黒髪に藍の和服姿の男も、しろがねの髪に合わせたように肌も着物も真白い男も、それぞれがそれぞれに目を引く容姿をしていた。門柱に背を預け、気楽に世間話に興じる様子はごく普通の若者のようだが、その姿かたちはずば抜けている。
特に黒髪の男は背筋が寒くなるほど端整な顔立ちをして、するとこちらが天下でもっとも美しい日本刀と呼ばれるものであるのだろう。
「貴様が三日月宗近か」
黒髪のほうへ声を投げると、それは長い睫毛をゆるやかに上下させてから首を傾げた。
「正体を尋ねるときには、まずおのれから名乗るのが人の礼ではなかったかな」
「ぬかせ、刀ふぜいが」
政府から遣わされた特使であるところの男は嫌悪で顔を歪める。
どれほど見目美しかろうと、その仕草や表情が人より人らしくとも、しょせん彼らはただの刀に過ぎない。刀とは道具で、道具とは人間の手で使われてこそ効果を発揮するものだ。同等の高みで会話を運ぼうとはおこがましい。
「貴様らの主人に話がある。案内しろ」
しかめ面になった白い男がぱくりと唇を動かして、しかし三日月宗近がその袖を引く。
うん、と振り返った白い男はそのまま三日月宗近と何やら含みある視線を交わし、やがて肩を竦めた。さらに特使へ何も言わず勝手に立ち去るとはけしからぬ。
憤然とそれを睨む男をにこやかに、残る三日月宗近が手招いた。
「こちらへ、使者殿。俺たちについて来るとよい」
「……この本丸の審神者はよほど刀を甘やかしているようだ」
それについてもきつく注意せねばなるまい。審神者と付喪神の関係はもっとはっきりさせておくべきだ。神といえども道具は道具なのだから、分というものを理解させねばならない。
奥まった離れへ向かう飛び石を踏みつけつつ、特使はながながと嘆息する。道具に囲まれて人間ひとり、こんな場所で寝起きするような暮らしに同情はするものの、政府の尊厳というものをないがしろにされては困るのだ。
特使の呟きを聞いていたのかいないのか、半歩先をゆく三日月宗近は横顔に静かな微笑みをたたえている。白い男はもはや後背しか見えない。
「さて」
しばらくしてからその背が初めて声を発した。闊達な動作やにおやかな容姿にそぐわず、耳に残る深い声だ。
「この奥だ。暗いからな、転ぶなよ」
薄い手のひらが置かれたのは、蔵屋敷の入口のようだった。視界に映っている限りでは窓や通気孔すら見当たらない。
刀どもが二口がかりで引いた扉の奥には、腐りかけたような色の格子戸がある。隙間から流れ出る冷気が特使の足首に絡みつく。
「……審神者が、ここに?」
白い男がちょっと首を斜めにした。すると体のあちこちを飾る金の鎖が涼やかな音色を奏でる。
「おやおや、孺子でもあるまいに。怖いのかな」
揶揄さえ優雅に、刀の化身は格子戸を引くなり白いかたちを漆黒のなかへ投げこんだ。三日月宗近も、昼日中を行く顔でそのあとに続く。
立ち尽くす特使を振り返り、三日月宗近はほんのり笑った。
特使の抱いていた疑念を溶かし去る、それは完璧に美しい笑みだった。
「おいで」
ふらりと特使の足が浮く。
「……鏡?」
微かに油臭い屋内は、どこかに照明が隠されているようで先へ進むほど明るかった。
といっても、その光量もごく淡い。足元にわだかまる闇と自分の革靴がかろうじて見分けられるほどでしかないから、前を進む白い羽織がここばかりはありがたかった。
そうして進み、示された台座には、古ぼけた銀色の板が立てかけられていたのだった。
「俺は貴様たちの主人に会わせろと言ったはずだが」
「だがなあ。名乗らなんだろう、使者殿」
おっとり笑み含んだ声は三日月宗近だ。白い羽織の隣にぼんやりと姿が見える。
「正体のわからぬものを、易々とあるじ殿のもとへ連れて行くわけにはいかぬよ」
「ふざけたことを――」
「まあまあ。ここで言いあってもらちが明かない」
しゃらしゃらと微かに鳴るのは、白羽織に飾られていた金鎖だろうか。白い髪、白い顔、金の目はよく光り、白い着物の男のほうは暗闇でもよく目立つ。
ふてぶてしい声に瞳を炯々とさせ、白い男は白い手のひらで鏡を示した。
「浄玻璃鏡というわけじゃあないが、ちょっと覗いてみてくれないか。何もなければそれでよし、心から非礼を詫びてあるじのもとへお連れしよう」
刀がしゃあしゃあと、心などと言ってのける。
本当ならばこのまま帰ってやりたいところだが、任務を帯びた身の上である。審神者へ会わねばどうにもならない。
