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やまだ
2014-09-08 00:46:27
1497文字
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伊奈帆とスレイン
「スレイン。何度も言うけれど、君は迂闊すぎる」
物陰に入るなりの苦言にぐうの音もない。
人の上衣と肌着を左手が遠慮なくべろりと捲り上げるうちに、紫色のあざになっている脇腹へ右手がこちらも容赦ない勢いで湿布を叩きつけてきた。突き上げる痛みと悲鳴、どちらも呑みこんでスレインは奥歯をきつく噛みしめる。
物騒な両手の主は、スレインと同じ士官服の上にぼんやりした目の無表情を乗せている。歳こそスレインのほうがひとつ上だが、彼からそれらしい態度を振られたことなど出会ってから終ぞない。
「
……
忠告感謝します、イナホ」
もっともそれが当然のことであり、年下の少年へ苦笑を返すスレインに不満のあろうはずがなかった。
火星を統べるこのヴァース帝国においてスレインは最下層の人種である。
劣等種と蔑まれる立場の地球人であるスレインへの風当たりは強く、周りの火星騎士は挨拶代わりに侮蔑の言葉を吐きかけるし、上官であるクルーテオ伯爵からは躾と称した体罰を頻繁に受けている。今日脇腹にもらった一発は、伯爵のティーカップを割ってしまったその代償だ。
「顔じゃなくてよかった」
しれっと言い放つイナホはいつも救急キットを持ち歩いている。いつかに意外と用心深いんですねと言ったら、なぜだかおかげさまでと返ってきた記憶がある。
「
……
随分な言いかたですね」
「なぜ?」
小さなポーチを懐にしまいこみながら、本当にわけがわからないというふうにイナホが瞬く。
「これから姫にお会いするだろう。それなのに君が顔を腫らしてちゃ心配させてしまう」
「それはそうですが。まるで
……
まるで、僕の取り柄が顔だけであるような」
「実際そうじゃないか」
「イナホ!」
「冗談だよ」
淡々とスレインの着衣を直すイナホの無表情が小憎らしい。思わず睨みつけてしまうが、本来ならイナホはスレインがこれほど馴れ馴れしく接していい存在ではないのだ。
地球人であるスレインと異なり、彼は誉れも高い37家門に連なる火星騎士、ザーツバルム伯爵の息子だ。何やらスレインの父とザーツバルム伯爵は過去に親交を深めたことがあったらしく、その縁でイナホとは物心つく前から共に過ごすことが多かった。互いに遠慮がないのは昔馴染みだからだ。
「
……
あなたの冗談は、何度聞いてもわかりにくい」
「父上にも同じこと言われたな」
「ザーツバルム卿にまで
……
」
謹厳そのもののイナホの父を思う。彼とイナホと、おそらく無表情を突きあわせてわかりにくい冗談をぽつぽつ交わしあう様を想像するだけでこめかみが痛くなる。がくり、と自然に肩と頭から力が抜けて項垂れた。
「スレイン」
白手袋の指先が、先の手当ての荒々しさを忘れた穏やかさで顎に触れる。イナホの指は俯いた顔を軽やかに上向かせ、そして魔法のようにスレインの動作を封じこんだ。
赤茶の瞳が瞬きのあと目を閉じる。少し首を傾けた顔の輪郭のまるさを視線で辿っているうちそれがどんどん近づいて視界を埋め尽くし、頬を柔らかなイナホの前髪がくすぐったと思った直後、たよりない温かさがスレインの唇をわずかに湿した。
ぬくもりは一瞬で離れる。明るくなった視界でイナホがぺろりと唇を舐めている。少し覗いた舌は赤かった。
「だから言っただろ?」
「
……
イナホ?」
十数年の付き合いであるところのスレインでないとわからないような微妙さで、ゆっくりとイナホが目を細めた。スレインの顎を撫でる指と同じ速度でイナホの唇も微かに口角を上げる。淡く優しげな、それは滅多にお目にかかれないイナホの笑顔だ。
「君は迂闊すぎるよ、スレイン」
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