さかな
5870文字
Public 豆ぺら本
 

夏とあかいろ(製本版)

pixivで公開したものを、BOOTHで販売した豆ぺら本にする際に加筆修正したバージョンとなります。

ストロー


 オンボロ寮には2種類のストローがある。白の曲がらない安いやつと、赤の曲がるちょっと良いやつ。
 普通の日用のストローと、良いことがあったり落ち込んだりした日用のちょっといつもと違う“特別”なストロー。
 そもそもグリムがグラスから飲むの下手くそだったことで買い始めたのだが、段々上手に飲めるようになったし監督生がご機嫌取りしないでも自分で気持ちを立て直すことも増えた。もういらないのか……と成長を寂しく思いつつ、買い足さずに減っていくストローをしみじみ眺める毎日だった。

 夏も近付くある日。すっかり顔馴染みになったジェイドがまた山の話するためにオンボロ寮を訪れていた。
 いままではジェイドが淹れた紅茶をお供にするのがお決まりだったのだが、最近は鏡舎からここまで歩くまでにじんわり汗を滲ませる人魚のため監督生が冷たいものを用意している。
 今日はアイスミントティー。自家製ミントシロップを炭酸水に混ぜて、冷凍レモンを浮かせるだけのお手軽ドリンクだ。材料もプランターに溢れんばかりに育ったミントと、裏山から捥いできたレモンなのでお財布にも優しい。

「どうぞ、おまたせしました」
「ありがとうございます」

 汗なんてかきませんけど? みたいな澄ました顔をしている先輩へグラスを渡す。
 大きな窓から入る日差しが眩しいだろうに、この人魚は山の話をする時だけゲストルームではなく談話室を好む。あっちのほうが人もいるし布教には向いてそうなのだが、茶々を入れられるのは我慢ならないらしい。まぁ目を離せば誰かが喧嘩してるような学園だし分からないでもないが、そろそろここは暑かろうに。
 ジェイド先輩は楚々とした素振りでストローを咥え、スーッとひと息でグラスをほぼ空にする。やっぱりなぁ、と用意していたピッチャーでおかわりを注いでやれば「すみません」と恥ずかし気にはにかんだ。
 私の手にはちょっと大きいグラスなのに、先輩が持つとそんな風には見えなくて。このひとに丁度良い大きさのジョッキなんて果たして自分に持てるだろうか。

……今日はフレックスストローなんですね」
「え?」

 ぼんやりと聞き返せば、騙し絵みたいなその大きい手がちょん、とストローをつついた。

「いつもはもっと素っ気ない、白のストレートストローだったでしょう?」
……曲がるストローってちゃんとした名前あったんですねぇ」
「そこですか?」

 笑いつつも目は逸らされることなくこちらをジッと見て次の言葉を待っている。なんでもないような顔をして聞いてきたくせに、知りたがりの人魚は逃がしてはくれない。

「別に、理由はありませんよ」
「おや? グリムくんが言うには赤いストローは
“特別”とのことでしたが……。僕、担がれてしまったのでしょうか」

 悲しいです、とお得意のわざとらしい嘘泣きをされて思わず顔を顰めてしまった。
 2人が一緒にいるとこなんて見たことないのに、いつの間にそんな会話をしていたんだろうか。

「ふふふ。かわいいお顔がくちゃくちゃですよ」
「うるさいです……
「ほら、おいしいおやつをあげるので機嫌を直してください」

 手土産のマドレーヌをぐいぐい押し付けながら、先輩はなにやら確信を持って聞き出そうとしてくる。

「ねぇ、監督生さん。今日はなにが“特別”だったんですか?」
「うーん……昨日ちょっとショックなことがあったので……景気付けみたいな感じです」
「ショックなこと?」
「ええまぁ。でも、薄々わかってはいたことなので」

 根負けはしたがしっかり話す気にはなれず、目を逸らして意味もなくストローでグラスを掻き回す。
 先輩もなるほど、と呟いたきり黙ってしまい、部屋には炭酸が抜けていくシュワシュワと弱々しい音だけが満ちていた。

「確かに、そうでしょうね」

 炭酸の泡を纏っていたレモンがくるくると踊りその姿を鮮明にしていく中、先輩がごく抑えた声で話し出す。

「貴方のこれまでのご活躍っぷりについ忘れてしまいそうになりますが、非魔法士ですものね」

 静かな、けれどもはっきりとした声に肩が震えた。

「ですが、この学園でしか得られないことも多くあります。授業もそうですが、人脈なども」
「あの、なんの話を」
「元の世界に帰れないんでしょう?」
「は」

 それはまだ誰にも、グリムにも話していない。知っているのは先生方くらいのはずだった。

「この世界で生きるなら転校もひとつの道だと、言われたのではないですか?」
「盗み聞きでもしてたんですか?」
「そんな、はしたない」

 ヨヨヨ……とでも言いそうなしょんぼりした声に信じられない思いで顔を上げれば、先輩は見たことない顔をしていた。困ったフリしてる時に似ている、でもそれより真剣そうな顔。

