桐子
2025-02-24 16:54:06
2759文字
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美しい傷26(父水♀)


龍賀家お抱えの医師に診てもらい、妊娠八週目頃だろうと診断を下された。
「でかした、水木よ。あの幽霊めを篭絡するだけでなく、子まで作るとは。これはいい人質ができたものじゃ」
祖父の言葉に、水木は布団の中で呻いた。
「人質だと……
「交渉のいいカードになるわい。できのいい孫娘をもって、余は鼻が高いぞ」
呵々大笑する時貞に、水木は怒りがふつふつとわいてきた。
「俺なんか、人質として価値がない。ゲゲ郎は……幽霊組の頭は、俺を助けるために自分の立場を危うくするようなことは絶対にしない……
「ほう。しかし、あの情に流されやすい男が、目の前で赤ん坊や嫁が痛めつけられておるのを見て、平静でいられるかの」
「それは……
水木は言葉に詰まった。きっとゲゲ郎は、水木を助けようとするだろう。そして、時貞は躊躇なく、彼らの命を奪うに違いない。自分のせいでまた、激しい抗争が引き起こされてしまう。そう思うといてもたってもいられなかった。
「お前はここで子を産むことだけを考えよ。――――お前たち、決して水木を敷地の外に出したり、どこぞへ連絡したりせぬよう、しっかり見張っておれ」
「はい」
黒服は時貞の言葉にうなずいた。
「子が生まれるのが楽しみじゃな」
そう言って、時貞は部屋を出て行った。黒服もそれに続き、部屋には一人きりになる。
――ゲゲ郎……みんな……
布団の中で丸くなりながら、ゲゲ郎や鬼太郎、そのほかの皆のことを思い浮かべた。始まりはひどいものだったが、少しずつ彼らと打ち解け、よくしてもらえるようになった。そもそもは龍賀のせいで岩子を失ったのに、龍賀の一族である水木のことを、彼らは受け入れてくれた。それなのに、こんなことになってしまった。
「すまない」
呟いた声は震えていた。どうかこれ以上誰も傷ついたり、失ったりしないでほしかった。


一月もすると、つわりの症状は落ち着いてきた。
吐き気やめまいはなくなったが、今度は食欲がない。ついつい柑橘類やポテトばかり食べてしまい、通いで来てくれた医者に「もっと栄養バランスを考えて」と叱られてしまった。運動不足も指摘されたので、水木は、黒服の監視のもと、庭を散歩したり、本を読んだりして過ごしていた。
「水木さん、少し顔色がよくなられましたね」
「そうですか?」
そうだろうか。自分ではよくわからないが、きっとそうなのかもしれない。だが、相変わらずゲゲ郎や皆のことは気がかりだった。なんとかして、ゲゲ郎たちに今の状況を伝えたいのだが、テレビもスマホもなく情報を遮断されている。
「ここは通せません」
「お姉さまにゼリーを作ってきたの。ね、少しだけいいでしょう?」
外で何やらもめている気配がする。しばらくすると、すうっと襖が開いて、沙代が入ってきた。
「沙代ちゃん」
「ああ、よかった」
心なしか、再会した時よりも顔色がいい。沙代は水木に抱き着いた。細い肩が震えている。
「ごめんなさい、お姉さま。わたくしのせいでこんなことに」
「沙代ちゃんは何も悪くない」
水木は沙代を抱きしめた。沙代の細い体は、少し力を入れれば折れてしまいそうなほど頼りない。こんなか弱い子が、大人の欲望の犠牲にされようとしているのだ。時貞のしていることは許せないが、それでも強大な力をもつ祖父には逆らうことができないのが歯がゆかった。
「そうだわ、ゼリーを作ってきたの。召し上がって」
沙代に促され、水木は体を離した。彼女はすっと和服の袷から懐紙を取り出して水木に見せた。
『盗聴されているので、話はこの紙に』
ハッと驚いて沙代の顔を見ると、彼女は小さく頷いた。
「おいしそうだ」
「ゼラチンで作ったから、たんぱく質もばっちりです」
口ではそんな会話を交わしながら、水木はペンをさらさらと走らせた。
『沙代ちゃんは大丈夫か?』
『はい。わたくし、もう薬には頼りません』
その返事を見た水木は、沙代の顔を見た。彼女は栗色の瞳に強い意志を宿して、水木を見返していた。
「そうか」
おとなしくて穏やかで、時貞の言いなりになっていた彼女が、こんな顔をするようになるなんて。
「沙代ちゃんはすごいな」
そう言って微笑むと、沙代は首を横に振った。
『わたくしにできることはありませんか?』
『ゲゲ郎と連絡を取りたい。俺は無事だって』
そう書いてから、ゲゲ郎は果たして水木の無事を知りたがっているのか、少し不安になった。こんな勝手なことをしておいて、今更安否など知らせてどうするのだ。もうゲゲ郎は水木のことなんて忘れて、鬼太郎たちと穏やかに過ごしているかもしれないのだ。
『いや、俺のことは忘れてくれって伝えてくれ。それから、今までありがとうって。子どものことは言わないでくれ』
「すごくおいしいよ。また作ってくれないか」
「じゃあ、材料を買ってきますわ。少しお時間をいただきますけれど」
「待ってるよ」
沙代は、分かりましたと頷いて、メモをしていた懐紙を懐にしまった。そして、すっと立ち上がった。
「では、わたくしはこれで」
「もう行くのか」
水木は名残惜しい気持ちになって、沙代を見上げた。沙代は優しく微笑むと「また参りますわ」と言って部屋を出て行った。
彼女の持ってきてくれたゼリーを食べる。グレープフルーツそのもののように甘酸っぱくて、本当においしかった。そういえば砂かけ婆が、熱を出した時に作ってくれたフルーツたっぷりのゼリーもおいしかった。
もしあのまま屋敷にいたら、妊娠に一番に気付いたのは砂かけ婆だっただろう。子泣き爺が診てくれて、めでたいめでたいと言いふらすのだ。一反木綿はまたたくさんのお見舞いを持ってきてくれて、ああ見えて小物作りが得意なぬり壁は、赤ん坊の服なんかをちまちま作ってくれたかもしれない。
ゲゲ郎は、びっくりした顔をしたあと、ぼろぼろ涙を流して「ありがとう」と抱きしめてくれただろう。鬼太郎は照れくさそうに「僕がお兄ちゃんか」と呟いたかもしれない。
――――この子を、彼らに会わせてあげたかった。
いつの間にか流れていた涙を、ゼリーとともに飲み下す。
あの温かい人たちを、悲しませたり傷つけたりするわけにはいかない。彼らはもう十分傷ついてきた。龍賀会と幽霊組の抗争は、今ここで、水木が止めてみせる。沙代の決意を見て、水木も心を決めた。
(ごめんなあ)
水木は、まだ薄い腹を撫でた。この子には何の罪もない。かわいそうだが、最期まで寂しくないように一緒にいて連れて行くから許してほしい。そんな願いを込めてまだ生まれていない命を抱きしめた。

あらゆる悲しみの元凶である龍賀時貞――――彼と心中し、すべてを終わらせる。
悲しい決意を宿らせて、水木の瞳は強い光を放っていた。