ほうじゅ
2025-02-26 22:35:39
12990文字
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こい願い、きみ、想う道

このおはなしは、2024/02/11に発行された和風職アンソロ『絢爛迷宮』に参加した際の原稿を、一部加筆・修正したものになります。

 眼前を、白刃が軌跡を残し通り過ぎる。
 息を詰めて身を反らし、すんでの所で首を守る。崩れかける体勢を草履の裏で必死に支え、刹那、捉えた相手の懐へ構えた刀で斬り込んだ。
 〝獲った〟──そう、思った直後。
 勢いよく吹っ飛ばされ、容赦無く地面に叩きつけられた。
…………ぁ!」
「なんだ、もうしまいか?」
 チリン、と涼やかな鈴の音と共に、頭上から声が降ってくる。背中の痛みに耐えながら、横たわったまま目を開くと、陽光を透かす美しい白髪はくはつが真っ先に目を引いた。
 あぁ、あの人と同じ色だ。──なんとも忌まわしいことに、今日もその髪色に彼を想う。しかし、束の間抱いた情感は、脇腹への強烈な蹴りですぐさまに消し去られた。
「痛……っ!?」
「いつまで寝ている、さっさと起きろ」
「あ、貴女には人の心が無いんですか!」
「無い訳なかろう、早く立て。相変わらずだらしが無いな」
 繰り出された二度目の蹴りは、食らう寸前で回避した。しかし、いつ追撃が来るかわからない。慌てて立ち上がると、吹き飛ばされても手放さなかった刀をどうにか構え直し、鈍い痛みに耐えながら、態勢を整え息を吐く。
 そんなツバキの姿に、対峙した女は赤い眼を細め、泰然とあでやかな笑みを浮かべた。楽しげに刀を頭上に掲げ、構えを取ると口を開く。
「そら、好きに斬って来い。幾らでも可愛がってやる」
……参ります」
 相手を真似るように、刀を上段で構えて再度息を吐く。途端に空気が張り詰め、周囲の森の音が遠ざかる。
 静寂を裂くように、足を踏み込み声を上げ、女へ向けて斬りかかった。躱され、打たれ、数度の攻防。
 ──そして、しばらくも経たぬ内に、また地面に叩きつけられた。
 そんなことを幾度か繰り返し、空が暮れなずむ頃。白髪の女はつまらなそうに、模擬刀を鞘に納めながら言った。
「今日はもう終いだな。……なんだ、まだ伏せていたのか? 年頃の娘が地面で寝るな。感心しないぞ」
「だれっ……の、せい、だと……
「お前の未熟さのせいだろう」
 忌憚ない一刀両断に、ツバキは何も言い返せない。歯噛みしながらも、脇腹への蹴りを避けるべく、息も絶え絶えに半身を起こす。すると、チリンと顔の傍で鈴の音が鳴った。師匠の履く緋袴に、吊り下げられた鈴の音だ。
 見上げれば、こちらとは対照的に、息一つ切らしていない女が、手を差し伸べてくれるでもなく、ただ真横に立っている。その無言の圧に、どうにか居住まいを正すと、最低限の礼節を持って、姿勢を正し頭を下げた。
……お手合わせ、ありがとうございました」
「ああ。──じゃあ、今夜は魚でな。今日も精々、花嫁修業に励むことだ」
 反射的に相手を睨み付けたが、その時にはもう、女はさっさと家へ引き上げていた。悔しさ紛れに舌打ちを鳴らし、なけなしの意地を使い、どうにかこうにか立ち上がる。
 肩口で切り揃えた髪を、初夏の風が優しく撫でた。自然と、こめかみに手を当てかけ、思い留まり腕を下ろす。
 熱した身体に心地よい風に、目を細めたのも束の間。全身を襲う鈍い痛みに、思わず呻き声が漏れた。
……ッ。相変わらず、一切手心の無い鬼っぷりですね」
 お師匠様は、と。
 非難の色を乗せた愚痴は、幸いにも誰に拾われることもなく、夕風に乗り消えて行った。


