井見
2025-03-03 16:57:40
4842文字
Public 真Ⅳ・真ⅣF二次
 

林檎

真Ⅳのリクエストをいただいた時のものです。
書いたのがキチジョージの森に行った時だったので、パン屋さん次元です……。

 目的のパン屋は城下町の下層、カジュアリティーズの居住区にあるという。寄宿舎からは少しばかり歩くが、目覚めの散歩にはちょうどいい。フリンは欠伸を噛み殺しながら準備を整えて、急かす二人の後を追った。
 朝日が眩しい。フリンは思わず目を細めた。故郷からは天気が良いときにだけ見えたミカド城が、目の前で日の光を受けながら神々しく輝いている。屋上からは負けるけれども、広場も十分高い場所にあるから、朝の目覚めの淵にある街並みもよく見下ろせる。遠くの煙突からは煙が立ち上り、洗濯物はめいっぱい日差しを浴びようと風に揺れている。
「おいフリン、何してんだよ。忘れものか?」
 景観に気を取られて、知らず知らずのうちに足が止まっていた。
 悪い、と答えようとして、代わりに口から出たのは、大きなくしゃみだった。
「冷えたのかな? 朝は結構冷え込むから、ちゃんと着込んだ方がいい」
 そう言うヨナタンから、高そうな真白のハンカチを迷わず差し出されて、丁重に断った。
 なるべく露出が減るように、首のスカーフを整える。街の空気はしんと冷えていて、冬の始まりのように感じられる。土の少ない街は夜の間にすっかり冷え切ってしまうのだろう。
 背中をワルターに軽く小突かれ、早く行こうぜ、と急かされた。
「止まってた方が冷えるだろ。サムライになって早々風邪なんて引いたんじゃ、笑われちまうからな」
「僕としては、君がなぜその格好で平気そうなのかがわからないのだが……
 ワルターはいつもどおり胸を大きくはだけさせた服装で、これでは冷たい空気が直に肌に触れる。しかし彼は全く堪えていない。
「これくらい余裕だろ。風はないし、天気も良い。絶好の昼寝日和だぜ。
 ま、もう少し日も昇れば、少しはあったかくなるんじゃねえか」
 ワルターはそう言うと、ふわ、と大きな欠伸をした。 
 
