下手の連れ去り

⚠︎高父の今際の際の描写があります
感情の表し方の下手な人たちと、それを読み解く人の話

『下手の連れ去り』

 父の灯火が、もうすぐ消える。

 どの面を下げて、くらいは言われることを覚悟したが、布団に寝伏せる父の面立ちは穏やかに視線の先の花を愛でていた。花はやさしく父を見下ろしている。剣山の中で生き生きとして、きっと朝方母がここへ持ってきたのだろう。回復を祈るような、静かな生命の営みを慰めるような。
 ──家の敷居をまたぐのを許され、「私は外で待つよ」との手を離して勇気を出し、門をくぐった。組頭は多忙なのに連れ回して、といつもなら尊奈門あたりが二人で出かけることに羨んで文句を言うが、「月輪までだ」と言うと今日はみるみる顔色を変え、静かに「お気をつけて、いってらっしゃいませ」と見送ってくれた。
 私の烏帽子親である山本さんは、今朝方父の元へ参ったらしい。「今夜か、明日にはもう」と医師に告げられたのを、私の実母がそのまま組頭へ使いをやって知らせたとき、山本さんはすぐに支度をした。私もついていこうとしたが止められた。
「お前は必ず、最後に来い」
「なぜです。共に行けば時間もかからない、父の体の負担も少なくて済むのでは」
 山本さんは頑なに首を横に振り、
「我が子を負担と思う親はいない。時間をかけて、お前を見ておきたいはずだ」
 そう言って高坂の邸宅まで歩いて向かった後ろ姿は、これから戦友の一人をうしなうという悲しみに満ちていたはずなのに、決して揺らがぬ強さがあった。
(私の背中は、きっと頼りなかっただろう)
 しかし私は、組頭が「一緒に行こうか」と言って添えてくれた手を拒絶することはできなかった。震えていた指先を見破られていたのだろう。
 訪問客はやはり私で最後のようだった。父の周りは片付けられて、こざっぱりとしている。私が膝をついて座ると、父は深く息を吸い、そして吐いた。
ついぞ、孫を連れて来なかったな」
……ご期待に添えず、申し訳ありません」
「良い……責めているのではない」
 と言うが、次の瞬間父は儚く笑った。
「いや、やはり責めよう。どうせあとわずかの命だ、望むままわがままを言う方がいい」
……ご随意に」
 これはなにを問われても受け入れなくてはならない、と背筋に伝う嫌な汗を拭えることなく、私はせめてもの防御姿勢として目を閉じた。命の炎を灯火と称したが、今の父はまぶたの裏からでも、篝火かがりびのように轟々と、私を地獄の門へと導いているように感じる。
「孫が見たかったぞ、お前の伴侶も。聞けば、狼隊でも縁談を断っていたとか」
「はい」
「女は抱けぬか」
「忍務であれば、抱くもたぶらかすも。しかし心は動きませぬ」
……心のないお前の誑かしなど、効かぬだろう。感情の表し方の下手くそなやつめ」
「父上は、それを教えてくださらなかった」
「どこの世界に、子に誑かし方を教える父親がいるか」
「違います、そういうことではなくて」
 私はせきを切ったようにこぼす。
「感情の表し方を、です」
 父は押し黙る。私も言葉を切る。私はいつの間にか、少し肩で息をしていた。いつもこうだ、父と話すときはいつも。
……私を父と呼ぶな」
 苦しい息の中、またそんなことを言ってくる。私の目の奥が熱くなる。
「いいえ、お呼びします」
「お前の父は山本だ。名付けられたのだろう、陣内左衛門と」
 目のまえの父はその名を頑なに呼ばなかった。どんなに城内や、長屋側ですれ違っても、私の名を呼ぶことはなかった。知らないのではないかと思っていたが、父は──きっと母と、その名を聞いて、どう感じていたのか。
 しかし私は、あなた譲りの頑固だから。
「私こそ、最後ですから、あなたを父と呼びます」
「呼ぶな……狂いたくなる」
「なにに、でございますか」
 父は、諦めたように息を吐いた。その吐息一つ一つが、魂の破片のように感じた。
「お前を、家から出した過去に、だ」
 父の魂が、少しずつ天へ昇る。狂うまえに、毅然とした父のまま閉じたがっている命を、私はどう扱えば良いのかわからないまま唇を噛んだ。
……それは、後悔ですか」
「自惚れるな。もっと雑渡の悪口をたくさん吹き込んでやれば良かった、ということだ」
「な……!」
「知っとるか、あの悪童。うちの庭の枝木を折ること数十回、私の盆栽まで一度叩き割ったこともある」
 私は思わず絶句した。組頭のやんちゃを暴露されることもだが、父のその子どもじみた理由にもだ。
「炎に焼かれたときはさすがに同情はした……だが見舞いに行けば笑っておった。一筋縄では死なん男だ、あんなやつ、お前がついていなくとも死なんぞ」
「私は死なないお守り代わりに仕えているのではありません」
 父こそ、笑っている。その目に映しているのは、今は私を通り越して組頭の姿だろう。
 その目がふとうつろからうつつに戻り、私を見る。
……雑渡の側は、居心地が良いか」
 黒々とした、昔と変わらない瞳の色に、私は背筋をいつも正す。幼少期、震えるつま先を縮こませ、頭の先まで姿勢を伸ばし、父の次の言葉を待っていたあの感覚が蘇る。正しいことを言う父に、尊敬を抱きながらも怯んでいた幼い自分が、心の深淵からじっとこちらを見ていた。
 それでも、応えねばならない。
「はい」
 ただ一言、短いながらも強いそれを、父はしかと聞いてくれた。
「あなたには、どんなときも泣かないことを教わりました」
 膝の上、私の手の甲に父の手が伸びる。私の手よりも細く、青い血管が浮き出ている。その手をしっかりと両手で握ると、指先がわずかに握り返してきた。
「雑渡様には、泣いていいときもあると、教わりました」
 伝えることがやっとで、こみ上げる喉の熱さを、目頭に溜まる小さな火を、私はどう処理したのかわからない。私は父の言う通り、感情の表し方が下手なのだ。
 父は息を吐く。吐き続ける。あと何回その呼吸を聞くだろう。聞けるだろう。私は耳を澄ませた。人間の体から抜けていく魂は、重さがあるという。この吐息の中にもしも、そのおもりの一つでも私の手で奪うことができたら、父は生きるのだろうか。そしてそれを母に預け、鍵をかけて蓋をして、出られぬようにすれば、あるいは。
 ──またあの日のように、厳しく私を叱る父が、見られるのでしょうか。
 しかし父は、私を見透かしていた。
「名残りを惜しむな、ばかものよ」
 手を握ったまま、父がつぶやく。
「お前はもう高坂の血ではない、雑渡の影だ。叱られれば泣き、人情をかけ、わがままを言う」
 そんな悪態をつきながら、また魂を浮かせる。
「影よ、本体へ帰れ。お前の血肉は、雑渡のものと思い死に物狂いになれ」
 父は、もうしゃべらなかった。ただ私の深淵にいる子どもに視線を注いでいた。もしかしたら、その子どもが初めて泣いたところを見たのかもしれない。しかし父はやさしい言葉をかけられない。
 私は、握った手を額へ寄せた。体中から湧き起こる熱は、ずっと留まったまま、ついに水滴として落ちてはくれなかった。

