AmexAmexxx
2025-02-26 00:07:18
7543文字
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"Lavender"


 千種 紬希には行きつけの猫カフェがある。
 推薦で早々に受験を終えていた紬希は、大学生活への準備をしながらも、割と時間を持て余していた。軽音楽部でドラムをしていたこともあり、「つむ先輩、ヒマならドラム教えてくださいよー」という後輩の求めに応じて、週に1、2回ではあるものの、放課後にOGとして部活に行く程度だ。バイトでも探そうかと思いはしたものの、校則上バイトは禁止されている。一応卒業までは我慢しておこう、と思う程度には、紬希は優等生ではあった。
 そんな学校から家への帰り道の途中。少し逸れたところに、その猫カフェは存在している。20代の女性店主が一人で経営しているらしい、何匹かの猫たちが出迎えてくれる猫カフェ。

「琥珀ちゃん! 今日も可愛いなあ……

 席に着けば、いつも寄ってきてくれる錆び猫。琥珀と名付けられている彼女は、ごろごろと喉を鳴らしながら、いつも紬希の隣に座ってくれる。よしよしと撫でると、すり、とほほを手に寄せてくれるしぐさが愛らしい。
 心の底から癒される。紬希にとって、ここはそういう場所だった。

「ふふ。今日もジンジャーエールでいいですか?」
「あっ、はい! ありがとうございます」

 店を訪れるのは月に2回程度だが、通い続けているうちに店主は紬希のことを覚えてくれているらしい。ありがたいやら恥ずかしいやらではあるが、それでもここに来るのは辞められない。それだけ心地がいいのは、恐らく店主が『猫神』の『神憑り』だからだろう、と紬希は思っている。カウンターの奥、いつも店全体を眺められる場所でのんびりとしている白猫。その猫は間違いなく『カミ』だ。
 そもそも、『サイキッカー』の力を持っている紬希は、知ろうとしていなくても、不意に人の心を読めてしまうタイミングがある。良くも悪くも、それは紬希の人生に大きな影響を与えてきた。相談する相手もいないまま、何かと折り合いをつけて生きてきたところに出会ったのがこの猫カフェだ。さすがに店主に面と向かってあなたは『神憑り』ですか、とは聞けないが、同じような人が近くにいるというのは、どこか心強さがある。
 そして単純に、猫が可愛くて仕方がない。「かっこいい女子高生」であることを求められ、そういうふうに生きてきた紬希としては、誰の目も気にせず猫と戯れることのできるこの空間は、本当に幸せな場所だった。

「あ! そうや、店主さん」
「はい? 何でしょう」
「普段音楽とか聴かれます? ボク、今ちょっと気に入ってるアーティストさんがいて」
「へえ。どんな人ですか?」

 今日は他に客もいない。せっかくなので店主と交流を深めようと思い立ち、しかし紬希としては、ぱっと思いつく話題はどうしても音楽関係になってしまう。食いついてくれたことにほっとしながらも、スマートフォンを操作。店主に見せたのは、とあるアーティストの配信画面だ。
 C-ON。
 突如現れた、今若者の間で話題になっているアーティストである。男とも女ともつかない声で歌う、顔出しなしの謎めいたアーティスト。"gray"、"aquamarine"、"red"と、今までに3曲、色名のついた曲を発表している。何となくふっと引き込まれるような世界観が気に入って、このところよく聴くプレイリストに入れているアーティストだ。へえ、と興味深そうに画面を眺める店主は、本当にC-ONのことを知らないようだった。試しにワンフレーズだけ流してみると、いいですね、と頷いてくれる。

「よかったら聞いてみてください! ってボクが言うのも変やけど」
「いえいえ。音楽、お好きなんですか?」
「あ、はい。軽音楽部でずっとドラム叩いてて――

 そこから話は学校の話題へと移り。そのままC-ONの話題は流れていったまま、1時間ほど紬希は猫カフェに滞在したのだった。

---

 そんな話をした、2週間ほど後のこと。

「あれ? 新曲や」

 C-ONの配信ページに、1曲新譜が追加されていた。タイトルは"Lavender"。今まで通り色のシリーズだと考えると、今度は紫ということだろう。いつも通り、タップ一つでプレイリストに加えられる新譜。他のアーティストの曲と一緒に聴いていると、どうにも妙に雰囲気がある曲だなと感じつつも、その数日後に紬希はいつも通り部活に顔を出した。後輩たちもC-ONの曲を聴いているため、話題は自然と新譜の話になった――のだが。