 ──世界樹の迷宮、と呼ばれる東の辺境の戦場いくさばから、ツバキがこの地へ出戻ってきたのは、今から半年前のことだ。
 師匠のもとで修業を重ね、免許皆伝は受けていた。山の獣や先人に揉まれ、それなりの実戦経験も積み、刀を手にした年月分の自信や誇りも持っていた。
 戦に賭ける覚悟など〝武士〟であろうと決めた日から、心の底に据えられていた。
 ……けれど、駄目だった。世界樹の迷宮、第二階層『原始ノ大密林』地下八階。そこが、ツバキの挑戦の限界だった。
 身に付けた太刀筋は数多の敵に致命傷を与え、装甲を破り首を落とした。エトリアの街で出会った仲間たちとも、背を預け合う程度の信頼を築け、事実、道を切り開く為に他の冒険者と共闘し、挑んだ地下八階の戦いに於いても、自分は闘えていた。はずだった。
 だが、手にした結果は敗走だ。幸いにも、自分たちは命を失うことは無かったが、これ以上の探索は出来ないと、判断せざるを得ない。──そんな、惨憺さんたんたる光景を目にした。
「──まあ、迷宮の完全踏破なんて、夢のまた夢な話なわけだし。八階まで行けただけでも、わたしたち、充分すっごいよ~」
 ころころと愛らしく笑いながら、吟遊詩人の少年は、短い冒険を歌にした。真実に夢を織り交ぜた歌を聴きながら、彼も言葉少なに言った。
「命あっての物種だ。死んでは、夢も見れないだろう」
 少年の甘やかな歌声は、剣戟の届かぬ雑踏の中で、穏やかに空へと溶け消える。それに耳を傾けながら、ツバキは腰に下げた刀の柄を、悔しさと共に握り込んだ。
 言葉では、幾らでも整理がつく。だが、この中の誰一人、心までは折れていない。だからこそ、八階から逃げ帰ってきて尚、夢を手放せないまま、エトリアに留まり続けている。
 ──だからこそ、ツバキは街を出ることにした。
 先を目指さぬ仲間たちに、見切りをつけた訳ではない。
 道を切り開けなかった自身の不甲斐なさを悔いて、今一度、鍛え直すべく、恥を忍んで師の下へ教えを乞いに戻ったのだ。
 今の自分に何が足りないか、検討はついていない。されど、初心に戻り修業を重ねれば、自ずと道は開けるだろう。そう信じ、日夜にちや刀を交え、鍛錬に励んでいるのだが……
「どうしてっ、毎夜毎夜っ、花嫁修業などとからかわれながら、夕餉をっ、拵えてっ、いるのでしょうねえ!!」
 腹立ち紛れに包丁を振り下ろし、用意されていた大量のイワシを叩きに叩く。すぐに細切れとなった魚肉を、雑に団子にしてだし汁に放り込み、ツバキは改めてため息を吐いた。
 ──もう一度指導して欲しい。勘当覚悟で頭を下げるツバキを、師匠が追い返す真似はしなかった。代わりに、新たな技の手解きを、してくれることも無かった。
『変えることは、一から学ぶよりも難しいぞ』
 そんな、苦言とも助言ともつかぬ一言を寄越した以外は、ただ日々鍛錬の相手として刀を交えてくれるだけで、良し悪しの評価すらも無い。
 呆れられているのだろう。そう察しながらも、他に行く当ても手段もない自分は、彼女に教えを乞うしかない。
 そんな中、唯一師匠がツバキに課したものが、〝模擬戦で多く倒れた方が食事を作る〟などという、お遊びじみた罰則だった。お陰で、生まれてこの方師匠に膝を付かせた覚えの無いツバキは、痣の痛みに耐えながら、毎日食事を作る破目になっている。
「お師匠様、夕餉の支度が整いましたよ」
「ああ。……なんだ、またツミレ汁か。今日は、煮付けが良かったんだがな」
「文句をおっしゃらないでください。そんな手間のかかる料理、作れるわけないでしょう」
「魚をたたく分、ツミレの方が面倒臭かろうに」
 諸々の発散を兼ねた調理工程だから良いのです、などとは口が裂けても言えない。代わりに、黙って食卓に着くと、師匠も向かいの席へと着いた。
 そのまま揃って手を合わせ、挨拶が済むと食事を始める。直後、ツミレを一口齧った師匠が、眉をひそめ酷評を下した。
「また、随分と雑な味だな。せっかくの鮮魚が勿体ない」
「だから文句をおっしゃらないでください! そもそも、どうしてこんな山中に大量のイワシがあるんです」
「親切な古馴染みが、鮮度を保つ術式を編み出したなどと言い、実験も兼ねて運んでくるんだ。『食い手が増えたなら、村から食糧を運ぶだけでも難儀だろう』と言ってな」
……疑わしいですね」
 山の中腹にあるこの家から、麓の村まで約半刻。そんな道程を、善意で行き来するだろうか。大方、上手いこと丸め込むか脅すかしたのだろう。師匠はそういう女だ。
「けれど、素晴らしい方ですね。新しい術式、ですか」
「素晴らしいも何も、ただ偏物なだけだ。戦場でも美味い刺身が食いたいと言い出し、戦いを差し置いて、それまで使いもしなかった氷術の研究を始めるような奴だぞ」
……それでもやはり、素晴らしい方ですよ」
 きっかけはどうあれ、結果を出している。それは、目指す場所もわからず、闇雲に鍛錬を重ねる今の自分には、あまりにも眩しい成功談だ。
 斯く言うツバキは、模擬戦で師匠に吹き飛ばされ、痣を増やしては食事を拵え、漫然と日々を送るだけだ。成長の手応えもまるで無いまま、気づけば半年が過ぎようとしている。
 そう、半年。……もう、半年だ。
 自分は何をしているのだろう。地面に膝を付く度に、心に巣食う疑問や不安が、徐々に膨らんでいる自覚がある。
 だが、迷いは刀を鈍らせる。戦場において、一瞬の判断の遅れが致命傷に繋がる。迷い、腕を止めた瞬間、断ち切られるのは自分の首だ。だから、一歩でも多く足を踏み出し、ひとつでも多くの隙を突き、一太刀でも多く攻撃を重ねる。それを可能にする為に、今は只、我武者羅がむしゃらに鍛錬を積む。
 ──けれど、本当にこれで良いの? 私は、一体どうすれば、
「ご馳走様」
 物思いに沈む頭に、師匠が箸を置く音が届いた。意識を引き戻され顔を上げると、向かいの席は既に空になっている。
 味に文句をつけれど、師匠はどんな食事も完食する。対して、自分の膳はまったく進んでいない。義務を果たすようにツミレを口へ運ぶも、すぐに箸が止まった。
「ああ、本当に。……粗雑な味付け」
 小骨が残る舌触りの悪いツミレは、不出来な自分そのものだ。何度も噛み、汁で流し込み、ようやく食事を終える頃には、言い様のない虚しさが胸中に満ちていた。


