望月 鏡翠
2025-03-02 22:58:00
886文字
Public 日課
 

#1647 「樹海」「一日」「盆」

#毎日最低800文字のSSを書く/三題噺


 出発の日、本当に行くのかと彼は最後まで心配していた。
 今更行かないという選択肢はないのだから、悩んだところで仕方がないだろう。だがそんな風に簡単に割り切ることができるものではないらしい。
 樹海の中では通信支援を受けることができない。昔ながらの地図とコンパスが頼りである。
「たった一日の探索でそこまで心配をするなんて、よほどの寂しがりだと思われる」
 揶揄うように言ったのは冗談で気持ちを和らげようと思ったのだが、仏頂面で返された。
「俺が馬鹿にされることで、危険から遠ざかるのなら、それでいい」
「まあ、万が一のことがあっても、盆には帰る」
 クラシックな冗談は伝わらなかったらしい。しかし伝わらなくてもいい類の冗談だった。故郷にそういう風習があったのだ。古い小説の中に出てきたから知っているだけだが。
 死んだ人間が盆という季節になると戻ってくるらしい。戻ってきて何をするのか。どうして死んだ人間が戻ってくるなんていう思考回路になったのか、私にはわからないが、信仰というのはそういうものだ。
 何も信じていないから私は死ぬことも恐ろしくないが、私が死ぬことを恐れる彼は、何かを信じているのかもしれない。
「大丈夫だよ」
 大丈夫になるように、私は最大限の努力をする。生きて帰ってきて、彼の不安を取り除いてやりたい。しかし、それが難しいということも理解していた。
 樹海に入った調査隊は、その果てを見ることはなく、帰ってくることもなかった。その理由を、これから知ることになるのだろう。
 彼らは戻ってくる必要がないくらい平和に暮らしているだけだと信じたい。しかしそれがあまりにも楽観的な観測だということもわかっている。
 せめて、彼が同じ不幸に見舞われることがないように、精一杯の情報を残そう。
 人の生活領域から一歩一歩遠ざかっていく。手元に表示されている端末が、やがて圏外になり一切の通信が途切れた。アナログの記録に切り替える。届けたい情報があれば、鳩に結びつけて返すのだ。
 リュックサックに結びつけた籠の中で揺られている鳩だけが唯一の道連れだった。