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桐子
2025-02-27 23:24:55
2813文字
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美しい傷31(父水♀)
しかし、振り下ろした懐剣は、時貞の首を捉えることはできなかった。
「おいたがすぎるぞ、水木」
にやりと笑った時貞は、懐剣を握った水木の手首を掴み、ギリギリと締め上げた。骨が砕けそうな痛みに、水木は悲鳴を上げて懐剣を落した。
「あ、ぐ
……
っ!」
「年寄りの楽しみを奪おうとするとは、まったく悪い孫じゃ」
時貞は、懐剣をベッドの下へと投げ捨てた。乾いた音を立てて床に落ちたそれを目で追いながら、水木は呆然とした。
「お前は賢い子じゃ。何か策を練っていると思うておったが、まさか自ら身体を差し出すとはな」
「っ
……
!」
すべて見抜かれていたのだと悟り、水木はぎりりと歯を食いしばった。時貞は水木の肩を押さえつけ、上から尊大に見下ろした。
「お前が何をしようが、すべて無駄じゃ。お前も沙代も余のものにすぎん。余の元で一生飼われ続けるがいい」
「離せ、クソジジイ!」
水木は時貞の体を渾身の力で突き飛ばそうとしたが、彼はびくともしなかった。それどころか、逆に水木の上に馬乗りになり、着物を引きちぎるようにして前を開かせた。白い胸元があらわになり、水木は青ざめた。こんな男に抱かれるなんて、死んでもごめんだ。抵抗して身をよじったが、老人のくせに時貞の力は強かった。うつぶせにされ、解かれた帯で手首を縛られてしまう。
「いやだ、クソ、離せ!」
「無駄じゃ無駄じゃ。さ、余が手ずからその腹の子を堕胎させてやる。そのあとで、今度は余の子を身ごもらせてやろう」
「
……
ッ!!」
水木は目を見開いた。時貞のおぞましい言葉に、頭が真っ白になった。ゲゲ郎との子を殺すなんて、絶対に嫌だ。
「あ、いやだ
……
ゲゲ郎、ゲゲ郎ッ!!」
「無駄じゃと言うておろう」
時貞は懐から小さなアンプルを取り出し、水木の目の前にかざしてみせた。
「さあ、Mを打ってやる。この薬で身も心も蕩けてしまうがいい」
「い、いやだ
……
やめてくれ
……
お願いします、おじいさま!」
「いい顔をしておる。甲奈もようそんな顔をしておった。『助けて、お父様』とそれはもう必死じゃった」
母の名を出され、水木の脳裏に、時貞に組み敷かれる母の姿がよぎった。
「っ、まさか、お母さんも
……
」
「おお。甲奈は余のお気に入りじゃった。しかし、出入りの業者なんぞと駆け落ちしおって」
そう言って、祖父はにやあと下卑た笑みを浮かべた。
「最期は惨めなものじゃったの。亭主と黒焦げになって、可哀想に
――――
なーんてな! ひゃっひゃっひゃ、あれは余の指示じゃ!トラックの運転手は借金で首が回らなくなっておったからのう。保険金をたんまりかけて、車にぶつけさせた。それに誰が乗っておったか、知っておるか?」
水木は呆然とした。トラックの運転手が突っ込んできたのが原因だった。まさかそれが、時貞の指示だったとは。
岩子だけではない。父と母もまた、この男に殺されたのだ。母はこの男の玩具にされ、心と体をずたずたに引き裂かれてしまった。やっと幸せを掴んだと思った矢先、実の父の仕向けた罠で命を絶たれた。
怒りで目の前が真っ赤になった。水木は激情のまま、時貞の腕に嚙みついた。
「っ、この!」
