su7ga0
2025-03-02 20:18:46
5732文字
Public 則さに
 

夜を詰める

則/さ/に。桃の節句に寄せる則宗の爺ィ心(じじいごころ)の話です。


 則宗は、得てして食えない爺である。
 好々爺の顔をしてはいるが、あの顔は、年月を経て行き着いた、則宗なりの処世の すべのようなもののように思える。
 勿論、鎌倉だか平安だかに生まれたらしい則宗が、私より年寄りの「爺」という事実に変わりはないし、彼の仕草も嗜好も、爺そのものだ。だが、彼が、芯から純然なる年寄りであるかどうかは定かでなく、真実は則宗本人にしかわからない。
 本丸へ来てからの彼は、扇子で隠した口元と腹の底に、湿度の高い感情を巧く隠している、難儀な性格の男だ。
 そんな風に食えない爺の則宗だが、ごく稀に、驚いて唖然としたり、慌てたりする時がある。今までに何度か、則宗のそんな珍しい様子を目の当たりにしてきた。
 例えば、むかし、則宗に連れられて現世の稲荷社へ参った時のことだ。初午祭 はつうまさいに行きたいという私のボヤキを、彼は律儀に覚えてくれていた。
 本丸にも一応狐はいるが、あれは稲荷神というには随分と胡散臭いし、よその本丸の狐と比べると、食べ過ぎで少し幅が出ている。とにかく何だか怪しげなのだ。私と則宗は五穀豊穣の願いをきちんと届けるべく、参拝客にまじって人混みを歩き、稲荷神へ参り、帰りは縁起物の熊手を抱えて参道に並ぶ屋台を覗いた。
 屋台を覗いて歩く途中、各々欲しい物や食べたい物を買い求めるべく、別行動をした。その際に則宗は焼いた しいの実を買っていて、合流したあと、「美味いぞ、食べるか?」と紙袋を向けてきた。
 椎の実はどんぐりの仲間だ。どんぐりにしてはあくが少ないから、焼いたらそのまま食べることができる。茶色の硬い殻を剥がして白い中身を熱々のうちに食べると、栗のようで美味しい。
 しかし、私は、則宗に勧められるまで椎の実を食べたことがなく、また、椎の実が食べられるということも知らなかった。椎の実の食べ方を知らなかった私は、外側の殻ごと椎の実を口に含んでしまった。硬い殻を一生懸命咀嚼しながら、これのどこが美味しいのだろう……と怪訝に思っていると、目の前の則宗は、妙なものを見つめる眼差しでこちらを見ていた。
「お前さん、食い方を知らなかったのか……
 あの時の則宗は、珍妙な生き物に遭遇した、と言わんばかりに、眉間に皺を寄せて頬を引き攣らせていた。
 ……則宗が私の隣に収まってから今まで、似たような出来事は何度かあった。南泉曰く、「御前が爺の顔を崩すのは、敵と私の前でだけ」、というらしいから、食えない爺は、私には素に近い部分を覗かせてくれているのかもしれない。
 ——今日は、桃の節句の日だ。娘盛りも過ぎ、年増も年増で大年増だから、もう節句などしなくて良いと刀らに毎年言っているのだが、人と違う時を生きる付喪神には、どうも上手く伝わらないらしい。燭台切などは心得たもので、「節句にかこつけて、夕食の献立を考えなくていいからさ。楽をしたいから、お願い」などと片目を瞑ってくる。そう言われれば、私は何も言えない。
 毎年この日になると、則宗は桃の枝を私の部屋に活けるのだ。
 蕾を綻ばせる気配を漂わせながら、春を待つ桃の花。今日も、まだ硬い蕾を孕む桃の枝は、部屋の暖かい場所にいつのまにか活けられていた。邪気を払い、健やかな成長を願うにしては、私は歳を取り過ぎているように思える。だけど、私に対してだけ、則宗が爺の顔を崩すというのなら、きっとこの日に彼が桃の花を飾る意味はあるのだろう。
……どうした。何かついていたか?」
「何でもないよ。どの花が一番最初に咲くかなって、見てたの」
 夕食後、私に続いて風呂から上がった則宗は、ふぅん、と低く声を漏らした。普段のボリュームが失せてぺそりとした髪の水気を、頭に被せたタオルで雑に拭っている。
「なあお前さん、爪は伸びていないか」
……なぁに? そんなに伸びてないよ、どうして?」
「自分のを切るついでに、お前のも切ってやろうと思ってな」
「まだ大丈夫かな」
「じゃあ、ヤスリだけ」
「それならお願い」
 返事をすると、則宗はタオルと濡れ髪の合間から嬉しそうな顔を覗かせた。
 彼がわざと「切ってやろうか」なんて言い出したことは分かっているが、こういう時は大人しく従うに限る。頼られたり、甘えられたりすると喜ぶひとだ。それに、私の方も、頼まれごとを上機嫌でこなす則宗を、こっそり見つめるのが好きだった。
