「なになに、この本は宮本伊織とヤマトタケルの出会いからお休みまでの記録から、いちエピソードを切り取ったように見せかけた捏造話でしかなく、ふたりの尊さを書ききるには到底足りぬものであり……」
なんだこれは。
深緑色の表紙の本をめくったセイバーは盛大に眉をひそめ、いまにもそう云い出しそうな表情を浮かべている。
それもそのはず、これは宮本伊織とセイバーヤマトタケルの間柄に脳を焼かれた好事家が綴った、妄想と妄執と夢想の果ての産物なのである。
薄い本、なとど呼ばわるらしいが、なかには自立するほどの分厚い本もあるようで、人の妄念とは際限がないものだとうかがい知れよう。
そこにある話はときにはあたたかく感動的で、ときには甘くも苦痛をともなうもので、そしてときにはひどく淫らで暴力的ですらあるらしい。
しかしどんなに趣向を凝らした物語であろうとも、それを読まされた元ねた本人の当惑ときたら推して知るべしである。
なにせ描かれているのは自分自身なのだ。己の誇張された部分、ありもしない部分がさもあるかのように描写され、読んでいてたいそう居心地が悪い。
「だから読まないほうがよいと云っただろう。ほら、その本を返してくれ」
そう云い手を伸ばした。
伊織はそれに、なにが書いてあるのかを知っている。刑部姫からこれを手渡されたのは伊織のほうだったのだ。
なんでも来る3月1日には伊織とセイバーのあることないことを綴り上げた話が、ごまんと、それこそ星の数ほども提示される会合があるらしく、そこで頒布されるもののひとつということだ。
当然中身も読んだ。そしてそれを読んだ宮本伊織は、沈痛な面持ちで深いため息をついた。
夢想の産物とはいえほどがあろう。そこにあったのは伊織の知らないセイバーである。セイバーはこんなこと云わない。
あとなんだ、あいつにかような無体を働くのは何者だ俺か。俺?
(おれ、だな……)
本を読み切った宮本伊織は再び、深い深いため息をついた。
とまぁ自身がこのざまだったのだ。
これはただの好事家が記した本である。作家サーヴァントたちが作り上げる空間とは歴然とした差があろう。セイバーが読んでどうこうなるものではない。
そも彼は神話にも謳われる、日の本屈指の大英雄なのだ。聖杯による知識の間引きゆえあどけなく見えるが、ひとかどの人物なのである。本来なら伊織が世話焼くようなひとではない。
読んで怒るやもしれぬしつまらぬと捨て置くやもしれぬ。はたまた面白がることもあろうもの。
ただ〝この本でからかわれるのは頭が痛いな〟とは思った。ろくでもないからかいを受ける気がしたのだ。ゆえに読まれぬにこしたことはないと話題にのぼらぬようにしのだが、結局のところは見つけられてしまいいまに至る。
読む前に忠告はした。どうやらまだ頭を抱えたくなる場面にはたどり着いていないようだが、いまですらこの反応である。このまま読まずに終わったほうが、波風立たずよかろうと、手を伸ばし取り上げようとしたわけだ。が、できなかった。セイバーはつい、と伊織の手から本をかばいすました顔を返したのだ。
「勝手に取り上げようとするでない。多少面食らったが読まないとは云っておらん。ほむほむ、『なにごとかと見上げるセイバーに映る自分が、いったいどんな顔をしているのかわからない。ただ、おかしくなってしまえばいい、己の手でおかしくしてしまいたい。そう強く感じたことは確かだった。セイバーの袴をむしり取り膝裏に手をかけ、白い体を折り畳むように組み敷くとさんざんほじくり返した肉の――』おい、おい! なんだ、なんなんだこの話は!?」
読み進めたセイバーは目玉が飛び出さんばかりに目を剥くと大きな声を上げた。
無理もない。セイバーが手に取った本それこそが、ふたりの閨事を妄想たくましく、そのくせこと細かにあることないことあられもなく書き綴ったとびきりに頭のおかしい本であったのだ。
なにせあらゆるものが克明に描写されている。色だの形だの濡れ方だの、あまつさえどこをどうさわればよがり、飛沫を上げて果てるのかまで。絵画のセイバーなぞ前も後ろもぐっしょりと濡れそぼり突き入れられ、獣のような荒い声を上げるばかり。