審神者へ会ったらこの無礼な二口の刀の扱いについて問い詰めてやろう。刀解を勧めることも念頭に置き、しぶしぶ特使は鏡を覗く。
そして呼吸を忘れる。
「どうした、使者殿」
まどろむような三日月宗近の声がする。
「自分が男前すぎて驚いたかい?」
白い男の声はどこか投げやりですらあった。しかし特使にはそれを諌める余裕がない。
瞬きを忘れた特使の代わりのつもりか、古ぼけた鏡がぬらりときらめいた。
もはや鏡が鏡であることを特使は信じない。
これは瞳だ。中央に細く伸びた瞳孔がなんの感情も含まずこちらを見ている。目を逸らすこともできず、特使はそのおそろしい、巨大で薄っぺらな目玉を見続けるしかできない。
しゃらりと、どこかで何かが鳴ったようだ。
「なあ君、知ってるかい? 鏡は大昔にはカカメとも言った」
深い声が表皮から直接染みてくるようだ。
「カカは蛇、つまりカカメとは蛇の目のことだ。こいつは俺と同じほどの時を過ごした逸品でな、もちろん付喪神が宿っている」
「審神者たる者のもとにある鏡だ。それなりの力を持っている」
場にそぐわぬのんきな声が続く。
「鏡を影見とも言うなあ。さて使者殿よ、おのれの影は、従順な写し身は、鏡に映っているか?」
穏やかな声が語り終えるのを待っていたかのように鏡が、目玉が微かに動く。特使へ飛びかかる隙を窺っているに違いないこの間がたまらなくおそろしい。
暗闇のなか、場違いな笑声がころころと響いた。
「知っているかな、使者殿、蛇に睨まれた蛙の末路を」
「付喪にすら礼を尽くせん者が、はらからをどう扱うかは知れている。君をこのままあるじ殿と見えさせる気はないぜ、使者殿」
まったく邪気というもののない、これが当然だからそうするだけの声を聞くともなく聞き、特使は喘ぐ。
目玉が中央から裂け、灼熱色のぬらぬらした口腔と化した次の瞬間、なまぐさい風が全身をぶった。
「三日月。鶴丸」
呼び止められてふと振り向くと、難しい顔の老主人が三日月宗近と鶴丸国永をじいっと見据えていた。
この目は好いが、難しい、と三日月宗近は思う。審神者には嘘がつけない。
鶴丸国永と顔を見合わせてから三日月宗近が審神者に応じた。
「どうした、あるじ殿」
「おまえら、特使に何かやってんじゃねえたろうな。案内されてくる奴ぁどいつもこいつも魂が抜けた面しやがって、話にならねえ」
「はて」
こっくり首を傾けて微笑む。隣で鶴丸国永も、伸ばした腕をのんびり後頭部で組んだ。
「何かしたかと問われれば、そうだな、あるじ殿。ここへ案内する途中で蔵を見せたぜ。門から一番近い蔵だ」
「あの蔵か? なんのために」
疑念で眉をひそめた審神者へ、鶴丸国永と揃って笑った。首を竦める。
「かがちをな、見せてやろうと思ってなあ」
はあ、と審神者の眉間に皺が寄る。怒りよりも呆れの強い表情だ。
「……ガキか、おまえらは」
「おいおい、随分だなあるじ殿」
傍で鶴丸国永が苦笑を深くする。
「なに、ちょっとばかり態度が気に食わなかったものでな、驚いてもらおうとしただけさ。誓ってかがちを見せただけだ。他には何もしていない」
真実を述べているわけではないものの、偽りでもないから、疑わしいとは感じていても審神者も何も言えなくなるのだった。ぐっと顔をしかめて、しかしそのまま嘆息する。
「……三日月、鶴丸。信じてるからな」
「あなたの言葉に背くようなことはないよ。俺も、鶴丸もな」
にこりと笑うと審神者は諦めたように肩を落とした。がりがり頭を掻いて、それにしても、と厄介ごとが増えた顔で吐き捨てる。
「あの蔵ぁ蛇の巣になってんのか。空のまま放っといたが、一度風を通しに行くか」
もとは食料庫だったのだが、微妙に屋敷からも畑からも距離があった。そのため中のものを食い尽くしてからは行李ひとつ、麻袋の切れ端もない綺麗さっぱりとしたがらんどうになっているのだ。
あの蔵に棲みついた蛇のことを、主人のみが知らずにいる。
そっと三日月宗近は微笑んだ。
「手伝いがいるなら俺も行くぞ、あるじ殿」
「あるじ殿ひとりに行かせて腰でもやられたら堪らんからなあ」
「……もう一度言ってみろ鶴丸」
「おお、怖い怖い」
からりと響く鶴丸国永の笑声により、刀剣屋敷の日常が昨日までと変わりなく流れだしたことを確認する。
何やら鶴丸国永へ説教を始めた審神者の姿を眺め、もう一度目を細めた三日月宗近の前髪を、清涼な風が揺らして過ぎ行く。
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