 
 ヨナタンのお気に入りのパン屋は、評判は良いといっても、売り切れを心配する必要はないという。どうせなら街をゆっくり見たいと思い、サムライになってせっかくの初めての休暇なので、とヨナタンに案内を頼むと、彼は快く頷いた。
 ラクジュアリーズの住む上層は、文字通り住む世界が違うといった具合で、見るからに堅牢な建物には職人による繊細な装飾が施され、窓は埃一つなくぴかぴかに磨き上げられている。舗装された路は広く、三人で横並びになっても邪魔にならないくらいだ。
 ヨナタンは、この道は、この先は、と楽しげに案内をしてくれる。難しい歴史の話はフリンの眠気を誘うが、ヨナタンの少し弾んだ声で目が覚める。何より面白いのは、声を掛けてくる人たちの多さだ。
「おお、ヨナタン様。本日はお休みで?」
「ヨナタン坊ちゃん、本当におサムライ様になられたのねえ……
「ヨナタン様ならきっと選ばれると思っていましたわ!」
 そんな調子で、たくさんの人々がヨナタンを歓迎している。そして当のヨナタンは、やはり優等生らしく、完璧な受け応えで笑顔を振りまいている。
「あれで本心なのが、おっかねえよなあ」
 ワルターがこそりとフリンに耳打ちした。うんうんと頷く。
 彼のありがとうございますに含まれているのは、シンプルにありがとうございますという意味だ。街の人々へ返す笑顔は、見守ってきてくれた感謝だとか、サムライになった誇らしさだとか、混じり気のない感情だった。人々が彼を持ち上げる。いや、時折暗い感情を滲ませている者もいた。優秀で恵まれているからこその妬み。だがヨナタンはそんな相手にでも、さらりと微笑んでしまう。そんな手合いは慣れっこなのだろう。
 みんながヨナタンを知っていて、ヨナタンもみんなを知っている。ここは彼が暮らしてきた街なのだ、とフリンは改めて感じた。
 そもそもここはラグジュアリーズの人間が暮らす場所で、本来カジュアリティーズであるフリンたちが立ち入ることはあまり歓迎されない。サムライになったとしても、それは同様だ。もし見慣れぬカジュアリティーズであるフリンとワルター二人だけでウロウロしていたら、非難されないにせよ、疎ましい目を向けられていたに違いない。だが今は、ヨナタンと一緒にサムライに選ばれた者たちとして、控えめに歓迎されているのがわかった。
「ヨナタン様ぁ、ファンサービスはそのくらいにして、そろそろ〝パン屋さん〟に行こうぜー」
「ファンではないが……いえ、こちらの話です。はい、ありがとうございます」
 軽い人集りができ始めていたので、二人でヨナタン様の腕を掴んで引きずり出す。
「ったく、ずいぶんな人気っぷり……ってなんだそりゃ、もらったのか?」
 ヨナタンの手には、一輪の綺麗な花が握られていた。
「先程の女性が花を育てているらしく、ぜひ貰ってほしいと譲らなくてね……
 ヨナタンがいると聞いて、急いで持って来たのだろう。彼に捧げるべく選ばれた花は、大きな花弁を誇らしげに開きながら、華やかな匂いを広げている。とはいえ花を持たされても、今から寄宿舎へ帰るのも面倒だし、かといってそのまま持ち続けているのも少し邪魔だ。ヨナタンは邪魔なんて言わないだろうが、少なくともフリンにはそう感じられた。
 フリンはヨナタンからその花を借りると、彼の胸ポケットに思い切り差し込んだ。大きなブローチのようになり、ラグジュアリーズたちがこぞって好む宝石にも負けない。
 おまけに、花の咲きほこるヨナタンの胸を上からぽんと叩きながら、
「似合うぞ、ヨナタン様」
 と加えた。
「やめてくれ、君まで……
 ヨナタンは照れくさそうにしながらも、胸に差された花をするりと撫でる。
「で、女の子と話が盛り上がったところで、その胸の花をプレゼントってわけだ」
「なるほど、完璧な流れだな」
「そ、そんなはしたない真似をするわけがないだろう!」
「『貴女にはこの花がよく似合う』とか、平気な顔して言うだろ?」
 ワルターはヨナタンを真似ながら、気取ったポーズで花を差し出すジェスチャーをした。
「似ている」
 フリンはうんうんと頷く。
「君たちには……僕はそんな奴に見えているのか……?」
「落としてやろう、という意気込みはなく、無自覚でやっていそうだ」
「というか、今までに絶対やってただろ? 胸に手を当てて考えてみろ」
 ワルターが言うと、ヨナタンは言われたとおりに胸に手をやり考え込み始めた。それがおかしくて、フリンは思わず吹き出した。
「なっ……笑わなくてもいいだろう!」
「いや……悪い」目元にたまった涙を拭いながら、「行こうか」と先を促した。
 