 本格的な夏を迎えても、日々はまるで変わらない。肌が焼ける程の陽が射そうが、着物が絞れる程の汗をかこうが、模擬刀を打ち合い、吹き飛ばされては、土の味を噛み締める。
 家に入り込む虫の多さに、悲鳴を上げながら夕餉を拵え、師匠の文句を聞き流しながら、美味くない食事を摂る。
 だが、何も変わらぬ日々の中、山の緑やあまそらは、無情にも時の移ろいを語った。
 森の木々が青々と茂り、入道雲が湧き上がる中、熱風に蒸され鍛錬をする間に、数度、嵐が通り過ぎた。そのうちに、気が付けば蝉共の声は消え、秋茜が辺りを飛んでいた。
 空が高く遠ざかり、鱗雲が広がり始めると、汗ばむ肌に吹く風は、再び心地よいものに変わっていた。
 同じ頃、家には虫が入り込む代わりに、様々な食糧が舞い込むようになった。師匠は悪びれなく〝気の良い友人〟の話をし、ツバキはそんな旬の食糧を、切り刻んでは夕餉に並べた。だが、陽が釣瓶落としの如くになり、台所へ立つ時間が増えても、師匠からの夕餉の評価は一向に変わらなかった。
 次第に花が終わりを迎え、森の色彩が減っていく。代わりに、木々は赤く色付き始め、風に木の葉を散らすようになった。膝を付く地面は、日々冷たさを増していたが、散り積もる落ち葉のおかげで、背中から叩きつけられた時の痛みは、幾分か和らぐようになった。

 落ち葉に倒れ、見上げる雲が、重く鈍色にびいろに変わっていく。
 草陰から響く秋虫の声が、いつの間にやら消えている。
 風からは心地よさが消え、芯から凍る冷たさに、手を擦り合わせるようになった。
 ──そうして、ある朝。
 障子の外を覗き見ると、辺りが真白に染まっていた。
 一夜で雪化粧を施された景色には何物の跡も無く、寒気を覚える静けさが、横たわっているだけだった。
 一切のわだちも残らぬ地面に、初めから何も無かったのではないかと、呆然と吐いた息は白い。
 知らず、こめかみに手を伸ばし、その空虚さに膝を付き、そのまま動けなくなった。
 春が過ぎ、夏が終わり、秋を経て、四季が一巡した。
 ──やがて、ツバキは諦観ぜつぼうと共に、冬の訪れを受け入れた。

