恋情カウントダウン

カルデアで友誼を深めるも、お付き合いはしていないふたり。
両片思いのこういう、どうなの?! これって?! というあれやそれが大好きです。
ずっと寝かせていたものに手を入れました。伊織の演技などできない認識はこちらを先に書いたのですが、実際に表に出したのはウェディングフォト話が先になってしまいました。同じネタをこすっていてすまない。
伊織のほうが一線を越えてくるんだろうなーという気がしながら書いています。
過去作とつながりがあるようなシーンがありますが、知らなくても読めます。


「なんだってきみがこんなことを」

 台本片手に台詞を読み上げる伊織を見て、セイバーは思わず言の葉をもらした。



 なんでも、この春花見の催し物として朗読劇をやるらしい。
 マスターが読み手のひとりとなったはいいものの、特異点への調査があり本人不在とあいなった。これでは合わせも進まぬと、代役として伊織に白羽の矢が立ったのである。
 なんのことはない、たまさかその場に居合わせた、由といえばそれだけだった。
 そしていま、伊織は長屋を模したこの自室にて修練に励んでいるというわけだ。

「なんだってきみがこんなことを。役者のような芝居なぞ無理ではないのか」

 台本片手に読み上げる伊織を見てセイバーは思わず、そんな言の葉をもらした。なにせ伊織といえばほとほと困り果てた顔をして、台本をたどたどしく読み上げていたのだから。

「マスターが戻るまでの代役だろうに。そんなに熱心にやらんでも」
「そうだな。俺に役者は務まらんし代役には違いない。まったくもっておまえの云うとおりだ。だがなセイバー、この本を見てくれ。俺はな、練習ひとつしないまま、これを合わせる自信がない」

 差し出された台本に目を落とすと、そこには惹かれ合うも素直になれぬ登場人物ふたりが、ついに想いのたけを告げる、という場面であったのだ。

……イオリ、これはだいぶん難敵ではないだろうか?」
「だろう。こうと知っていたら引き受けはしなかったな」

 苦い笑いを浮かべた伊織はため息をついた。
 愛だの恋だのにはとんと疎い伊織にとって、並いる剣豪よろしく立ちはだかる難敵である。もっとも、腕の立つ使い手との手合わせならば、こちらから頭を下げても試合わせていただきたいものなのだが、これにはどうにも分が悪かった。
 それでも引き受けたからには支障のないくらいにはと、伊織は本を読み上げ修練に励んでいる。
 なんとも義理堅いことではある。
 なにもそこまで、とは思うものの、元よりこういうひとであるのだ、宮本伊織という男は。この点においてはいい男だとセイバーは思っている。そしてそんなところもかわいらしくて気に入っているのだ。
 
「どれ、手伝ってやるか! 友がかようにも奮闘しておるのだ。私が相手役を務めてしんぜよう」

 えへん、と、恩着せがましく告げると、伊織の隣りにぽんと腰を下ろした。
 これでもかつては熊襲のもとへと単身変装して乗り込んだものだ。役者のようにとはいかないものの、相手役ぐらいは務まろう。それにちょうど暇をしていたところだ。芝居につきあうのも一興と、支援をひとつかって出たのだ。

「奮闘とは大袈裟な。だが助かる。なにしろこの内容だ。相手がいないとよくわからん」
「よしよし、大いに褒めろよ。なに、気まぐれだ。飽きたらやめるとも」
 
 つうと身を寄せ手に持つ本を覗きこむ。
 そうして読み合わせが始まると、伊織の声が長屋に響いた。
 
 よい声だ。
 高すぎもせず低すぎもしない、穏やかな声。平素は静かな声なのに、笑うそれは朗らかで、一度ひとたび剣を抜けば何者にも打ち敗けぬ益荒男の声になる。
 セイバーはいくつもの顔を見せる、このの響きが好きだった。
 そしてこの声を耳にしてふと、かつても似たような出来事があったと思い出した。

 あの時はたしか、付け文を読み上げたのだったか。それを伊織は、幼子に昔話を聞かせるように声音に情を乗せて読んだのだ。
 そうであったそうだった。
 存外にこの男はこういうとき、言の葉にこころを乗せて読み上げるのだ。
 つられるようその時分に抱いた心持ちも蘇ってきた。
 想うた男が、情を連ねた言の葉を口にする。かような言の葉を口にするような男でもなく、ましてや自分に向けたものでもないというのに、あのとき伊織のあの声に、どうにも焦がれてしまったのだっけ……
 