「そういえば、つむ先輩知ってます? この曲ヘビロテしてたら、何か突然変な行動する人いるらしいですよ」
「え、何それ。初めて聞いた」
「あ、知ってる! 突然ふらふら危ないトコ歩いてっちゃったって聞いたな」
「私は刃物振り回した子いるって聞いた……
「何それこっわ」
「都市伝説的なただの噂なんですけどー。ホントかどうかは分かんないけど、怖いですよねえ」

 つむ先輩も気を付けてくださいね、と本当に心配そうな表情をする後輩に、そっちも、と返しながらもふと脳裏に浮かんだのは、猫カフェの店主のことだ。ついこの間C-ONを勧めたところの彼女は、その後もC-ONの曲を聴いているだろうか。この噂がもし本物だとすれば、彼女や猫たちに何か危険が及ぶ可能性は否定できない。
 そういうものが『ある』ことを、残念ながら紬希は知っている。

……、ごめん、今日用事あるんやった! そろそろ帰るな」
「あ、はーい! またー!」

 ひらひらと後輩たちに手を振って、学校を後にする。徐々に歩くスピードが上がっていったのは無意識だ。気が付けば走り出していた。
 ――嫌な予感がする。早く行かなければ。
 それは虫の知らせだったのか。ようやっとたどりついた猫カフェの入り口は開いていた。中をのぞけば、目に入ったのは異様な黒い影――そして、それに襲われているらしい店主の姿。すぐに紬希が来たことに気が付いたらしい店主が、影に向けて爪を振るう。その爪が猫のように鋭いものに変化しているのは、『神憑り』の力を使っている証左だろう。店内に猫たちの姿は見当たらないので、既に安全な場所に避難した後か。

「店主さんから離れろ!」

 この状況だ、明かしていないが隠している場合でもない。咄嗟に発動した『サイコキネシス』の力で、ソファを黒い影へと飛ばす。飛ばした後でまずい、と思ったのは、そのソファがぐしゃりと音を立てたからだ。――店の物を壊してしまった。間違いなく。
 違う意味で青褪めた紬希と、そして店主の前で、黒い影が崩れて消えていく。しん、と店内が静まり返って。

……わーごめんなさい!? 怪我とか大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫です、ありがとう……あなたも怪我ない? 大丈夫?」
「ボクは全然! ていうかソファ壊しちゃったごめんなさい……とにかく助けなと思って……
「それは大丈夫、気にしないで。本当に助かりました」

そう言って店主はにこやかに笑ってくれるがしかし、ソファは原型を留めていない。絶対に弁償した方がいいやつだ、と肩を落とす紬希に、ふわりと柔らかな感触。猫たちがいつの間にか店内に戻ってきていたらしい。琥珀がすりすりと紬希にすり寄っている。

「ほら、その子もありがとうって」
「琥珀ちゃん……無事でよかったー……
「あれ、でも、いつも来る時間より早いですよね? お陰で助かりましたけど、どうしたんですか?」
「あ……あの、実は……

 部活で聞いた、C-ONの噂話。そういえばこの間店主に教えたのだということに気が付いて、どうにも嫌な予感がしたこと。急いで来てみたらこの状況だったのだということを話すと、なるほど、とどこか納得したように店主は頷いた。

「C-ONさんの曲を聴くのは止められたので、自分で聴いたのは本当に少しだけなんですけど」
「止められた?」
「はい。でもさっきの影、ずっと聞き覚えのある音がしていて。思い返してみると、それ、C-ONさんの曲だったかも」
「ええと……もしかして、これ……

 スマートフォンを取り出して、アプリ内を探す。再生したのはC-ONの"Lavender"だ。少し聞いた店主が間違いない、と頷いたのを確認して、紬希は再生を止めた。このまま聴き続けて、また同じようなことになっては困る。
 後輩はヘビロテしていると、という話をしていた。聴いているとあの影が現れ、その結果として人々が奇行に走っているのだろうか。音楽というのは日常、意識していなくても耳にするものだ。その拡散を防ぐのは難しいし、街中でもどこでもかかっている以上、自衛するのはなかなか難しい。

「あれ……また出ますかね……
「もしかしたら……。気を付けないと。あ、ええと、そういえばお名前」
「あ! 千草 紬希ですっ」
「上里 影那です。……あの、えっと、何かあったときのために、連絡先交換しませんか?」