 私の部屋に棲みついて長らく経つ則宗は、日用品をしまっている引き出しから、迷うことなく爪切りとヤスリを取り出し、流れるようにソファーに腰掛けた。足を開いたところの、股の間の ひらけた部分を手で叩き、私を呼ぶ。
「ほら、おいで」
 頭にタオルを被せたまま、則宗は、早く来いと手招きした。開かれた太い腿の間に座ると、則宗は、私の背中へ被さるように肩へ顎を乗せる。片膝を立て、そこへ私の貧相な右手を置き、爪の具合をじっと観察し始めた。
「なんだ、そこそこ伸びてるじゃないか」
「則宗が深爪すぎるんだって。少し長さのある方が良いらしいよ」
「あのなあ、誰のために深爪にしてると思ってるんだ」
「え? あ。……あー、ごめんね。いつもありがと」
 気まずい気持ちを抱えて唇を尖らすと、則宗は満足気に短く鼻で笑った。
 私を背中から抱え込む形で覆い被さる則宗は、ヤスリを取り、私の爪を削っていったのだが、その手付きは緊張感すら漂うほど慎重だった。
 先ほど私を揶揄した態度とは打って変わり、角度を注意深く定めて短く一削りし、削り具合を確認し、また削る。……ということを、じっくり時間をかけて繰り返した。それが右手の指五本分だ。最初は則宗の指が慎重に動く様を楽しんで見つめていたが、右手が解放された頃には、肩に感じる金色の頭の重みが少々耐え難くなった。
 黙り込んで集中していた則宗だったけれど、私の左手を取った時、不意に、「ちょっとだけ切るぞ」と言った。
「うん、どうぞ」
 答えるなり、爪切りの乾いた音が部屋に響いた。
 切られたのは猫の毛ほどにも満たないような一欠片で、果たしてこれを切る意味があったのだろうか、なんてよぎってしまった。
 そんな一欠片を、則宗は、用意していたちり紙の上へ慎重に落とした。何気ない仕草が、その時だけはやけに丁寧に見えた。
 則宗が爪切りを使ったのは、それ一回きりだった。
 あとは右手の指の時と同じように、ヤスリを使って削った。
 時折手にかかる静かな吐息と、頬に触れる濡れ髪のくすぐったい感触。恐らく真剣な眼差しをしているであろう則宗の顔を覗きたかったのだけど、湿ったタオルが被さったままだったから、表情はよく見えなかった。
 背中に感じる風呂上がりの温もりが少しずつ失せてゆき、寄せた身のあたたかさだけが残った頃、「よし、終わったぞ」と解放された。
 ずっと息を詰めてじっとしていたので、身体はすっかり固まっていた。うなじをさすりながら肩を回し、爪の仕上がりを見る。爪には、則宗の慎重な仕事の成果が美しく現れていた。
「ありがとう、則宗」
 振り向けば、則宗は既に自分の爪を切り始めている。
「おう」
 被ったタオルの合間から、則宗は、に、と笑った。
 その後、ばちばちと音を立て、躊躇なく自分の爪を切っていった則宗の手付きには、先程までの慎重さは微塵もなかった。
 その落差がおかしくて、こっそり笑顔を浮かべた私に、則宗はきっと気付いていただろう。
 ——彼が、馬鹿に慎重な手つきで私の爪を切っていたことの、本当の意味が分かったのは、桃の節句からいくらか経った、桜の開花を目前に控えた頃だった。
 その日はあたたかな日和で、空には春霞がかかっていた。
 桜の気配を間近に感じて、私は、そういえば……と、いつだかの春のことを思い出していた。
 前に、まだ七分咲きのはずの桜が、木の下にこんもりと花を散らせていたことがあった。満開を過ぎれば吹雪となって散っていく花だが、まだ散るには早かろう、と不思議に思い、私は則宗に尋ねてみたのだ。
 縁側でだらけて昼寝をしていた則宗は、寝転がった姿勢のまま言った。
「そんなことをするのは雀だ。あいつらは花をちぎって、中にある蜜を吸うんだよ」
 そう教えられて、ふたりで桜を眺めていると、しばらく経った後、雀がやって来て枝に止まった。気配を殺して見つめていると、雀はチョンチョンとステップを踏んで枝を移動し、則宗が言う通りに花を一輪くわえてぽきりと折った。そうして雀は、何やら嘴を動かしているような仕草をして、要らない物を捨てるかのように花を落としたのだ。
「ほら、ホントだったろう?」
 起き上がり、笑ってみせた則宗へ、やっぱり年寄りは物知りだね、と感心して頷くと、返事の代わりに、けっ。と、鼻で笑われた。
 小鳥が桜の花を咥えている姿の愛らしさと、せっかく咲いた桜を簡単に折る小憎 こにくたらしさを思い出しながら、私は今年もやって来るであろう花泥棒を空に探した。
 そんな風に、自分の部屋の窓から春の気配を探しつつ空を眺めていた時、中庭の桜の木の根元に、内番服の羽織の背中を丸める則宗を見つけた。
「則宗、何してるの?」
 窓越しに声をかけると、則宗の背中は小さく跳ねた。
