母がテレビに映って居るのを見たことが有る。母は美しい人では有ったが、それを取り上げられて放映されて居たわけでは無いことが、子供ながらに分かって居た。母は車に乗せられて、俯いた儘明滅する光を浴びて居た。番組の放送中には自分の名が呼ばれることも有った。母が自分を呼ぶよりも、テレビのほうがこちらを呼んで居たのが可笑しかった。
テレビを見たのは施設だった。それが児童相談所だったか、養護施設だったかは覚えが無い。あの時の記憶は曖昧で、その頃で唯一鮮明に、強過ぎてあいつには多分誇張されてると言われる程の記憶になってしまった。ただ、それが母の姿を見た最後で有ることだけは確かだ。
そうして記憶に揺蕩うようにうとうとしていたところを、覚醒させるように頬を撫でられた。
「めし。起きて。」
「……おはようございます?」
「おはよ。起きて。」
「……ご飯、なんです」
「カレー。」
そこ迄会話出来るならば起きたろうと思われたのか、手と声は離れて行った。そう言えば香辛料の匂いも離れて行ったような、けれど逆に部屋に満ちているような。
伏せていたおもてを上げる。
「そっち持ってって遣るから場所空けろ。炬燵の怪物が。」
そうかここは炬燵だったか。もそもそと動いて、言われた通りに炬燵机の上で取り止めも無く描いて居たらくがきをよける。皿を両手に持った男が、またそんなもの描いて、と言う目で見下ろす。言いはし無い。せっかく描いたものをこきおろすつもりが無いからだ。しかしそう言う目では見て来る。こちらがその視線を読めると分かって居る上で。それでも勝手に破棄するようなことはしない。
「記号が入ってるな。典型的な絵画じゃ無いのか。おまえは言葉にも精通して居て頭が良いからな。やはり近代美術とか、そういう奴だ。」
皿を置きながら、逆に何を言うかといえば。そういうことだ。全肯定全自動ロボットみたい。芸術に関心が有るわけでも無いくせに。
向かい合って湯気を間に食前の挨拶をし、口の中に広がる甘いのに刺激的な食べ物に、カレーってこんなだった、と思う。美味しいです、と言うと、匙を止めて上目にこくこくと頷かれる。それが毎回なんだか神妙で、面白いのだ。
食事は無理に口に詰め込まれるでも無く、温かくて、美味しくて、この男と同じものを、この男と一緒に食べる。自分の分として作って貰った上で、自分でそれを口に運んで味わえる。
食後にまた挨拶をして、二枚の皿を下げた男が短い水音を立てたあと、直ぐに戻って、今度は隣に潜り込まれる。
「洗わないんですか」
「ちょっと水に浸けておくと良いんだよ。」
こちらをぎゅうと抱き締める男のほうが詳しいので、それに何か言い返す言葉は持た無い。
「疲れたか?」
「……今は特に」
「少しでも疲れたら言えよ?」
「……うん。」
「まあ何描いたにせよ、頑張ったじゃん。」
「……頑張りましたか、わたし」
「頑張った頑張った」
抱き締めた手をその儘撫でて来るのに任せる。あたたかい。人形にするような抱き締めかたらしいのに、おもちゃにされて居た時にはこんなふうにされた記憶は思い浮かば無い。
かと言ってこちらが、回された養護施設に居たこの男にして遣れることが有るかと言えば、特に無い。強いて言うならばこちらが描いた絵を売りに行かせることだが。だがこの男の言う分には、男が夜中に突然飛び起きても一緒に起きて隣に居て遣りさえすれば良いとのことだった。それくらい拍子抜けな程なんとも無い。
「それに、何かおまえが悪いことをしたとしても、全部が全部おまえが悪いってことは無いわけだし。」
「……そうでしょうか?」
「そうだよ。」
「……笑わないですか?」
「笑うようなことが無ければな。」
まだ養護施設に居た頃、疲れる程頑張ったことを報告、否、認めてくれる何処かに帰りたくて、探して居た先でふらふらしながら高所から落ちようとしたことが有って、その時引き戻したのが、この手だった。こちらより小さいのに、こちらよりあたたかくて。笑えないことはやめろ、ですって。ふらふらとして居た時のことも曖昧で、だけどやっぱりこの男のことは鮮明で、だけどそれは母の記憶よりあたたかい明るさで。
年齢的にこちらが先に施設を出る手筈の際、まだ期間が有ったこの男は、着いて来ると言ったのだ。わたしは兎も角おまえは一人でここを出ても良いでしょう、と言っても、おれはおまえが思って居る程平気じゃ無い、と即座に帰って来たので、何が何やら良く分からない儘、こうなって居る。
こうなって、わたしが帰りたかった家はこの男の居るところだったと分かった。ぴかぴかして、あたたかい家。
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