 そう言って店主――影那はポケットから自身のスマートフォンを取り出した。もちろん、と頷いて連絡先を交換する。
 さすがにソファを潰してしまっているので、じゃあこれで、というわけにもいかない。戦闘で荒れてしまった店内の片づけを手伝いつつ、影那と他愛ない話をする。片付け終わった後、影那に勧められるがままお茶をしていると、カウンターの中の白猫が急にぴくりと反応した。
 その次の瞬間、ばん、と開け放たれる入り口の扉。戻ってきて寛いでいた猫たちが一斉に逃げていき、紬希と影那は何事かと入り口に視線を向けた。
 そこにいたのは、一人の男性。よほど急いで来たのだろう、肩で息をしている。

「あ、おかえりなさい」
「ただいま……じゃなくて! 大丈夫ですか!? ああもう、ちょっと怪我してるじゃないですか……!」
「手当はしたから大丈夫だよ」

 慌てた様子で影那に駆け寄った男性が、その手で影那に触れる。途端その怪我が癒されていくのが見えて、この人は『ヒーラー』か、と合点する。その割にはどこか不可思議な空気も纏っているが、そのことは努めて気にしないことにして。

……あ、ええと、こちらの方は。お客さんですか?」
「常連さん、助けてもらったの。千種 紬希ちゃん」
「千種さん。すいません、ありがとうございます。どこかお怪我されてませんか?」
「あ、ボクは全然大丈夫なんで! ……え、ええと?」
「ああ、すいません。上里 信司です」
「私の旦那さんなんです」
「あ、なるほど」

 紹介された男性――信司がやたらと照れているので、まだ新婚なのだろうか。旦那と言われるのが照れくさいのかな、と考えつつ、紬希はもう一度頭を下げた。
 こほんと咳払いひとつ、何があったのかと尋ねる信司に、影那が事情を説明してくれる。一通り話を聞いて、なるほど、と信司は頷いた。

「C-ONは音楽系の『怪異』です。恐らく今回出た新曲、それがC-ONの本命というか……、ヒトに悪影響を及ぼすためにじっくり下地を作って、今回満を持して、という形でしょうね」
「ええ……傍迷惑な……
「リピートで多く聴いているヒトのところに姿を現すと考えていいかと思います。まだそれほど力を持っているわけではないので致命的な事件は起きていませんが、インターネットを主軸にしているとなると実体がないので……困りましたね……

 追い払うことはできたが、また現れる可能性は充分にあるということだろう。今回倒してしまったことで、逆に復讐に来る可能性も否定できない。
 信司が困った顔をして紬希に視線を向ける。意味が分からず、紬希はきょとんと首を傾げた。

「できれば捕まえてしまいたいというのもありますし、その、ボディーガードを付けさせていただければと思うんですが……
「えっ」
「とはいえすぐに手配できるようなものでもないですし、さすがに倒された今日の今日では出てこないでしょうし、先輩と千種さん、どちらの前に現れるかも分かりませんね……
「え、えーと……?」
「家に帰して危険な目に遭わせるのは避けたいですが、高校生なら家に帰さないわけにもいかないですし」
「あ、4月から大学生で、一人暮らしになる予定ではあるんですけど」
「ということは、もうすぐ卒業式ですよね? それまでに片付けたいなあ……とりあえずすぐにどうこうということはないでしょうし、どうするかというのは僕らちゃんと考えますので、ええと」
「あ、私紬希ちゃんと連絡先交換したよ」
「それなら、何か変だな、危ないかもしれないな、と思ったら、すぐにご連絡いただけますか?」
「は、はい」

 自分はそれほどのことに巻き込まれてしまったのだろうか。どうにも全く実感はないが、信司の表情は真剣そのものだ。恐らく、からかわれているわけではないだろう。困って影那の方に視線を向けると、うんうんと頷かれた。どうやら影那も、信司と同意見のようだ。
 関わってしまったことは間違いないし、そもそも発端のC-ONのことを影那に教えたのは紬希だ。そう考えると、こうして心配してくれる気持ちを無下にはできない。

「わ……かりました。何かあったら、すぐ連絡します」

 紬希の返答に、ほっとしたように影那が笑みを見せた。

---

 とはいえ、大学生活への準備をしなければならない身である。
 一人暮らしのための物件を探しに行ったり、入学後の諸々の準備に追われていて、正直C-ONどころではなくなっていた。卒業が近く、後輩からその前にと色々誘われてしまうのも一因である。
 猫カフェに行く時間も取れずにいたある日、それは突然紬希の前に現れた。どこか聞き覚えのある、電子音と共に。