 桜の幹に潜むように則宗は屈んでいたけれど、金色の髪はふわふわとはみ出ていて、丸めた背中も隠れきれていなかった。
 こっそりと何かをしている則宗の姿に、花泥棒の雀へ覚えたような愛らしさを感じ、私は笑顔で再度声をかけた。
「ねえ、何かいたずらでもしてたの?」
 則宗は、屈んだ姿勢のまま、桜の幹から顔を覗かせた。
 私は、則宗がそこで何をしていたのかを、深く考えずに声をかけた。
 だから、桜の幹から顔を覗かせた彼が、ひどく神妙な表情をしていたことに、思わず驚いてしまったのだ。
 振ろうとした手を思わず引っ込め、私はその場に固まった。
 則宗は、のろのろとした動作で立ち上がり、幽鬼を思わせるような静かな歩みでこちらへやって来た。
 あと三歩ほどで窓際へ手が届くというところで、則宗は足を止めた。
 春の陽が、則宗の足元に淡く影を落としている。
「なんだお前さん、帰っていたのか。今日は一日、会議で出張だったろう」
「あ……思いのほか早く終わって……さっき帰ってきたの」
「そうか」
 則宗の瞳は、何か、堪えきれないものを隠しているように思えた。とても深く傷付いているようにも見える碧い瞳の眼差しを前にして、どんな言葉をかければ……と、迷う私の心を読み取ったのか、則宗は口を開いた。
……イタズラなんぞじゃない。埋めていたのさ。僕と、お前を」
 ——埋める。
 放たれた言葉の予期せぬ物騒さに、私は唖然となった。則宗の方は、変わらずに思い詰めた眼差しをしている。
「こないだ、お前の爪を切ってやったろ」
……うん」
「あれを埋めていた。僕と、お前のふたりぶん」
 どうしてそんなことしてたの? と、尋ねられるような空気ではなかった。則宗は、自分から訥々 とつとつと理由を語った。
「ここで、お前とこうして暮らしていても、所詮は夫婦の真似事だからな。僕は、お前と同じ墓で眠ることはできん。だから埋めていたのさ。お前と僕の、身から剥がれた こけらを」
 ……お前がいない時に、こっそり埋めようと思ってたけど、バレちまったな。
 ぽつぽつと紡がれた則宗の言葉は、春のあたたかな陽光に溶け消えてゆく。
 則宗は、清々しくも、諦めた心地の眼をして私へ語った。
「お前は、死んだら現世の慰霊碑に名を刻まれて、政府の管理する寺社に骨を保管されて終わりだ。僕は、折れたら消えて終わる。だから、せめて、気休めでも、お前とふたりで眠る場所を作りたかったのさ。死んだらここに戻って、互いに苦労を労って、ゆっくり眠る。……そんなことを夢見て、こんな風に馬鹿ことをしてたんだよ」
 返事をできずにいると、則宗は自嘲するように、苦しそうに口元を歪めた。
 だけど、すぐに、真っ直ぐに私を見て、春の空気へ透き通っていくような笑顔を向けた。
「僕は、いつかお前を看取る日が必ずくる。僕が先に折れたとしても、魂だけは必ずお前の元にいる。……だから、これくらい許しておくれ。爺の……いや、お前の伴侶としての我儘だから」
 則宗の眉が、困ったように下がった。
 ——咄嗟に、桃の花を毎年欠かさずに贈ってくれる則宗のことが浮かび、双眸が熱くなった。
 あれはきっと、則宗の恐怖心の裏返しなのだろう。
 桃の花へ、私がいつまでも健やかにいられることを願う傍らで、則宗は恐れていたはずだ。
 私を失う日を。
 私と別たれるいつかの日を。
 則宗は、私の方へ足を進める。
 私は堪らなくなって、窓から身を乗り出し、金色の頭に縋りついた。
 則宗は、少しだけ背伸びをして、私へ抱擁を返してくれた。
 私の背へ回された則宗の手のひらは、とても熱かった。
 愛おしいひとと同じ時を歩むことができた僥倖を思いながら、私は則宗の心を、彼ごと抱き締めるしかできなかった。それだけしか、私には許されることが無いように思えた。
 刀の付喪神。人間と似た身体を持ちながら、手入れを為されれば、それまでの瑕疵が無かったことになる、人の創り出した異形の神。人と同じ生理現象を持ってはいるが、則宗の切った爪も、私が彼を手入れすれば虚空へ消える。
 それでも、私の こけらは、彼と共に桜の木の下に眠っているのだ。ふたり、命が終わる日が来るまで。
……大好きよ、則宗。ずっと大好きだからね……ありがとう」
 胸に抱えた金色の頭が、小さく頷いた。
 私の弔いが行われるのは、花が満ちる春であってほしい。
 そうすれば、私は彼と共に、綻んだ花を愛でながら眠ることができる。
 そんなことがよぎったのは、則宗へ甘える心の表れだろう。
 ——春が来たら、私は則宗の心を思い出して花を愛でるのだ。
 彼とふたりで。
 静かに、桜の木の下で。