パチンコで負けて財布はすっからかん。ユニットメンバーにたかろうにも全員予定があって返事すら返ってこない。かといって他に予定もなくすこぶる暇な昼下がり。
今日はツイてないなと溜息を吐きたくなる日だった。
「おお、天城先輩じゃないか!」
ポケットの中に珈琲代くらいの小銭を確認し、どうせ暇を潰すならと入ったカフェにはこちらを見ても珍しく嫌な顔をしないどころか、明るく声を掛けてくる変人がいた。
「先輩も今から昼食か? 良かったら、一緒にどうだ」
まだ水しか置かれていないカウンター席から立ちあがり、その変人――守沢千秋は、あろうことか同席を申し出てくる。こちらが何も言えず返事に詰まっていると、有能な店員が気を利かせてテキパキと彼の座っていた席から四人掛けのテーブル席へ水を移動させていた。
ああ、今日はきっと厄日だ。
初動を誤った以上、今から店を出ることも出来ず仕方なく案内されたテーブル席へと座る。向かいに座った千秋は既に注文を終えているのか、メニュー表をこちらへと差し出してきた。
「ここは俺が支払うから、何でも頼んでくれ!」
誘ったのはこちらだから、などとニコニコ笑うものだからどうにも毒気が抜ける。燐音が彼らのユニットにしたことを忘れてしまったのだろうか。
そうでないとはわかっていても、千秋の態度はどうにも能天気で危機感が足りてないように見える。
とはいえ財布に金が入っていないのも事実だし、借りを作ったところで律義に返すような人間性も持ち合わせていないから、遠慮なく昼食をたかろうとメニューを受け取って中を見る。通いすぎて覚えたメニューを適当に店員へ告げ、変わらず笑みを浮かべている千秋へと顔を向ける。
「……わざわざ俺っちに声掛けるかねェ」
「どうしてだ?知り合いに会ったなら、声くらい掛けるだろう」
「だからってわざわざ相席しねェよ」
そうか?と首を傾げている辺り、こいつにはそういう人間らしい感情が抜けているのかも知れない。仮にも自分を陥れた相手とプライベートで関わろうなんて、まともだったらするはずがない。
だからきっと、守沢千秋はまともではないのだろう。
話すこともなくただぼうと虚空を見ていると、向こうから話しかけてきた。
「天城先輩は、今日は休みなのか?」
「…………」
一体何を言われるのかと思ったら、天気の話と同じレベルの世間話だった。
「俺か?うむ、俺も休みなんだ。つい時間を持て余してしまってな、最近新メニューが出来たと聞いたので来てみたんだ」
しかも別に聞いていないのに勝手に語り出す。これは放っておいたら一人で喋り続けてくれるのではないかと一瞬期待するが、千秋は少し困ったように笑ってこちらを見る。
「俺とは話したくないか?」
「……別に、そんなんじゃねェけどよ」
言ってから、出来ることなら話したくないという感情が胸の内にあることに気付く。どうにもこの男に苦手意識を持っているらしい。
そのことがなんだか癪で、何でも無い風を装って声を出す。
「……仲良く飯を食べる、って仲じゃねェだろうが」
「俺は、仲良くなれると思うんだがな」
「ハア?何でそう思うんだよ」
こちらは全然そう思わない。そんな意思を込めながら吐きだすと、問いかけたように思われたようで一度言葉を切って思案するように視線を動かす。少しして、彼にしては小さな声でポツリと言葉を落とした。
「あの時。天城先輩は黙っていたから」
「あの時ィ?」
一体何のことかと頭を巡らせ、すぐに思い至る。
それは目映い舞台の上、ヒーローのように登場してすべてに手を伸ばした傲慢な男が、こちらへ向けた言葉だ。
『お前は、俺だ』
『あの時立ち上がれなかった俺なんだ』
ステージの上で浮かべるべきではない、苦痛を胸の奥へ押し込んでいた表情。それがやけに印象深く、燐音の記憶にも強く残っていた。だから余計に、彼とは関わりたくなくて避けていたのだ。
「天城先輩なら、勝手に同一視するなとか、同情して見下すなとか、そういうことを言ってくるかなと思っていた。だが、何も言わずに黙っていたから、存外優しい人なのだなと」
「いや意味わかんねえよ。どうして優しいになんだよ」
「だって、共感してくれたんだろう?」
惨めで何もできずに苦しかった、そんな気持ちに。
薄く笑みを浮かべた千秋は、しかし彼のイメージにそぐわない暗い瞳をしていた。おおよそヒーローと呼ばれる人間が浮かべるべきものではない。
だがそれは一瞬で、瞬きをするとすぐにいつもの快活な笑みを貼り付けていた。
にっこりと笑って、再度口を開く。
「奏汰とも仲良くしてくれているようだしな」
「テメェはかなっちの親かよ」
その言葉に千秋の瞳がわずかに揺れる。けれど何事もなかったように話を続けるので、すぐに意識の外へ行った。そもそも、彼らの内情に関わるつもりもない。