それらがさも見てきたように書いてある。見てきたんか、おまえは見て書いたんかと問いただしたい。
セイバーはにゃにおうと文句を漏らしながら食い入るように読み進めている。やめればよいのに、なぜがそうとはしなかった。
そのうち「えっ」とか「やはり……そういう……」とか「うう……」とか、文句ではないうめき声を上げるようになった。全身は茹で上がりわなわなと震え、頭のてっぺんからは湯気さえのぼりそうである。
さもあらん。
伊織はひとつ息を吐くと、今度こそセイバーから本を取り上げようとする。が、またしても拒まれてしまう。
「イオリは! これを読んでなにも思わなかったのか?!」
「なにも、とは?」
「こんなありもしないことをかかれてるんだぞ?! けしからんとかそういうのはないのか! そういうのは!」
「人の想像力とは果てのないものだとは思った」
「それだけか!? きみなぞ大変なことになっとるではないか剥き出しだぞ剥き出し! こんな形! ……ん? いや? どう?」
そう云い伊織の下半身に目を向けるので、やめてくれと声が出た。なにと比べとるんだナニと。
むしろ大変なことになっているのはセイバー、おまえのほうだ。
「それにほらあれだ! その! ……いや、うん……えー……なんだほら、ほら、例えばだぞ例えば。ここに書いてあるのをな、してみたいなー……とか、そういうのは……」
あるんじゃないのか、などと云い出したものだから今度は伊織が目を剥いた。
内容としてはどくだん変わったところのないものだ。春画に描かれるもののほうがよっぽど、というところである。であるが、いきなりどうした。それにこの云い分はだいぶ――
「いや、おまえ」
わかって云っているのかと伊織が云いきるまえに、言の葉を重ねられてしまった。
「私は! ……私はその、きみが、きみがいつもなにかを我慢しているような気がしていて……それがずっと気になっていて……そう我慢せずともいいんだぞとそういう……」
むにゃむにゃとなにごとかを口にすると最後に、きみとすることならきっとなんだって好きだからと、細い声がこぼれた。
その声は伊織の耳にだけに届き、あとかたもなく解けてしまう。
セイバーはそう云うとさらに耳を、首筋をじわじわと赤くしながら俯いてしまった。そうしてちろり、とこちらに視線を送るのだ。
色香が染みた一瞥だった。
たちまちこころをかき乱されて伊織の背には痺れが走り、ごくり、と喉が鳴る。
これはよろしくない――
なにがよくないかというと、この話にあるように触れろというのがいかん。
伊織はセイバーを大切に、優しく優しく抱いている。触れるときには許諾を得るし、いやだと云われれば引き下がる。一度目によろしくない抱き方をして以来律していることだった。
ところがこの本の伊織は情熱のままにセイバーに触れる、抱く。セイバーはそのように、最初のときよろしく触れろというのだ。
固まったままの伊織の手に小さなぬくもりが触れた。てのひらにもぐり込んだそれは指の谷間をつう、と撫でさすると、指の股をきゅっと握りしめ、
「……たまには、すきにしてほしい……」
そうして肩に、とんと額を寄せてきた。
好いた相手にこうと願われ狂わぬほど伊織も野暮ではない。
伊織は思った。いまのいままで自分は手加減をされていたのではないかと。この調子で誘惑されたら身が持たぬ。現に先ほどから喉はごくごくと音を立てるばかりで言の葉も出ないのだ。
セイバーがひと言、許すと云ってしまえばなにをするのも許されてしまう。たったいまひとつ許されてしまった。思うままに貪れと。
これは、まことによろしくない――
よもやセイバーにかような顔があるとは思いもせなんだ。このままでは俺はすっかりだめになってしまうと奥歯をきつく噛みしめる。
流されてはいけない。耐えなくてはいけない。こらえなければいけない。
そうしてようやく、こじあけた喉から出た言の葉は
「……夜まで待ちなさい」
悪あがきでしかなかった。
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