 遠いような近いような過日の記憶をたぐり寄せると、ふと、嫌な予感がした。
 セイバーはかつてと同様、伊織を憎からず想っている。
 だが伊織が記憶を閉じたいま、ふたりの間柄は友だった。いうなれば片方だけの恋慕の情だ。
 伊織のそばにいたい。だから一緒にいることは多い。けれども伊織が自分を選ぶとも限らない。選んでくれたらいいな、とは思う。
 その反面、友としてすごすいまも楽しいのだ。数多あまたの砂つぶの中から再びまみえた僥倖を得て、伊織からも友と望まれここにいる。いまはそれでじゅうぶんだと、カルデアここでどのような間柄になるのかを、セイバーは流れに任せたままでいる。
 この状態で演技とはいえ、想いを告げる台詞を向けられでもしたらろくなことにならないのではないか。きっと、いらぬ欲が出てしまう。
 
(これはいけない)
 
 情けない自分を眺める趣味などセイバーにはない。
 やめると告げるため台本からおもてをあげると、思いのほか近い距離に伊織の顔がある。
 ばちり、と、目が合った。
 思わず息を呑んでしまい反応が遅れた。口を開いたときには一足遅く、

 
「お慕い申し上げる」

 
 耳には、恐ろしいまでに静かな声が届いた。
 
 かさついた唇が、一字一句をはっきりと告げている。
 静かに熱を孕んだ声は芯を持ちまっすぐで、どんな障害をも貫き、どこまでも届いてしまいそうだった。
 伊織の眼差しは強く、奥底に秘めた情から逃げ出したくなる。けれどそれは、セイバーが目を逸らすことを許してはくれなかった。
 その声と目にとらわれたとたん、心の臓がとてつもない音をたてた。
 
「真っ赤だな」
……誰のせいだと思っているんだ。無駄に演技力を発揮しよって」
「ふむ……うまくできたということか?」
「悔しいことにな!」
 
 ふんす! と鼻を鳴らすセイバーの火照った頬を、骨ばった手の甲が撫でてゆく。その手は少し冷えていて、頬の熱を奪うものの、いささかばかりもの足りなかった。
 なにせ頬も、耳も、首も、どこもかしこも熱かったのだ。
 演技だというのは重々承知。言の葉もこの手も、ひとつたりとも己に向けられたものではない。
 それでも、この冷たさが心地よいからと離れる手を押さえ込み、頬をすり寄せてしまいたかった。
 このままでいられようはずもない。
 
「しばし待て。水を、いや茶を……ええい! 厨に行ってくるから待っておれ!」

 セイバーはそう云うと、そそくさと部屋を出ていってしまった。
 
 走り去るセイバーの背を見送り、ひとり残された伊織は手元の台本に目を落とす。自然と己の手が目に入り、撫でた頬の滑らかさを思い出す。すると次第に背中が丸くなり、しまいには首筋へと手を置いてしまった。

 ぽかんと呆けた顔だった。いとけないそのかんばせを、みるみるうちにあけへと染めてくものだから――悪い虫が出た。

 朗読劇だ。頬を撫でる芝居なぞどこにもない。それを不用意に触れた。相手の許可なく肌に触れるなど不躾にもほどがある。
 セイバーの頬を撫でたとき、心地よい熱さにそのまま両の手でくるみ込みくなった。触れて、撫でて、冷たさと温かさを溶け合わせたくなった。
 がらんどうの己に寄り添い、標になってくれたひと。願いを叶えてやりたいと、胸の奥底が訴えかけるひと。かような気持ちがあるのだと、知らない自分に気づかせてくれたひと。
 台詞は台本どおりである。あるが、
 
——演技とは、まことに難しい」
 
 台本どおりに演じぬ役者などもってのほかだろう。やはり己には役者など務まらぬと、伊織は大きなため息をついた。
 演技などできぬ。
 なにせこのようなこころを出せるのは、たったひとりの前だけなのだ。