時貞は水木の頬を張り飛ばした。衝撃で脳が揺れる。この老人を今すぐ八つ裂きにしてやりたいのに、無力な自分は何もできない。悔しさで頭がおかしくなりそうだった。時貞は笑いながら、サイドテーブルの中から注射器を取り出し、アンプルの液体を吸い上げた。
「躾のなっておらん雌犬じゃのう! ほれ、Mを打ってやる!男を欲しがる淫乱に成り下がれ」
Mを打たれたら終わりだとわかっている。しかし、水木にはどうすることもできなかった。懐剣はベッドの下に落ちてしまっている。その瞬間を見ていられなくて、ぎゅっと目を閉じた。
「時貞様!!」
激しく扉を叩く音と同時に、時貞の名を呼ぶ声が聞こえてきた。水木は目を見開いた。
「なんじゃ、今いいところだ。邪魔をするな」
「火事です!火をつけられました!!」
「火事ぃ?」
時貞は不機嫌そうに舌打ちをしたが、諦めたように身を起こした。扉を開けに行く時貞の背中を見ながら、水木は縛られたまま起き上がった。手首をこすり合わせると縄目が食い込んで痛い。ガチャリと扉を開けると、その向こうにいたのは長田だった。
「早くお逃げください! ここはもうすぐに、火の手が回ってきます」
「なにゆえに火事なぞおこる!」
「幽霊組です」
その言葉に水木はハッとした。時貞もぎょっとしたように目を見開く。
「なに、幽霊組じゃと?」
「はい。今回の婚儀で何人か紛れ込んでいたようです。ねずみどもは捕らえ、始末しました。しかし、最期に奴らは火を放ち
……
ここは危険です」
ゲゲ郎達が助けにきてくれたのだ。胸が熱くなった。もう来てもらえるはずがないと、見捨てられたと思っていた。それなのに、彼らは来てくれたのだ。
「逃げましょう、時貞様!」
長田が促すと、時貞はフンと鼻を鳴らした。
「まったく面倒なことをしてくれたものじゃ。長田、この愚か者を始末せよ」
ちらり、と長田が細い目をこちらに向けた。さっと緊張が走ったが、彼はすぐに視線を時貞の方に戻した。
「かまう必要はありません。ここに捨て置けば、煙にまかれてすぐに死にましょう。それよりもお早く」
「仕方がないのう」
時貞は長田に引きずられるようにして部屋を出て行った。
一人残された水木は、手首の縄をなんとか解こうと身をよじった。だが、きつく結ばれた帯は解けそうにもない。そういえば、ベッドの下に落ちた懐剣はどこにいってしまったのだろうか。あれがあれば、帯を切ることができるかもしれない。
「ゲゲ郎
……
!」
水木はぐっと歯を食いしばった。ねずみたちは始末したと言っていたが、誰がここへ潜入してきたのだろう。みんな無事でいてくれと願うことしかできない自分が恨めしかった。ベッドの下へ不格好な姿勢で降りた水木は、落ちていた懐剣を後ろ手に拾った。
「ッ!」
感覚がつかめず、懐剣がざっくりと腕を切りつけた。鋭い痛みが走る。しかし、水木は歯を食いしばって耐えた。
「ゲゲ郎
……
!」
火の手が回る前に、なんとしても逃げ出さねばならない。豪奢な帯を少しずつ切っては、自らの腕も傷つけてしまう。それを繰り返しているうちに、かすかに燻したような異臭が漂ってきた。
「
……
あ」
体が硬直する。ものが燃える匂い。炎の鮮やかな赤い色。くぐもった悲鳴。真っ黒に焦げてしまった両親。炎を見ると、あの日の光景がフラッシュバックする。
「っ、う
……
いやだ
……
」
水木はその場にうずくまった。息が苦しい。頭がガンガンと痛み出す。耳鳴りがして何も聞こえない。水木は懐剣を取り落としてしまった。自分も燃えてしまうのだ、両親と同じように。真っ黒に炭化して
――――
ぐらりと視界が揺れ、水木の視界は真っ暗に染まった。
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