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来羅
2025-02-26 18:57:06
2946文字
Public
怪物
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バレンタイン その2(jwds)
ビターなバレンタイン。
ぽとん、と一粒。
ぽとんと二粒。
ジュウォンは豪華なパッケージに鎮座するチョコレートボンボンを鍋の中に落としていく。
六個しか入っていないのに結構な値段のするチョコレートはジュウォンもよく知るメーカーのもの。
丁寧に折り畳んだ包装紙はシックなボルドー。ラメの入った茶のリボンも短く畳んで結んでおく。
最後のチョコレートを全て鍋に溶かして、潰した箱を包装紙やらリボンやらと共にゴミ箱に捨ててしまえば証拠隠滅完了だ。
手にしたのはもう一週間以上も前になる。その頃はあちらこちらにバレンタインの催事スペースができていて、その店もまたハートのバルーンで覆われていた。高級店ではあるので若い女性たちが群がることはないものの、そこそこ人のいる店内を睨むように見回し、美味しくて、喜ばれそうで、けれども気負わず貰ってもらえそうなものを選んだつもりだった。
甘いものが好きかどうかもわからない人。でも酒が好きなことは知っている。だから、ビターで中にリキュールとブランデーの入ったボンボン・ショコラを。
日頃お世話になっているからだ、とか。たまたま目についたから、とか。いただいたものを持て余したので、とか。本心とは裏腹な言い訳を十は考えて、会いに行こうと思っていた。いや、思っていただけで、実際そのときになったら行けなかったかもれない。チョコレートひとつで気軽に会いに行くような間柄ではなく、だからといって会いたい以外に理由もない。
結果的には長引いた認知症老人の捜索から解放されたときにはすでに日付が変わっていて、その日は十五日の零時四分を示すデジタル時計を虚しく眺めて終わってしまったのだけれど。
「何か手伝うことはありますか?」
キッチンに顔を覗かせたドンシクに、思わず視線を彷徨わせて何もないと答える。疚しいことがあると人はこうも愚かな行動に出てしまうものなのか。
「ハン警部補?」
「なんでもありません。あなたは休んでてください」
マニャンから江原道までやってきたドンシクを労っているようで、その実、側にいられると落ち着かないせいでつい遠ざけてしまった。
何をやっているのだろうと思う。
ジュウォンも、ドンシクも、出会った直後が嘘のように余所余所しく、離れた距離の詰め方を模索している。
「ジェイがね、いい肉が手に入ったって言うもんだから」
そちらに行ってもいいですか、とメールが来たのは昨日だった。
「あと、ちょっとお世話になった人からいい赤ワインをいただいたんですけど、ほら、あなたが作るみたいな料理はこっちにはないでしょ。だから」
だから、なんなのか。
言葉を濁したドンシクに、ジュウォンもまた言葉がうまく続かない。結局沈黙に苦笑いしたらしいドンシクの息がスマホ越しに耳元をくすぐり、聞いてます?と意地悪く咎めた。
「聞いてます。何か言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうです」
「わかってるくせに冷たいなぁ、ジュウォニ。前回は食べられなかったでしょ。だから今度こそあなたの作った美味しそうな、その、
……
横文字の料理、食べさせてくださいよ」
いい肉あるし。
取ってつけたような言い訳に聞こえるのはなぜだろう。
忙しさにかまけてあまりちゃんとした食事らしい食事をとっていないことがばれているのか、よく食べて、と言われてからはまだ一ヶ月と経っていないと言うのに。
「わかりました。ビーフシチューでいいですか?」
「豪華ですね!」
「いい肉といい赤ワイン、なんでしょう?」
「それはもう」
楽しみにしてます、と切れたスマホを片手に暫くぼうっとしていた。
ドンシクとどんな顔で会えばいいのか、未だにはかりかねている。サンベの一周忌では大丈夫だと思ったのに、離れるとすぐに悪い方へと考えてしまうのはジュウォンの癖だ。
会いたい、と思った。
会えないとも思った。
それがなぜなのか、ジュウォンは今もって自分の中にあるドンシクの位置付けに迷っている。
「ドンシクさん、テーブルを拭いてもらえますか?」
「了解」
戯けて敬礼を取るドンシクに顔を顰めた。
懐かしくも物悲しくもある姿はこの手で摘み取ってしまったものだ。
「美味しそうですね」
屈託なく笑う男の本心はいつだってわからない。
男の持ってきた肉とワインで作り、男にあげるはずだったチョコレートを溶かしたビーフシチューを皿によそう。ドロドロに溶けて形のなくなったチョコレートはジュウォンのぐちゃぐちゃな心のようだ。それならその溶けた心を摂取したら、ドンシクの体の中にもこの心の欠片が入り込んで彼の血肉となるのだろうか。それならそう悪くはない。
「ん、うまい!」
「いい肉といいワインのおかげです」
詮無いことばかり考えながら、グラスを傾ける。
「最近、少し忙しかったのでこういう食事は久しぶりです」
「それならたくさん食べないと。ほら、食べて食べて。といっても、作ってくれたのはあなたですけど」
「食材を揃えてくれたのはドンシクさんでしょう」
「じゃあ、俺の持ってきた食材があなたの明日の活力になるわけですね。奮発して良かった」
「え?」
思わず口が滑ったとでも言うように、ドンシクが「あ」と口を開けた。へらりと笑う顔は芝居がかっている。目を細めてじっと見つめれば、ジュウォンの訝る視線に耐え切れなくなったのか、ヤーと大して困ってもいない顔で頭を掻いた。
「バレンタイン」
「はい?」
「あったでしょう、先週、バレンタイン」
「あ、はい」
「ジェイにね、チョコレートを貰ったんですよ。私がお世話してるアジョシにって。俺、世話されてるらしいですよ。それでいい肉が手に入りそうなんだけど、と言われたら買わざるを得なかったっていうか。あなたも、チョコレートより肉の方がいいかなって」
「
…………
僕?」
「はい、あなたも、甘いもの好きかどうか知らないし、肉なら食べるかなと思って」
なんでもないことのように言うドンシクにはそれ以上もそれ以下も感情の揺れは見えない。
世話されてる側が貰うなんていう頓珍漢なことが、まさかドンシクにとってのバレンタインなのではあるまい。が、あまりにドンシクと結びつかないバレンタインという言葉に混乱して、ジュウォンは考えもまとまらずに口を開く。
「それは、確かに、あなたには散々お世話になりましたけど」
「あ、そう捉えちゃう?」
「そう、とは」
「いやいや、それで結構」
参ったなと呟くドンシクが、参った参ったと笑う。
「ホワイトデー、くださいね」
次はこの間食べ損なったやつがいいな、なんてドンシクが幾分早口で告げて食事を再開した。それではまるで約束のようだ。いや、まるで、ではなく、まごう事なき約束だ。
「
………………
約束、」
「はい、約束ですよ、ジュウォニ」
名を呼ぶ声は心なしか甘い。
溶けたチョコレートの甘さだろうか。溶けたこの心の半分がドンシクの中に入ってしまったからだろうか、だから。
「約束」
ついぞビーフシチューの中に溶かしたチョコレートのことは言えないまま、ジュウォンは味のわからなくなったワインを喉の奥に流し込んだ。
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