「そら、準備しろ。鍛錬を始めるぞ」
……はい、お師匠様」
 朝餉を済ませてまもなく、常と変わらぬ口振りで師匠が声をかけてきた。嵐が襲おうと大雪に荒れようと、師匠が鍛錬の手を緩めることは無い。しかし、着物のえりをきつく合わせ直し、刀の柄を握るツバキの手は、痺れる程に冷えている。
「お師匠様は……そんな格好で、寒くはないのですか?」
 新雪を踏み散らし、先を行く師匠の装いは、夏の時分と変わらない軽装だ。師匠が歩く度に鳴る鈴の音は、暑気の中では涼しく響いたが、雪の中で聞くには寒々しい。
「お前の立つ戦場は、常春ばかりなのか?」
……失礼しました」
 頭を下げた眼前に、切先きっさきが向けられる。顔を上げ、刀を鞘から抜くと、一定の距離を取る。そのまま、言葉も合図もなく、鍛錬が始まった。
 身体を動かし始めても、冷えた手の熱は戻らない。かじかみ凍えた太刀筋が、師匠を捉えるはずもなく、すぐ防戦に追い込まれる。冷気に歯を食い縛り、必死に連撃を避けながらかろうじて刀を振るう最中、師匠がぼそりと呟いた。
「相変わらず、芯の定まらぬ太刀筋だな」
 その言葉に、思わず腕が止まる。その隙は簡単に突かれ、直後、身体が宙を浮いていた。
 また、私は殺された。そう思った時にはもう、背中を鈍い衝撃で打たれ、白い息を吐き出していた。
「がハッ……ア、……っああ……
 全身が、痛む代わりにひどく冷たい。元より冷え切っていた手に、馴染んだ柄の感覚が無く、縋るように握り込んだ掌は、虚しくも雪を掻いた。
 チリン、と涼やかな音がする。師匠が傍へ寄ってくる。
 すぐ隣で物音もしたが、あまりの寒さに顔が動かない。
 ただ、遠く曇天から、降りしきる雪を眺めていた。
 大地に触れる全身から、体温が奪われていく。着物も雪で濡れそぼり、とうに役目を果たしていない。それでも雪を眺め続ける耳に、冷徹な声が静かに響く。
「一体いつまで寝ているつもりだ? 刃引きした刀だ、そう痛くもなかろうに」
 何度も受けたはずの誹りが、今日は胸の深い部分を抉る。鈴の音がひとつして、視界に女の顔が映る。赤い眼をした、白い髪の女。
 その髪色に、雪の白さに、──今日も、彼のことを想う。
 その瞬間、目から温かいものが零れた。凍り付いた肌を解かし、情けなく流れたのは、涙だ。
 堰を切ったように溢れ始めた雫に沈み、降り続く雪も、師匠の顔も、歪んで形を崩していく。途端、口からも言葉が流れ出した。
……いたい。痛い、ですよ。──痛いに、決まっているでしょう!? 貴女には、本当に、人の心がないんですか……っ」
 これは、ただの八つ当たりだ。けれど、止めることが出来なかった。視界に映る白髪の女は、眉ひとつ動かさず、突然泣き始めたツバキの姿を、黙したまま見下ろしている。
「ほんとうは、ずっと痛かった。でも、痛いと嘆いても仕方がないでしょう? どうしたって、弱いままでは、私は彼の役に立てない……。あの日の私は、どうしたって、彼の助けになれなかった!! だから、私はかんざしを外して、……なのに。わたしは、いったい、どうすれば、……彼の力に、なれるというの……?」
 私は何をしているのだろう。八階から逃げ帰った日、もっと強くあらねばと誓った。道を切り開く為の力が欲しいと、彼の力になりたいと、心より強く乞い願った。
 けれど、私はこの一年で、一体どう変わったのだろう。
 強くなった自覚もなく、力をつけた自信もなく。無為に時だけを浪費した結果、駄々っ子のように泣いている。
 芯が定まっていないのは、太刀筋だけでは決してない。
 一年、刀を振るい続けても、自分の目指すべき場所が分からない。かつて世界樹の迷宮へ挑んだ理由も、免許皆伝を言い渡された日、途端に行き場を無くしてしまい、目的なく訪れただけだった。
 私は生き方そのものが、芯が定まっていない。風に煽られ飛ばされるだけの、発芽さえ出来ないただの劣種だ。それでも、光を求め、水を求め、芽を出そうと努力した。
 しかし、全てが凍る冬を前に、これ以上、どうすれば良いのだろう。
「私は……どうすれば、また、あの人に会いに行けるの? 私は一体、どうすれば、……あの人の隣で戦えるの……
 心までをも凍らせるように、降り続ける雪の中、伝った涙に解かされた耳の辺りだけがひどく熱い。知らず、軋む腕をこめかみに伸ばすも、外したかんざしがあるはずもない。
 ふいに、チリンと涼やかな音がした。
 直後、強い力で身体を引き起こされる。驚き目を剥くと、片腕でツバキを掴み上げた師匠の顔が、目前にあった。たたらを踏み、足が崩れかけるのを、師匠の手に支えられる。
「お前はいつまで寝ているつもりだ。年頃の娘が、あまり身体を冷やすな」
「っ……、雪山で薄着の貴女が何を、」
「──ツバキ。お前の〝武士道〟とはなんだ」
 静かな言葉に、口を噤んだ。
 師匠はツバキを支えたまま、変わらぬ声音で話を続ける。
「主君を持たぬお前にとって、武士道とは一体何だ。戦場に立ち、強敵を討ち、その身を高潔に散らすことか」
 それは、初めて刀を手にした日、師匠に説かれた道の話だ。命より恥を重んじろ。自分の名誉をしかと守れ。武士と呼ばれる者にとって、勝利は必ずしも善ではない。道に背き得る戦功より、矜持を貫く最期を選べ。
 しかし、初めの教えに対し、ツバキは言葉を返せない。戦場から逃げ帰り、恥を忍んでこの地に戻り。一向に芯の定まらぬツバキは、自身の道を見失って久しい。
「ツバキ、お前は強い。戦場に立つ為の力を、お前は既に身に付けている。だが、未だ太刀筋が定まらぬ理由は、今なお心が迷子まよいごだからだ。──お前が守るべき武士道とはなんだ? お前が真に得たいものは、敵を討つ強さだけなのか」
 支えられていた手が離された。途端にツバキは重心を失い、再び雪の上に崩れ落ちる。その目の前に、倒れた拍子に失ったはずの、刀が一振り落ちていた。師匠が拾ってくれたのだろう。自然と、かじかむ手で柄に手を伸ばす。
 初めて刀を手にした幼い日、望むものは何も無かった。目指す場所も守るものも無く、ただ師匠に憧れて、歩み始めた道だった。……けれど、今の私が望む〝道〟とは。
 掴んだ柄を、強く握り込む。
「今一度、自分の戦場を見つめ直し、自身の道を見定めろ。
 ──だが、変えることは、一から学ぶよりも難しいぞ」
 聞き覚えのある台詞に、ツバキは思わず顔を上げ、ふいに得た気付きに、堪え切れず苦笑を漏らした。
 師匠は、呆れてなどいなかった。初めから、道標みちしるべを立ててくれていたのだ。手を差し伸べてくれることや、教え導いてくれることはなかった。けれど、倒れ伏した時は迷いもせずに、背を支え共に立つために、傍で見守ってくれていた。
それは、なんてわかりづらい、──教えと優しさだったのだろう。背を支えられた数よりも、背を蹴られた数の方が遥かに多い。おかげで、随分な回り道をすることになってしまった。
 けれどやっと、一年も経て、私は始まりの場所に立てた。細く長く吐いた息は、安堵の想いを乗せ、白く消える。
「私の、戦場。──私の道」
 極寒の中、遠く、エトリアの地を思い出す。
 無謀にも、一人で迷宮へ挑み、彼に助けられた日のこと。美しい翠緑の森を、彼らと共に探索した日々。少年の歌声に励まされ、彼と肩を並べて戦った日々。
 敗走し、逃げ帰った夜。悔しさに涙しながら、目指したいと思った場所。かんざしを、外した理由。
 自分の道と定め、──得たいと思った〝強さ〟とは。
……お師匠様。教えていただきたい、技があります」
「ああ。……だが、今日はもう帰るぞ」
 言うや否や、師匠はツバキを軽々と抱き上げた。幼子のような扱いを甘んじて受け入れ、そのまま、心身の力を抜く。
 静謐な雪景色に、師匠の鳴らす鈴の音が響く。神聖さを伴う響きは、揺り籠で聞いた子守歌のようだ。背後に続く雪上には、点々と足跡が続いている。ここにも轍はあったのだと、ツバキは穏やかに目を閉じる。
 顔の傍で揺れる白髪に、もう、心は乱れなかった。

