桐子
2025-02-24 20:34:22
3038文字
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美しい傷27(父水♀)


夜中にふと目が覚めた時、隣に人がいるのが嬉しかった。
母はゲゲ郎を置いて恋人の家に泊まることが多く、夜に目が覚めても誰もいないのが寂しくてたまらなくて、いつも布団をかぶって泣いていた。体が大きくなり、年齢のわりに背が高く年かさに見られるようになると、女たちにこぞって声をかけられるようになった。セックスは好きではなかったが、抱きしめてもらえるのは嬉しくて、女の家を泊まり歩いた。でも、誰といたところで寂しさは埋まることがない。
ようやく寂しくなくなったのは、妻の岩子に出会ってからだ。
彼女は妻だったが、母のように抱きしめられて眠ることで、ようやく安心して眠れるようになった。
『大きな子どもみたい』
そう言って抱きしめてくれる腕は、とても温かかった。この腕の中ならもう泣かなくていいのだと安心できた。彼女の体温を感じながら眠りにつくのが好きだった。朝起きたら、おはようと言ってくれるのが嬉しかった。

「お父さん……

泣きつかれて腕の中で眠ってしまった水木を見て、ああ、この娘はかつての自分なのだと思った。誰かに抱きしめてほしくて、安心したくて、でも頼る相手もいない。そんな自分に重なって、愛しさと憐憫が湧いてきた。だから、岩子がいつもしてくれたように抱きしめて眠った。この腕の中で、少しでも安らいでほしかった。
――――これを愛と呼ばずに、何と呼べばいいのだろう。
ゲゲ郎は、水木の寝顔をそっと撫でた。腫れぼったい目元には涙の跡が残っている。愛しくて、女として愛したくて、まだ男女の色恋を分かっていない水木に手を出してしまったことは、本当に申し訳なく思っている。そもそもの始まりが無理やり体を暴き、孕ませようとしていたのだから、ゲゲ郎の罪は重い。
だが、もう手放せなくなってしまった。
「水木」
名を呼んで、その体を抱きしめる。この体温を手放すなど考えられない。
龍賀の血を引いていてもいい。いつか水木が他の誰かを愛しく思い、この家を出ていくまででいいから、そばにいてほしい。本当は水木が他の誰かを愛する日が来るなんて死んでも嫌だったが、それが彼女の幸せならば、ゲゲ郎は喜んで送り出すつもりだ。
だが、それはまだ先の話だ。せめてこの腕の中にいる間は、岩子がしてくれたように、水木のことを愛させてほしかった。

――――それなのに。

「水木がいなくなった?」
面目なさそうに巨体を縮めている護衛を見下ろして、ゲゲ郎は氷のように冷ややかな声でそう問い返した。デパートへ出かけると言って、鬼太郎を連れて出て行ったのに、戻ってきたのは鬼太郎と護衛の二人だけだった。水木は気分が悪そうにしており、トイレで吐いたあと、二人から逃げるように行方をくらませてしまったのだそうだ。
もしや、誰かに攫われたのではないかと心配していると、護衛が口を開いた。
「それが……その……
言いづらそうに口を濁した彼に、ゲゲ郎は命じた。
「はっきり申せ」
「水木さん自身が、僕たちを遠ざけたんです」
隣にいた鬼太郎が、護衛の代わりに答えた。
「水木が?」
「ええ」
鬼太郎は頷いた。気分が悪いから、医務室の場所を聞いてきてほしいと鬼太郎に頼み、次いで護衛には「薬を買ってきてほしい」と言ったのだ。戻ってくるまで5分もかからなかったが、その時にはもう水木の姿はなかった。誘拐された可能性も捨てきれないが、どうも水木自身が意図をもって、鬼太郎たちを遠ざけたようにしか思えない。
「あとは……先にトイレから出てきた女の人に、どうも見覚えがあって」
鬼太郎は首を傾げている。嫌な予感がして、ゲゲ郎はファイルに綴じてあった、龍賀家の関係者の写真を鬼太郎の前に広げてみせた。こういう時の勘ほど、よく当たってしまう。
「この中におるか」
「あっ」
鬼太郎が指さしたのは、黒い長い髪とつぶらな瞳をもつ、和装の美少女だった。
「龍賀沙代か」
彼女は水木の従姉妹にあたる。妹のように思っていると、以前水木から聞いたことがある。もしかしたら彼女がゲゲ郎のもとへ嫁いでいたかもしれないと思うと、複雑な気分だった。彼女と偶然、デパートで会い、何らかの理由で水木が彼女とともに龍賀家に戻ったのだとしたら、辻褄は合う。
「鬼太郎」
ゲゲ郎は、護衛に車を出すよう命じながら、鬼太郎に言った。
「わしは今から龍賀家へ行く。お前はここで待っておれ」
「僕も行きます」
「ならん」
ゲゲ郎はぴしゃりと跳ね除けた。
「わしが戻るまで、屋敷から一歩も出るな」
鬼太郎にそう言いつけて、ゲゲ郎は護衛とともに屋敷を出た。