 
 カジュアリティーズの階層まで降りると、人の流れ方が変わった。朝から忙しなく行き来する人たちは、自分の店の準備などをしているのだろう。さっきまでは広々としていた道も狭くなり、家や店がぎゅうぎゅうに詰められている。「さあおサムライさん、寄ってってよ」と気軽に声をかけてくる店主もめずらしくない。
 フリンはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いていたため、ヨナタンの靴をちょっと踏んでしまった。すまない、と軽く謝罪をすると、ヨナタンはにこりと微笑む。
「二人は、城下町には親しくないのかい?」
「オレは村の使いで何度か来たくらいだな。だいたいそういう時って忙しいから、こんなふうにブラブラはできねえんだよ。フリンもそんな感じだろ?」
「そうだな。帰りのことを考えると、あまり長居もできないし」
「だよなあ。サムライの試験がなけりゃあ、ずっと村にいたかもしれん」
 自然、フリンの視線は左腕にはめたガントレットに吸い寄せられる。あの儀式の日から突然始まった新しい日常は、このガントレットをはめなければ訪れなかったものだ。
……サムライに選ばれなければ、二人に会うことはなかっただろうな」
 もしガントレットが反応しなければ、今頃イサカルと一緒に愚痴をこぼしながら畑の面倒を見ていたに違いない。悪魔なんて存在も知らず、元あったいつもに戻っていたはずだ。
「そうそう、朝メシにパンを買いに行くとか、先週のオレは想像もしてなかったぜ」
「そうだな。例え自分がサムライになっていても、もし二人がいなければ一人で朝食をとっていたかもしれないのだし……
 だが、あの奇妙な夢は……とまで思って、フリンはかぶりを振った。
 たぶん。と先の自分の言葉に小さく付け加えたが、二人には聞こえていないようだった。
「おっ、なんだなんだ。急に賑やかになったな」
 ワルターが明るい声をあげる。道が急に混み始める。人混みの中心にあるのは、朝から景気のいい青果店だった。ラグジュアリーズの世話をしているような使用人めいた人たちの姿も見える。野次馬らしく近づいてみると、見事に色づいた多様な果物が所狭しと並んでいた。
「ここも上で有名なお店だ。いつも旬の果物が並んでいて、僕もたまにおやつに買うよ」
「あーもうだめだ、パンまで我慢できねえ!」
 ワルターは手前の籠から一番美味しそうな林檎を迷わず手に取ると、元気よく店主を引き留めて値切りすら始めた。瞬く間に手に入れた獲物を頬張ると、ワルターは口をモゴモゴさせながら「美味え!」と歓声を漏らす。
「行儀が悪いぞ、ワルター」
 微笑みながら眉を顰めるヨナタンを、ワルターは小突く。
「美味いもんに美味えって言わない方が行儀が悪いだろ?」
 そう言い切ってもう一口。瑞々しい林檎の音が魅力的だ。二人が楽しい小競り合いをしている隙に、フリンも一つ購入し、コートのポケットに忍ばせる。とても美味しそうだが我慢だ。ここまで来たら、パン屋のパンに最初の朝飯を譲りたい。
 朝飯より先に土産ができてしまった、とはにかみながら、フリンは人混みを抜け出す二人に続いた。
 
 *
 
 寄宿舎の屋上はやっぱり冷えた。少し高いから、風が冷たいのだ。夕暮れにさしかかった空気は、朝のそれと一味違う。フリンは朝以来のくしゃみをした。
 誰もいない。日が暮れ始めてもまだ活気づいている城下町が遠くに見えるが、広場は清閑としている。ただでさえ悪魔が行き交うナラクに、夜侵入するのはとての危ない。緊急でなければ、サムライたちは日暮れとともにナラクから這い出て、Kの酒場へとなだれ込む。今日も、弱まった日差しの下で、酒場の明かりが煌々と輝いていた。
 みんなでパンを食べて、イサカルと少し話をしてから、フリンは故郷の村を思った。サムライになって慌ただしい数日、仲間の命すら危うい時間があったせいで、自分自身のことがすっかり抜けていたが、そういえばもう村へは住めないのだ。せめて一度挨拶をしに、と思うのだが、一日の休みだけでは往復できない。城下町をふらふらしていてもその気持ちは消えないので、フリンはやっぱり屋上を選んでいた。
 屋上の高さからでは、故郷の村は流石に見えないが、途中の農道は馴染みの道だ。行商の人が灯りをつけながら大きな荷台を走らせている。この道をイサカルはもう帰っただろうか、と思いながら、フリンは土産に帰っておいた林檎を頬張った。
 イサカルの方がずっと背が高かった幼い頃、木に成っている果物を取ってもらった。そんなことを思い出しながら、しゃくりと歯を立てる。あの果物はなんだったっけ。十年以上も前のことだから記憶も曖昧だ。次に会ったら聞いてみようと思った。
 サムライとしての生活が安定したら、二日くらい休みがもらえるだろうか。それなら村へ行って帰っても十分時間が取れる。土産にパンと林檎でも買って帰ろうか。それに置いてきたままの私服をいくつかこっちに持ってきたい。
 いつになるだろうなあ、と故郷の方角をぼんやり眺めながら、最後の一口を飲み込んだ。真っ赤になった夕日が地平線に沈み始めていて、空も林檎みたいに色づいている。まぶしくて、フリンは目を擦った。空は赤かった。



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