溶けかけ。
2025-02-27 22:39:07
1469文字
Public ほぼ日刊
 

夜を揺らす歌

昨日の日刊を書いてるときに並行して思いついていたお話。
フリーナに子守唄を唄うヌヴィレットのお話。

「いいなぁ……
 フリーナが吐息を零した。
「何がかね?」
 ヌヴィレットの問いかけにフリーナは振り返る。猫のような瞳を更にまんまるに剥いて数センチ飛び上がった。
「い、いたんだ……まったく! 話しかけるなら正面からにしてくれよ」
 ばくばくと喚く心臓を宥めながらフリーナが頰を膨らませれば、ヌヴィレットは形の良い眉を眉間に寄せて「すまない」と言ってマフラーに顔を埋めた。心なしか銀糸に混ざる青がへにゃりと垂れ下がって見える。
「えっと、その、そう言うのではなくてだね……!」
 しどろもどろになりながら必死に弁明を試みるフリーナはヌヴィレットの青が元通りにしゃんと伸びていることには気がついていなかった。

 深夜遅く、自宅の扉に人の気配を感じたフリーナは本から顔を上げた。窓に映りこむかがよう月色に彼女は来訪者が誰であるのかを察知する。
 来訪者が扉を叩くより早く玄関の扉を開ければ、そこにいたのは予想通りの人物で。
「こんばんは、ヌヴィレット」
 行き場を失った拳をノックの高さで停止させたヌヴィレットにフリーナは満面の笑みを見せた。

「それで? キミはこんな夜更けに何の用なんだい?」
 ヌヴィレットを部屋に上げたフリーナは水をポットに入れて火にかけた。
「──子守歌を歌いに来た」
「────────────────は?」
 直後、フリーナの背後からぶくぶくと湯が沸き立ち、溢れ出る。水と鉄がジュワワワ……といかにも熱そうなデュエットを歌う。
「吹きこぼれているがいいのかね?」
「うわぁ! まずい、まずい!」
 慌てて火を止める。水浸しになってしまったコンロを見て、小さく溜息を漏らすフリーナ。掃除が楽になったと考えよう、とポットの中身をマグカップに注ぎながら考えた。

「それにしても……なんで子守歌なんだい?」
 ふぅふぅと水面に波紋を立てながら、フリーナが尋ねる。ヌヴィレットはマグカップの白湯を一口含むとゆっくりと嚥下した。
「君が言っていただろう? 一度も歌ってもらったことがないと」
 どうやら彼は昼間の雑談を大事に捉えたらしい。
「へえ? ならキミが歌ってくれるのかい?」
 挑発的な視線をヌヴィレットに投げつける。彼は「歌は門外漢だが善処しよう」と言うと立ち上がる。
「え゙……?」
 ヌヴィレットは軽々とフリーナを抱き上げるとベッドへと下ろし毛布を掛けた。
「何す……!?」
 抗議しようと毛布から顔を出したフリーナの隣にヌヴィレットが寝転がり、顔に大きな手が降ってくる。
 彼の横暴にいよいよ耐えきれなくなったフリーナが口を開くのと同時に柔らかな歌声が耳を撫でた。低く、それでも優しさの滲む歌声にフリーナの目頭が熱を持つ。──ぽろり、と雫がこぼれ落ちたのを合図に堰を切ったように雫は一筋の川になって頰を伝う。

 曲は子どもがいないフリーナでさえも歌ったことがあるフォンテーヌの古い子守歌だ。
 誰がいつ作ったのかさえ分からないそれはこんなにも優しく泣きたくなるようなものだっただろうか、と考えながらフリーナは手を顔に近づければその手をヌヴィレットが取って首を振った。
「キミの歌──……鯨みたいだ」
 嗚咽混じりにフリーナが言った。
 その言葉にヌヴィレットは思わず顔を顰める。星すら呑み込む悪食の鯨が彼の脳内を悠々と泳いでいた。
「ふふっ」
 渋面のまま、それでも歌を止める気配のないヌヴィレットにフリーナが笑う。吊られて彼も表情を明るくする。

 ──歌はフリーナが眠るまで続いていた。