しかし、龍賀屋敷へ着いたゲゲ郎は、若頭の長田に門前払いをくらわされていた。
「お引き取りを。旦那様は今、ご不在です」
「ならばいつ戻ってくるのじゃ。日を改める」
「それは我々には聞かされていないものでして」
「ならば水木はどこにおる」
長田の眉がぴくりと動いた。
「水木お嬢さまは、あなたのところへ嫁がれて以来、こちらへは戻ってきておりませんが」
「とぼけるな。ここにおるのじゃろう」
「存じません。とにかく、旦那様がご不在の間に、親分さんをお通しするわけにはいきません。お引き取りを」
ゲゲ郎と長田の間に、緊迫した空気が漂う。先に視線を外したのは、ゲゲ郎の方だった。これ以上押し問答を続けたところで、長田はひかないだろう。それに、この広い屋敷のどこかに水木を隠されても、今は見つけ出すのが難しい。
……時貞に伝えておけ。わしの大切な女に指一本触れてみよ、ただではすまさん、とな」
「はい。承りました」
長田の慇懃無礼な態度に舌打ちしながら、ゲゲ郎は屋敷を後にした。


一週間がたち、二週間がたち、とうとう一月が経っても、水木の行方はようとして知れない。連絡の一つもない。生きているのか死んでいるのかさえ分からなかった。水木が龍賀家へ行ったことは、ほぼ確実だ。それがなぜなのかは見当もつかない。何か事情があったのだろうが、ゲゲ郎たちには知る由がなかった。
そのうちに、幽霊組の中ではひそやかに『水木はやはり龍賀のスパイで、こちらの情報を掴んだからいなくなったのではないか』という噂が広がりはじめた。
「馬鹿なことを言うな」と一喝することもできたが、一度沸いた疑念はそうそう晴れるものではない。それに、何よりもゲゲ郎自身が『もしかしたら』という疑いを心のどこかで抱いていた。
鬼太郎を助けたあの襲撃事件も、自作自演だったとしたら? 命がけで息子を助けた恩人となれば、悪いようにはされなくなる。そして両親のことで同情を引き、寂しいと布団に入ってきて身体を明け渡す。そうしてゲゲ郎を骨抜きにして、情報を探る。
だとしたら彼女は大した役者だ。これまで彼女が自分を騙していた可能性を考えると、胸が苦しくてたまらなくなった。苛立ちまぎれに、部下を叱責することも増えた。
季節は夏に変わり、じっとしているだけでも汗ばむような陽気なのに、夜になると布団の中がやけに寒々しい。一人寝の寂しさに、つい、今までに関係をもった女を呼び寄せてしまいたくなった。しかし、もう見境なく女を抱くのはやめると決めたのだ。これからは本当に好きな女だけと愛し合いたい。
眠れぬ夜を過ごしているゲゲ郎だったが、そんな彼のもとに、珍しい客人が訪ねてきた。

「初めまして、幽霊組の親分さん」

手をつき、深々と頭を下げる美しい少女。龍賀沙代だった。