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やまだ
2021-07-04 21:34:51
5075文字
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cql忘羨(知己)
50話の隙間の妄想
——
そりゃそうだ。
と、今の魏無羨ならば数月前の藍忘機の選択を理解できるのだ。
今回の事件に片がつき、万事めでたしめでたしと相成ったのは仙門百家のうちで魏無羨くらいのものだ。
大抵の仙師たちは修真界の行先を憂い、そのくせ誰かが牽引してくれやしないかと横目でちらちら周囲を窺うことに忙しい。四大世家と呼ばわれるうちの清河聶氏がその筆頭であるのだからどうしようもない話だ。
雲夢江氏は唯一残った蘭陵金氏直系の子、宗主の甥でもある金如蘭の補佐に注力している。他家に気を回す余裕などあるはずがなかった。
さて、残る姑蘇藍氏である。
当時の魏無羨は浮かれきって阿呆のようにはしゃいでいたので、宗主藍曦臣の傷心がいかばかりであるかをまったく慮りもしなかった。
もともと心優しい男なのだ。かわいがっていた義弟の剥き出しの感情を目の当たりにし、さらに義兄の死におのれの善意を利用されたと知れば気を病みもする。なお悪いことに、その義弟に致命傷を与えたのが藍曦臣だ。
消沈するなというほうが無理な話だ。今の魏無羨ならばそれがわかる。兄を敬慕する藍忘機が彼を置いて、魏無羨と気ままなふたり旅になど興じるはずがないのだ。
当時は傷心を気取って明月に笛を聴かせたりもしたものだが、まったくいいご身分だ。思い返すと羞恥で口元が歪んでしまう。
「魏の若君、どうした?」
ほのかに微笑む藍曦臣へ、魏無羨も揖礼の陰で笑顔を仕切り直した。
「いえ、何も。
……
藍宗主には、長らくの無沙汰をお詫びいたします」
「詫びなど。君が健勝で何よりだ
……
忘機も喜んでいる」
「兄上」
これまでむっつりと唇を結んでいたくせに、藍忘機はこういうときの制止は素早い。魏無羨と藍曦臣が目線を交わして笑いあうと、藍忘機は不服そうに横を向いた。
姑蘇、雲深不知処、寒室の客間だ。
再会した藍忘機に驢馬の轡を取られて姑蘇へ来たからには、宗主藍曦臣に挨拶せぬわけにはいかない。兄も近頃ようやく笑うように、などという話を道中聞き、やっと藍曦臣の負った傷に思い至った魏無羨だった。
「しかし藍氏双璧の兄君が宗主、弟君が仙督か。藍先生もさぞや鼻が高いだろう」
上座に藍曦臣が座し、卓を挟んだ下座に魏無羨と藍忘機が並んでいる。藍曦臣手ずからの茶は香り高く、微かに甘い。
茶杯を干す魏無羨の言に宗主は苦笑し、仙督はぴくりとも表情を変えなかった。
「忘機はともかく、私は
……
このありさまだ。叔父上にはご迷惑をおかけしている」
「沢蕪君。あなたのこれまでの活躍を思えばこれしきの休養は藍氏の迷惑のうちに入らないし、そもそも俺がかつて藍先生へかけた迷惑のほうが遥かに甚大だ」
ふっと藍曦臣の目元が緩む。ごく小さな頷きは魏無羨の自称を認めるようでもあったし、控えめに表した謝意のようでもあった。
「これは心強い話を聞いた」
魏無羨は口から生まれ出てきたような男だし、藍忘機と違って藍曦臣は社交を知っている。わざわざ藍思追を呼びつけて魏無羨に引きあわせてくれたりと、挨拶だけのつもりだった訪問は思いのほか長引いた。寒室を辞するころには日が中天より西に傾きだして、足下に伸びる影が濃い。
「悪かったよ、藍湛」
雲深不知処はここからの夜が長いのだ。案外亥の刻に就寝するのは理に適った話なのかもしれないが、夜には夜の楽しみがあると知っている魏無羨からすれば相も変わらずぞっとしない掟だ。
細長い影を踵で踏みつけ踏みつけ歩く魏無羨の隣にはもちろん藍忘機がいる。白い衣をなびかせて颯爽と歩む男は、魏無羨の唐突な謝罪を聞くとちらりとまなざしを流してよこした。
「おまえまで俺の放浪に付きあわせようとしてさ。おまえの事情を少しも考えてなかった」
「構わぬ」
「俺が構うんだよ。謝らないと、まるで俺が友の兄も気遣えない人でなしみたいだろう」
「構わぬ」
「構えよ
……
