やまだ
2025-02-27 11:16:03
3447文字
Public 刀剣乱舞
 

無題

鶴丸が修行から帰って来たので書きました うち本丸の話

 空にした盃に酒を足す。再び盃を持ち上げひと口含む。嚥下してなお口内に残る風味を楽しむ。……楽しもうとする。
 しかし審神者はそれを結局諦め、馨しい酒気を深更の薄闇へながながと吐き出した。なにしろ右頬に刺さりつづける視線がやかましいことこの上ない。
「口を閉じててもうるせえなあおまえは」
 そろそろ日付が変わろうかという頃合いだ。軽い寝酒のつもりで始めた審神者のささやかな酒宴が、酒とつまみを両手に捧げ持ち、私室の障子を足で開け放って現れた鶴丸国永と、たなごころに盃をふたつ乗せてにこにこ笑う三日月宗近によって台無しにされてから一刻ほど経っている。審神者はそろそろ布団を被ってしまいたかったが、案外宵っ張りの平安生まれどもは元気に箸と盃とを上げ下げして止まらない。
「はは。言われているぞ鶴丸」
 審神者の左隣には三日月宗近がいる。目尻を下げ、この部屋の誰よりも酒を飲んでいるとはとても思えぬ幽麗な面でほんのり微笑みかけるのは、彼の正面、審神者の右隣へ向けてだ。
 当然そこには鶴丸国永がおり、座布団の上で片膝を立ててちびちび盃を舐めている。酒盛りが始まって以降じいっと審神者を見つめて微動だにしなかった満月のような目玉が、ようやく三日月宗近を映しに向かったのでほっとした。なんとなく肩が軽くなったような気さえする。
「そりゃ悪かったが、しかし俺にとっては三十年ぶりの再会だぞ? 万年仏頂面の御仁とはいえやはり懐かしいもんだ。眺めるくらいは許してもらいたいね」
「俺たちにとってはほんの四日ぶりだものなあ、あるじ殿」
「そうだよな」
 鶴丸国永がうきうきと出かけていった修行から戻ったのは今日の昼だった。どたばた廊下を駆けてくる足音には鎖の跳ねる馴染み深すぎる音も混じっていて、帰って来るなりこれか、とこめかみを揉んだものだ。
 下唇を突き出して不満げな鶴丸国永の盃に酒を足してやる。うるさく、手間のかかる男ではあるものの、なんだかんだと付きあいが長くもある。彼の長旅をねぎらう気持ちくらいは審神者ももっている。
……いやあそれにしても、かねてより思ってはいたが」
 鶴丸国永はひと息に干した盃を置いた手で、するりと顎を撫でた。
「きみは本当に姿勢が良いな。こんな席でさえ背筋がしゃんと伸びている」
「三日月だってそうだろうが。背中が丸まってんのはおまえくらいだぞ」
「三日月はいいのさ、こいつはお行儀よくしているのが千年も仕事のようなもんだったじゃないか。想像してみろあるじ殿、三日月が俺のようにふるまっていればどうだ?」
 ははは、とのんきに笑う三日月宗近と、片あぐらで浅漬けを噛む鶴丸国永を見比べ、審神者はゆっくりとかぶりを振った。
 鶴丸国永こそ本来なら三日月宗近のようにしているべきなのではないか、とも思う。だがどうせ言うだけ無駄だし、別にそんな様子を見たくもない。
 審神者が言葉にしなかった部分を鶴丸国永は器用に聞き取ったらしかった。くくっ、と喉で笑って屈託ない目をする。
「そら、きみへの文にも書いて送ったろう。貞時殿の乱痴気騒ぎを見てきたばかりだからなあ、つい新旧のあるじを比べてしまう」
「なんだよそりゃあ」
 呆れる審神者の視界の左隅では、三日月宗近がそっと盃を置くところだった。相当飲んでいるはずなのに衣装の乱れもなく、もちろん姿勢が崩れたりもない。普段のままに泰然としながら優雅だ。
 そして右隣では、鶴丸国永が右肘を立てた膝に乗せ、箸で虚空にくるくる円を描いている。色素の薄い顔がほんのり血色良いようだった。
「人というものはあっという間に磨り減るんだな、あるじ殿。貞時殿の酒宴は毎晩そりゃあ豪勢だったが、だからこそ俺は見ていられなかった。往時はあれほどおのれを縛る檻を破らんと気炎を吐いていた御仁が最後にはああだ」
 鶴丸国永にしては珍しい酔いかたをしている。
 この男はじっと黙っているくらいなら死んだほうがましだと公言してはばからないような図々しさがあるが、だからといって軽々に心の内をさらすような性質をしてもいなかったはずだ。「九十六時間」の旅がそれほど身に沁みているのかもしれない。