 門の前で待っていた組頭は、壁に持たれていた体をゆっくり起こしてこちらを向いた。
「お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いいよ。母君には挨拶を?」
「はい」
 立派な構えの門をくぐり、家をあとにする。もう手を引かれずとも歩ける自分が不思議だった。
「私がこの世から去るときは、泣く?」
 ずっと沈黙していたのに、狼隊の長屋へ戻る間近にそう言われた。組頭はこのまま私邸へ一度戻られるらしい。しばらくの別れだ。
「泣く、かどうかは」
「後追いはしないだろう」
……ええ、あなたがお望みではないでしょう」
「でも、泣くことはできるんだよ」
 それは、今堪えているものを流してもいいということだろうか。つんとする鼻の奥を見破られているというのだろうか。
「私はねぇ、わんわん泣いたし反抗したんだ。お前の父君にこってり叱られてさ」
 組頭がふと、思い出を引き摺り出す。私の知らない過去が浮かび、ふふと笑い声が漏れる。
「一番泣いたのは、盆栽を割ったときかな」
……父が、言っておりました」
「怖かったよ、高坂殿は」
 あの、威厳と風格のある父が手を焼いたお人だ。きっと泣いてもけろりとして、翌日またちょっかいをかけたに違いない。私も思わず、見たことのない風景を想像できて苦笑できた。
「陣左、私が逝くときは」
 組頭が、なんてことのない世間話のように話し出す。
「今度こそ、敷居をまたがず見守れるようにしておくから」
 ──私はふと、たった今くぐった高坂の門のことを思った。
 いつも、そうだ。私は円の一つ外側で、ことを測るだけだった。
 雑渡様を外側から見かけ、狼隊へ入ると決めたとき。
 父に家を出ろと言われ、外から生家を眺めた幼いころ。
 雑渡様の療養に、手を伸ばすことができなかった日々。
 そして今、父の死に際、やっと許されて跨いだ門の枠。
 さっきまでの笑い顔が歪み、私は眉間にシワを寄せた。太陽の光が雲間から差し込み、今さら目のまえの人を照りつけようとしたので、お体に障ると思い自ら彼の影となるため光を背にする。逆光が組頭を包み、頭巾のない無防備な包帯姿を少しは影で覆えた。私の背中は熱い。
「お前が見えなくなっちゃった」
 雑渡様はそう言うが、腕をゆっくり伸ばして確実に私の頬に触れた。その場所に触れれば指先の感覚で、濡れているか笑っているかわかってしまう。なにも言わないでほしい。なにも聞かないでほしい。
 雑渡様はそのまま、腕を下ろして私の手を引いた。狼隊の長屋の門はくぐらない。私は連れ去られるがままに歩いた。連れ去ってほしいという感情まで、手に取るように理解されているのが少し悔しい。