青海かなえ
2025-02-26 09:44:08
1816文字
Public dawnシリーズ
 

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「懐かしいものを見つけました」
 
 部屋に押し掛けてきた的場が見せてきたのは、あのマニキュアだった。
「なんというか……懐かしいな」
 思い出したくない、という訳ではないが、なんとなく気恥ずかしい。若気の至りだ、と片付けるには、まだ自分は若すぎる。会食か、打ち合わせかは知らないが(俺たちはふたりでいるときにできる限りお互いの仕事については話さないようにしていた)、スーツを着ていた。まあ、スーツ嫌いのため部屋についた途端、ネクタイを緩め始めたが。ご苦労なことだ。的場はジャケットを脱ぎながら、話を続ける。
「試しに開けてみようと思ったんですけどねえ。もう固まって開かないんですよ」
「ああ……消費期限ってあるよな。そういうのって」
「そうなんですか」
「らしい」
 的場が小瓶を放り投げる。危ないだろ、と文句を言いつつ受け止めた。力を込めて開けようとしても、一向に開く気配はなかった。地味に手が痛い。あの時はまるで気づかなかったが、よく見てみると蓋にジバンシーのマークが描かれている。ブランドは知っていても、生憎それがいくらするかは知らなかった。今だったらきっと普通に買えるものだろうが、男子高校生が遊びで使うものではないのは明白だ。頭が痛くなる。
「ああ、そんなに高いものではないですよ。まあこんな小さいものにしては、とは思いはしましたけど。調べるまで三百円くらいかと思ってました。女の金銭感覚は相変わらず謎だ」
「調べたのか」
「店に行きました」
 は?と溢さなかっただけ褒めて欲しい。化粧品売り場に? なにをしに? お前が? 疑問符はひっきりなしに湧いてくる。誰かへの贈り物だろうか。理解が追いつかない。的場の表情を伺おうにも、思考のノイズに阻まれてうまくいかなかった。急に息をするのが難しくなって、ふっと表情が抜け落ちる。最初にこの状態が嫉妬だと気づいたのはいつだったかさっぱり覚えていない。自分と的場は、水面下で愛憎うずまいていた。別れるだの、別れないだの、口に出したり押し留めたりしながら、日々涼しい顔をしてお互いに爪痕を残し続けている。たぶん、お互いに別のベクトルで欲深いのだと思う。痕を残そうとして必死なのだ。
 俺が口を開かずにいると、何かを察したのか、的場は懐から何かを取り出してこちらに放った。寸でのところで掴む。
「あげます」
……は?」
「プレゼントです。恋人が恋人に何かを贈るのは変ですか?というかあなたの財布ってこの前の誕生日にあげたやつじゃないですか」
「いや……そういうことじゃなくて」
 的場が放り投げたものは、ジバンシーの赤いマニキュアだった。あの刻印が、蓋にしっかり刻まれていた。試しに捻ってみると、こちらはきちんと蓋が開いた。傷もない。どうやら新品のようだった。塗料に浸かっている刷毛を取り出すと、赤い塗料が滴った。シンナーの匂いが鼻をつく。高校生の頃を記憶が、当時の感情とともに急に蘇ってきた。青臭い記憶だ。あの頃は、的場に対して正体のわからない情のようなものに手をこまねいていた。的場とこんなことになるなんて考えもしなかった。
「こっちにこい」
 ソファーの横を示しながら無愛想に言うと、的場はこちらを伺うように見ていた。乾かないように、マニキュアの蓋を閉める。蓋を閉めても、シンナーのにおいは消えなかった。
「怒らないでくださいよ」
 違う、とだけ短く言う。
「恋人が恋人の横に座るというのは変か?」
……え、今そういう雰囲気でしたか? 本当いつもながらどこがツボかわからないな」
「違う!」
 慌てて否定すると、的場は口元に手を当てて、不思議そうに首を捻った。違うんですか?と言外に問うてくる。違うのかと言われると、それとそれで違う気がして、答えに詰まる。やましいのを誤魔化すように、急いで口を開く。
「塗ってやるから」
 俺がそういうと、あからさまに的場の口角が上がった。楽しそうで何よりだ。こっちはずっと翻弄され続けているのに。的場が猫のようにするりと俺の横に座り、楽しげに手を差し出してくる。本当、いいご身分だ。
「名前、書いてくれるんでしょう?」
「よく覚えてるな……
「あなたこそ」
 さすがの俺も、これはそういうものだと諦めがついてきていた。愛憎も、嫉妬も、欲も、結局そういうものなのだ。差し出された手に触れる。よく知った指の腹は、相変わらず硬かった。