 その夜は、久方ぶりに師匠が台所に立った。
 用意された夕餉は、滋養に満ちた深い味わいをしていて、この味を自分で作れるならば私の食事に文句もつけよう、と嘆息する。刀の腕も料理の腕も、一向に師匠に敵わない。
「どうすれば、私も師匠のように作れますか」
 尋ねるツバキに、師匠は平常通りの涼しい態度で答えた。
「学べば誰でも作れるようになる。お前に足りていないものがあるならば、ヒトを頼る弱さだよ」
 その台詞に、料理の仕方を師匠に訊ねた覚えがないと、ようやく気が付いた。道に迷うあまり、こんな簡単な近道さえ、今まで見落としていたらしい。
「お前が知らぬだけで、ワタシとて周囲に支えられている。彼らのおかげで、こんな山中でも美味い魚が食えるのだからな」
 冗談とも本気ともつかぬ言葉に、ツバキはくすりと小さく笑った。そうして、こんな風に笑うことも久しぶりだったと思い至る。視野狭窄にも程がある、と自分の未熟さにほとほと呆れ返りながら、もう一度、小さく笑う。
「お師匠様。料理の仕方も、私に教えてくださいますか」
「ああ。だが、次はもっと早くに聞け。不味い飯で男に逃げられては、笑い話にもならんからな」
 最早ぐうの音も出ずに、目を逸らし黙って箸を進める。
 ……ああ、彼に手料理を食べさせたことが無くてよかったと、──遠い地に、思いを馳せながら。