……え、」

 突然の出来事に、一瞬反応が遅れた。ごう、と襲い来る黒い影を避けきれず、吹き飛ばされる。足を擦りむくいやな感触に眉を寄せながらも、紬希はそれと向かい合った。間違いなく、あの日猫カフェで影那を襲っていた黒い影だ。
 ――危ないかもしれないな、と思ったら。
 そう言われたことをすぐに思い出して、紬希はまずスマートフォンを取り出した。急いで呼び出した連絡先は、影那のもの。

『はい』
「影那さんっ、すいません例のアレ出てきたんですけど!」
『すぐ行きます! 今どこですか?』

 おおよその現在地を伝えれば、なるべくそこから離れないようにという言葉と共に通話は切れた。離れられるなら離れたいところだが、この状況で黒い影が紬希を逃がすようなことはしないだろう。
 逃げられないのであれば、戦うしかない。再びごう、と何かが迫ってくる感覚。咄嗟に近くにあった工事の看板を引き寄せて、盾にする。大きくへこんでしまったが、気にしていられない。
 衝撃で手がじんじんと痛んでいる。ふわりと頭の片隅に嫌な感覚が現れて、紬希は努めてそれから意識を逸らした。攻撃を受けた際に、何らかの影響を及ぼすタイプなのかもしれない。それこそ、噂では奇行に走った人がいるという話だった。精神的に何か影響があってもおかしくはない。
 少なくとも、影那が来てくれるまでは持ちこたえなければ。深呼吸で自分を落ち着かせ、そのまま手の看板を黒い影へと飛ばす。ぐらりと黒い影が揺らぎ、紬希は看板を自分の方へと引き戻した。あまり周囲に被害を及ぼしたくはないし、耐久性に難はあるかもしれないが、この看板は攻守に使える。
 ――と、そのとき。眼前に、上空から女性が降ってきた。猫のようにというよりは、動きは猫そのものだ。

……影那さん!?」
「大丈夫? 待たせてごめんなさい」

 本当に急いで来てくれたのだろう。ちらちらと視界に入る猫耳と尻尾は、『猫神』の力によるものだろうか。ふらふらとした黒い影はしかし、影那には目もくれずに再び紬希を狙う。慌てて看板で防いだものの、ばき、と鳴った音から考えると、もうこの看板は駄目かもしれない。
 しかし、そこでできた黒い影の隙を狙い、影那がその爪を振るう。その彼女の服のポケットから、何か声がした。スマートフォンが通話状態になっているのだと気づいたそのときもうひとつ現れた『何か』。その『何か』が、無造作に黒い影に手を伸ばし。

---

「怪我、本当に大丈夫?」
「こんなん掠り傷ですよ、全然! すぐ助けに来てもらえて助かりました、ありがとうございます」
「前助けてもらったから、おあいこだね」

 ――その後。
 黒い影は『何か』と共に消えていった。あれは何なのかと問えば、影那曰く信司が寄越した援軍なのだという。きょとんとしている間に、振り返った影那が紬希の怪我を見つけ、手当するからと猫カフェに連れてこられ、現在に至る。
 黒い影が消えたからなのか、C-ONの曲は一切聴くことができなくなっていた。配信ページは残っているが再生もダウンロードもできないという形になっている。恐らくきちんと倒せたのだろう、というのは影那の弁だ。

「紬希ちゃん、その、もしかしてなんですけど、よくああいうことに巻き込まれたり、する?」
「あー……まあ、そんなしょっちゅうじゃないですけど……

 ない、とは言えない。最初の頃は何が何だか分からなかったが、徐々に対応できるようにはなった。『サイキッカー』としての力を相談するような相手もいなかったので、一人でどうにかしてきた。今回のように助けてもらえたのは初めてで、いっそ運がよかったな、とまで思ってしまう。
 そう、と呟いた影那は、そのまま少し考え込んで。

……あの、良かったらなんですけど。せっかく連絡先も交換したし、何かあったらいつでも相談してください。力になれると思うから」
「え。……え、いいんですか?」
「もちろん。紬希ちゃんが悪い子じゃないことは、琥珀が知ってるし」

 ね、と影那がソファの上の琥珀に声を掛ける。邪魔をしてはいけないと感じていたのか、ずっと見守ってくれていた。にゃあ、と鳴く琥珀に、何となく擽ったい気持ちになって、へへ、と紬希は笑い。

「えーじゃいっそこの猫カフェでバイトさせてもらったりとか」
「え」
「あっジョーダンですよ、めっちゃ図々しい! あはは」
「従業員雇ったことなくって」

 穏やかな雰囲気になる二人を、カウンターの奥、キャットタワーの上から眺めていた白猫は、欠伸ひとつ。
 その尻尾がふわり、揺れて――終幕。