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2025-02-27 23:29:39
2888文字
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風車/淡い(利土井)

今回のお題は「風車/淡い」です。
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 相変わらず朱色でバツばかりがつけられた一年は組のテストにきりきりと胃が痛み、深いため息をついたところで微かな音を耳が捉え、半助は答案用紙から顔を上げた。
 山田と土井という名前が書かれた木札がかけられた職員室は、窓も障子戸も開け放たれていた。春の陽気にはまだ幾分か早い季節だが、ぴんと張り詰めた冷気の中に僅かに梅の香りが漂い、もうすぐ春が来ることを告げているようだった。
 気分転換にと立ち上がり、半助はぐっと腕を伸ばして体の強張りをほぐす。一年は組の教科の授業は午後からだったため、朝食を食べてからずっと部屋の文机に向かっていたので肩がぽきぽきと音を立てて小さく鳴った。
 再び、微かに音がする。からからから、と乾いた音は忍たま長屋の方だろうか。半助はどこか聞き覚えのある小さな音に導かれるように忍たま長屋へと足を向けた。

 長屋の庭にはまだ少し溶け残った白い雪が、陽の差さない塀や岩の影にある。少し前までは一面に白く積もっていたが、今ではすっかり溶けかかっている。気温はまだそれほど高くは無く、生徒たちが出払って静かな忍たま長屋にすがすがしい風が吹いた。
 また、からからからと音がする。
「あ」
 半助が見つけたのは、名残り雪に刺さったふたつの風車だった。美しい千代紙と竹串で作られた風車は、忍たま長屋を吹き抜ける初春の風にからからとその羽を回している。生徒の誰かが作ったのか、それとも街で買い求めた物だろう。鮮やかな藍色と、浅葱色の風車は何とも心地よさげだった。

――お兄ちゃん、これをあげます。お揃いですよ!

 まだ声変わりする前の、子ども特有の高い声が半助の耳に蘇る。
 氷ノ山の春の訪れは遅い。麓で田植えの準備が始まる頃にはまだまだ雪深く、街へ降りるのも一苦労だ。
 春になれば忍術学園の教師となる。利吉にそう告げた時、彼は何とも複雑な表情を浮かべていた。大きな目をゆらゆらと揺らし、何か言おうと口を開いて声になる寸前に小さく口を噤む。たっぷりと時間を置いて、それでも小さな彼が半助に告げたのは、お兄ちゃんは教師に向いていると思いますという言葉だった。
 そんな利吉と、彼の父である伝蔵と三人で麓の街へ買い物に出かけた。忍術学園の教師となるにあたっての準備のためだ。小袖は古着で良いと言ったのだが、伝蔵は半助の為に真新しい反物を買ってくれた。うちの奥さんがあんたの為に仕立てるとやる気なんだ、と笑って。どれだけの恩をこの人たちから受けてきたのだろうかと、胸がいっぱいになった。
 氷ノ山の家に戻り、床に就く前に利吉が部屋に入ってきて一つの風車を手渡してきた。これをあげます、お揃いですよと。見れば利吉の手にはもうひとつ、色違いの風車があった。半助には紺色の千代紙で出来たものを、利吉は淡いすみれ色のものを。きっと、街の出店で買ったのだろう。

 そういえば、と半助は踵を返し教師長屋へと戻る。職員室の物置を開き、小袖や乱雑に積まれた本を掻き分けるとひとつ、質素な作りの文箱があった。蓋を開くと、そこにはすっかり色褪せた風車がひとつ。破れていなくてよかったと胸を撫でおろし、他の荷物を乱雑に押入れに押し込んでから空になっていた湯呑にそっと風車を差した。職員室に吹き込んできた柔らかな風が、色褪せた風車をからからと回す。ふふ、と半助は唇に笑みを浮かべた。
「おや、随分ご機嫌ですね」
 廊下から聞こえた声に視線をやる。利吉が、職員室の入り口から顔を覗かせた。
「やあ利吉くん、お父上なら今授業中だよ」
 気配を消していなかった利吉に驚くでもなく、半助はにこりと手を振って声をかける。そのようですね、と言いながら部屋に入って来た利吉は背負っていた風呂敷包を伝蔵の文机の脇に下ろした。恐らく、伝蔵の妻が洗濯を終えた着物だろう。
「土井先生は……採点中でしたか」
「まあね。本当にあの子たちは無事進級出来るのか、心配でしょうがないよ」
 私の教え方が悪いのかなあと、半助は再び痛みだした胃を押さえて苦笑いを浮かべた。もうすぐ、一年は組のよい子たちは二年生へ進級することになる。誰一人欠けず、皆二年生になってくれと願わずにはいられない。
「大変ですね……あれ、これは」
 半助に同情の眼差しを向けた利吉だが、ふと彼の視線が文机の上の風車に止まった。
「覚えているかい?」
……もちろん。まだ持っていて下さったんですね」
 すっかり物置の奥だったけどね、とはさすがに言えない。だが、この風車の存在を忘れていたわけではなかった。
 半助はゆらゆらと揺れる風車を指先でそっと触れる。ふわり、と風が吹き、またからからと回った。
「学園に慣れない間、これには随分助けられたよ」
 利吉から貰ったこの風車を、学園に赴任したころは良く眺めていたものだ。これを見ると勇気が湧いてきた。
「今では風が吹くと、つい君のことを思い出すよ」
 お揃いですよ、と差し出された小さな手と風車。寂しさを押し殺して眉間に皺を寄せた顔。行かないでと物語っていた大きな目を昨日のことのように思い出す。すっかり立派になって、と利吉に視線を移すと、彼は父親によく似た眦の上がった大きな目を伏せていた。心なしか、頬が赤い。
「え、なに?」
「なに、じゃないでしょう……風が吹く度思い出していただけてたのかと思ったら」
……嬉しかった?」
「言わせないでくださいよ、恥ずかしいんだから」
 可愛いなあ、と半助は顔をほころばせる。本人に言えばきっと拗ねるであろうから言わないけれど、いくつになっても本当に可愛い。頬が緩んでしまってしかたがない。
「ニヤニヤしてる」
 利吉がじとり、と睨んだ。ますます目つきが父親の伝蔵に似てきて、半助は思わずふふっと噴き出してしまった。
「ちょっと!」
「ごめんごめん、いやあ可愛くって」
 あ、しまった。
 案の定利吉は眉尻を吊り上げてじとっと睨んでくる。わかりやすく拗ねているしイライラしている。そこがまた可愛いのだが、これ以上彼の機嫌を損ねたいわけでは無かったのでごめんねと素直に謝ることにした。
……私だって、いつでも貴方のことを思い出しますよ。風なんか吹かなくたって」
 ぽつり、と利吉が呟いた。うん、そうか、ありがとう。そう応えて、じわりと胸の奥が、淡く色づくように温かくなる。
 精悍で美しい青年の頬に手を伸ばし、そっと引き寄せて彼の薄い唇に自らのそれをほんの微かに触れさせる。咄嗟に取られそうになった手首を素早く逃がした。と、刻限を告げる鐘の音が響く。
「さて、利吉くんもお昼一緒にどうだい?」
 先ほどより更に悔し気に顔を歪ませた利吉ににこやかに声をかけると、彼は深く深くため息をついてからこくりと頷く。淡く色づいた利吉の耳がどうにも、たまらなく、愛おしかった。
 朝より僅かに暖かさが増した風が、ふわりと利吉の細い髪を揺らす。風車が、からからと音を立てる。
 きっとこれからも、ずっと、風が吹くたび彼を想うだろう。
 春はもう、すぐそこにあった。