……けど、グリムにはもう監督役なんていらないんですよ」

 神妙な雰囲気につられて、つるりと心情が漏れる。

「授業をサボるのもかなり減りましたし、課題だって私が声を手伝わなくても最後まで1人で出来るようになりました。ムシャクシャする! とか言って暴れなくなりましたし、ご飯だってあればあるだけ食べちゃうこともなくなりました」
「えぇ」
「来年度はもう、ふたりでひとりの生徒じゃないんです。正規の生徒にしていただけるって」
「頑張りが認められたんですね」

 人ひとり分は空けて座っていたはずなのに、いつの間にかすぐ隣にいた先輩の手が伸びてくる。ぎゅっと強く握ってしまっていたグラスをゆっくり抜き取られ、代わりに大きな手で包まれる。

「喜ばしいことではないですか」
「それは、そうなんですけど……

 ジェイド先輩らしくない距離に思わず後退ろうとすれば柔らかく包んでいたはずの手が手首に回り、顔を逸らそうとすれば更にもう片手で顎を鷲掴まれた。

「僕、サマーホリデーは珊瑚の海に帰るんです」

 手首を回り切った革手袋がぎちりと鳴る。これ跡になるんだろうなぁ、なんて意識を飛ばしていたら、先輩がまた流れのよくわからないことを言い始めた。

……お土産はなにがいいですか?」

 はくりと一回息を逃して、絞り出すように何を言うかと思えば!

「ふふ、先輩お顔くちゃくちゃ」
「答えてください」
「アッいたい! やめ、顎なくなっちゃう!」

「帰ったゾー! 子分〜!」

 身を捩ってミチミチと締まっていく手から逃げようとしたところへ、玄関から大きな音がした。遊びに行くついでにお使いを頼んでいたグリムだ。

「チッ」
「し、したうち……

 帰宅の声と共に先輩の圧が弱まり、これ幸いとジッと目を見れば不承不承といった風に引いてくれた。なんとか助かったと解放された顎をさする。

「グリム、おかえり〜!買い出しありがとう」
「どーいたしまして、なんだゾ!」

 こちらの所在に気がついたグリムが談話室に飛び込んできた。先輩に気が付いてちょっと尻尾をボワつかせたが、お使いを果たしてきた頼れる親分は鼻をひとつ鳴らしてすぐに持ち直す。

「ひとりでお買い物ですか?」
「オレ様、もう重い物もへっちゃらだもんね」
「魔法頑張って覚えたもんね」
「おう!ほら、頼まれてたツナ缶!」

 本当に、頼れる親分になった。

「あれ? それは?」

 お願いしていたのは特売のツナ缶だけのはずだが、買い物袋にはまだなにか入っているようだった。お小遣いでオヤツでも買ったのかな、と思って聞けば、なんてことないようにグリムは言う。

「ストロー」
「え」
「気が付いてなかったのか? もうだいぶ少なくなってただろ」
「そ、っかぁ……
「にゃはは、褒めても良いんだゾ!」

 それは白の曲がらないストローと、赤の曲がるストローで。

「でもグリム、もう無くても大丈夫じゃない?」
「えー!ないと気分上がらないんだゾ」
「グリムくんはストローがお好きのようですが、それでもどちらかひとつで良いのでは?」
「“いつもの”と“特別”はどっちも大事だろ?」

 そんなのも分かんないなんて馬鹿だなぁ、と言わんばかりの態度に、なんと返せばいいのかわからなくなる。

「子分もそう思うよな?」

 もう要らなくなったと思ったのに。

「あ! オメーらも使ってるじゃねーか!」
「え。あ、うん」
「これはなんの赤いやつだ?」

 グリムは当たり前のようにそれに意味を見出してくれてて。

……良いことありますように、の赤いやつだよ」

 声が震えませんようように、なんて事ないように聞こえるようゆっくりと返す。

「ふふん。そんな子分にピッタリなものがあるんだゾ」
「おや、なんでしょう」
「オメーにじゃねぇ!」

 ずい、と身を乗り出したジェイド先輩に、自慢げだったグリムが慄くように飛び上がる。私にぶつかるように「ほら、これやるんだゾ!」と買い物袋を押し付けて、走り去っていってしまった。

「もう、先輩」
「脅かしたつもりはないんですが……

 ニヤリとした口角はわざとであることを示している。
 ため息を付きながら袋に残ったものを取り出すと、ひと口チョコだった。

「貴方が好きなやつですね」
「うん……いや待ってなんで知ってるんですか?」
「おやおや」

 誰に言ったわけでもないことをまた知られている。普通に怖い。

「良かったですね」
「また誤魔化そうとして」

 なんなのだ! と言い募ろうとしたが、本当に嬉しそうに微笑んでいるのに気が付いてしまい言葉に詰まる。

……先輩は、今日なんで来てくれたんですか」
「まだわからない?」

 足音をわざと立てて、一歩、二歩と先輩が近寄ってくる。三歩目、コツリと鳴ると同時に腰を取られる。
 ぐっと近付くゴールドとオリーブから目を逸らすことができない。

「ねぇ、」
「ジェイドせんぱい」

 このままでは折角のチョコが手の中で溶けてしまう、と思いつつ、親分のくれた“良いこと”に縋るような気持ちで握り締めた。

「私お土産、貝殻がいいです」

 きれいなの選んできてください。
 声は震え、囁くように言うのが精一杯だった。

「えぇ、とびきりのを。絶対」