「俺は親ではないけどな。だが色々気にかけてくれている話は聞いているぞ。それと同じくらい文句も言っているが」
苦笑を浮かべながら、千秋はテーブルの上へと手を伸ばす。プラスチックのカップに入った水を一口飲む。平日の真昼間という時間のせいだろうか、店員が少ないようで注文したものは未だ来ず、テーブルの上には最初に置かれた水とおしぼりしかない。さっさと会話を切り上げてこの場を立ち去りたいが、注文をしてしまった以上今から立ち去るのは難しい。
やはり最初に目が合ったときにさっさと出てしまえばよかったのだ。溜息を吐きながら、同じように水へ手を伸ばして口を潤す。
「それでェ?わざわざ俺っちに奢ってまで聞かせたい話はそれかァ?」
「……流石に、気付くか」
肩を竦めながら笑ってみせる千秋にわざとらしく溜息を吐いてやる。こちらからたかる前にわざわざ奢るなどと、幾ら彼が善人だからと言ってそうそうする行為ではない。
結局タダより高いものはないのだ。ポケットの中に金が無い以上、少なくとも運ばれてくる食事を片付けるまでは彼に付き合わざるを得ない。もちろん、逃げる暇はいくらでもあったが、千秋のようなこの世のすべての善を集めましたといった人間が中々どうして遠回しなやり方をしてきて、興味が湧いてしまった。
用件ぐらいは聞いてやろうとじいと双眸を見据えると、すっと間に誰かが入り込んでくる。
「お待たせいたしました。フライドポテトになります」
マニュアル通りの言葉を紡ぎながら、テーブルの丁度真ん中に皿を置いていく。入ってきたときと同じようにすっとその場を離れた店員の背を間が悪いと思いながら見送っていると、目の前に座る男が嬉しそうに声を上げた。
「ふふ。ここのポテトは美味しいと椎名が言っていたんだ」
「…………ハァ」
今まで一度も知り合いに会わなかったはずのこの場所にどうしてこの男がいたのか。その答えがわかり脳内のおどけた顔に怒りが湧いてくる。そういえばES横断企画だとかで一緒になったのだったか。
テーブルに置かれたポテトにフォークを刺し、にこにこと笑みながら口に運ぶ。好物なのだろう、とても嬉しそうな表情に調子が狂う。
「あ、天城先輩も遠慮無く食べてくれ。ポテトは分け合うものだしな」
「別に独り占めしたっていいだろうが」
「俺は一緒に食べる方が好きなんだ」
裏の無い笑顔を向けられ、断ろうかとも思ったがそれはそれでこの男に振り回されているようで嫌だ。
結局進められるままポテトを口へ運んで咀嚼する。何度か食べたことはあるが、確かにお勧めされている通りに美味しい。が、共に食べている相手が相手なだけにどうにも複雑だ。
無言のままポテトを食べていると、続々と注文していた料理が運ばれてきてテーブルが埋め尽くされる。最後に伝票を置いて店員が去った後、周囲には人がいなくなり急に静かになる。
自分の頼んだ料理へ手を伸ばし、口の中へと放り込む。口いっぱいに頬張れば何も喋らなくていいからと思ったが、ふと千秋の手が動いていないことに気がつく。テーブルを見れば、ポテト以外はすべて燐音が注文したもので、彼の食事は無い。
「……で?」
口の中のものを飲み込み端的にそう発すれば、曖昧に笑ったまま口を閉ざしていた千秋が視線を逸らす。
「……天城先輩は、」
千秋はそれだけ口にすると、すぐに首を振って水を飲む。
「……いや、やっぱり良い」
「ンだよ、気になるだろうが」
「なんでもないんだ。忘れてくれ」
へらりと笑って誤魔化すようにポテトを口へ運ぶ。先ほどまで向けていたものとは程遠い、下手くそな笑みだった。
そんなもので誤魔化されるとでも思っているのだろうか、と内心苛つきつつも口角を上げて睨めつける。
「ハッ。忘れてくれと言われて忘れてやると思ってンのかァ?俺っちがどんな人間か、テメェこそ忘れてねェだろうなァ」
話を聞いたところで燐音の利になることは一切ないだろう。だがここまで来てやっぱりいいと言われてしまえば続きが気になるに決まっている。
素直に話せ、などというのも自分のキャラではないし、そう言うのも癪だからとわざとらしく歯を見せてやれば、千秋はぽかんと目を真ん丸にしてこちらを見た。
そしてすぐに表情が崩れて笑い出した。
「ははは。天城先輩は優しいんだな」
「……今のでどうしてそうなんだよ」
恐らくこちらの意図を読み取ったのだろう、嫌悪感を示すことなく口元を緩ませている千秋に、寧ろ燐音の方が眉間に皺を寄せる羽目になってしまった。まったくもってやりにくい相手だ。
ハア、と大きく溜息を吐いていると、いつの間にか顔から表情を消した千秋が手元の水を見つめたまま躊躇いがちに口を開く。
「……おまえにとって、正義とはなんだ?」
静かな店内で無ければ聞き逃してしまうほど、小さな声だった。手元で握りしめられた手は力が入っているのか、微かに震えている。
