アブラゼミよりもヒグラシの鳴き声のほうが多い時間だ。まだぼんやりと薄青い空のもと、目をこすりこすり五虎退は庭を渡る。虎たちはまだ夢の中だ。
畑の側に兄弟たちと朝顔の種を植えたのだった。
種をくれた審神者から毎日水をやることと言い含められて、兄弟で順繰りに、あの大人びた平野藤四郎や前田藤四郎、薬研藤四郎でさえいそいそと、毎朝世話をしている。
やわらかな土を割って芽吹いた朝顔が蔓を伸ばし葉を増やし、先日とうとうほんのり色づく蕾をつけた。そろそろ咲くかもしれないよ、と、昨日の水やり当番だった乱藤四郎は声を弾ませていた。
そのささやかな期待が五虎退の足取りを軽くさせる。斬る殺すがお役目の刃生に異はないが、そんな自分たちでも何かを生かし、育てることができるのだと学ぶのは嬉しかった。
花が咲いていたらひとつ摘んで兄弟たちにも見せてあげよう、そんなことを考えながら池にかかる朱塗りの橋へ足をかけたとき、風に乗って低くおさえたような笑い声が渡ってきた。本能的に顔を上げ、つと目を凝らす。
青楓の向こう、縁側に、三日月宗近が座していた。くつろいだ表情であるのに、その姿はいつでも背筋が伸びて凛としている。
かの太刀は朝が早いようだから、それ自体はなんら不思議ではないのだ。
それでも五虎退がしげしげと眺めてしまったのは、その三日月宗近の膝を枕代わりにごろりと寝転ぶ男のしろがねの髪が、朝日を受けてきらめくからだ。その男が白羽織の袖もとから出した薄紫のまるい花が、まるで今しがた摘まれたようにみずみずしいからだ。
いつも驚きをくれるひとではあるけれど、今回はさすがにがっかりしてしまう。
鶴丸国永がくるくるともてあそぶ花は、五虎退たち兄弟が成長を楽しみにしていたもので、そのことは鶴丸国永も知っていたはずなのだ。割れながら幼い思考だと思うが、一番に花を見るのは育てた自分たちがよかった。
気落ちして思わず欄干にもたれかかる。するとまだ涼しい風が再び五虎退のもとへ声を運んできた。
「美事だなあ。あの子らの世話がよかったおかげだろう」
のんびりした声は三日月宗近だ。それに応じて鶴丸国永がくっくと笑う。
「まめまめしくしていたからなあ。昨日など、半刻おきに藤四郎が入れ替わり立ち替わりで畑を覗きに来ていた」
「それほどに開花が待ち遠しかったのだろうさ」
「……そうなんです」
こっそり呟く。自分でも聞き取れないほどの声量だから、間違っても向こうへは届かない。
そのはずが、縁側の三日月宗近が鶴丸国永の手元を眺めて首をななめにする。
「よいのか、勝手に摘んで」
「ばれたら薬研あたりにちくりと言われるだろうなあ。一応、詫びの品は置いてきたが」
「ふむ」
「まあ、朝飯のときにでも頭を下げるさ。君にこの香りを教えたくてたまらなくなって、ついな」
と、鶴丸国永が三日月宗近の鼻先に朝顔を持っていく。こそばゆい、と笑ってから、香りを確かめるためだろう、三日月宗近は口を噤んだようだ。
それにしても鶴丸国永は三日月宗近に気安い。とても五虎退は、あの立派で美しい太刀へ鶴丸国永のようには振る舞えない。膝を借りてごろりとやったり、夢のように整った顔へ花を無造作に押しつけるなど想像だけで涙が出そうだ。
決して三日月宗近をおそろしいと思うわけではなく、遊んでもらえば無条件に嬉しいのだが、どうしても相対すると緊張してしまうのだ。ひと見知りをして、気後れする。
だから実は、距離があるとはいえこうやって遠慮なく三日月宗近を眺めるのは初めてに等しい。
「うん、うん」
しばらく朝顔へ顔を寄せていた三日月宗近は、ふっくら笑って頷いた。
「よい香りだなあ。朝顔の花がこれほど匂うとは知らなんだ」
「驚いたかい?」
「うむ。驚いた」
五虎退も驚いた。
朝顔の花が香りを放つことにもだが、語りあうふたりの声がとろけるように柔らかいのだ。
何やら気恥ずかしくなって、そうしてから盗み聞きしている自覚がやっと身に染みて、慌てて、けれどもこっそり橋を渡る。繁みに入ったところで顔をおさえながら駆けだした。
三日月宗近は鷹揚と、鶴丸国永は闊達にものを話すひとだと思っていたが、あんな声も出すのだ。初めて聞いた。
驚きがすぎて朝顔を摘まれた落胆が抜け落ちてしまった。水をやって、花が残っていたら五虎退もひとつ兄弟たちへ摘んでやろう。香りがするのならそれも教えてやらなければ。
そうして慌てて辿り着いた畑の隅で、五虎退はまた仰天することになる。
花が残っている、などという話ではなかった。
差し掛けた支柱に絡んだ朝顔はたっぷりと、押しあうように花ひらき、薄紅から藍からとりどりと色を競わせている。どこから鶴丸国永が失敬したかわからないほどだ。
そしてさらにその根元にどっかりと鎮座するものに、五虎退の目と口がまるくなる。
「おや、五虎退。早いのだね」
野菜のたっぷり積まれた籠を手に現れた一期一振へ駆け寄り、五虎退はすっかりはしゃいだ声をあげた。
「いち兄! 朝顔から、スイカができました!」
朝顔の根元には、まるまるとよく太ったスイカが、ご丁寧に敷かれた藁の上で輝きを増してきた朝日を受けてきらめいていた。
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