 その後は、一度思い切り泣いたことで、張り詰めていた緒が切れたのだろう。痣の痛みは変わらなかったが、触れた雪の冷たさに、心まで凍えることは無くなった。
 模擬刀を打ち合い、過ぎ行く日々は、夜がすっかり長くなり、ある日、湯船に柚子が浮かんでいた。と思っている間に年が明け、転じて、陽の射す時間が再び延び始めた。
 雪景色にさほど変化はないが、新たな雪が降る日は減り、軒先の氷柱つららも知らぬ内に、一本また一本と解け消えていった。
 鍛錬の最中に膝を付く数は、以前よりも増している。
 しかし、初冬に抱いた焦燥は無く、多少の時間と手間をかけ、師匠に教えを乞いながら、料理を学ぶ余裕を持てるようになった。刀や料理の腕前はなかなかに上がらないが、休息の取り方は、少し上達したようだった。
 煮付けを鍋で仕込みながら、いつかの師匠の苦言を思い出す。なるほど、確かに魚をたたく分、ツミレの方が、余程作るのが面倒だ。
「煮付けって、意外と簡単に作れるものだったのですね」
「味を極めようとすれば、別だがな」
 隣に立つ師匠は、相変わらず、不必要に手を差し伸べてくれることはない。だが、慣れぬ手付きで落とし蓋をする自分の様子を、師匠は黙って見守ってくれている。
「私も、いつか辿り着けますか」
 師匠は何も答えることはなく、ただ楽しそうに、口の端を上げた。


 模擬戦の合間に素振りをし、自身の太刀筋を定めていく。
 足袋を雪解けの泥で汚し、目指す〝強さ〟に肉薄する。
 吐く息から色が失せる頃。師匠から、初めて夕餉の味を褒められた。
 以前よりもほんの僅かに、痣を作る数が減った頃。
 風は梅の香を伴いながら、かんざしが飾らぬ頭を、撫でるようになっていた。