「……そりゃ、テメェみてぇな奴のことだろうが」
わざわざ自分に聞くことか、と口にしかけて、しかしどこか追いつめられたような様子に気圧されてしまい違う言葉を出す。目を伏せたままこちらを向かない千秋は少し黙り、そうかと息を吐き出す。
「そうだよな。天城先輩なら、そう答えると思っていた」
笑みを作ろうとしたのだろう、歪んだ口元はどこか泣き出しそうにも見えて息をのむ。彼の目元は依然乾いたままで、燐音がそう思いたいだけなのかも知れない。
守沢千秋という男は間違いなく正義と呼ぶに相応しい男だ。正しい言葉を使い、正しく人々へ目を向ける。その正しさに取りこぼされた己のような人間とは関わることもないだろうと思っていたのに。
――あるとも。
あの日一言だけ返された言葉。それはこの世を憎んだことはないのかと言う燐音の憎悪に満ちた問いへの答えだった。正しさを張り付けた仮面の奥、その一瞬だけ押し殺せなかった何かが漏れ出ていた。
「すまない。少し役作りに悩んでいてな。意見が聞ければと思ったんだが」
迷惑をかけた、と言いたげな表情でにこりと笑う。表情を取り繕うのが下手なのか、取り繕う余裕がないのか、その顔はひどく歪んでいる。
彼は自分に何かを求めている。そう思えてしまい、何度目かわからない溜息が出てくる。アイドルは、求められたのであれば応えなければ。
一度は諦めたそれを諦めさせてくれなかったのは、目の前の男だ。
「楽しく生きること」
「え?」
「テメェが聞いてきたンだろォ?俺っちの正義とやらをよ」
ぽかんと口を開けた顔がどこか愉快で、ニヤリと笑いながら言葉を続ける。
「大勢の正しさの為に息を殺して生きるくらいならよォ、間違いだって指さされて、どんだけ周りに迷惑をかけようとも楽しく生きた方が得ってもんだろ」
こちらを見たまま固まってしまった千秋は、ぱちりと目を瞬かせる。彼からの言葉が返ってこないのをいいことに、更に言葉を重ねていく。
「正しさなんでクソ食らえだ。そんなもんに殺されるくらいなら、全部投げ捨てて楽しく生きた方がいいに決まってンだろォ?」
結局正義なんて曖昧なものは、視点ごとに違うものだ。そんなことは百も承知であろう彼がわざわざ口に出してまで聞いてきたということは、自分とは違う正しさを聞きたかったのだろう。
何度目かの瞬きの後、ようやく我に返ったのかこちらへ焦点を合わせてじぃと見つめてくる。そしてすぐに表情を崩して薄く笑った。
「……ありがとう。聞けて良かった」
「そうかよ。正義のヒーローさまのお役に立てたなら光栄だぜェ?」
「はは。そうだな。おまえたちの前では、ちゃんとヒーローでなければならないな」
何故だか嬉しそうに言えば、千秋はこちらの皿がほぼ空になっていることを確認して伝票へ手を伸ばす。
そのままこちらへ顔を向け、肩を竦めながら少し申し訳なさそうに口を開く。
「実は偶然などではなく待ち伏せていたんだ。天城先輩と話がしたかったからな」
「そんなこったろうと思ったぜ……」
「すまない。だが、天城先輩は俺を避けているようだったからな、こうでもしないと落ち着いて話が出来ないと思ったんだ」
わざわざニキに聞いたからと言って、こんな辺鄙な場所へ来るなど最初からおかしな話だったのだ。しかし燐音が彼のことを避けていると理解しているのは意外だった。
「なんで俺っちがテメェを避けてるって?」
「奏汰の部屋に行ってもすぐにいなくなるだろう。それに、名前を呼んでくれないからな」
そんなにあからさまだっただろうか。まあ確かに、正義の味方と話をするなんてとかなんとか言いながら彼との対話を避けていたのだから、彼ほど聡ければすぐに気がつくことではあったのだろう。
千秋はそのまま立ち上がり、荷物を持ってレジへと向かう。そのまま会計をして帰るつもりなのだろう、燐音も残っていた水を一気に飲み干してその背中を追う。そして会計をしている千秋の肩へ手を回し、耳元で囁いた。
「また悪党の助けが必要ならいつでも声かけてくれよなァ、チアキチくん」
「……ちあきち?」
「名前呼べっつったのそっちだろォ?」
きょとん、と聞き返す千秋に吐き捨てて店の外へ行く。確かヒーローは名前を呼ぶのが作法なんだとか言っていたことを思い出し口にしてみたが、どうにも口馴染みが悪くて唇をへの字に曲げながらさっさと帰ろうと足を踏み出す。すぐに店から出てきた千秋が、その背中へと声をかける。
「なんだか変な響きだが。嬉しいぞ、天城先輩」
「あっそ」
ああまったく、これで縁が出来てしまった。そんなことを思いながら適当な返事をして後ろ手にひらひらと手を振った。
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