」
滑るように歩いていた藍忘機が急に足を止めたので、魏無羨も一歩先で立ち止まる。藍忘機は伏せがちだった目を上げ、じっと魏無羨の瞳を見つめていた。魏無羨が首を傾げても、体ごと振り返っても、唇を尖らせても、視線は少しも動かない。
「藍湛。なんだよ」
「おまえがそのような男ではないと知っている。だから、構わぬ」
言うだけ言ってさっと魏無羨を追い抜いていった背中に慌てて駆け寄る。静室へ続くだけの道だから迷うことはまずないが、藍忘機のきっと普段と変わらない無表情を見たくてたまらなかった。
「藍湛」
横から窺う白い顔にはやはりなんの感情も浮かんでいない。こちらを一瞥してから歩調を緩める藍忘機と肩を並べ、けれども対照的に魏無羨の顔はにやけてしまうのだ。
そうだ。藍忘機とはこういう男だった。
「仙督様になっても怪異とあらばあちこち飛び回ってるのか?」
藍忘機が微かに顎を引く。
「おいおい、忙しいなんてものじゃないだろうそれは。どうせ沢蕪君や藍先生の手伝いもしてるんだよな?」
「さほどではない」
「あまり無理するなよ。兄君の心労をこれ以上増やしてやるな」
再び首肯しようとして途中で固まる藍忘機の、その生真面目さが微笑ましくも気がかりだ。軽く肩を突いてやった魏無羨を、切れるようなまなじりの奥から藍忘機が見つめている。
「おまえはどうだったのだ」
「俺? どうって何が」
「旅だ。何を見、何を感じた」
問われて魏無羨は口を尖らせてしまう。
腰帯に挿していた陳情笛を引き抜き、手の中でくるくると弄いながら、隣でじっと魏無羨の返事を待っている男を見る。
「べ、別に
……
」
「別に、なんだ」
「普通だ普通。天涯は果てしなく道行きに終わりなし。歩いても歩いてもきりがないから、くじけて帰って来たのさ」
「普通とは」
「なんだよ、やけに食いついてくるな」
ふっと口を噤んだ藍忘機を、魏無羨は思いきり眉を寄せた顰め面で振り返った。
「藍湛、悪いけどおまえの気に入るような土産話なんてないぞ。俺の素行の悪さなんてとっくに知り尽くしてるだろ」
くるりと回した陳情を掴み、笛の管尻で藍忘機の肩を二度三度叩く。話題を変えよう、という合図のつもりだったのに、それでも藍忘機は魏無羨から目を逸らさなかった。いつの間にかふたりの足は再び止まって、薄闇漂う小径に向かいあっている。
藍忘機は目を伏せていることが多いが、これを上げると彼の瞳は非常によく輝く。意志の強さをそのまま光源にしているような目で見据えられると、さすがの魏無羨も肩をすぼめてしまうのだ。
「怒るなよ。本当だって。俺とリンゴちゃんが雨の山道で転んで、坂を滑り落ちたあげく尻を擦り剥いた話なんて聞いて、おまえ楽しいか?」
これに正直にちょっと瞳を揺らしてしまうのが藍忘機だ。そら見ろ、と魏無羨が目で指摘してやるといよいよ瞳の揺らぎは大袈裟になる。
「大丈夫だよ。別に死にかけたこともないし、殺したこともない。ただ気の済むまで歩いてきただけだ」
「おまえが」
「うん?」
「おまえが大丈夫だと言うときは、大抵大丈夫ではない」
「
……
そうか?」
そんなことはないだろう。魏無羨は大丈夫なときにしか大丈夫と言ったことはないはずだ。陳情で鼻の頭を掻きながら思い返そうとするも、自他共に認める記憶力のなさが邪魔をする。
「おまえは本当に問題がないときは、筋道立てて理由を説明する」
「
……
そうでもないだろ」
「魏嬰」
小揺るぎもしない目で見据えられると今度は魏無羨があっちこっちを見る番だった。
誓って後ろ暗いことはないのだが、口にするとなると気恥ずかしいことなら、ひとつふたつくらいはある。あるからこそ話題にしなかったというのに、どうにもこの男はかたくなすぎる。まったく、魏無羨を素裸にしないと気が済まないというような目をするものだ。
そして魏無羨はこの目と根比べをするとまず負ける。
「
……
大したことじゃない。ただたまに、たまにだが、今隣におまえがいたらどんなにいい気分だったろうと思う瞬間があっただけだ」
たとえばいい風が吹いたときであったり、凧を揚げて遊ぶ子らを見つけたときであったり、単に天気が良い日の朝であったり、藍忘機を目で探すきっかけは魏無羨自身にもよくわからなかった。いつもすぐ隣にいてくれた白い肩を叩こうとして、何度手のひらを虚空へ泳がせたか知れない。