 まだ解け切らぬ残雪を、柔らかな陽が照らしている。
 その光の筋を断つように、ツバキは刀を鞘から抜いた。
「──参ります」
「ああ。好きにかかってこい」
 対峙する女は、今日も今日とて楽しそうに、笑みを浮かべて刀を上段に構える。その赤い眼を見据え、ひとつ息を吐くと、ツバキは刀を中段に構え、切先を女の顔へと向けた。
 まだ極め切れぬ姿勢だが、これがツバキの出した答えだ。隙を見せぬように、相手の隙を見落とさぬように。空気は凛と張り詰めているが、鼓動はひどく落ち着いている。
 ふいに、女の顔から笑みが消えた。
 直後、ツバキは一息に距離を詰め女の胴体へ一閃を繰り出した。素早く撃ち込んだ突きは女に避けられ、反撃の太刀風が顔を掠める。続く二撃目を視界に捉え、瞬時に太刀筋を見極めると僅かな動きで回避する。
 返す刀で女が三撃目を放つ。師匠が繰り出す技は、三連撃からなる通称『燕返し』だ。散々に吹き飛ばされ膝を付かされた技を、一寸の距離で見切り、柄を握る手に力を込めた。
 ──あの雪の日。情けなく泣きじゃくりながら、彼の隣で戦いたいと言った。あれこそが、自分の本心だ。
 しかし、身を守る為の盾を持たず、傷を癒す技術も無く、一人で敵を屠る力も持たず、道を切り開く為の知恵も無い。師匠の真似事をしても、差を目の当たりにするだけの自分が、どうすれば望む戦場に立てるかわからなかった。
 だが、戦う為に必要な技は、力業だけでは決してない。
 攻撃を終えた師匠に、刹那にも満たぬ隙が生まれる。再び技を放つ為の僅かな間を、ツバキは逃さず踏み込んだ。
 狙うまとは、ただ一点。積み上げた鍛錬による技術で、緻密に刀を操り、対峙する女の指をツバキは正確に突き穿った。
……っ、」
 女が刀を取り落としかける。致命傷には至らないが、畳み掛けるには充分な隙が生まれる。
 女との距離を詰める。赤い眼と視線が交わる。構えた刀を攻撃に転じながら、しかし、冷静な頭で考える。
 ……私はこの戦いに勝てない。僅かな時間を稼いだ所で、圧倒的な力量の差を埋めることなど叶わない。──けれど。

「──これが、私の〝武士道〟です!」

 女の口に、再び笑みが浮かぶ。突いたと思った隙は罠だ。そう気付くも、振り抜いた刀を止められない。女は舞うような動きで軽やかに攻撃を躱すと、握り直した刀を勢いよく振り下ろし、手加減など微塵も無く、ツバキを地面に叩き伏せた。
「があッ……!」
 受け身を取ることも出来ず、泥濘ぬかるむ地面に無様に倒れる。顔と着物を派手に汚し、堪らずに何度も咳き込んだ。
 ふいに、すぐ傍で鈴の音がした。地に這いながら見上げると、美しい白髪の女が、笑いながらこちらを見下ろしている。
「とても、良い技だった。まだ、未熟ではあるがな」
 師匠の言葉に、盛大に息を吐くと、束の間、目を閉じる。
 同じ構え、同じ戦い方をしたところで、師匠に勝てる日が来るはずもない。
 だが、基礎となる構えを変えれば、瞬時に使える技も変わる。指を穿ち隙を作り、反撃の機会を得ることも出来る。しかし同時に、師匠のような連撃で、敵をねじ伏せる真似を行うことは難しくなり、一人で敵を打ち倒すことも、困難となる。
 ──けれど、私の立つ戦場には、彼がいて、少年がいる。
 背を預けられる仲間たちと、共に立つ戦場であれば、先程ツバキが作った隙を、彼らが、必ず生かしてくれる。
 一人で敵を討つ必要は無い。一秒でも長く戦場に立ち、少しでも多くの隙を作り、彼らに選択の迷う余地を与え、彼らを死から遠ざける。新たに選び取った技が、彼らの夢に繋がる道を、切り開く為の一手とする。
 ──そんな戦い方こそが、自らの〝武士道〟だと定めた。
 再び、目を開く。雪泥せつでいの中から見上げた空は、晴れやかな青に染まっている。その清々しさに、今の自分の醜態も忘れ、ツバキは笑い声を零した。
 途端、師匠に蹴られかけ、慌てて汚れた身体を起こす。その最中、光を帯びた大地の端に、冬を越え、強く萌え出た、まだ小さな新芽を見つけた。
 その姿に思わず自分を重ね、ツバキはもう一度、笑う。
 穏やかに吹く風は、長い冬の終わりを告げ、花咲く季節の到来を暖かに伝えていた。


