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青海かなえ
2025-02-26 09:34:30
2646文字
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dawnシリーズ
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dawn
おれが初めて海を見たのは、十七の時だった。
その日、少し離れたところにある町で祓い屋の仕事をしていた。会合で大妖の情報を聞きつけ、身分不相応なのこととは理解しつつ、足を向けた。目的地の最寄駅で的場静司と偶然遭遇した時は踵を返したくなったが。なんだかんだ二人で妖を封じた時には、丑三つ時をとうにすぎていた。家に帰ったら父親になんて言われるかわかったものではない。駅の時刻表の前でふたりで立ち尽くしていると、的場がいきなり海へいこうよ、と言った。その声は、いつもより少しだけ浮ついていた。
駅からいくらか歩いたところに海があることは、地図を見て知っていた。終電が終わり、人の気配がしない線路沿いをふたりで歩く。道路を挟んだ向こう側にずらりと並んだ商店は、軒並みシャッターが下りていた。誰もいないな、というと、そうだね、と的場が返事をした。
線路に沿ってしばらく進むと、海が目前に飛び込んでくる。海辺に降りる階段に、降りられないようにロープが張り巡らされていた。ロープに括り付けられた夜間侵入禁止と書かれた札が、潮風に打たれ、がたがたと音を立てていた。
「あーあ、引き返しましょうか」
思わず目を見開く。どうせ入り込もうとするんだろう、という予測が外れたこともそうだが、隣にいた的場が欠片も残念そうな顔をしていないことが気にかかった。海へ行こうよ。少しだけ浮ついた的場の声を思い出す。
的場は、自分の欲求に対して妙にあっさりしていた。欲しいような素振りをする癖に、いざ自分には触れられないとわかったら、すとんと諦めてしまう。すとんと諦めて、少しだけそちらに視線を送る。その時のあいつは、口惜しいとも、かなしいとも、少し違う目をしていた。そういう場面を何度も見たことがあって、その度に、本当にそれでいいのかと肩を掴んで揺さぶりたくなった。結局おれにはどうすることもできないし、お門違いも甚だしい。けれど、的場家時期頭主としての貪欲さや狡猾さを知っているこちら側からすると、奇妙な不均衡さを感じてしまう。同時に、どこか袖を引かれるような気持ちになってしまうのだ。
的場はなんの返事もしないおれを訝しんだのか、こちらを覗き込んでいた。どうしたの、周一さん。どうしたのじゃないだろ。おれは彼に背を向けるとガードレールがあった道まで戻る。振り向かなくても、的場が戸惑っているのがわかった。
「ガードレールを跨げば降りられるだろ」
ガードレールの先は崖だが、歩けるくらいの隙間はある。そこを渡れば海辺へ続く階段に行くことができるようだった。さっさと乗り越えようと、ガードレールに手をかけた。一拍置いて、離れたところから笑い声がした。
「ねえ、なんでたまにそんなロックなこと言うの」
本当、おもしろいなあ、と笑いまじりの間抜けた声が聞こえてきたのを無視して、ガードレールを跨いだ。手の汚れを払っていると、的場がガードレールを乗り越えていた。じっと目を凝らしてみると、笑いすぎたのか、的場の目尻には涙がうっすら浮かんでいた。
幸いなことに、階段の端にはいくつか外灯がついていた。ちかちかと明滅を繰り返している外灯に、ぐっと目を顰めながら、階段を一段ずつ降ってゆく。その度に、海との距離が近くなっていった。
「海、初めて来ました」
「お前もか」
「水際は危ないっていうし。プールはまだしも海はね」
階段を最後まで降りると、それまで隣にいた的場が一人で砂浜に降りていった。やっぱり見たかったんじゃないかとため息をつきながら、的場の後を追った。
夜の海。潮の香りと、目前に広がる黒。吸い込まれてしまいそうで、目を逸らすことができなかった。潮が満ちるのに合わせて、波がちらちらと月明かりを反射していた。近づくのが恐ろしい反面、光が波に合わせて揺れるのを見ていると、どこか寄るべなさのようなものを感じて、掬い上げてやりたくなる。
「
……
月明かりって、意外と明るいんだね」
「そうか?」
「周一さんの顔もよく見える」
いつも見てるだろ、と呆れながらいうと、的場はそうだったけ?と惚けるように笑った。おれからは逆光になっていて、的場の顔なんて見えやしないのに、あいつはおれの顰めっ面を見ているのかと思うと居心地が悪かった。少し離れたところから見る的場の姿は、会合で見かける的場静司と重なった。
的場は、離れていてもよく目立つ。黒い学生服に包まれた背中は、まだ子供のものなのに、どういうわけかあの魑魅魍魎が跋扈している空間でも埋もれることはなかった。いつも、的場静司は的場家次期頭首の的場静司としてあの場に立っていた。それが羨ましいような、妬ましいような、それでいて哀れなような、形容しがたい気持ちが渦巻いてしまう。別に、彼が持っているものが欲しいわけではないのに。そして、なんだか急に情けなくて、いやになるのだ。
「なに?考え事?」
「お前はどこにいてもよく目立つな」
「そう?」
「どこにいてもお前だってわかる」
的場は俯いて黙りこくってしまった。どんな表情をしているのだろうと、じっと目を凝らしたけれど、俯いてしまった的場の表情は、月明かり程度では伺うことができなかった。沈黙の中、波の音だけが耳に届く。潮風に、的場の黒い髪が靡いていた。それがどこか、夜の海と似ていて、何もいえなくなってしまった。
「おれもわかるよ」
「は?」
「おれも、あなたがどこにいても、あなただってわかる」
それが、たまにいいことなのかわからない、と小さく付け足された言葉を、聞こえないフリをすればいいのか迷ってしまった。迷った挙句、珍しく真剣な口調の的場に気圧されたのか、何かとてつもない告白を聞いてしまったような気がしたのか、ただ、そうか、と短く答えることしかできなかった。
それからしばらく、無言で海を見ていた。そのうち、海と空の間にすうっと引かれた水平線から、徐々に空が白んでいった。夜が終わってゆく気配がした。漂白された世界で、おれたちだけが昨日に置き去りされてしまったようだった。
「静司、帰ろう」
的場はひと呼吸おいて、頷いた。帰りたくないと言われたら、それでもおれは帰ると言えただろうか。空が、色を変えてゆく。駆け寄ってきた的場の顔をそろりと見てみると、いつもと同じふてぶてしく口角を上げた的場静司がいた。緊張の糸が切れたように、ため息をつくと的場が不思議そうにこちらを見ていた。
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