魏無羨はもう捨て鉢になってしまって、どうせなら、と胸に秘めたもうひとつの含羞の種も藍忘機へ吐き出すことにした。
「大したことじゃない。おまえがいなくて寂しいと思っていただけだ」
「
……
そうか」
「そうだよ。
……
まったく、気は済んだか? 俺にだって人並みに友を恋しく思う気持ちくらいあるんだぞ。無粋に暴きやがって」
掲げた陳情は過たず藍忘機の肩に当たる。当たる位置に、今はいる。だから魏無羨は責める口調で藍忘機をなじりながら笑っていた。
笑っていたから、藍忘機の目がまだ炯々と輝いていることに気がつかなかった。
「なら、ここにいればよい」
「
……
ん?」
藍忘機は普段どおりの無表情でいる。よく光る目に魏無羨を映して、家規を暗唱するかのごとく淡々とした、それでいて確信に満ちた声でここにいればいいと繰り返す。
「ここ? 姑蘇? 雲深不知処にか?」
こっくりと藍忘機は頷いた。
呆気にとられる魏無羨は口を開けて傍らの男を見るしかできない。藍忘機のまなざしが眩しい。
「ここには私がいる。思追もいる。藍氏の子どもたちにはおまえを慕うものが多い。面倒を見てやれば皆喜ぶだろう」
「藍氏のお子ちゃまたちを俺が? 冗談だろう藍湛、そんなこと藍先生が許すはずが
——
」
「叔父上はご多忙だ。すべての夜狩の内容を把握なさるわけではない」
しれっととんでもないことを言う藍忘機に、魏無羨のほうがぎょっとしてしまった。今この男は、現場で魏無羨が何をしても黙殺すると言ったに等しい。
「寝泊りには静室を使えばよい。雲深でおまえがどう過ごそうと自由だ」
「自由って」
姑蘇藍氏から、雲深不知処からもっとも遠い言葉だろう。藍忘機を見返しながら魏無羨は途方に暮れる。ひょっとして、静室に向かえばすでに部屋の片隅には魏無羨用の寝台が用意されているのではないか。
「藍湛」
思ったよりもたよりない声が出た。
「俺はここにはいられない。わかるだろ」
藍曦臣はいいとしても、藍啓仁からは憎悪されている自覚がある。大切な甥御の道を誤らせた悪党は、少年のころから数多の問題行動で藍啓仁を苛立たせてきた。
仙督という大任を任されるに至った藍忘機の横に再び夷陵老祖が並ぶことを、かの人は決して受け入れぬだろう。
「わからぬ」
そういう魏無羨なりの気配りを、当の藍忘機が言下に切り捨ててしまう。
あのなあ、と言いかけた魏無羨に被せるようにして、藍忘機は無表情のままゆっくりと言葉を付け足した。
「寂しいのなら、ここにいればよい」
それから藍忘機は、陳情を握りしめたままの魏無羨の手首を静かに掴んで歩きだした。つられて魏無羨の足も動く。頭のほうは、どうにもうまく回らない。
いいか悪いかで言えば、たぶん魏無羨が雲深不知処に残留することは間違いなく悪いのだ。
藍啓仁の件もそうだし、新任仙督には悪い噂が立つだろう。藍氏の仙師たちだって不満をもつだろうし、雲夢江氏に知られれば宗主が癇癪を起こす可能性が高い。ざっと考えるだけでこれだけのことが瞬時に浮かんでくるのだから、魏無羨は逆に笑えてきてしまった。
笑いながら考える。
今魏無羨が考えたようなことは、きっと手を引いて先をゆく男がとっくに考え尽くしているに違いない。
「藍湛」
「なんだ」
魏無羨はまっすぐ伸びた背中に向かってへらりと笑った。
「俺に会えなくて寂しかったか?」
藍忘機は答えなかった。
ただ魏無羨の手首を握る力が少し強くなったので、それでもういいか、という気持ちになってしまった。寂しかったのは本当だし、積み重なる問題もすべて、隣に藍忘機がいるならどうとでもなるだろう。
「なあ藍湛、まさか俺に抹額を付けさせるつもりじゃないよな?」
「馬鹿を言え」
今度の質問にはすぐ返事があった。
「おまえに抹額を渡しても、どうせ酒がめをくくる紐にするだけだ」
そりゃそうだ、と、これから幾度も通うことになるだろう小径を歩きながらすんなり納得した魏無羨である。
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