 旅立ちの朝。鏡台の前に立ち、久方ぶりにかんざしを挿すと、自然とほほえみが浮かんだ。
 春の陽に咲く花かんざしは、柔らかな薄紅色をしている。常春の花とも呼ばれるそれは、自分と同じ名を持つ椿ツバキの花だ。
 軽い足取りで家を出ると、見送りに立っていた師匠が、すぐさまツバキの姿に目を止めた。
「戦場に戻るとは思えない、随分とみやびな装いだな」
「ええ。ようやく、壊す恐れが無くなりましたので」
 こめかみに手を伸ばすと、懐かしい感触が指に触れ、愛しさが溢れてきた。──このかんざしを挿すのは、迷宮の八階から、逃げ帰ったあの日以来だった。
 道を見失い、途方に暮れたあの日。今の自分では、大切な物を守れないと、恐怖に囚われ、不安に苛まれ、かんざしを身に付けられなくなった。自分の未熟さが原因で、宝物が壊れてしまうことに怯え、手に取ることすら出来なくなったのだ。
 ──だけど、もう、大丈夫。
 またかんざしを挿せるようにと、恋願う日々は終わった。全てが凍る冬を越え、草木が芽吹き、椿の花が咲く季節を迎えた。
 ツバキはかんざしから手を放すと、刀の柄にそっと触れる。夢を繋ぎ、守るための、自分の〝武士道〟がそこにあった。
……ああ。婿殿からの贈り物という訳か。一途なものだな」
「へっ? いえっ、まだ婿ではありませんから!! そのっ、恋仲ではありますが……えっ、な、何を藪から棒にっ?!」
 突然の師匠の言葉に動揺を隠せず大声が出た。しかし、師匠は気に留めた様子もなく、事も無げに言葉を続けた。
「なんだ、違うのか? わざわざ出戻って来た理由も、構えを変えた理由も、婿殿の為だろうと踏んでいたんだがな」
 言われ、顔が赤くなる。確かに、かんざしは彼からの贈り物で、再度の修業も戦い方の変化も、突き詰めれば彼の為だ。
 だが、彼や彼との関係を、師匠にはっきりと伝えた記憶は無い。情けなく泣いた雪の日に、うわ言の如く零した記憶はあるが、どうして、当たり前のように、全てを知っているのだろう。
 そんな、こちらの混乱を察したのか、師匠が楽しそうに笑う。
「なに……、大切な愛娘が、思い詰めた顔をして帰って来たんだ。気付かない方が嘘だろう。ワタシは、お前の母親だぞ?」
 ……その大切な愛娘を、模擬刀とはいえ全力で、一年中打撲まみれにしていた女が、戯れ言を口にしている。
 しかし、ツバキは何も言えない。何も言わずとも、全て見透かされている気がして、ただただ居心地が悪かった。
 思い返せば、事あるごとに聞かされた花嫁修業という揶揄も、冗談ではなく本気の言葉だったのだろう。師弟としての導きも、母娘としての心遣いあいじょうも、わかりづらいにも程がある。
「ツバキ。磨いた腕を存分に振るい、婿殿の心と胃袋を、しっかりと掴んで来い。次に帰ってくる時は、孫の顔を見せてくれ」
……精進いたします」
 気まずさに顔を伏せていると、温かな手で、二度、頭を撫でられた。驚き見上げると、赤い眼を優しく細め、母が穏やかに笑っていた。ツバキもほほえみを浮かべると、姿勢を正して前を向き、凛と胸を張る。
「──お母さん、いってまいります」
 手を振る母に見送られ、一路、エトリアに向け歩き出す。
 足を踏み出してすぐに、心が高く弾んだ。
 やっと、彼に会いに行ける。また、彼と共に戦える。
 どうか彼も、……私との再会を、喜んでくれますように。
 彼を想う、道の途上。
 旅路を彩る山桜は、白い花弁を風に乗せ、晴朗な青空の下を、美しく舞っていた。

【了】





【コメントカット】
 和風職アンソロ発行、おめでとうございます!!
「うちの子は三層加入までの間、こんなことしてたよ」
 という、初代発売時に考えたお話でお送りしました~。
 ゲームの話すると、青眼構えて小手討ちして
 ダクハンの彼氏に貢献したい姫子の話でした。
 縛りは浪漫だからな! Ⅱは最高だったぜ!!
 まあ~……、旧Ⅱじゃ小手討ちバグってたけど。
 最後に。
 このたびは、すてきな企画にお招きいただき、
 本当にありがとうございました!
 和風職は良いぞ!