「鶴丸」
「きみもいずれ、ああなってしまうのかと思うとな」
 おそらく続く言葉を制止しようとした三日月宗近に気づかず、鶴丸国永がぼそっと呟いた。先に口を噤んでじっと人を見つめるあいだから溜めこんでいただろう嘆きだ。
 審神者は鼻で笑って盃を傾けた。
「それが心配で戻って来たって?」
「まさか。そういうつもりはないが……だが、あるじ殿もいつかは耄碌するんだろう? きみも人間だものな」
——鶴丸国永」
 斬り落とすような声は審神者の左隣からだ。微笑みを消した三日月宗近は、なまじ顔の拵えがいいものだからぞっとするほどの迫力を纏う。
 おい、と審神者は左手の甲で三日月宗近の膝を叩いたが、一顧だもなかった。鶴丸国永を見据えるまなざしは冷え冷えとするどい。
「弁えろよ。無礼が過ぎるぞ」
「いい。よせ三日月、酒がまずくなる」
……いやあるじ殿、三日月が正しい。俺が調子に乗っていた」
 勢いよく頭を下げた鶴丸国永の後頭部をぱしんとやって、それで終わりだ。三日月宗近も鶴丸国永の謝罪を聞いてすぐに目元を緩めている。
……酒を言い訳にする気じゃあないが、どうも回りすぎている気がするな」
 片手で顎を揉みながら自省する鶴丸国永のひと言に、審神者は三日月宗近と目線を交わした。確かに今夜の鶴丸国永は悪酔いしている。
……鶴丸。おまえ、まさかこれしきで酔ったのか」
「いつもより味わうなとは思ってたんだよ。戻ってきて弱くなったんじゃねえのか」
 ふたりがかりで尋ねると鶴丸国永はぶうっとふてくされた。
「そんなに驚かなくてもいいんじゃないか? さすがの俺も望まざる反応だぜ、そいつは」
 それでも審神者が与えた湯冷ましを、酒よりもよほどうまそうに飲んでいる。ついでに三日月宗近の盃に酒を足してやり、そんな鶴丸国永を肴にふたりで飲んだ。
 特別強いわけでもない、買い置きの、この顔ぶれが揃ったとき必ず脇にあるような酒だ。そんなものでつるりと滑るほど口が軽くなった鶴丸国永へ、審神者は思わずにやっとしてしまうのだ。
……三十年ぶりの酒の味はどうだよ」
 鶴丸国永がちぇっ、と舌を鳴らして横を向くのを、何度も瞬きながら三日月宗近が見つめている。やがて、ふっと微笑んで審神者を振り向いた。愉快でたまらぬという目をしている。
「鶴。鶴よ」
 三日月宗近の笑み含みの呼びかけに鶴丸国永は応じない。まだ横を向いている。
 その様子がまた愉快だと言わんばかりに、三日月宗近は笑みを深くした。
「そうだなあ、ひとりで飲む酒などつまらぬものなあ。つまらぬとわかっているものを、おまえがわざわざするわけもなし。さぞ考えごとが捗ったろう」
「寂しい思いをさせて悪かったな、鶴丸」
……くそっ!」
 大の字になって畳へひっくり返った鶴丸を眺めて飲む酒がうまい。三日月宗近と交互にそれぞれの盃を満たしあいながら、そのどちらもにやにやにやにやと口が緩んでいる。
「おい鶴丸、寝るなら自分の部屋に行けよ」
「行かん! 俺は今日はきみらと朝まで飲むんだ」
「ははは。湯をか」
 がばりと起き上がった鶴丸国永の顔が赤い。酒が回っているのだと、審神者はそう思ってやることにする。三日月宗近もそのつもりのようで、それ以上からかうこともなく鶴丸国永から突き出された盃へ酒をそそいでやっている。
「いいか、あるじ殿、三日月」
 爛々と輝く瞳を半分据わらせて、鶴丸国永は審神者と三日月宗近へ順番に人さし指を突きつけた。
「そこまで分かっているなら黙って、いや黙るのはなしだが、とにかく俺に付きあってくれ。俺は本当に、この気のおけない酒盛りが恋しくて仕方なかったんだ」
「それがおまえの帰ってきた理由かよ」
 なんとも鶴丸国永らしい。
 審神者は盛大に呆れたが、すると鶴丸国永からも似たような表情を返された。三日月宗近はのんびりと笑っている。
「おいおい。あるじ殿よ、俺からの心のこもった文を、さては最後まで読んでいないな?」
 帰ってきた理由のうちのひとつと言ってもらいたい、と胸を張る鶴丸国永の羽織は、光を放つような純白だ。
 その裾近くへ、審神者は無言でにやっとしながら追加の湯冷ましを置いてやった。