇の端は切れていて頬は腫れていた。鼻血は辛うじて出ていなくて助かった。そんな見た事のない自分に驚いて、ワッと声を上げる。こんな姿でフロントでチェックインし、お世話になりますう〜とへらへら笑う胡散臭いやつをよくもまあ止めなかったものだ。手だけを洗おうとしていたが、これは全身洗った方がいい。決断するやいなや、簓はパパッと服を脱ぎ捨て裸になり、浴槽へ飛び込んだ。熱いシャワーに打たれていると、今まで気づかなかった所があちこち痛みだす。あんな大乱闘の中、よくこれだけの怪我ですんだものだ。今まで耳にした事のない怒鳴り声と悲鳴、人間はあんな声も出せるのか。鉄パイプで人を殴る、殴られる感触。今まで生きてきて人を殴ったことも殴られたこともない。漫画やドラマの世界だ。それなのに、ほんの数時間前に一気に襲いかかってきた。身体がぶるぶると震え出した。恐ろしさからではなかった。逆におかしくておかしくて、込み上げる笑いを耐えることができなかった。シャワーの音に混じって、声を上げて笑う。一回笑ってしまったら止めることはできずに溢れる笑いに身を任せる。俺とコンビを組んでくれと言った時のあいつの顔といったら。お笑いで漫才のコンビであることを付け足せば、ボコボコにはなっていたが男前である顔がさらに歪んだ。すぐ怒鳴りつけたかっただろうに、簓の説明に忍耐強く耳を傾けていたのは、借りがあると思っていたからなのかもしれない。律儀なやつだ。思い出したらますます笑いが止まらない。じっくり語り合おうぜのあとの拳でって言い忘れたわとかめっちゃ上手いこと言うとるし。ひいひいと息も絶え絶えに笑いながら全身を洗い流して風呂場を出る。下着だけを身につけて、ベッドに大の字になった。碧棺左馬刻という男と出会ってから跳ねっぱなしの心臓を押さえる。どくどくと響くこの懐かしい直感を絶対に手放してはいけない。あのあと左馬刻に付きまとって、追い返されてしまったが、拠点は把握済みである。明日からのやるべき事がはっきりした。さーてさてと。
「笑う門には福来る、言うて」
 これだけ笑えば、すべて上手くいくに違いない。
 まずは腹を満たして明日からの戦に備えよう。
 鏡に映る自分は、それはそれは、楽しそうに笑っている。